chap1-1
こちらに向かってくるのは幌付きの馬車である。ベータに視力の強化を頼むと、ベータはチカチカとその緑色を点滅させ、瞬間、魔方陣を出現、それだけで、僕の目は細部まで見渡せることができるようになった。簡単なものである。
御者をしているのは若い女性である。腰にロングソードらしきものがあるが、格好は簡素なドレスと言っていいもので、決して戦闘向きとは思えない。お忍びで街にきたお姫様といった風情である。しかし、その真っ直ぐに伸びた背筋、鋭利な目線、どうもお姫様というよりは、腰の剣が示すように、戦士の印象を受ける。
その女性の後ろ、幌の中は影になって、いくら視力を強化したとしても見えないものは見えない。辛うじて、二人の人間がいるようであることがわかる。
何はともあれ、初めての人間との遭遇である。ありがたいことに、これでかなりの事実が判明したと思える。
まず、知的生命体がいる。ほぼこちらと同一の生命系である。少なくとも馬車、服装、剣など文明は発達している。地球と違い、人間を襲うモノが数多いるであろうこの世界で、人間種はその襲うモノを退けて、定住することができている。定住できなければ、文明を栄えさせることはできないのだから。
森で確認できた敵性生命体の数だって、相当数いた。そいつらからすれば人間なんてただの餌レベルだ。進化論がこの世界に当てはまるかわからないが、猿レベルでは淘汰されるのは必至。それでも文明を築けるということは、純粋に地球に比べて身体能力が高いか、庇護してくれる存在がいるか、あるいはその両方か。
とはいえ、それは後々わかることである。
御者をしている女性はすでにこちらに気付いている。大きく手を振ると、一瞬戸惑いながらも、こちらに手を振り返してきた。と、すぐに後ろの幌の中に声をかけている。ベータに頼んで聴力を強化すれば、女性達の話し声がきこえる。関係ないことだが、聴力に指向性をもたせることができるベータまじ凄い。
内容は、僕を囮とした盗賊の作戦ではないか、ということを相談していた。まぁ、確かにこんな道の真ん中で手を振る人間なんて、普通は有り得ないだろう。ましてや、性別は別としても僕の見た目は女の子である。御者の女性が、他の人間の気配はありませんと言い、幌の中からは、少し高めの声で、多少特殊な魔力の波動は感じますが、おそらく大丈夫でしょう。と言い、しかし、気をつける必要はあります、ちょっと不自然なことがあります。とショタ声が聞こえてきた。
特殊な魔力はアルファ、ベータ、デルタの珠達のことだろう。そして、不自然なことがある、というのは、道の真ん中云々ではなく、実際に他に気になることがあるのだろう。それが珠達のことか、異世界人である僕の存在自体を言っているのか判断はできない。
ともあれ初めてのこの世界の人間であるし、できれば仲良くなりたい。
アルファとベータとデルタに、とりあえず過剰な反応は禁止だと告げると、アルファから動揺が感じられた。ちょっと皮肉っぽかったかな、と少し反省する。
ごめんね、とアルファを撫でると、どこかツンデレっぽい反応を感じた。あえて言語化すれば「べ、べつに気にしてなんかいないんだからっ!!」といったところか。
平和だなー、とデルタとベータと意識を共有していると、馬車はすぐそこまで迫ってきていた。
出会いは先手必勝である。
「こんにちわ、道の真ん中でふわふわ宙に浮いている珠三つと一緒にいる、端から見てもあやしい人物ですが、一切害はありません。名前は蒼木紫月、アオキシズキと言います。シズキと呼んでください」
「あ、あぁ。私はセリカと言う」
「こんにちわセリカさん。正直に言いますと、私はめちゃめちゃ怪しいです。自分がどんな出自か、などはまったく言えないのです。なので、この森に昔捨てられ、ここで育ったということにしてほしいのです。ついでにいえば、お金も何もないのですが、その馬車に同乗させてほしいのです」
「ちょ、ちょっとまってくれ・・・」
「いえ、待てません。正直いまあなたに見捨てられると、もうどうしていいのかわからないのです。奴隷商人の馬車に揺られていたが、誤ってこの道の真ん中に置き去りにされて、当てもない状況。ほぼそれと同一だと認識していただければ幸いです」
「な、なにを・・・」
「ところで私にはメリットがありますが、あなた達にはメリットはないですよね。しかし、人助けとはメリットで考えてやるものではないはずです。しかし、人助けをして騙されて命を危険にさらすというのは愚考でしょう。実際、あなた達が危惧するのもそこです。無害そうに見える人間が実は害がある、といういうのは一種の定番といえましょう。さぁ、ここで僕に必要なのはあなた達に僕自身がどれだけ無害であるか、を証明することでしょう。しかし、それは並大抵ではありません。裸になればいいのか?
拘束されればいいのか? あるはそうかもしれないですし、そうじゃないかもしれません。どこかに武器を隠しているかもしれないのです。そう、疑い出せばキリがなくなる。となれば必要なのは誠意と信頼をそこに示すこと。それに答えてもらうこと。つまり結局は、お願いですどうかその馬車に同乗させてくださいこの通りですっ」
腰を九十度曲げた真摯なる態度である。
「いや、私達は、そもそも、あなたを同乗させるつもりであったが」
「それはありがたいことこの上ないのです」
ピョン、と御者に飛び乗っても良いのだが、それもいらぬ警戒をあたえてしまう気がして、ベータの身体能力強化を休止させ、不恰好に御者台によじ登る。実際、僕はそこそこいい年齢の男なのだが、身長がかなり低いのである。まぁ、それとこの女顔のおかげで、女性だと認識してくれて警戒が薄れたのだと思うが。
ところで、僕のいまの格好はゴスロリである。真っ黒フリフリである。その格好はトラックに突っ込まれたときと同じ。かなり深く、そして苛烈な業である。よく友達と呼べる人間がいて、苛められたりせずにいたものである。まぁ、呆れられたりはしたが、面白いことが好きな僕はどうしても女装を止められなかったりするのだ。
何故女装するのか。
面白いからである。
何が面白いのか、と問われれば、全て、と答え、相手を沈黙させた覚えがある。これもまた悲しき業である。