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城取物語  作者: おんたま
第一部
3/75

三話 過去へ③

 叔父との道中の会話は、正直得るものがなかった。


 唯一得られた情報は、自分がとある農家の三男坊であるということだけ。

 残念ながらこの叔父という人物は人の話を全く聞かず、自分の話ばかりをし続ける人柄であるらしい。

 こちらから振った話題はほとんど広がらずに次に移ってしまう。


「そういえば、ここから一番大きな町って」

「あん? 何だお前、そんなもん一個しかねえだろうが。そんなことよりなんだ、さちさんは最近どうだ。飯喰わないとか、体が痛いとか言ってないか」


 まずその、さちさんという人のことが分からない。

 とりあえず適当に相槌を打った。


「元気みたいです」


 と答えると、伯父はそうかと嬉しそうに笑う。

 それでそのさちさんという女性が叔父のお気に入りであることはわかった。


 しばらくして、さちという女性の話題がひとまず終わると、叔父はこの前ここらで鹿を見つけたんだとか、あそこに綺麗な花が咲いていたとか、そんなことばかり言うようになった。


 そのような純朴なことばかり語る大人と話した経験は幸村にはあまり覚えがない。

 彼としてはここがどこで、今がいつの時代であるとか、そういうことを尋ねたいのだが、実際どう切り出していいのかはわからなかった。


 仕方がないので、幸村は耳だけに意識を残したまま、今歩いている場所の周囲を見回してみる。さっきまではどこを見ても木しか見当たらないような林の中を歩いていたが、今は周囲が開けた平地にまで出てきていた。


 そういえば昔旅行で行った北海道の公園がこんな感じだった。

 ほとんど放置されているようではあるものの、人の手も入ってはいるらしく、道の草が刈ってある場所もある。


 ただ、どこまで遠くを見渡せるようになっても、周囲には一切人工物が確認できない。

 コンクリートなどもちろん望むべくもなく、ただただ何もない土地が広がっている。

 うるさいほどに自動車が通る国道付近に実家があった幸村としては、その事に否応なしに時代性が感じられた。


 そのまま三十分ほど歩くと、今度は田んぼが一面に見えてきた。

 おそらく村の農家が管理する田んぼなのだろう。

 すでに時期が終わっているらしく、稲は刈られた後のようだった。

 藁があちこちに撒かれていて、その隙間から見える土もかぴかぴに乾いている。


 そこから村まではそれほど時間がかからなかった。茅葺きの建物が見えてくる。

 そしてようやく幸村はここで、叔父以外の人間を目にすることができた。


(あー)


 そして彼は落胆する。

 彼らの格好は、幸村の想像を全く裏切らなかった。

 洋服など着ている人間はもちろんいない。

 皆、教科書で見るような、その、特徴ある格好をしている。


(俺、これから大丈夫かな……)


 価値観をすり合わせるまでに、だいぶ時間がかかりそうだった。

 なにもかもが新鮮に過ぎて、頭が痛くなってくる。

 表情にこそ出さずにいられたものの、やはり精神的な負担を幸村は感じずにはいられなかった。




 幸村はまず大抵の人がそうであるように、海外に留学したことなどない。

 ということは、ホームステイの経験もあるはずがないわけで、


「おかえり」


 そのように見ず知らずの人間から当たり前に家に迎え入れられたことなど、ついぞ今まで経験がなかった。そして実際そうなってみると、無性に背中が痒くなるような何かを感じずにはいられない。

 顔馴染みの友だちの家に遊びに行くような感覚とはまるで違うようだ。


 叔父の後に付いて入った家の中には、広い土間があった。

 そしてそこで夕飯の支度をしていた一人の女性。

 彼女が自分の母親であるらしい。「おかえり」と声をかけられた感じで、そうとわかった。


 幸村が思ったよりも、ずいぶん母親の顔つきは若い。

 わりあいハキハキとした元気の良い人で、髪なども白い箇所がほとんどない。

 その姿は、たとえばファミレスで一緒に働いていたような気のいいおばちゃんたちとそうは変わりないように思えた。

 いや、あの人たちは白髪染めをしっかりと使っていたのだったか。


 正直、幸村は他人の家に嘘をついて入り込むような気分だったのだが、しかし他に頼る辺もない。

 叔父に続くようにして「ただいま」と幸村は一言告げる。

 そしてゆっくりと彼は家の中を見回した。


 何の見覚えもない我が家は、簡潔に言って汚かった。

 まあ、慣れていないせいなのかもしれないが、土間付きの家など現代では教科書の資料でしか見ないだろう。田舎の祖父母の家に行っても目にしないのだ。

 むしろ今は耐用年数の過ぎた家がリフォームされて、ウオッシュレットがついている時代である。


 ところがこの家といえば、壁は土壁、土間から上がれば床は全て板敷きで、しかもところどころ木の板がへこみ、曲がっていた。どこに目を向けても畳など見る影もなく、ヘタをすると足の親指が突き入りそうな穴がぽつぽつ開いている。


 夏はいいだろうが、冬はすきま風でかなり寒そうだった。

 しかも、この分では虫なども自由に入り込んでくるはずだ。

 見るのも嫌というほど虫は苦手ではないが、かと言って寝起きに枕元にいられるのも嬉しくはない。


 この時代では当たり前の家なのだろうが、事実自分がここに住んでいる、住むのだと思うと、少なからず気分は落ち込んだ。


「あら、頼んだ山菜は?」


 意識を飛ばしていたところに、母親からそう尋ねられた。

 幸村は慌てて腰に付けていた籠を彼女に渡す。

 さきほど叔父から受け取っていた籠だ。

 彼女はその中身を見ると、露骨に顔をしかめる。量が少ないと思ったらしい。


 理由を尋ねられたので、幸村はいろいろ考えた結果、林の中を歩いていて転んでしまい、頭を打ってしばらく倒れていたということにした。また横でその話を聞いていた叔父も、そのことを笑い飛ばすようにして幸村の肩をばしんと叩く。


「まったく、お前って奴は鈍くさいな」


 それで、なんとか母親だという人の方もごまかせたようだった。

 むしろ心配されなかったのが意外だったというか、いや実際はただサボっていたのだと思われたのかもしれない。


 ちなみにこれは叔父との会話の中でもわかっていたことだが、言葉は現代のものがおおよそのところで通じるようだった。この時代に存在しない外来語などは通じないのだろうが、日常生活においては誰とでも過不足なく意思疎通が出来ると理解していいようだ。


 それゆえ、幸村が生活するうえで一番大きな問題となってくるのは、この家の事情が全くわからないということである。


「あの、兄貴……って?」


 自分にとって不味い話題を変えるかように、自然な形で幸村は母に尋ねることができた。

 まずはこの家の人間関係を理解しなければならない。


「ちょっと、本当に頭は大丈夫なの? いつもみたいに、よその畑を手伝いに行ってるわよ。もうすぐ帰ってくると思うけど、でもちょっとあんた。山菜ほとんど取って来てないんだから、兄さんにはいい加減怒られるわよ」


 冗談めいた部分がない言い方だった。もしかしたら二人いる兄のどちらかが性格の悪いタイプなのか。幸村は思ったが、何にせよどうしようもないことではあった。


「そうだよね」


 できるだけ、幸村は曖昧に返答する。

 一方、叔父さんの方といえば、さっきまで笑っていたかと思うと、取って来た山菜を半分置いて早々(はやばや)と自分の家に帰って行ってしまった。

 先ほどまでとは違い、この母親とは二、三話した程度で話題が無くなってしまったらしい。


 もしかしたら叔父はこの母親のことが苦手なんだろうか。

 幸村はそんなことを考えつつ、今日会ったばかりの肉親と会話するための糸口を探す。


「あのー、何か手伝おうか?」 


 とりあえず、そう声をかけてみた。


「は? ……あら、なんと珍しい。明日は雪がふるんじゃないかしら」


 そんな冗談を言いつつ、幸村は笑顔になった母親に外から薪を一抱え持ってくるよう頼まれる。


 その反応からすると、どうやら幸村は、いやこの家で暮らしていた自分は、家の手伝いなどほとんどしない人柄であったようだ。となると、あまり周囲から良い印象を持たれているとも思えない。

 外から薪を運ぶ途中、幸村は小さく溜息をつく。


 それから炊事の手伝いをしつつ、ポツポツと母親と話をしてみたところ、少しずつではあるが家の事情がわかってきた。


 まず一家の大黒柱である、父の吉蔵よしぞうはすでに病気で亡くなってしまったようだ。そして、長男の一郎いちろうが家を継ぎ、次男の二郎じろう、三男の三郎さぶろう――自分の名前が三郎であることを知って幸村は少しショックを受けた――が現状、その手伝いとして家に住んでいること。


 自分たちの田んぼや畑を持っていないわけではないという。

 ただ、それのみの収入に頼るには十分な余裕がないので、余所の畑を手伝ったりしながら、ようやくこの一家は食べているとのことだ。

 だからお前もちゃんと働けと母親からは小言を言われてしまった。


 半ば想像していたこととはいえ、生活は辛いものになりそうだった。

 現代の暮らしに慣れた自分がきちんと暮らしていけるのだろうか。


 幸村がそう不安に思っていると、家の前で誰かの話し声が聞こえた。


 兄たちだろうか。そのまま家の中に入ってくるのかと思ったが、しばらく待っても入ってこない。


「あら、帰ってきたのかしら。ちょっとあんた、桶に水入れて持って行ってあげて」


 同じく気付いた母親にそう言われ、素直に幸村は水の入った桶を持って家の外に出た。

 土仕事の後の、足を洗うためのものだろう。

 母親との会話で緊張もいくらかほぐれたことと、さらに今度はこちらが受け入れる側なので幸村はさきほどよりは心なし気分が楽になっていた。


 初対面の兄たちはどんな顔をしているのだろうか。

 そんなことを思いながら、彼は木戸を開く。


 その時、ちょうど家の外でぱしゃりと何か液体がねたらしい。

 幸村の顔にその飛沫が飛んできた。

 空いている方の手で顔を拭ってみる。

 かすかに粘り気のあるその液体は、見てみると妙に赤黒い。


(血?)


 そして幸村は前を向いた。男が二人と女が一人、姿勢を低くして何かを覗きこんでいる。

 そのうち、背の大きな男のほうが戸が開いたことに気付いたようだ。


「おう、三郎! 帰ったぞ! ほら、おみやげだ!」


 明るいその声と一緒にその男は地面から何かを掴んで持ち上げる。


「あっ」


 瞬間、幸村はくらっとめまいのようなものを感じた。

 男が持ち上げたのは、幸村がこれまでの人生でほとんど見たことのないもの。


「今日はこれで鍋に決まりだな」 


 そんな楽しげな言葉も幸村の耳には入らない。

 男にがっしりと角をつかまれたそれは、切断面からだらだらと血を流す鹿の頭であった。

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