恋のライバル?/押しかけ同居狼
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「はぁ……」
名織は女子寮の自室で、ベッドに横たわり、何度目かのため息をついていた。
――さっきの試合、怖かった。惨敗だった。
人目もはばからず泣くなんて、人生で初めてのことだった。
宗次にはきっと、どうやっても勝てなかった。
逢坂宗次という意味不明なまでの強さのディバイドは、名織自身の価値観の根底を大きく揺るがした。
「……ディバイドって、みんなああなのかな」
そして名織には、負ける以上にショックな出来事が重くのしかかる。
彼に浴びせられた罵声だ。
思えば他人に、あんな風に冷たい言葉を突き刺されたのはこれがはじめてだ。
まるで逢坂宗次がディバイドの全てみたいに思えてきて、考えたくなくなくても意識してしまう。
――ディバイド参画集社の一員としてやってきた私の活動は、全て間違いだったのかな。
自分の主張はディバイドにすら届いていない。そんな錯覚さえしてしまう。
「……はぁ~~~」
明日の用意すらやる気が起きなかった。
このまま眠って忘れてしまおう――などと思いながら目をつむった。
ぴょこむ。
カエルのジャンプのようなファンシーなメール着信音が響いた。
左手の中指と人差し指を空で軽くこすると、寝転がった名織にも見やすい仮想画面が表示される。
『From 朝繭ほのり
Message あと約10秒!』
「……???」
意味がわからずたっぷり10秒固まっていると――コンコンと、部屋をノックする音が聞こえる。
名織はベッドから飛び起きて、玄関へ急行し扉を開けた。すると、
「こんばんは! 結構ぶりだね、名織っ」
短いポニーテールに結わえた、どこかほわほわとした雰囲気の女の子――
中等部の寮で同室だった少女が、キャリーバッグを引っさげてそこにいた。
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紅茶を入れ、二人テーブルを囲んで一息つく。
「……で……あの、なんでほのちゃんがここにいるん……だっけ。
も、もしかして飛び級……とか?」
名織はおそるおそる「ほのちゃん」と呼ぶ少女――朝繭ほのりにそんな質問をぶつけてみる。
ほのりは紅茶で和んでいた顔をみるみる泣き顔のように崩し、
「あぁあれぇっ、ちゃんと説明したよ私!?
飛び級なんかしてないよ、まだ中等部三年生だよっ。
ほら、一度寮に帰ってきたときに、私がこっちの高等授業を前期だけ受けたいんだぁって言ったの覚えてない?」
術士学園の中等部は術士にカリキュラム的にも――そして距離的にも一番近い中学校だ。
学園の外柵を隔てて五百メートルも歩けば、中等部にたどり着く。
かつては同じ敷地内にあったのだが、きな臭い事件が増えていくうちに別々の敷地にしようという動きがあり今現在の位置関係となっている。
「……ご、ごめんなさい。全く覚えてない」
ほのりはふにゃぁあああっ、としっぽを踏まれた猫みたいな悲鳴を上げる。
それからやがて、悲しげな顔のまま説明をはじめた。
「まー、名織も全国に飛び回ってたりで忙しかったから無理ないかぁ……。
ほら、うちの中等部って三年生の時にこっちの前期講義を履修できる制度があるの、知ってるよね?
……その顔、知らないみたいだね。うん、いいよわかったよぉ。もう。
私ね、中等部で単位をいっぱい取って、こっちの授業を履修してみたいなぁと思ってたの」
どこか子供っぽくて、ぽやぽやした浮遊感のあるしゃべり方は、ほのり特有のしゃべり方だ。
このしゃべり方も彼女のマイペースな雰囲気も、名織は好きだ。
……歳ひとつしか違わないのに身長も胸の大きさも差があるのには妬けるが。
同じ部屋で生活していると、そういったコンプレックスが刺激されるという日々が味わえる。つらい。
「でね、二年生の期末成績がいいほうだったから、申請してこっちの講義を履修させてもらえることになったの。
だから、しばらくよろしくお願いしますということだよぉ。
……そこの扉に私の名前もちゃんと書いてあったけど、見てなかったの?
寮生班長さんにも説明されなかった?」
「あはは……実は、まったく見てなかったし聞いてなかった」
「えぇっ……」
頭の中は宗次のことでいっぱいで、他のことが少しも頭に入っていなかった。
寮生班長という寮内のリーダーとなる先輩にも、生返事をしていたことまでは記憶にある。
「……それにしてもいつもの元気がないねぇ。全然名織らしくないよ?
まさか、何か原因があったのかな?
お姉さんでよければいつでも相談に乗ってあげるからねっ」
ちなみにほのりは名織に「敬語と名前の『さん』付けはやめてっ」と強制した結果、このような呼び名に落ち着いている。
「…………その、ほのちゃん、ちょっといい?」
今日ばかりは、誰かに泣いてすがりつきたい気分だった。
名織は昼間のことを洗いざらいぶちまけた。
名織視点で振り返る逢坂宗次は、どれだけ粗野で無愛想で野蛮な考えの持ち主なのかを力説した結果――
「なにそれ、ひどくないっ!?」
当然、ほのりは怒り心頭。
「名織が勝てないなんて驚きだけど……だからって弱いなんて言いぐさはさすがにないよっ。
ディバイドの人って、みんなそうなのかなっ!?」
「……ちょっと、私もわかんなくなってきたかも」
一気にまくしたてて、だいぶ溜飲が下がり控えめにうなずく名織。
「一応、フレンド登録してるんでしょ?
その意地悪な人の顔をこの目にしっかりと焼き付けさせてもらおうかなっ」
「え、でも……」
「だって、私もその人に会ったら文句言ってあげるよっ! 私、名織の味方だもんっ」
逆にほのりがヒートアップしてしまい、自分が無用な地雷を踏み抜んだんじゃないかと思いはじめる。
とはいえ好意的に接してくれる友達をないがしろには出来ない。
名織は、しぶしぶフレンド登録した画面を見せた。
宗次の顔写真は、学校のデータベース上からダウンロードされている。
引き締められた表情に、目の部分までかかりそうな黒髪。
少しだけ威圧的に細められた目が、近寄りがたさを抱かせる。
「……これが野蛮なディバイド……の……
………………あ、あれ?
かっこいい……?」
友人・ほのりのつぶやきに、名織は唖然とした。
「え? なんて?」
「はぇ!? きゃ、客観的にそう思っただけだよ!?
だだだって、事実結構かっこいいよね?」
名織は仮想画面をじっとりとにらみつける。
――性格を除けば確かに輪郭もシャープだし、凛々しい表情の美男子と言っていい……かもしれない。
ただし名織の色眼鏡では、この男子をまともに見ることが出来なくなっていた。
「でも、ほのちゃんってディバイドが苦手って言ってたよね?」
と質問すると、ほのりは苦々しい言い訳をしはじめた。
「中等部にディバイドはいないもん。
それに同級生のエルフくんとかがいっつもディバイドはどうたらどうたらで嫌な奴だぁーっていうけど、イメージばっかりでピンと来なかったんだよね。
それに私は親も純粋な日本人だからディバイドの差別なんてよく知らないし……
それに、ディバイドの人ってちょっと不潔なイメージを持ってたけど、この人はそんなことないもんっ」
ほのりの“それに”攻撃は佳境に入った。
「それに――恋の障害って多ければ多いほどいいんだからね!?」
「……コイ?」
ほのりの顔は気のせいか――いや、気のせいじゃない。なんか赤くなっている。
「え、ほのちゃん……コイって……まさか、あの恋……?」
ほのりは顔を赤らめ、「ん」とうなずく。
「――――――ま」
と、一瞬名織の時間が止まり、そして再び動き出す。
「待って! 今の流れでどうしてそうなるの!?
どこに恋愛の要素があるの! 唐突すぎるよ全然わかんないよほのちゃん正気じゃないよね!?」
「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて名織っ」
そう言うほのりもあわあわとしながら弁解(?)する。
「確かに私は恋って表現したけど、なんだかよくわかんないよ私もぉ。
でも少なくとも……なんかこう、ビビビ!って来たんだよ。
うーん、……一目惚れっていうのかなぁ、これ……たぶんそーかもだけどよくわかんないやぁ」
「冗談になってません! そういうのやめたほうがいいっ」
と真顔で諭しにかかる名織に、思わずほのりはムキになる。
「で、でもこういうことって生きているうちに一回や二回はあるものなのっ。
もう、恋愛未経験者はこれだから困るんだよぉ」
「それはほのちゃんもでしょ?」
「ぐ……そんなことは置いといていいんだよ! ささいなことなんだよ!」
悲しいかな、二人に彼氏と呼べる存在はいず。
とにかく恋はファンタジーなの、こういうことだってよくあるんだよっ。
説明出来ないけど……なんだか、ちょっとだけね、私も話してみたいの、この人と!
それからこの人の善し悪しを判断するのだって、遅くないことだと思うなぁっ」
「……なんだか話が変な方向に進んでいる気がするんだけど」
ほのりは腕を組み、
「この宗次さんも、何かいろいろな事情を抱えてるのかもしれないしね、うんうん」
「……そ、宗次さんっ!?」
名織はもう、ルームメイトにどん引きだった。
名織の身を案じる旧友はもういない。
そこにいるのは突如へにゃっと口を曲げ、
「ね、ねえ名織、アドレス……も、持ってるんでしょぉ? その……」
S・デバイスを起動し、
「この人のアドレス教えて!」
と恋路を開こうとする裏切り者の姿だ。
「ぜっっっっったいやだ」
真・向・拒・否。
他の人に教えるなと念を押した張本人がなぜ相手のアドレスを漏洩せねばならないのか。
すでに恋は盲目という体現者になりかけているほのりは「にしても」と首をかしげる。
「よくよく考えてみると、不思議だねぇ」
「なにが?」
「その人って、名織のこと好きなんじゃないかなぁ? もしかして」
友人がなぜか牙を剥いた瞬間だった。
名織は脊髄反射で応戦。
「絶対ありえませんっ!! 何でそうなるの!?」
恋愛脳に至極まっとうな疑問をリリース。恋愛脳患者ほのりはすかさず超絶理論を展開。
「どうして嫌いなのか聞いたら、その理由を濁されたんでしょ? それっておかしいよ。
ハッキリした理由があるから突き放すのに、理由は言えないなんて明らかにヘン。
だいたいバトルもそうだよ。
名織が有名人だって知ってて、本当に嫌いなら顔とか傷になるように攻撃するじゃない?」
……衝撃はあったが、確かに少しすりむいたくらいだ。
冷静に分析できる今なら思うが、それ以上のダメージを彼なら加えることが出来ると思う。
なるほど、確かに真っ向からは否定できない意見だ。
なぜディバイドなのか聞いたときも――
余計な詮索はするな。踏み込まれる筋合いはない。
そんなことを言っていた気がする。
だが、名織は即座に首を振った。
「……って、いやいやいや、ないないない。
ほのちゃんって、あんまり男を見る目がないと思います。私」
「な、なにおう〜〜!?」
ほのりはそれに目に見えてショックを受け、やがて口ぶりも熱を帯びてきた。
「いいや、絶対宗次さんは名織が好きだって!」
「だからそれだけは絶対にありませんっ! 賭けてもいいよ!?」
「じゃあぁ私が負けたら私、宗次さんに告白する!」
「なんで!? それぜんぜん賭けになってないよっ!」
名織にとってはまったく得しない賭けなのは確かだ。
「じゃあその代わり私が勝ったらぁ――」
にふふ、といやらしい笑みを浮かべるほのり。
「名織が宗次さんに告白してっ」
ほのりが最初、自分と共通の言語を話しているのかわからなかった。
やがてそれが日本語であることを理解し、文法を判断し、誰が誰にどうするのか、その意味を脳が認識して。
「ぜ――ぜっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったい、無・理!!
好きでもなんでもない人にどうして告白するの!
それって逢坂さんにも失礼でしょ!?」
「でも、ディバイド好きなんでしょ?」
「誰が・いつ・恋愛とディバイドを絡めたのっ!!」
彼らの立場をよくしたいとは考えている。
が、だからといって恋愛対象として見ることは出来ない。
ほのりはちっちっち、と指を振る。
「でもね、『好きです』って言うだけが告白じゃないんだよ?
これから仲良くしてくださいとか、そんなのでもいいのっ。
そこからちょっとずつ発展していけばいいじゃない」
「いや、発展は絶対にしないけど――」
「勝負から逃げるのかぁ」
勝負、と言われ、名織はうっと喉を詰まらす。そのときの「かかった」というほのりの顔を名織は見逃していた。
勝負とか、怖じ気付くとか、そういった敗北関連の言葉にはめっぽう弱い。
もはや引けない戦士の意地が、名織の腹をくくっていた。
「そこまで言うならいいよ。私も逢坂さんに告白する。
でもほのちゃんには潔く散ってもらいます、覚悟してね!」
「望むところだぁ!
……私の告白が成功するパターンは名織には入ってないのかなぁ!?」
「当然です」
誓いの指切りが、ガッチリとかわされる。
「あ」
我に返った名織はふと首をかしげ、
「でも、どうやって私のこと……その、す、……嫌いじゃないって知ればいいの」
好き、という表現を使うのが妙にむずがゆい。
というか、宗次を相手どって口にしたくない。
「簡単だよぉ。ティアンスや名織をどうして嫌うのかって聞けばいいの」
「私を嫌うのか、はわかるけど、なんでティアンスを絡めるの?」
「どうして名織を嫌うのか、だけなら相手には『ティアンスだから』って逃げ場があるよねぇ。
なんでティアンスを嫌うのか、だけだと名織っていう個人を嫌う理由からは遠くなっちゃうから。
でも両方を一度に聞けば、本当に嫌いならそれ相応の理由をあぶり出しやすくなるよね。
適当な返事を返されたら――それすなわち、相手にもっと深い事情があるものなり!
もしかしたら本当に、名織のこと好きなのかもしれないよぉ?」
「ふーんへー」
「む、信じてないなー?
でね、なるべく切羽詰まったタイミングが肝心だよっ。
あらかじめ用意された言葉は、不意打ちの時には出てこない可能性が高いから。
それとか、思い出すようにどもったり、詰まったり――そういう答え方は、自分が演じてますよーってバレバレだからねぇ」
「……なんでそんな機転がぽんぽん出てくるの?」
「えっへん!」
ほのりはどーんと胸を張り、
「大切な恋路だよぅ、下調べはいっとう入念にしておきたいからねっ」
「つまり恋路の歯車に組み込まれろということなの、私は……」
「まあそう言わないでよ名織っ。
でね、次高等部の講義の履修なんだけど、一緒の受けようよっ」
いきなり話題を180度変えてきた。
「でね……そ、宗次さんも来るかなっ」
ーーかと思えばそうでもなく。
「来ないよ。なんでわざわざ刃を向けたティアンスの講義に入ってくるの?
そんな神経の人がいたら私、言葉を失うよ」
「そぉ? もし来てくれたら嬉しいなぁ」
「……そのときは、私が追い返します!」
ぽやんぽやんと暢気なほのりを前に、名織は一つ嘆息した。
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同時刻。
ディバイド寮棟にて。
「あら師匠。いやぁお帰りなさい! へへっ生徒会はどうでやした?」
部屋に入って媚びを売りながら出迎えたのは、青髪のチャラ狼男――バロットだ。
「去れ」
握り拳を見せつけ実力行使も辞さない宗次に対し、バロットは制止しようと手を振った。
「ちょ、待ってください師匠! ここは師匠と俺の相部屋ですよ!」
「バカ言うな。相方の名前が全然違う」
表札には、どちらでもない者の名前がある。バロットであるはずがない。
「そ、それが寮生班長に無理言って変えてもらったんスよ!」
「……何?」
宗次の怒りと殺気がむくむくとわき上がってくる。
「ちょちょちょっと師匠! なァにをそんなに怒っているんですか!」
「怒っていない。俺がどれだけ穏やかな顔をしたとして、これがお前に向けられる精一杯の優しい表情だ。
わかったら帰れ。寮生班長にも謝ってこい。
そもそも俺は許可してない」
そんな宗次に、バロットは平伏して頭を床にこすりつける。
「すっすいやせん!! 俺は入学前から悪事を働いてて、それを師匠と一緒の部屋なら絶対に矯正する、って言って誓約しまして……だからたぶん今からまた変更するなんて不可能、かと……」
こめかみに青筋が浮きそうだ。いくらなんでも勝手に物事が進みすぎている。
「そうか。じゃあ一晩で犯罪のはの字も言いたくなくなるようにしてやる。
出た血は教育料だと思え」
「ちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいィ――っ!??」
バロットはずざざざざ、とすさまじいスピードで、四つん這いのまま廊下の端まで後退。
宗次を恐れているのか顔も上げようとせず、
「お、お願いしやすせめてこちらを差し上げます、俺の宝物でやす!!
それでここは勘弁してくだせぇませんか!」
バロットがずずいと勧めてきたのは、かなり古ぼけ、所々破けた雑誌だった。
艶やかなメスが扇情的なポーズを取っている。
宗次は言葉を失った。こんなものを見るのははじめてだった。
「……こ」
ーーこれを、俺に、どうしろと?
と言いたいところだが、しばし口が固まるほどに唖然となった。
「へぇ、そのぉ、ちょっとは興奮するかなぁ、と思いまして……そういう本って最近めっきりなくなっちゃって、需要あるかなぁ、なんて……」
「……あいにく、だが――」
宗次は怒りに震える声で、その本のタイトルに目を落とす。
『女狼教師、下半身は獣化しっぱなし! ウルフのためのエッチな授業』
「俺に、動物趣味は、ない――!」
顔が狼――というか犬みたいな女教師であろうかーーが艶めかしいポーズを取っているという、悪夢に見そうな表紙だった。
宗次は生理的嫌悪のおもむくままに、ゴミ箱に叩きつけた。
「あぁっ!? し、師匠なんてことを!!」
バロットはようやく顔を上げ、エロ本(?)を取り返しに近づいてきた。
すかさずバロットの首根っこを掴んだ宗次は、玄関脇の壁にその体を押しつける。
「俺にこれ以上関わるな。
……お前、下手すると死ぬぞ。
これは脅しじゃない。自分の命が大事ならさっさとこの部屋から去れ。
そして、二度と俺に話しかけるな」
「い……いや……だ……がっぐ、」
宗次は首を絞める力を強める。バロットの顔の血管が浮き出てきた。
それでも、振り絞る声を必死で宗次に伝えようとする。
「……オレは……もともと、こんなんだから……っ、だったら、死んだってかまわ……
ぐぎっ……げけぇ……っ…………
……いぎ、命なんて、捧げてナンボだろう……よ……!!!」
宗次は目を閉じ、バロットを床に投げ捨てた。
げほげほとせき込むバロットに、宗次は感情のない声で告げる。
「気にくわない…………お前の身なりも、態度も」
苦しさに涙を浮かべていたバロットは、何かひらめいたように洗面所の扉を開け、
じょき。じょきじょきじょきじょきじょきじょきじょきんっ!
そんな音が響いてきたかと思えば、ものの数秒でバロットは戻ってきた。
急いで切り落とした髪の毛は、ややダサいが、さっきと比べて格段にさわやかに変貌している。
「洗面所で切りやしたよこの爪でネ、ちょちょいのちょいですよ!
あ、あとでかたしておきますんで!
へ、へへへっオレ家族の髪とかよく切ってたから、お手の物なんすよ!」
「……その中途半端な敬語も気に入らない」
「わかったやめる! 敬語はやめる! すまねぇ、これからよろしく頼むぜ!」
「お前が過去にしてきたことも――俺はすべて気にくわない」
バロットは髪の毛をはらはらと落としながらーー土下座するしかなかった。
「こればっかりはどうしようもねぇ……ただ、オレが出来る償いならなんだってしたいっ」
「……じゃあ全財産、今の有り金全部さっき脅した二人にやってこい」
「……そいつは……そいつだけは……家族に送る金だし……」
「お前は脅した人たちの家族の事情を考えたことがあるのか?」
それはバロットにとっても、ぐうの音も出ない正論だ。
だらだらと汗を流し、ごくりと生唾を飲み込む。そして、
「わぁーーーっった!! オレも漢だちくしょう、待ってろ師匠!!」
バロットはリビングに出向いたかと思うと、がさごそと荷を引っ張り出し、たくさんの貯金箱を取り出した。それをバカバカと割っていく。
はした金にしかならなさそうな硬貨をじゃらじゃらと集め、ひいふうみいと数え出す。
「……バロット、その金は両替しておく」
財布から二枚取り出された宗次の金札は、大量の安コインの束よりも確実に高額だ。
それを受け取ったバロットは、
「……すまん師匠!! この借りは絶対に、必ずや、」
「いいから行け」
ほっとけばいくらでも謝り倒してきそうなバロットを急かすと、すぐさま靴を履いて部屋を飛び出していった。
すかさず宗次は部屋の鍵をかける。
数分後バロットが戻ってくると、扉の向こうで鍵がかかっていることに困惑しはじめ、ドアをドンドンと叩いてきた。
「師匠! 今いねぇのか!? いるんなら開けてくれっ、二人にはちゃんと詫びはしたんだ!
頼む……この通りだ……頼むよ……」
めそめそと声にならない声がインターフォン越しに聞こえる。
宗次はチェーンをかけたまま、その扉を開けた。
「最後に気に入らないことがある。
その師匠とかいう呼び方をやめろ。俺の名前は――」
「あ、逢坂宗次サマ!」
「……様付けもやめろ。……下の名前でいい」
「宗次ィ!!」
宗次はため息をついて、チェーンを解除して再び扉を開けた。
洟垂れ状態で腰に抱きついてきたバロットを、気色悪そうに足蹴にした。