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ちょっと長くなりました。

 犬に人の言葉は判らない。だから、彼らに対してなら何をいっても構わない。何をどういっても、人の悪口をどれだけ吐いても、彼らは誰にも告げ口が出来ない。犬と自分だけの秘密になるのだ。

 あれが死んだのは寒い春の日のことだった。いつものように朝の散歩に連れていこうと犬小屋を覗き込むと、静かに眠っているような様子で、幾ら名前を呼んでも動かなかった。いつもなら犬小屋の側に寄るだけで直ぐに飛び出してくるので、多少不審に思って、けれど面倒だから散歩は止めにしようと考え直して、足早に家の中に戻ってしまった。振り返るに、あのときにはもうあれの命は尽きていたのだと思う。犬にしては随分と短い命だった。父親と二人で庭に埋めてやったとき、父親の目が真っ赤に充血していて、どうにも目のやり場に困った。

 あれには散々なことばかり吹き込んできた。芸の一つも覚えない馬鹿だったので、どうせ判らないならと名前も呼ばず、近くに寄せるときは大抵、グズ、グズと呼んだ。その度に喜んで尻尾を振る姿には愛嬌があって、愛おしく思えた。あれの散歩はいつも私の役割で、自ら進んでそうしていた。奴はたとえ己より身体の小さな犬が相手であろうと、主人以外には決して懐かない臆病者だった。負け犬ほどよく吠えるという言われ方をまさに体現しており、散歩中に道の向こうから何かがやって来ると、老婆も子供も無差別に怖がって、私の背にずんぐりした黒っぽい身を半分隠しながら、きゃんきゃんと吠えるのである。だから散歩のときはいつも、近所の荒れ果てた空き地だの、底の見えない溝川に沿った土手だの、ともかく人の居ないところばかりを選んで歩かせた。誰にも会わなければ無駄に吠えたりしないので、辺りは痛いくらい静かになる。すると、いよいよ耐えられなくなった私が、ぼそぼそと口火を切るのである。誰が気に入らないとか、酷い失敗をしただとか、独り言のふりをするように、周りの景色へ目線を泳がせながら、内心ではいつも隣のグズに向けて話していた。後悔を懺悔したことさえあった。嫌がられるのが怖ろしくて誰にもいえないでいる私の秘密を、奴だけは黙って聞いていた。

 どうせ何も判らない。判らないから、あの臆病者の弱虫が、押し黙っていたのだ。黒くて野暮ったい丸みを描く身体は、奴が生まれ持っていたもので、余計な毒などを食らって膨らんだのではなかった。あれの身体に言葉が溶けて吸い込まれていくような気がしていたのは、私だけだったのだ。きっと、そうなのである。

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