第八話『 彼と噴水と子虎ちゃん 』
猫族を見てると何時も胸ポケットにマタタビを忍ばせていたミケルソンを思い出す……フィリップはそんな側近に珍しく声をあげて笑っていたな。 真面目なミケルソンが私の分のマタタビまで用意してくれてて、使い方がわからなかったから紅茶に入れると、二人ともお腹を抱えて悶えてた。
あぁ、そうだ蛇族のチェスターが胸ポケットから黒焦げのトカゲを出した時は、流石に食文化の違いに絶叫して、そんな私をセドリックが愛馬の上から豪快な笑顔で見下ろして、爆笑していた。
無理矢理食べさせようとふざけてきたチェスターに地団駄踏んで抵抗したあの昼下がり。
……国王様は元気かな。
” 可愛い娘よ ” と私を本当の娘のように可愛がってくれていた穏やかな賢王様。
ナイジェルはあれからどうしてるんだろう。
私が知る限り、テディーに今迄小さな反論さえした事無かったナイジェルが、主に意見を申し立てたりしてくれたのに……それなのに、あんな風に別れてしまった。
あの後、ナイジェルはどう思ったんだろう。自分の短剣を首に充てた私をどんな気持ちで……それに、あの人はーーー
「 海ちゃん 」
「 ん? って、え? 何いきなり 」
「 なんか暗い顔してたからな。悩むよりも楽しい事考えようぜ? 」
ぼーっと歩いてると、いつの間にか広場の噴水の近くまで来ていたらしい。今日は何時もよりも憩いを求めてこの広場で休憩している人は少ないようだ。
いきなり立ち止まって、私の真ん前にグイッと回ったクラウスが、にんまり顏で私と手をつなぐ。彼の左手と私の右手がギュッと繋がって、そこから染みてくる城の兄達と同じような懐かしい温かさに、自然と笑顔が広がってクラウスに頷く。
「 うん! ありがとうクラウス 」
「 いんや、どういたしまして 」
笑窪を見せながら、喉を鳴らして穏やかに笑う小麦色の彼の歯は真っ白で、柔らかな無造作の白髪が、そよ風に優しく靡く。
贔屓にしてる町の魚屋さんはもうすぐで見えてくるし、やたらと元気なあの魚屋のご夫婦にこんな顔で会ったらきっと心配されちゃうよね。
「 ……よし 」
「 おぉ、良い子だ良い子だ 」
手を繋いで向かい合ったままそっと決意をして頷くと、爽やかにニッと微笑んだクラウス。
彼は目線を合わせるように屈んで、私の頭をヨシヨシと頭を撫でてくれる。
笑うと現れるその笑窪が何だか夏休みの少年のように可愛く見える。
「 子供じゃないよ? 」
「 あぁ、んな事わかってる 」
4ヶ月間を共にした彼の事を詳しくは知らないけれど、ずっと知っていた友人のような心地良さに私は何度も救われて来た。
感謝がこみ上げて来て、照れ臭くなった私ははにかんで微笑み返す。
すると、突然そのままコツンと額をぶつけて来て少しだけ鈍い音がした。
「 これはちょっとだけ痛い! 」
「 海ちゃん石頭だな、俺の方が痛かったぞ? 」
ゲラゲラと悪戯が成功した悪ガキみたいに屈託ないその表情に、怒った顔の私も感化されてフツフツと笑い声が溢れてくる。
石畳の噴水には、そこで一息している人達がそれぞれに軽食をしたり本を読んだりと思い思いに優しい時間を過ごしていて、そんな噴水の側で私達もいつもと変わらない穏やかな時を過ごす。
「 あ、待て。 動くなよ海ちゃん 」
「 んー? 何かついてる? 」
「 まつ毛の上になんか乗ってる。 ちょっと顔触るぞ? 」
おもむろに私の顎に手を添えてクイッと顔をあげさせたクラウスの顔が、驚くほど真近に迫る。
透き通ったグレーの瞳は、町の女の子達が噂してたように百戦錬磨の色気が漂って確かにモテるのも頷ける……って、近過ぎて照れ臭い。
「 まだ? 」
「 ふっ、照れんなよ海ちゃん。 ほっぺが真っ赤になってんぞ? 」
「 う、うるさいよ! 」
クラウスの顔が噴水側を遮るほど近くて、キョロキョロ目が泳いでしまう。 落ち着いた大人の声が耳元で聞こえたせいで、今迄そんな事なかったのに急にドキドキしてしまった。
「 あー、ちょっと目瞑って? 」
脱力感あるその声に言われた通り、目を瞑ると、そこにフーと柔らかな彼の息がかかって来た。
右肩に置かれていた彼の大きな手が離れると、目を開けていいぞと声がかかる。
パチっと目を開けると二ヒヒと歯を見せる無邪気なクラウスが視界いっぱいに映り込んだ。
そのしてやったりな顔を見た途端、私はむすっと顔を歪めて彼に問いかける。
「 ……ねぇ、本当に何か付いてたの? 」
「 あぁ、多分な? オイオイ、照れ屋さんだな海ちゃん。 顔がまーだ真っ赤じゃねぇか 」
そんなこと言われて照れ隠しの様にジーッと疑いの眼差しを向けると、寛いだ顔で微笑む彼が、癖の様に私の髪をわしゃわしゃ掻き回す。
ブーブー文句を言ってる私を余裕綽々でのらりくらりと交わす彼と戯れていると、誰かの強い視線が感じられて、思わず噴水の方を振り向くと、そんな私を見たクラウスも同じ方向に視線を向けた。
石畳の噴水に腰掛けていた赤茶の髪と頬のソバカスが印象的な男性が、愕然と此方を凝視していた。
軽く開いた口を閉じる事すら忘れるほど衝撃的な光景だったのか、ピクリとも動かないその男性を見て、私は首を傾げる。 何でそんな信じられない物を見てしまったと言う風に固まってるんだろう?
その時、クラウスが私の耳元にそっと顔を近づけて、吐息交じりに色気ムンムンで耳打ちして来た。
「 ……向こうからだと、どう見たってイチャついてからキスしてた様にしか見えなかったと思うぜ? 」
「 ……っえ⁉︎ 」
からかう様な口調で茶化した後に、そのまま私の頬を本当に彼氏みたいにそっと触れて来た。 そんなクラウスの言葉と行動の所為で茹でダコのように耳まで熱くなる。
「 ……っ、からかわないで! 」
「 可愛いな〜海ちゃんは。 はいはい、悪かったよ。 さぁ、行こうか? 早く行かねぇと気分で店閉めちゃうだろ、あの夫婦は 」
グイッと私の右手を強引に取り、何故かまた手を繋いだ彼に文句を言う暇も無くズルズルと連れて行かれる。 余りにも自由奔放なその行動に、呆れと愉快さが同時に溢れて来て、結局笑いながらそんな彼と手を繋いだまま魚屋さんに向かおうと足を踏み出す。
「 刺激が強かったのか? 」
噴水を振り返ってゲラゲラ笑うクラウスの視線の先を見ると、未だに固まって放心したままの赤毛の男性の横顔が見えた。
幾ら私と変わらなさそうな年頃といえど、昼間っからそんな光景を見せられたら驚くよね。
「 ……なんか、すいません 」
小声で申し訳なさそうに呟いた私の隣で、我慢できなかったのかクラウスが喉を鳴らしてくっくっと愉快そうに笑っていた。
ーーーー
ーーー
宿の調理場で、二人で魚料理を作って、美味しい夕食を終えた後、部屋に戻って一人で本を読んでいるとコンコンとノックが聞こえて、返事をするとクラウスが顔を覗かせた。
「 なぁ、海ちゃんは虎好きか? 」
ひょこっと顔だけ覗かせた彼を見て、本を閉じた私は靴を鳴らして扉まで近寄る。虎が好きかと聞かれると、ナイジェルを思い出す。
「 えぇ、虎族はとても優しいから大好きよ? 私の大切な友人も虎族だったからね。 って、入ってこれば? 」
「 虎族うんぬんじゃなくて、本物の虎だよ 」
何時もなら遠慮もなく入って来て、自由気まま無気力にダラダラと私の部屋で過ごす癖に、何故か扉の向こうで立ち止まってる彼に首を傾げて部屋を指差すと、呆れたように返事を返して来た。
「 本物の虎? 」
「 あぁ、ほら、こいつ見てみろ 」
私が扉をバッと開けたのと同時に、クラウスが両手で抱きかかえて居たその子をグイッと私の目の前に差し出して来た。
『 グゥル 』
その両手の中にいたのは、甘えざかりの可愛らしいまん丸な目をした小さな子供の虎だった。
「 え! かっ、可愛い〜っ‼︎‼︎ 抱っこさせて、抱っこさせて! 」
「 おぉ、嫌いじゃないんだな 」
「 うん! 大好きよ! 」
半ば無理矢理彼の手から奪う形でその子を抱き抱えると、あったかい温もりとフワフワした毛並みが腕に広がる。
『 グゥル、グゥル 』
先だけ白い珍しい尻尾をユラユラさせて大きな肉球の手を私の手の上に置いて来た子虎ちゃんにすぐさま心奪われた。
余りの愛くるしさに、苦しくないようにギューっと抱きしめる。
「 嬉しそうな顔しちゃって 」
「 この子どうしたの? 」
「 外を彷徨いてたんだけど、ずっと俺の後ろついて来てさ。 仲間にしてやろうかなと思ってな? ……食費なら俺が賄うし 」
扉の柱に凭れかかって両腕を組みながら、子虎と戯れる私を微笑ましそうに眺めるクラウス。
彼も私と同様に町で仕事を見つけて、生活費を賄っている。
そして料理や家事なども尊敬するほど完璧で、一人でなんだって出来る。そして、困っている人も、動物も見捨てたりしない優しい人。
「 私も一緒に賄うよ! だって二人の新しい仲間でしょう? ね、ナイジー 」
『 グゥル? 』
「 ナイジーって、もう名前付けたのか? 」
呆れ笑いで私を見る彼に笑顔で頷く。 腕の中に居た懐っこいナイジーはスリスリと私の腕の中で可愛らしく甘えてる。