六十六話 恵与
正直言って、幸村は神社という場所にそこまで興味がなかった。
かつて年末年始こそ初詣に訪れてはいたものの、あくまでそれは『一年に一度おみくじを引いてみる日』といった程度の感覚。
言ってみればどこまでも人並みの、ほとんど惰性的なものだったと自分でも思う。
そもそも寺と神社、仏教と神道の違いを尋ねられても、きちんと説明できるかは怪しいものだった。
とはいえ、幸村も曲がりなりに歴史好きだと言い張ってきた物好きのうちの一人である。
であれば、その時代ごとの精神的な支柱、あるいは文化の根底に、寺社の存在が垣間見えるだろうことはかろうじての範囲で知っていた。
とりわけこの時代、例えば『一向一揆』などは、まさしく表現の通りであるだろう。
不足不満を抱えた民衆が各々武装して蜂起する背景には、少なからず仏教の影響、中でも一向宗、浄土真宗の思想が存在したことは多くの人が知っている。
それこそかの有名な本願寺の件であるとか、親鸞やら蓮如やらの名前であるとか。
もしくはそこまで物騒な話でなくとも、『能楽』であったり『水墨画』という言葉もある。
前者で言う観阿弥や世阿弥は法相宗の大本山である興福寺の支援を受けているし、禅僧の余技として始まった後者の方でも、長谷川等伯や狩野一派の一族など、法華の信徒が現代にまで残る大層な仏画を描いていたりする。
その辺り、幸村も教科書で勉強するくらいには多少学んでいたものの、いつかもう少し広い範囲で事情なり論理なりを知っておくべきだとは思っていた。
実際参考になりそうな本を購入してみたりもしたのだが、興味を持った事柄を少し調べるだけでも果てしない行程を思い知らされるがために、なかなか次の一歩が踏み出せずにいたのだった。
と、幸村のその程度の知識であっても、神社という場所がどのような雰囲気をまとっているかは何となく分かる。
それなり以上に敬意を払われるべき場所だろうという意識もある。
だからこそ、いま目の前に広がる光景を幸村はしばらく呆然とするままに眺めていた。
彼の目に映る光景はかねて想像したものよりもはるか下、あるいはまったく見当違いのものを眺めているようであった。
ようやく目的の神社をみつけてほっと安心した幸村は、馬を引き連れて鳥居をくぐり、神社の敷地内に入っていた。
敷地内。おそらく敷地内でよいはずだ。
なにより鳥居の存在と、その先に続く石敷きの参道。
この二つは、間違いなく自分が厳かな神社の一画に足を踏み入れたのだと幸村に教えてくれている。
だからまあ、たとえ四方に見える塀のあちこちが崩れ落ちていたとしても、ことさら特に問題はない。
何度も言うが、幸村が派遣される程度の場所なのである。
そこまで立派な外観を求めるほうが端から間違っていると言えるだろう。
「……うん」
そう、間違っている。間違っているのだ。
幸村は周囲を見回して、一人うなずいてみせる。
(……いやいや、それにしたって)
さすがに限度というものがあるのではないか。
下を向いたまま何度か首をかしげた後、幸村は顔を上げてもう一度辺りを見回した。
見たところ、神社の敷地はさほどに広くはないようだ。
端から端まで全速力で走れば、おそらく十秒ともかからない距離。
起伏のない平坦な土地だから、ずいぶんと走りやすそうでもある。
また全体的に横に短く縦に長い長方形の形をしているので、それこそ以前登った郭の形を思い出すような――。
「……」
幸村が言いたいのは、そういうことではなかった。
肝心なのは、どうして今自分が、なんの障害もなく土地の端から端まで四方を見渡せているのかということ。
「……ええ?」
今、幸村の目の前に広がっているのは広々とした平地。開けた空間。
本堂どころか、小さな建物ひとつすらこの神社の敷地内には存在しなかったのだ。
想像だにしない事態に、幸村も当然混乱する。
(廃寺? 移転? 場所間違えた?)
思いつく限りの可能性。
いやしかし、やっぱり場所を間違えてしまったと考えるのが妥当だろう。
一度息をついてしまっただけに、幸村は場から叩き落とされたような気分になる。
だとすると、この重い馬を引き連れてまた他の道を歩かねばならないのか。
「はあー」
知らず、ため息が漏れていた。
ただでさえ体も疲れているのに、精神的にも辛い仕打ちである。
とはいえ、鳥居は確かにあったのだ。
もしかしたら案内板のようなものもあるのではないか。
幸村がすがるように周囲を見回していると、敷地の遠く奥まったところ。
幸村がいる位置からちょうど反対側のある一点に、
(……ん?)
細目になった幸村は、何か棒のようなものがいくつか立っているのを見つけることができた。
気になった幸村はまた馬の綱を引っ張り、そちらへ向かって歩き始める。
するとその途中で参道が切れて、地面が石敷きの道からまた柔らかな土に変化した。
そのせいで足を取られるのだろう。馬の歩みが重くなる。
(あー……)
そのことにまた辟易としながら、どうにか幸村は見慣れない棒の前にたどり着く。
しかしそう前に立ってみたら立ってみたで、この目の前にあるものをどう表現したらいいか困るようだった。
それは文字通りに『地面に突き刺さった棒』。
四角く削り出された、杭とよぶには少し細長すぎる木の棒だ。
それが全部で五本、地面に直立して突き刺さっている。
まず中心に長い棒が一本。それを四角く囲むようにして、四隅に短い棒がある。
ただ一番長い棒でも幸村の身長の半分ほどしか高さがない。
短い棒に関してはその七掛けほどだろうか。
全体の幅としても、幸村が両手を広げれば一辺が収まる程度だ。
「…………?」
正直、その見た目からは何の見当もつかなかった。
ただなんとなく、意味ありげな雰囲気があるのはわかる。
まして鳥居を抜けた先にあったのだ。
何かしらの意味はあるはず……と、幸村はもうだんだん考えるのが嫌になってきた。
「何か、ここに用事かい?」
と、突然背後から声をかけられ、幸村は反射的に後ろを向く。
そうして視線を向ければ、馬の尻の影から背の低い初老の男がひょっこりと顔を出していた。
まるまるとした頭、剃髪。
その姿に、まずひと目で相手が坊主、僧侶なのだと幸村は判断する。
加えてよく見れば、僧形と呼ぶにふさわしい黒々とした衣装を身に付けていた。
またその表情も、おとなしそうな笑みを浮かべているのに、ただ目だけが目立って輝いているようにも見える。
「もしかしたら、遠方から参拝に参られのかな? それだったら、申し訳ない。今この神社は事情があってちょっと――」
「あの、ひとつお尋ねしてもいいでしょうか!」
話に割り込む形になってしまったが、男は特に気にした様子もなくうなずく。
「あの、ここの神社の名前って、射楯兵主で合ってますか?」
「ええ? ああ、そうだよ。この神社は播磨国の大小明神を一度に祀ってる総社だけれど、特に射楯大神と兵主大神を祭神としているから――」
そこからさらに男の説明は続いたが、もう完全に聞き流して幸村は息を吐く。
余計な遠回りをした気がするが、この土地がやはり射楯兵主神社の敷地であるらしい。
「……大丈夫?」
気づけば男はふたたび呆けている幸村の顔をのぞきこんでいた。
まさかこれ以上相手に失礼を働くわけにはいかず、
「名乗るのが遅くなり申し訳ありません」
と、一度そこで言葉を区切り、
「三郎と申します。この度は黒田家からの贈物として、馬を一頭お持ちしました」
「……はい?」
男の反応に、とにかく幸村は深々と頭を下げてみせた。




