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双極のトップクラフト  作者: 稀城ヨシフミ
異界からの帰還者
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プロローグ

 少年は、生きたまま「地獄」に墜ちた。


 少年は10歳の誕生日を迎え、愛する父と母と、車に乗りレストランへ向かっていた。


 誰よりも尊敬する、かっこよくて、すごい術士で、頼れる誇りの父。

 いつも綺麗で優しくて、自分のことをなんでも知ってる魔法使いみたいな、かけがえのない母。


 車の後ろの席で、母が「父からのプレゼントだ」という小さな箱をもらった。


「ねえ、これ開けてもいい!?」


 はしゃぎながらそう聞く少年に、父は「まーだだめ」と優しく諭す。

 父は、ふくれる少年にたしなめるように言った。


「それはお前が術士として成長していくための道具だ。大事に、大事にするんだよ」


 少年はその言葉に、今すぐプレゼントの中身を見たくてたまらなくなる。

 けれどそれよりも、


「うん!!」


 父に元気いっぱいの返事をすることで、うれしさを伝えた。


 そんなとき。

 脈絡など、何もない。絶望の忍び寄る影なんか、見当たりもしなかったーーそれなのに。


 ――車のバランスが突如失われる。

 少年は状況を確認するいとまも無いままに、轟音と衝撃とともに深い深い闇へと落ちていく。


「……う……ぐ…………」


 体中を打ち付けた重い痛みに苦しい顔を浮かべながら、少年は意識を取り戻した。

 ぬるりとした感触が顔に付着している。撫でると、妙に生温かかった。

 重くなった瞼を開け、手のひらを見る。手指は赤い血でべったりとまみれていた。


「……と……とう、さん。かあ、さん……どこ……? いたい、いたいよ……」


 涙を目にいっぱいに浮かべ、少年は父母を探す。

 最愛の両親は、彼の頭上にいた。

 槍のようにするどい枝を生やした、見たこともない汚い青色をした木々。

 父はその木々の枝に腹ごと貫かれ、母は燃え上がって炎上し続ける車の中で、微動だにしない。


「う、う、う、ああ……あ……!!」


 声にならない声が漏れる。だが、少年が悲痛に泣きわめくことは許されなかった。


 ……ずん、ずん、ずん、ずん、ずん……!


「……ぶじゅる……ぐろロロろ、ずじゅるぅ、ぶじゅううぅううぅぅ……!」


 何か、とてつもなく大きな生き物が、こちらへと近づいてくる。血に飢えた獣のような、本能的な恐怖を呼び起こすような音を発しながら。

 少年はがくがくと震える足をなんとか叱咤し、木々の間を走り抜ける。

 泣きたかった。自分は子供だから。

 けれど、自分の体に言い聞かせる。「男はピンチの時こそ頑張るものだ」と言われたから。


 草木は茶色く変色したものばかりで、紫に変色した骨がそこかしこに散らばっていた。

 空はまるで時間が経った血の色のような、黒ずんだ赤濁色をしている。

 こんな空、一度も見たことがなかった。

 太陽も、月も、雲さえもそこには出ていない。

 木々を走り抜けると前方には黒い霧が一面に広がり、視界が開けてきそうにはない。


「ここ、どこ……?」


 自分がどういう場所にいるのか、全くもって見当がつかなかった。

 踏みしめる地面はやけにぐにょぐにょとしていて、気を抜くと足を取られそうになる。生理的な嫌悪感までもが足裏から伝わってきた。

 あらゆる方角から、獣のうなり声や鳥の金切り声がする。

 まるで出口のない恐怖の箱の中に放り出され、閉じこめられてしまったようだった。

 少年は逃げながら、いつの間にか涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。ガチガチと、歯がうるさく鳴っている。


 こんなの夢だ、夢だ、夢だ……!!


 やがて少年は何かが胸に詰まる感覚を覚える。

 走った後の感覚とは全く異なる、この空間特有の息苦しさがあった。

 まるで空気が質量を持ってのどに張り付くように、呼吸がしづらい。鼻も喉も、この空気に汚染されているようだった。

 少年はついに地面にひざをつく。この理不尽な状況が心の底から憎たらしくなって、気持ち悪い地面の土を思いきり握りつぶした。


 死にたくない。僕は死にたくない、死にたくない、

 死にたくない死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない!!

「……あああぁああああああああああああああ!!!!!」



 ………………寒さで、目が覚める。

 そこはいつものベッドではなかった。星一つない真っ黒な夜が広がる、洞穴の中だ。発狂したように走って逃げて、たくさんの気配を気にしながらも眠ってしまっていたのだ。

 夢ではなかったんだ。そんな絶望が、体中をぐるぐると巡って、胃の中にあるものをげぇげぇとはき出す。

 足が痛くて、吐く息は白く体中がズキズキと痛んだ。

 洞穴はずっと奥まで続いていて、いつ獣が中や外から襲ってきてもおかしくはなかった。

 けれど、少年は不思議とそれを望んでいた。


 ――ぼくはここでずっとねていたい。もう何も考えたくない。

 でも、いいんだ。

 ぼくは、父さんと母さんのところにいきたいんだ。

 だからこわいけど、こうしていればきっとだいじょうぶ。


 ……またうとうとしてきた意識の中で、ふと思い出す。

 小さな箱の包み――ずっと手に握りしめていたのだった。

 父がくれた、泥にまみれてぐしゃぐしゃになってしまったプレゼントの箱を、震える指で開けていく。


 少年は、その箱の中身を見たとたん、涙があふれて止まらなくなった。

 そこには“刀の柄”が入っていた。

 父がいつも術を使うときに用いていたもの。

 父にねだっても「命より大事なんだ」と言って触らせてすらくれなかった、たいせつなもの。


 生きろ、と。

 父が言ってくれたような気がした。


 ……生きなきゃ。生きなきゃ。生きなきゃ。


 生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ生きなきゃ――


 少年は、涙顔をぬぐって洞穴を飛び出す。

 なんとかあと一日だけ生き延びてみよう。そう固く心に誓う。


 あと一日だけ。


 あと一日だけ。


 あと一日だけ。


 あと一日だけ。


 あと一日だけ。


 あと一日、あと一日、あと一日、あと一日、あと、一日……。



 ………………そして。

 少年は、獣になって生き抜いた。永い永い時を生きて生きて生き抜いて、


 ある時、自分と同じ“人間”に出会い、


 ――この地獄から脱出した。

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