執事との出会い
これは、ある王宮の話である。
初見で執事と判断できるような身なりをした男はすっきりとした黒髪にやる気の無さそうな表情をしていた。
その男はノックをせずに扉を開け、玩具で埋め尽くされた部屋に入る。
「ここにはゴミしかないのか…………………?」
清潔感や少女らしい王女の部屋とはかけ離れた惨状に執事は眉を顰め、床に転がっているこの部屋の主を見つけた。
「ミリアナ様、いい加減にしてください」
床で寝ている少女を叩き起こすと少女はゆっくりと立ち上がり、口の端についた涎を袖で乱暴に拭う。
長い髪は絹のように白く、サファイアのような蒼い瞳は眠いのか何度もまばたきを繰り返していた。
「何ですか?」
「この汚い残骸をどうにかして下さい」
執事は玩具を指差し、惚けているミリアナの腹にすかさず肘打ちを入れる。
「痛ッ! 貴方は誰ですか!?」
「私ですか?私は今日から貴女の執事です」
表情一つ変えずに執事と名乗った男は恭しく一礼し、ミリアナは男を睨みながら痛む腹を必死になって撫でることぐらいしか出来ない。
だが、そんな出会いにも一つは良いことがあるだろうと思い、涙目でミリアナは手早く着替えを済ませていく姿を影から見守っていた老執事はそっと目に涙を浮かべていた。
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悲しみの都市、アステムブリング。
そう呼ばれていたのは、いつからだろうか。
都市と田舎の地域格差が極端に差ができ、人々は都市に集中することで公害や犯罪が多発した。
それから国王は対策に乗り出し、格差を以前の十分の一に減らすことに成功する。
こうして格差が少なくはなったが、都市に出稼ぎに行く者も多い。
──余談だが、都市の仕事で一番稼げる仕事は王女の執事である。
大人や子供の憧れであり、希望職種を十年連続維持するアステムブリングの花形とも言われている。
だが、必要な資格が多く、大抵の人々は羨むだけだ。
ましてや、若い男など無理なのだが…………
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それから着替えを終えたミリアナは重い扉を開けて貰おうと、先程自分に肘打ちを入れた執事の方を向く。
王族はわざわざ自らの手で扉を開ける必要はない、というおかしな規則があるが、最初は反発していたミリアナも自分の父親の意見には逆らえずに今に至る。
「開けて下さい」
「畏まりました。準備は大丈夫でしょうか?」
「何のこと?」
ミリアナは睨むが、執事は無視してミリアナを抱き上げる。
「ふっ、ふざけんじゃな…………………」
そして、ミリアナを扉に投げる。
軽いミリアナは宙を舞って、鉄製の扉に頭から衝突して扉が開いた。
「ごふッ! 何すんのよ!?」
「眠気覚ましの一環です」
執事は眉一つ変えずにそのままミリアナを放置して食堂に歩き出し、ミリアナは走って執事の後を追った。
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食堂に到着すると、王と王妃がにこやかに談笑していたが、朝から執事に投げられたミリアナはいつもよりご機嫌斜めだった。
「ジャムを取って」
「はい、畏まりました」
給仕のメイドがジャムを手渡すと、ミリアナはスプーンでジャムをすくってスコーンの上に乗せて一口で頬張る。
「美味しい〜‼︎」
食事はミリアナの大好きな時間。
一生懸命に食べるミリアナを微笑みを浮かべて見守るメイド達の側に控えていた執事がぼそっ、とミリアナに微笑みかけ、
「糖分はデブの元ですよ、王女様」
一瞬で凍ったような寒気が室内を駆け巡り、その場にいた誰もが発言出来なかった。
否、ミリアナだけは椅子を蹴倒して立ち上がり、怒りに拳を振るわせるも、
「あんた……、いい加減にしなさい!!」
執事は気に留めた様子もない。
「いい加減も何も、事実ですから。しかも、王女様は運動などはなされていないご様子。となれば、余った糖分はどこに溜まるのでしょう」
「……」
執事の視線はミリアナの胸元から腹に移動し、
「正解は、胸、ではなく腹に──」
だが、執事は答えを言い終えることは無く、怒りに身を任せて突進するミリアナを避けるとバックドロップよろしく大理石の床に勢いよく投げる。
本来ならば大怪我となるものが、奇跡と言うべきだろう、ミリアナは少し尻を痛める程度で済んだ。
「食事中はマナーを守って、は基本ではありませんか?」
「ぐぬぬぬ………」
ミリアナは執事に言い返せず、黙って席に着くと食事を再開した。
和やかだった筈の食事が重苦しい雰囲気に包まれたのは言うまでもない。
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ミリアナは食事を終えると歯を磨き、洗面を済ませてから書庫に向かった。
そこからミリアナは農村に関する資料が書かれてある本を取り出すと、熱心にそれを読み始める。
夜まで椅子に座ったまま資料を読み、流石に眠くなったのか慎重に本を閉じた。
「良いな〜、農民の子は。私も農民になりたいけど、現実的に無理か……」
ミリアナがはぁ〜、と溜息を吐くと、
「それならば、農民になればよろしいのでは?」
「……!」
不意に背後から声が聞こえて、ミリアナは声も出せずに気絶した。
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目を覚ましたミリアナは執事に書庫から自室に運ばれたことに気づき、執事を睨む。
「あんたはいきなり現れるのね」
「私もまさかミリアナ様が来るとは思いませんでしたが」
執事は書庫でミリアナが読んでいた農村の資料をめくり、くだらなそうに溜息を吐く。
「無駄が多過ぎる………」
「何? 無駄って」
執事は耳聡く聞きつけたミリアナを無視し、時計を指差す。
「あっ! お母様に怒られる‼︎」
ミリアナは慌てて布団に潜り、ミリアナの寝息が聞こえた頃に執事は作業を始める。
懐から水晶を取り出すと水晶が割れると同時に城の見張りの兵が一斉に気絶し、窓からロープを垂らして脱出経路を確保。
執事はロープを引っ張って感触を確かめ、
「まぁ、こんなものでしょう」
納得した様子でミリアナが寝ている部屋に戻った。
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「しゅこーんを食べたいのになんで………」
「スコーンは諦めて下さい。これからは、そんな余裕はありません」
執事は真面目に諭しながらミリアナの手を縛り、寝言を言っているミリアナ抱えてロープに向かって走り出す。
そしてロープで降りた後、用意していた馬にミリアナを乗せてすぐに城を後にした。