六十八話 恵与③
「この神社が火事に見舞われたのは今から一年あまり前、冬の時期のことです」
耳丸は嫌なことを思い出すようにしながら、幸村に言った。
「……火事ですか」
「ええ。昼間に焚いていた火の不始末が原因のようでした。そうして気がついた時には本堂の屋根にまで火が広がっていて、もうどうしようもない状況で。かろうじて私たちにできたのは身の回りのものを両手に抱えて、火の届かない遠くまで逃げることだけでした」
棚に飾られている御幣がそうなのだろう。
そちらに目を遣りながら、耳丸は言う。
「そうやってすぐに逃げたおかげで怪我人が出なかったのは幸いでしたが、結局次の日の明け方まで火は消えず、境内の建物はすべて燃やし尽くされてしまいました。塀の一部も熱で弱くなったのか、あれから時間が経つごとに崩れ落ちる箇所が増えていまして」
そこまで聞いて、悲惨な神社の現状をようやく幸村は理解する。
ただ幸村は疑問に思ったことを耳丸に尋ねる。
「……火事のあった形跡がまるで残っていないようなのは」
「ええ、ええ。燃え残った廃材などは、皆が総出になって片付けました。周囲の集落も人手を出してくれたので、ふた月もしないうちにはどうにか片付いて。そこから半年ほどかけて、新しく土をかぶせることまでしてあります」
耳丸の声の調子からして、その作業にはかなりの苦労があったたようだ。
そうでしたか、と幸村は耳丸にうなずいてみせる。
それに考えてみれば、火事から一年以上も時間が経っているのだから、その痕跡も薄まっていて当然かもしれない。
「……しかし、それならあとはもう建物を建てるだけで――」
つぶやくように幸村は言って、そこではたと気がついた。
神社を再建する上で障害になりそうな問題といえば。
「費用の問題ですか?」
率直に幸村は尋ねる。
すると耳丸は下を向き、小さく何度かうなずいてみせた。
「……ええ、それも確かに、大きな問題です。ここ射楯兵主神社は播磨国の大小明神も祀っておりますから、祭神を祀る本堂のほかにも摂社・末社として社を建ててやらねばなりません。小さなものまで含めると、少なくとも十以上は建てることになりますから、かなりの資金や人手が必要になるでしょう」
その言葉に、幸村は続ける。
「つまり、黒田家に資金援助を頼みたいと」
金の融通の問題。
幸村は自分の立つべき位置を掴めたような気になってきた。
いや幸村の立場からすれば、この話はむしろ対処が容易な部類かもしれない。
なぜなら、確実に幸村の職掌の範囲を超えているからである。
それゆえ、幸村の取るべき行動としては上役にこの情報を伝えるだけ伝えて、あとはその判断を仰ぐだけでいい。
「……それがそうもうまくいかないのです」
しかし返ってきた耳丸の言葉に、幸村は首をかしげてみせる。
「うまくいかない、というと?」
耳丸はそうした幸村の反応に気付いて、一度横を向いた。
先ほどまでの話とは違い、事情を知らない幸村に今度はどう上手く説明したらよいかわからないようだった。
しばらく何かを考えてみせた後、悩むような表情のまま耳丸は口を開く。
「この話でまず問題になってくるのは、もともとこの射楯兵主神社が『赤松家』と関係が深い神社であったということです」
「赤松家ですか?」
ここに来て幸村は意外な名称を聞いたようだった。
「ええ。この神社では二十年に一度大きな祭りを開くのですが、その式典では守護である赤松家の当主様に大事な役割を果たしていただくことになっております」
耳丸の口ぶりは大げさだったが、はあとしか幸村は言葉を返せない。
というのも、幸村は赤松という響きにそこまで強大な印象は持っていなかったからだ。
現代の知識を持ち出しても、室町末期に赤松の名字を背負った誰かが大活躍という話は聞いたことがないし、それこそ黒田官兵衛の生涯を追う中で出てくる程度だろう。
つまりは時代の波に乗れず、没落していった一族という印象なのだ。
ただ現在の仕事の仲間であったり、周囲の話をいろいろと聞くこともあるから、黒田家郎等としての最低限の知識はある。
この時代には、まだ赤松家がある程度の権勢を保っているらしいと。
「だとすると、この神社としては、赤松家の方で再建の資金を出してもらうのが筋だと考えているということですか」
「ええ。本来はそうであって然るべきなのです。私たちの方でも火事があってからすぐに伝手を通じて赤松家に再建の援助をお願いしておりました」
しかし、今の神社の現状を鑑みれば……。
「赤松家では資金を出してくれなかったと?」
幸村は尋ねる。
対して、耳丸の顔が苦みばしったものになった。
「いえ、それがそうとも言いきれないのです。何度も人を遣って頼んでいるのですが、その度に『しばし待て』との返答があるばかりでして。私も何度か直接訪ねていきましたが、そもそも話し合う相手と会うまでにすらよほど時間が掛かるようでした」
耳丸はその当時のことを思い出したように、少し怒った調子で言う。
「ただそうして話した感触では、向こうでも再建に力を貸さねばならないという頭はあるようでした。まあ、こんな世の流れですから、向こうも事情があるだろうことは理解できますが」
わかったような耳丸の言葉に、幸村も同じくわかったように同意してみせる。
世の趨勢。大きく見れば衰退の流れにある赤松家である。
それゆえ、身の回りのあれやこれやを繕いきれずにいるのだろう。
幸村は想像する。そこに苦し紛れの優先順位を付けた結果として、櫛の歯が折れるように身近な勢力の信頼を失っていくのかもしれない。
「周辺の集落から援助を受ける話も出ているのですが、流石にそれだけでは足りず」
「……? なら、黒田家から援助を受けるのが不味いというのは」
耳丸が今言ったように、赤松家が資金を出してくれないならその他の勢力を頼る方法はある。
それこそ黒田家から援助が出たとして、神社側に断る理由はないはずだが。
「……そうですね、ここで話が難しくなっているのは、赤松家でも金を出すつもりがあるということです」
幸村は最初、耳丸の言っている意味がわからなかった。
「出すつもりはある、ですか?」
「今は都合が悪くとも、『もう少し時間が経てば事情が明るくなるかもしれない』ということです。その可能性があるのに余所の資金を受け入れてしまうと、赤松家にすれば面目を保てなかったと感じてもおかしくありません」
その言い方に、初めて幸村は納得する。
「……守護としての面目ですか」
「ええ、たとえば民衆からの援助であればまだしも、やはりそれ以外からとなると……」
いわば、面子の問題。勢力同士の関係。
確かに整理が難しそうな問題だった。
しかしそうだとして、困っている時に助けてくれない相手に対して、そこまで配慮してやる必要があるのだろうか。
思わず幸村は言いそうになったが、それを口に出す寸前で踏みとどまる。
やはり幸村の常識がこの時代に即しているかわからなかったし、神社という立場はその辺りの伝統や格式にこだわってこそなのかもしれない。
あるいは、この播磨の権力構造がどうにも複雑であると考えるべきなのだろうか。
「ただこちらもそうやって引き伸ばされるばかりでは――――考えを改めねばなりません」
そうやって幸村が考え込んで、しばらく無言でいたからだろう。
耳丸は気を取り直したように、後半の部分に力を込めて言う。
「重ねがさね言うようですが、射楯兵主神社はこの播磨国という土地を安んじる大切な役割を担っているのです。それをいつまでも本堂も何もない状態で放置していて良いわけがありません」
同意を求められて、幸村はうなずく。
「それに――正直なところを言いますと、神社の今後の存続を考えても、現状のままでは難しいものがあるでしょう。当時の神社には私のように学びに来ている人間を含めて二十人ほどの神職がおりましたが、今もこの神社に名を連ねているのはわずか十人足らずです。結局本堂がありませんから満足に修行もできませんし、得られるものがわずかだからと他所の土地に人が出ていくのをどうして止められるというでしょう」
そこが耳丸の本音であるらしかった。
その勢いに、幸村はただ同意して意見を受け止めるほかはない。
「残った人間に関しては、周辺の集落で土地を間借りして畑を耕す手伝いをしています。ただ万が一赤松家から人が訪ねて来た場合、はたまた現状を知らずに神社を訪れる人たちの対応もしなければなりませんから、交代交代でこの庵にも人を置いておかねばなりません」
結局、私たちはずっと無理を押し通しているのです。
耳丸は言った。
ここに来て、どこか疲労した様子が感じられる言葉だった。
「ですが、ここでこの神社を見捨てるような真似をしたところで、私はよそで何を修行してきたのだと胸を張ればいいのでしょうか。ですから、少なくとも神社の再建の目途が立つまでは、私はここを動くまいと思っております」
「……黒田家にいったい何を頼みたいというのでしょうか」
幸村は改めて耳丸に尋ねた。
「……最近、風のうわさに黒田家の当主様が御着城を訪れたと聞いています。その場で小寺家の当主様とずいぶん良い関係を築いたとも」
これは特に秘密にされている内容ではないだろう。
幸村はうなずいて肯定する。
「であれば、私が申し上げたいことのひとつには、黒田家を通じて小寺家、また小寺家を通じて赤松家にこの神社の再建を働きかけてほしいということです。私たちの伝手からだけでなく、ほかからも声が上がればもう少し返ってくる反応も良くなるかもしれません」
耳丸の言いたいことは幸村にもよくわかった。
多方面から上がる声は、赤松家の中でもまた違う部分を刺激するようになるかもしれない。
「ひとつというのは、ほかにもあるということですか」
「ええ、あるいは―――。小寺家の名で行われる援助であれば、赤松家の面子を潰さなくて済むかもしれません」
「小寺家であれば、ですか?」
「そうです。小寺家は赤松家を守護として奉じる、言うならばその配下の立ち位置にいるはずでしょう。であれば、それを大きく捉えて小寺家が赤松家の一部と考えることもできるはずです。小寺家が再建の資金を捻出してくれるのならば、赤松家の面子も潰れないのではないでしょうか」
(……あー、それは)
どうなんだろう。
こちらに関しては、幸村は一瞬どう反応するべきか迷ってしまった。
確かに体裁だけを考えればそのようにも考えられるが、小寺家にしてみればせっかく援助したところで、その名声が赤松家に取られるのは嫌なのではないか。
というより、もともとが神社側に寄り過ぎというか、都合の良すぎる考え方である気がする。
「……その場合、この神社としては」
「言うまでもなく、小寺家に感謝申し上げることになるでしょう。もちろん、その伝手となっていただいた黒田家の方々に対しても。これは私だけがそう思うのではなく、皆が思うところのはずです」
つまり具体的に何ができるという話でもないらしい。
さすがに耳丸もその辺りのことはわかっているだろう。
二つ目に関しては、あわよくばといった程度の願いなのかもしれない。
「戻り次第、確かに上役に伝えておきましょう」
そう言った幸村の表情を見て、伝えたいことは伝わったと耳丸も安心したようだ。
「そう言って頂けると、本当に助かります。このようなことを考えても、いかんせん小寺家との伝手がありませんでした。いや、姫山城の城主様にもお会いはできたのですが、そちらはあまり反応が良くありませんでしたから」
姫山城。
幸村は思い出したように、耳丸と目を合わせた。
そうだ、これはおそらく言っておくべきことだった。
「……まだ先の話になりますが、黒田家の当主である職隆様が今後は姫山城の城主の役割を担うことになります」
その一言を聞いて、耳丸はずいぶん目を輝かせたようだった。
「それはなんとも幸いなことです。今日このように馬を持ってきて頂いたように、黒田家の皆様は信心深いとは聞いておりました。特に広峯神社との繋がりは深いようですし、そうであれば信心の至る効験というものをよくよく知っておられるのでしょう。また先日には戦もなされていたようですから、今度は薬師如来だけではなく兵主神を拝んでおく必要もあるかもしれませんね」
そう言うと思い出したように耳丸は立ち上がり、そろそろお湯がと一旦庵の外へ出ていった。
かなり熱っぽく喋り続けていたから、向こうもひと時、休憩が必要だったらしい。
その後姿に幸村も一度息を吐いた後、野里村に戻って今の話をどう説明するべきか少しずつ考え始めていた。




