二十八話 向こう側③
深く眠ることができないまま、朝を迎えていた。
幸村は寝床まで戻った後、天井の一点を見つめて夜を明かした。
その間、頭に浮かぶものは何もかも、幸村にはどうしようもないことだった。
ただだからといって、全てを仕方ないことと思い込むことも容易にはできない。
これまでとは違い、自らの意思が直接はっきりと関わっているからだった。
それで余計なことを考えないように気を張っていたら、いつの間にか時間は過ぎていた。
当然、疲れは抜けていない。
それでもただ横になっているよりは、起き上がったほうがいくぶんマシだ。
見知らぬ男が部屋を訪ねてきたのは、日が顔を出してすぐのことだった。
ずいぶん、身なりがきちんとした男である。
話を聞くと、どうやら黒田家に仕える郎等のうちの一人らしい。
男は怪我人の様子を見てくるよう、上から指示を受けたようだった。
幸村が起き上がっている姿を見ると、男は驚いた顔をした。
「目が覚めたのか」
幸村が二日間、眠り続けていたことを先に説明されていたのだろう。
まずは頭、そして血の色に染まった左肩に男の視線が動いた。
「……運があって、よかったな」
どうも見た目だけだと、幸村は半死半生から蘇ってきたように見えるらしい。
おざなりに幸村の幸運を祝った男は、続けて体は動くかと彼に尋ねる。
対して幸村は軽く頷いてみせた。
「なら確認だ。お前は今、誰で世話になってる?」
「……黒田の大将様、です」
「黒田は黒田でもいろいろあるだろう」
「重隆さまです」
「……あー、とりあえずは頭も大丈夫そうだな」
今の質問は、中身が壊れていないか確認するためだったようだ。
「あと一応、うちの大将は職隆さまだからな。今度聞かれたらそう答えとけよ」
そう言ってここで初めて親しげな笑みを浮かべた男は、今度は幸村の左肩を指さした。
「その上着は取り替えた方がいいな。着替えは持ってるか?」
当然持っているわけもなく、幸村は横に首を振る。
すると男はちょっと待ってろと言って、すぐにどこからか代わりの服を持ってきてくれた。
ぽんと、手渡される。
礼を言うと、朝飯を食う前には着替えろとの返事が返ってきた。
服をくれたのは、周りの食欲が失せるからという理由なのだろう。
幸村としても、血の染み付いた服をいつまでも着ている気にはなれなかった。
ずっと身につけて肌に馴染んではいても、いい加減に着古してくたびれた服である。
ただ唯一、胸の裏ポケットだけは少し惜しかったかもしれない。
また適当に布地を自分で縫いつけてやれば良い話なのだが、幸村はいかんせん裁縫が得意ではない。
今の裏ポケットも何度かやり直して、ようやくくっつけたのだ。
だから裏地とはいえ、縫い目は無残な仕上がりになっている。
まあ誰かにやってもらう当てもないから仕方がないことではあるのだが。
「飯を食う場所は向こうだからな。食い終わったらまたこの部屋に戻ってこい」
そう言われ、幸村はようやく男に開放された。
何を言われるのかと緊張したが、一人でいるよりはまだ気が楽だった。
次に部屋にやってきたのは多分に漏れず、吾助だった。
そろそろ飯ができそうなので、早めに食いに行こうという。
また彼は服を着替えた幸村に気付いて、一言「良かったじゃん」と言ってみせた。
そのまま二人揃って、部屋を出る。
寝ている男たちはまだ起きてこないが、彼らの分もとってくるべきだろうか。
吾助に尋ねると、長屋を出て少し歩くだけで朝食を配っている場所に着くそうなので、起きたら起きたで取ってこればいいという。
また昨日向かった方向とは逆だというので、幸村は少し安心した。
(久しぶりにちゃんとした食事が取れるな)
これまでの気を取り直すように、幸村は朝食に期待した。
戦の最中も終わった後も、まだろくなものを食べられていない。
(何か食べれば今の気分も――)
が、幸村の期待むなしく、炊き出しで出されるものなど最初からたかがしれてはいた。
今日の朝食は、細切りにされた大根と菜っ葉が入った粥だそうだ。
見れば、大きな鍋で大量に作られている。
朝だから軽い食事になるのは分かるものの、幸村としてはもう少しなにか食べごたえのあるものが食べたい。
せめて量を多く盛ってくれるよう頼もうか。
そう思って幸村は給仕役に声をかけようとしたが、どうやら椀の数に限りがあるらしい。
粥を受け取る時に、早く食って戻せよとだけ乱暴に伝えられた。
昨日吾助が怒られたというのも、そういう理由からなのだろう。
この分では量を多くしてくれと頼んでも聞いてくれる余地はなさそうだった。
仕方なく適当な場所に腰掛け、幸村は粥を口に入れる。
塩味がよく効いていたが、それだけだった。
けれど空腹には勝てず、なかなかどうして箸は止まらない。
一方、隣に並んで座った吾助はやはり食べづらそうに箸を動かしていた。
片手しか使えないから、椀が持てないのだ。
吾助は最初、膝の上に椀を乗せてどうにかすくって食べていたようだが、途中から面倒になって直接椀を持って啜っていた。
「お前が今頼まれてる仕事ってなんなんだ?」
食べながら幸村が尋ねると、吾助は粥を半分口に含んだまま答える。
「なんか紙に書きつけたのをどこどこに持ってけとか、そういうの。片手しか動かないんだからしょうがねえって言われて。俺以外の奴は、槍集めて磨いてるみたいだけど」
「ふーん」
ならば、幸村もこの後、そちらの仕事に回されるのだろう。
とりあえず、槍を磨くくらいなら病み上がりでもできそうな仕事ではあった。
場合によっては、座りながらできるかもしれない。
幸村がそんなことを考えていると、二人が食べているところに男が一人、近寄ってきた。
その男に最初に気付いたのは吾助の方である。
どうも知り合いだったらしい。
近づいてくる男に椀を持った手を振って吾助は大きな声をあげた。
「おっちゃん!」
ようやく気付いて、幸村もそちらを向く。
視線が合った。
その男の顔を見て、すぐに幸村は思い出す。
二日前、自分の部隊にいたはずの男。
彼は二段目の郭で怪我した人間を連れ、後方に下がっていたはずだ。
だから最後の戦闘には参加していない。
この男が生き残っているのは無論、不思議なことではなかった。
二人と同じく手に椀を持った男は、幸村の横に並ぶようにして座る。
再度、視線が交錯する。
その顔つきを間近で見て幸村は、おっちゃんと呼ぶにはまだ若いよなとまず思う。
幸村よりは多分歳上なのは間違いないだろうが、恐らく二十代半ばから後半という年齢だろう。
「起きてこれたんだな。良かったな、二人とも生きてて」
低い声で告げられ、幸村は何度か頷いてみせる。
男はけして形ばかりのつもりで言っているようではない。
ひどく感情のこもった声をしていた。
「このおっちゃんが俺たち運んでくれたんだぜ」
対して、吾助が言う。
その言葉にまた驚いて、幸村は男の顔を見つめる。
「まあ、運が良かったんだ。俺か、お前らのどっちかが」
続けてされた話によると、男は怪我人を連れて後方まで下がった後、麓の本陣から出された部隊に加えられたのだという。
そして三段目の郭まで上ったところで、男は倒れていた幸村と吾助を発見した。
急いで確認するとまだ二人とも、息があったそうだ。
それで人を呼び、男は吾助の方を担いでまた二段目の郭まで下がったのだとか。
「いやー、何でもいいけどホント助かったよなー」
吾助が言っている横で、その話のどこまでが本当だろうかと幸村は考える。
おそらくおおまかには事実だろうとは思う。
聞いた話におかしな部分はなかった。
だが、場合によっては邪推が出来ないわけでもないのだ。
嘘を言っておらずとも、その話の中にはただ説明されていない、故意に抜け落ちた箇所があるかもしれない。
すなわち、男が幸村たちを発見できたのは、彼がいちいち死んだ兵の懐を探ろうとしていたからではないか。
いや、例えその邪推が当たっていたとしても二人が助かったのは彼のおかげだし、それに吾助がおっちゃんと呼んでも怒らないくらいなのだ。
そこまで根が悪い人物のはずもない。
とにかく幸村は「ありがとう」と男に礼を言った。
「気にしなくていい。俺はただ、見知った顔が死ぬを見るのが嫌だっただけだ」
男は幸村の礼に対し、軽く手を振って応えた。
そして何かをごまかすように手に持っていた椀に口をつける。
その後もしばらく三人で話した。
幸村のいた部隊で生き残ったのは、あと二人いるらしいが、どちらも怪我をして動けないままだという。
そうして話すのに夢中になって、最後の方には残った粥がすっかり冷めてしまっていた。
二人と別れた幸村は、また部屋まで戻ってきた。
朝食をとった後、彼ら二人はそのまま今の仕事場に向かうと言った。
別れ際、男は名前を栄太と名乗った。
歳は幸村の二つ上だという。
何かあったらまた、と言って幸村は二人を見送った。
部屋の中に入ると、あの郎等の男がすでに待っていた。
「いつまで飯食ってんだ!」
少し怒っている様子の男にすいませんと幸村は謝る。
たしかにこれは自分が悪かった。
すると、素直に謝られたことで機嫌を直したらしい。
男はそれ以上幸村を叱らず、ただ自分に付いて来いと言った。
「どこに行くんですか?」
幸村は尋ねてみる。
男は部屋の敷居を踏み越えながら答えた。
「本当は皆が仕事をしている場所に連れて行くはずだったんだが、急に話が変わってな」
それだけではまったく事情がわからなかったが、だからといって断ることもできない。
とりあえず幸村は言われるがまま、その男に続いて部屋を出た。




