三十話 向こう側⑤
その見た目からは、ひどく有能そうな上司という印象を受けた。
幸村の視線の先に座る、中年の男。
肌全体が程よく日に焼け、顔には薄く脂が乗っている。
歳は四十かそこらだろう。
額に刻まれた深い皺は、男の人生経験を如実に物語っているようだった。
風貌は、面と向かい合って威圧的と感じるほどではない。
その居住まいは、こちらの話にきちんと耳を傾けてくれるだろう度量の深さを、ただただ感じさせる。
しかしそれでいて、男が纏う空気にはどこか酷薄さも存在しているようだった。
それは見方を変えれば、一種の執拗さとも感じられるかもしれない。
まるでその薄皮の向こうで、敵味方の区別を極限まで突き詰めているような。
おそらくこの男は、一度敵と判断した者に決して容赦をすることがないだろう。
(絶対、敵と思われちゃ駄目だ)
部屋に入った幸村がまず感じたのは、自分の身を守らねばならないということ。
そう思うと、自然、体は強張った。
一瞬、相手が黒田家の重鎮なのではないかとも考えたが、その正体はひとまず脇に置いた方が良さそうだ。
そして男に言われるまま床に座った幸村は、なるべく相手に態度が控えめに映るよう、自らの態度を組み立てる。
基本的には先ほど助言を受けたように、訊かれたことに可能な限り率直に答える。
またその上で相手の質問の意図を読み、求められていること以外の余計な発言はしない。
それは現代において幸村が学んでいた、目上に対しての最大公約数的な態度でもある。
少なくともそのように対応して、初対面の相手をことさら不快にさせた経験は幸村にはなかった。
「――小利木というところで、育ちました」
しかし、そうして二言三言話してみると、どうも男はその幸村の態度が気に入らなかったようだ。
目の前の男には、殊勝な態度というのがただの気の弱さに映るのだろう。
現代でもたまにいる、若者にある程度の賢しさや向こう見ずさを求めるタイプ。
それに気付いた幸村が次に取るべき態度を迷っていると、男はまた新たな話題を振ってきた。
「お前は、今回が初めての戦だったのか?」
その質問は、深い意味があって訊いているようではなかった。
あるいは、少し幸村を場の空気に慣れさせようというのか。
とにかく求められるまま、幸村は男の質問に答える。
これまでの戦の経験など、その内容自体はとりとめのないことであったと思う。
ただ、幸村が村井という土豪の下で戦った時の話は、男の興味を引いたようだ。
幸村にしても、当時の立場では知りようのなかった事情を聞くことができ、つい面白がった瞬間もある。
そしてその時だけ、男は意を得たような表情を見せた。
やはり人付き合いは難しい。
幸村がそんなことを思っていると、ふと、男の纏う雰囲気が今までと違うものに変わった。
どうやら前置きを終えて、本題に入るようだ。
幸村はその一瞬の内に覚悟を済ませ、男から向けられる視線に目を合わせる。
「お前が戦った、南郭での出来事をひと通り話してみろ」
ひとまず、予想していた質問だった。
「まず号令とともに、五十名の兵が南郭の正門に打ち掛かりました。抵抗はさほどでもなく、門を抜けるまで時間はかからなかったと思います。被害は数人。投石を受けての負傷でした」
とりあえず、違和感は感じなかったのだろう。
男は頷いて、幸村にその先をうながす。
「一段目の郭に、敵の兵は残っていませんでした。いろいろ用意も間に合わなかったようです。皆、二段目まで引いていて、残っていたのは、作りかけの土のうと――」
足を怪我して動けないようだった、あの女性。
いや、彼女は城攻めには何の関係もない。
しかし、男が尋ねた。
「土のうと、なんだ?」
「……足を怪我した女性が」
その迫力に負け、つい幸村は口走った。
そしてすぐに言わなければよかったと後悔する。
案の定、不思議に思った様子の男が幸村に質問した。
「その女が、特別どうかしたのか」
「……いえ。ただ、助けるかどうかを迷っただけです」
上手い言い逃れも思いつかず、幸村は素直に答える。
そんな隠し切れない幸村の表情から、男は事の顛末を感じ取ったらしい。
「お前たちの中に、誰もその女を助けようとする者はいなかったのか」
そこだけ雑談の延長であるような尋ね方だった。
「隊の中に一人、いました。ですが、すぐ止めさせました」
幸村の返答に、男はそうかと言って、一度幸村から視線を外した。
それが何を意味するのか、幸村には判断はつかない。
男の表情に、特に変化はなかった。
「続きを話せ」
あらためて男にうながされ、幸村はまた口を開く。
「二段目の郭では、敵兵が固まって現れました。大きな屋敷と、長屋がある辺りです。抵抗はいくらか激しくなりましたが、それでも一度打ち破ると、敵はまた上の郭に逃げて行きました」
「その後、お前たちはすぐに敵を追いかけたのか」
「……いえ。戦闘の後は隊列が乱れていたので、小休止を挿みました」
すると、やはりここで引っかかったらしい。
鋭く切り込んできた。
「小休止か」
「はい」
「なら、その休憩のついでにお前たちは屋敷に踏み込んだということなのか?」
「……それは」
はっきりと分かる皮肉げな言い方だった。
幸村は下を向く。
どうにもこの話題は避けられないらしい。
南郭で起きたあの出来事を、この男はすでに掴んでいるようだった。
今、幸村が尋ねられているのは、向こうにとってみれば裏取りのつもりなのだろう。
幸村は気合を入れ直した。
ここがおそらく、勝負どころのはずなのだ。
「おそらく、ですが。一番最初に踏み込んだ味方は、屋敷の中に逃げ込んだ者を探そうと考えたのだと思います。そのまま三段目に上った後、背中を攻撃される恐れをなくそうとしたのではないかと」
「ほう」
男は幸村が何を言おうとしているのか、それだけですぐに理解したらしい。
「あくまで屋敷に踏み込んだ本来の目的は、潜んだ敵兵を狩り出すためだったというのか」
「屋敷だけではありません。長屋にも一人、隠れていました。事実、隊の兵が襲われ、一名が命を落としています。それもあって、一部の部隊は屋敷に入らず、周囲で守備を固めていました」
「……ふむ」
「たとえば自分の隊がそうです。そのように皆が守備についてから、あの郭で死んだ人間はいないはずです」
幸村の言葉を聞いて、何かを考えるように男は顎の下に手を当てた。
(どう判断されるだろう)
正直、幸村は不安だった。
だが、略奪に関わったと安易に認めるよりは格好が付くはずだ。
どうせ揚げ足は取られる。
なら、過剰にならない程度の自己弁護はどうしたって必要だった。
幸村は、男に余計な印象を与えないよう頬に力を入れ、強いて表情が変わらないように努力する。
それに、今話したことの全てが嘘というわけでもなかった。
実際、幸村たちの部隊は屋敷の中に踏み入ってはいないのだ。
その理由が、実は周囲の動きに乗り遅れただけだったとしても、少し視点を移せば物事の捉え方は変わる。
とはいえ男も、幸村の発言がおおよそ事実を都合良く解釈した内容だとは気付いているだろう。
今の発言は、物事の良い面、上澄みだけしか掬い取っていなかった。
単純に、そうも考えられるというだけの話でしかない。
間違いなく事の本質からは大きく目を逸らしているし、それどころか多少とはいえ、幸村は事実を歪めてさえいた。
幸村の話をそのまま信じれば、南郭の兵は皆自分の役割を果たしただけになっているのだ。
すなわち略奪はその過程で何かが過剰になっただけ。
恣意的に我欲に奔った兵など、存在しないかのような響きがある。
また、自分の家族を守ろうとした長屋のあの男。
幸村は、その男の身を捨てた家族への献身を襲いかかってきた敵兵の一人として扱った。
捉え方の問題として、事実を自らの都合の良い筋書きに寄り添わせた。
だからその説明の中に、残された家族の姿はない。
悲劇的な要素など全て削ぎ落としている。
あの親子は木戸の向こう側で、最初から存在していなかったのだ。
つまり幸村が言ったのはそういうことだった。
いわば、出来事の全てがなめらかな耳触りの良い話に整えられていた。
(これが認められれば――)
二重の意味で、南郭の出来事は肯定される。
黒田家における共通の理解として、また幸村自身の心中において。
すでに起こってしまった事実は変えようがなくとも、後から『そういうものだった』と解釈することはいくらでも可能だった。
もちろんそれは、後付の思い込みにすぎない。
物事を真正面から捉えていないとも言える。
しかし、そこには確かに意味があった。
あるいはそれは、幸村の願望と呼ぶべきものかもしれなかった。
「本当に」
だが、幸村の目の前に座る男は、そのような彼の心中を見透かすかのように告げた。
「お前は、本当にそれが事実だと思って喋っているのか?」
それは疑問形ではあるが、実際には、幸村に対する強い否定の意図が込められた言葉だった。
低く部屋に響いたその声に、幸村はぴたりと動きを止めた。
考えうる、最悪の事態。
幸村へ向けられた完全な否定。
「私が知っている話とは違うな。今のようなことを言ったのは、お前だけだ」
「……」
幸村は返す言葉に詰まった。
何より、その迫力に負けていた。
「……ならばもう、お前に尋ねることはないな」
黙り込んだ幸村の様子に、男はそこで会話を打ち切ることを決めたらしい。
その顔には、少しだけ苛ついたような感情が浮かんでいる。
彼はすぐ横に座っていた郎等の男に目配せして、幸村を無理に立ち上がらせた。
幸村はなにか喋るべきだと思った。
が、彼の口は動かない。
まるで男の言葉に心臓をわしづかみにされたような苦しさだけが胸にある。
そうして部屋を連れ出された幸村は、ようやく「あ」とだけ、一言つぶやいた。
次第に、言いようのない感情が幸村の胸には湧き上がってきた。
自分が見ないようにしていたもの。言葉にできなかったもの。
自らを恐れるあの親子の顔。名すら知らない誰かの死。
塗り固めようとした何かが、たった一言で崩された。
あの男の目に、自分はどう映っていただろう。
甘い考え、だったのだろうか。幸村は強く腕を引かれながら、ただ後悔し始めていた。




