四十九話 威迫④
次の日の夜明け前、幸村は一人で村を出発した。
村を出るとすぐ見えてくるなだらかな坂を、彼は一歩ずつ足を進めて上っていく。
初めて上る山道に、幸村はもちろん不安を感じないわけではなかった。
ただそれはもとより織り込み済みの問題であり、あの小屋の影で話した男から幸村は、山に入った後に進むべき道筋をできるだけ詳しく聞き出している。
そして彼の話によると、以前は山の中を突っ切る形で二つの村を結ぶ道が存在したそうだ。
それはまだ二つの村で交流があった、先代の村長がいた頃のこと。
だが、その道も使われなくなってから長く、しかも山の頂上付近に至っては、わざわざその道を潰すように木が植えられたりしたのだという。
「それでも途中までは跡が残っているはずです。その後もしっかり確認しながら進めば」
幸村としては、とにかく彼の言葉を信じるほかはない。
ただ、あえて男が嘘をつく理由もないはずだった。
彼の態度には顔馴染みである太一のことを本当に心配している様子が感じられた。
(まあ最悪、道がわからなくなったら――)
もともとあまり高い山ではないから、ともかく一方向に向かって下りさえすればなんとかなるだろう。
二郎に連れられて、何度となく山道を上り下りした経験もある。
出発の際に、幸村はそのようにたかをくくっていた。
だから強いて問題になってくるのは、利明と約束した時間にちゃんと間に合わせることができるかどうかだけであって――それには何はともあれ、まずは脚を動かすことだった。
歩くのに邪魔な刀も預けてあるので、その分だけはいくらか楽だ。
幸村はぶつぶつと頭を整理するようにつぶやきながら、次第に角度が出てきた山道を進んでいく。
すると次第に、すねの丈まで伸びた草が道の横に出てくるようになった。
その多くは、朝の湿気でしっとりと葉先が濡れている。
それを足でかきわけながら進むと、飛沫が飛ぶのだろう。
すん、と青臭さが強く香った。
小屋の裏で幸村に声をかけた男。
小心そうな態度とその身振り手振りが表すところに反し、彼が話した内容は幸村に新たな視点をもたらすきっかけとなった。
その理由は太一がこっそりと深夜に山を登り、他所の村の土地に忍び込む理由にはおそらくなったはずだ。
そしてそれは同じく、幸村にも一人山を上らせる踏ん切りをつかせた。
いや、もともと幸村も、太一が持っていた凶器について調べるべきではと気に掛けてはいたのだ。
本来なら凶器を探すという一点でもって山を登り、その現場を確かめるべきだろうとは思っていた。
しかし、これまでの利明の態度などを見ていると、凶器それ自体についてはあまり重要でないように扱われている。
はたまた現場を確かめようとするわけでもないし、凶器など見つからなくても問題ないというのであれば、幸村も余計な面倒が増えるだろう仕事をわざわざやりたいと言い出すわけにはいかなかった。
その辺りの利明が考えているところを幸村が察するに、だ。
おそらく利明としては、まずこの諍いに一区切り、決着をつけてしまうことが優先順位の一番にあったのではないだろうか。
またその上で、彼の振舞いになんとなく感じられた部分、なるべくわかりやすい形でこの話を終わらせようとする意識が見えたのは――。
ここまで言うと言い過ぎかもしれないが、利明はこの件の真実がどうであるかについて、そこまで関心がないのではないか。
幸村は想像する。
あるいはそこまでではなくとも、当事者間で大まかにでも解決までの道筋が出来上がっているようであれば、それを上手く利用しようとしたのではないか。
(まあ、詳しく調べようとしたって自ずと限界があるってことなのかもしれないけど……)
実際、利明が見回りの男たちに尋問をした際、彼は一人ひとりに話を聞くのではなく、三人からまとめて話を聞いていた。
実はあの時幸村は一瞬、利明が手間を嫌ってそうしたのかとも思ったりしたのだ。
そしてそれは果たして、省いてよいものだったのかと。
だが、今になって考えてみれば、利明は手間を嫌がったのではなく、あえてその三人をまとめて呼んだはずだ。
つまり彼は、事実確認をする上で話の精度を求めたのではなく、あの村の当事者たちが望んでいた事態解決への方向性、その意図をはっきりと目立つ形で表立たせ、見極める意図があったのではないかと。
より突っ込んで話せば、村同士の関係に余所者が深入りしすぎるのは避けるべきだ、と利明は考えているのかもしれなかった。
ともすれば、最初から利明は、この仕事の肝が仲裁であることを強く幸村に対して言っていた。
だから利明は黒田家としてどこまでが手を付けるべき問題で、どこからがそうでない問題なのかと区切りをつけた。
その区切りとなるのは、例えば、黒田家の影響力を増す地固めになるかどうか。
そう考えれば、幸村にもいろいろ納得できるところはあった。
もしくは幸村の存在を過剰に演出してみせたのも、その一環だったかもしれない。
それはなんとも現実的な思考というか、なんというか。
幸村はそうした意図について、肯定も否定もするつもりはなかった。
始めから秤を傾けておくのはどうかとも思わなくはないが、結局は誰もが自らの所属を大事にしているということだろう。
それに幸村の立場よりはるか上、そんな地位にもなれば、どこかで思考の切り替えは必要になってくるのかもしれない。
だから利明と同様に、幸村もその流れに乗ってしまえば、それでこの一連の話はおしまいになるはずだった。
今になってみれば、あの小屋の影で話を聞いたことは幸村にとって良かったのか悪かったのか。
いや、それもこれからの結果次第なのか。
……だいぶ横道にずれてしまったが、話を戻す。
幸村があの小屋の裏で聞いた内容というのは、隣村で行われているらしい、ある不正についての話だった。
その不正とは『隠田』という問題。
幸村の知っている限り、それはある意味でよくある不正ではあった。
しかし、それでいて支配層に見つかればこの時代。
ほぼ間違いなく死罪に処される、ひどく重い罰を伴う不正だった。
「初めは、仲間内の一人が冗談のように言ったんです」
その時、小屋の陰に隠れた状態で、男は幸村に対してそう言った。
「『うちの村より向こうの村の方がずっと余裕があるようなのは、向こうが田んぼを隠して持ってるからだ』と。たぶん、その言葉自体はあてずっぽうで、適当に言っただけだとは思うんですが……」
「あてずっぽう?」
幸村は聞いた言葉を繰り返した。
「そいつはたぶん、太一の目を自分たちからよそに逸らそうとしたんだと思います。いや、その時におれもちゃんとそいつの口を止めればよかったんですけど、でもその場では周りの目もあって言えなくて。みんな、そうだそうだと調子に乗って、その意見に寄りかかっていましたから」
「え? いや、ちょっと、待ってくれますか」
男は幸村がどこまでも村の事情と人間関係を知っているかのように話を進めていた。
しかし、その話には幸村が知らない事情がおそらく混じっていて、うまく説明を飲み込めない。
それゆえ、まず幸村は尋ねた。
「その、太一の目を逸らそうとしたというのは、いったいどういう意味でしょう」
「……あっ」
幸村の言葉で彼も自分が先走っていたことに気付いたのだろう。
そして男はどこから話せばいいのかと顔を悩ませ、しかしすぐにまた口を開いた。
「郎等さんは、今年の春先に、商いの人たちがこの村にやってきたことはご存知ですか?」
「ええ」
その話については太一の家族から聞いている。幸村は頷き、その続きを促した。
「それで……?」
「いや、その人たちが食えるものなら何でも買い取ってくれるって言うんで、おれたちも俄然、節操がなくなってしまって。家に余っている食糧をどの家も売ってしまったんです」
その話も幸村は知っていた。
そういう事情から、太一の家が援助を受けられなくなってしまったのだと。
「ただ、その話自体はありがたい話だったんです。いつもの相場より高く売れたから――あれでどこの家もうまいこと金が入りました。その金で、新しい農作業の道具を買った家もあります」
それでも――。
続けて男は、渋い顔を浮かべて言った。
「村のみんながそうやってうまく儲けられたのに、太一だけはそうした流れにうまく乗れなかったんです。太一の家に、余っている食糧なんかなかったから」
そしておれたちは、みんながそのことを知っていたんです。
みんな知らないふりをして、黙っていましたけど。
その言葉を聞いた瞬間、幸村は目の前の視界が開ける思いがした。
「口に出しはしませんでしたが、周りが景気の良い話をするのを聞かされるばかりで、太一はずっと不満だったろうな、とは思っていました。それはそれで仕方がないことなんですけど……。だからおれとか、近い知り合いの間では、太一の前でそういう儲かったなんだという話をしないようにしていて。でも、その日に限っては」
男はさらに顔をゆがめて言った。
「その日は、新しく買った鶏が届いたという奴が一緒に働いていて。それがよほど嬉しかったのか、朝からずっとその話ばかりをそいつはしていたんです。みんなに凄いと言ってほしくて。でも、なんとなく太一ひとりの感触がわるくて、それに気づいたそいつが妙に突っかかって」
そのせいで、仲間内の空気がちょっと……。
そう言った男が、わかりますかと幸村と目を合わせる。
幸村はおそらく寸分の漏れなく彼が言うところの、その雰囲気を感じ取った。
「その場の空気は、よくわかりました」
「……その時に仲間内の一人が話の流れを変えようとして隣村のことを言って。それが隠し田がどうこうという話になったんです。それで場の空気もなんとか変わりはしたんですけど、でも、おれがふと太一の顔色を伺うと」
普段と目の色が違っていました。
そこまで聞いたところで、幸村は男の話に口を挟んだ。
「では、そうした一連のことが太一が向こうの村に忍び込んだ理由だと、あなたは思うんですね」
「そうです。それから数日も経たないうちにこういうことになって、だから」
責任の一端を感じずにはいられなかったのだろう。
それで今日の機会に、彼は幸村を呼び止めたのだ。
しかし、と幸村はここで一度冷静になって、男に尋ねる。
「話は、よくわかりました。でも、狩りなんかでここの村の人たちが山に登ることもあるんでしょう? それなら向こうの村だって、よっぽどうまく隠しても、そうそう簡単に隠し田なんか作れるものじゃ……」
その幸村の指摘はまったく妥当なものであるはずだった。
なぜなら隠田とは、言葉通りそう呼ばれるだけあって、人目につかない場所に作られるものである。それがもし、よその村の人間に見つかって密告などされたりしたら、最悪その村自体が潰される恐れも出てくるはずだ。
だが、幸村の発言に男はん? と疑問げに首をかしげる。
「郎等さんは何も聞いていないんですか?」
幸村もまたその言葉の意味がわからず、男に視線でどういうことかと尋ねた。
「こっちの村が向こうの村に借金をしていたせいで、向こう十年間は山の管理が全てあっちのものになっているんです。だからおれたちは、今勝手に山の中に入っちゃいけないことになっていて」
「え?」
その言葉の内容を噛み砕いて飲み込むまでに、幸村は少し時間がかかってしまった。
幸村の山登りは、おそらく佳境に入り始めていた。
話に聞いていたように、最初こそ道に沿って進むことができたが、伸びた草木に次第に道を消され、今はかすかに残るその跡を、視線を低くして確かめながら先に進んでいる。
そのため、目に見えて幸村の歩く速度は落ちていた。
すでに日も出ていて、周囲も少しずつ明るくなり始めている。
内心、少し焦り始めながら幸村は脚を動かしていた。
(隠し田が実際にあるかどうかは、半々だろうな)
荒れてきた息を整えながら、頭の中で幸村はそう考えている。
男の話を聞く限り、確かに向こうの村の態度に怪しい部分はある。
向こうの村長が、山の管理を一括しているとおくびにも幸村たちに言いださなかったことからしてそうだった。
いや、聞かされていないのが幸村だけという可能性もあるが。
だから、この山の管理についての話を利明に話すかどうかは、幸村もかなり迷っていた。
ただこれを言って、万が一利明に気にしなくていいと言われた場合、幸村はそれ以後何もできなくなってしまう。
それよりあの男に話を聞いてからというもの、幸村は今までの一連の件について、できる限りのことを確かめたいと思うようになっていた。
いや、正確には確かめなければならないと思ったのだ。
このまま、太一ひとりが悪いとされて話が終わってしまっては、今後長いこと幸村はこの村同士のことを気にしながら生活する羽目になるだろう。
自分がこう動いたことで結果がどう変わるかわからないが、たとえどのような結末になろうと、幸村はそれを受け入れるつもりだった。




