信頼
ルルーと話をしなければならない。そう思ったが、言葉にはならない意思が早く上に戻った方が良いと語りかけて来る。
纏いし者状態のまま駆け出し、上の階を目指す。人の身で進むよりも断然素早く移動出来る為、殆ど時間をかける事なく上階への道を進む。地下50階へと辿り着くと、上がった部屋の出口付近にメリアの姿があった。
「バナッシュ!」
俺に気が付いたメリアが、慌てた様子で呼びかけながら手招きをしている。何事かと思ったが、緩やかに修復していく結界が視界に入りルルーとメリアの焦燥が理解出来た。
結界が元通りになる前に外に出なければ、いくらルルーの力があったとしても簡単に外に出る事は出来なくなるだろう。
俺は速やかに結界の外まで出て一息吐くと、纏いし者状態を解除する。
「倒した……訳じゃなさそうね」
俺とルルーの表情を見たメリアが、そんな言葉を呟く様に言った。俺は無言のまま頷き、ゆっくりと息を吐く。
「……とにかく、一度街に戻ろう」
「その方が良さそうね」
俺の言葉にメリアがそう答えて頷いた。ルルーがその提案に反対するとも思えず、特に言葉を向ける事なく俺は歩き出した。メリアも俺に続いたが、意外にもルルーはその場から動かなかった。それを察した俺もメリアも足を止める。
「ルルー?」
「……ごめんなさい」
ぽつりと小さな声で、ルルーは謝罪の言葉を口にした。声音から涙ぐんでいるのだと、俺は直感的に理解した。その涙が、その言葉が、どんな感情から発せられたのかは想像出来なくもない。だが、それも含めて判断するのは話を聞いてからだ。今まで何も聞かなかった方がおかしい。今回は俺のお人好しっぷりにも我ながら嫌気が差す。
「良いから。とりあえず、今は戻ろう」
出来るだけ優しく、俺はルルーにそんな言葉を投げかける。
「……うん」
悲しげな瞳で俺を見つめ、ルルーは小さく頷いた。
結界を抜けたフリーズリザードや、ラビバットと呼ばれるウサギの顔をしたコウモリ型のモンスター等、幾らかの戦闘があったものの、疲弊した俺を労わってくれたのかメリアが殆どのモンスターを魔法で蹴散らしながら地鳴りの洞窟を後にした。
殆ど会話もなく、重い雰囲気のまま俺達はガルニールへと戻って来た。
周囲に聞かれると拙い類の会話になるだろうと考え、俺が泊まっている安宿よりも確実に防音設備が整っているであろうメリアの泊まっている宿へと足を運ぶ事にした。メリアも頷いてくれた為、俺達はそのままメリアの宿を目指す。
メリアの泊まっている宿はガルニールの中心街にある宿で、街の中では一、二を争う程の高級宿だった。
「驚いたな……」
女が一人で泊まると言う事を考えれば設備を重視するのは分かるが……それにしても、接客等のサービスも含めてトップクラスの宿だ。
「そう?」
「ああ。余りこう言った事に金をかけるタイプだとは思わなかったからな」
「まあ、二つ名持ちとしての体裁みたいなものかしら」
俺の言葉に、メリアは苦笑混じりにそんな言葉を返してきた。
「着いて来て」
宿に入るメリアの案内の元、2階に上がりメリアが泊まっている部屋に入る。
メリアに促され、俺達は客用であろうソファへと腰を掛ける。丁度良く一人掛けのソファが三つあった。
間取りを見れば隣りの部屋とは多少の間があるらしく、おそらく叫んだりしなければ隣りの部屋に声が聞こえる事はないだろう。細かい原理は知らないが、防音効果のある造りをしている宿だと有名だ。今更疑った所で仕方ないし、少なくとも俺の泊まっている宿よりもその効果があるのは目に見えている。
「さて……メリアが聞きたいと思う事もあるとは思うが、まずは俺が確認したい事から聞かせて貰って良いか?」
「構わないわ」
今回は巻き込まれたと言って過言ではないメリアへ一応の確認を取り、俺はずっと黙ったまま後を着いて来ていたルルーに向き直った。
「これだけは確認しておきたい。お前は、人間に仇名す存在か?」
短い期間だが一緒に過ごして、ルルーが人間に害を及ぼす存在だとは思わない。だが、知性の高い至高龍種とは言えモンスターはモンスターだ。正直に答えるかは別として、その意思だけは確認しておかなければならない。
「わたしは、バナッシュの味方だよ」
「それは俺が契約者だからだろう? 俺が聞きたいのはお前自身の意思だ」
真紅の火龍と呼ばれる龍種が人間と全面的に争ったと言う史実はないが、人間の前に姿を見せなくなって随分と経つ。やはりその確認はしたい。
「別に、わたしは人間と争おうなんて思ってないよ。あいつらは、違うみたいだけど……」
あいつら、と言うのはやはりあの黒き龍の事だろう。複数形なのが気になるが……
「さっきは分からないって言ったが、やっぱり地鳴りの洞窟の奥にはドラゴンの住処があるのか?」
黒き龍の存在を知っているのだから、洞窟深部から来たであろう相手を知っている以上ルルーもそこから来たはずだ。知らない訳がない。
「正確に言えば、洞窟の中にあるわけじゃない。けど、洞窟の奥にはわたし達の住処に繋がる穴があるの」
「穴?」
「そう。穴……昔の人間は龍穴って呼んでたらしいけど、わたし達はただ穴って呼んでる」
「どう言う事だ?」
「わたし達の暮らす世界は、この世界とは隔離された世界なの。でも時々、こっちの世界と繋がる穴が現れる事があって、わたし達の種族はその穴をふさぐ為に結界を作って管理してた。でもある日、あいつらが現れて結界を解けと言ってきた。わたし達は決して頷きはしなかったけど、あいつらは諦めなかった……」
そこまで言って、ルルーは一度大きく深呼吸をした。直ぐに続きを言葉にはせず、暗い雰囲気で俯く。
今のルルーの雰囲気、そしてあの黒き龍の言動を思い出し、俺の推測が一つの答えに辿り着いた。言い難そうにしているルルーを見て多少心が痛んだが、本人に語らせるよりはマシだろうと思い、俺はその推測を言葉にする。
「真紅の火龍を滅ぼしてでも、力付くで結界を解こうとした……」
俺の言葉を聞いて一瞬驚きの表情を浮かべ、ルルーは黙ったままゆっくりと頷いた。
「はげしい戦いが続いて、やがてはわたし達の一族が押され始めて……結界の維持に力を注いでいるせいもあって、わたしの父さまは一族の終焉が来たのだと判断したの。父さまはわたしに外側から結界を強化しろと言って、結界を一時的に通過できる術をかけてくれた。けど、わたしに父さまの結界を強化できるほどの力はないから、たぶんわたしを逃がすための方便だったんだと思う……」
「そうして逃げている最中、俺と出会った訳か……あの時のイビルドラゴンは追手って所か。余り強くなかったのは、結界を越える為に力を抑えられでもしてたのか?」
その言葉は別段ルルーに問いかけた訳ではなく、自問に近い言葉だったが律儀にもルルーから返事が返ってきた。
「抑えられていたわけじゃなくて、たぶんわたしが通る時に生まれた揺らぎを利用して通ったと思うから、その状態で通れる様な力しか持たない個体が選ばれたんだと思う」
「なるほどな」
あの黒き龍の言葉からも察するに、結界はより強い力を持つ者を拒む様な造りになっている様だ。
「ともあれ、あの黒き龍の言葉を信じるならしばらくは安心だろう。とすると、やっぱり当面の問題は昨日の魔法使いだな」
「……許して、くれるの?」
息を吐きながら俺が言葉を漏らすと、ルルーが上目遣いで恐る恐ると言った風に聞いてきた。
「元々怒ってた訳じゃないしな。ただ、本当の事を知りたかっただけさ」
「でも……わたしの言葉が真実だって証拠は――」
「信じるよ」
証拠はない。そう言おうとしたであろうルルーの言葉を遮り、俺はそう断言した。
「契約のおかげか、ある程度はお前の感情が伝わってくるからな」
紡いだ言葉に、その悲しみの感情に嘘はない。俺は、そう感じる。だからこそ、俺はルルーを信じる。
「と言う訳だが、メリアは俺達に何か聞きたい事はあるか?」
確証なんてもののない単純な感情での信頼関係。そんな俺達と一緒に行動するのはリスクを伴う。それでもメリアが一緒に行動するのかはまだ分からないが、巻き込んでしまった以上は出来る限りのケアをするべきだろう。
「……今は特にないわ」
少し考えたかと思うと、メリアははっきりとそう答えた。
「貴方の人となりは知っているつもりだし、たとえ噂とは違ったとしてもパーティを組む決心をしたのはあたし。あたしはあたしを信じてるし、今貴方達を疑うつもりもない。だから今のパーティは続行。良いでしょう?」
「ああ。ルルーも良いよな?」
ルルーはメリアを毛嫌いしている様だったから、一応聞いておいた方が良いだろう。
「……うん」
流石にこの状況で否定的な言葉は口にしない。
「でも、出来る限りお互いに隠し事はなしにしましょう。その方が、お互いを信用出来るでしょうしね」
「分かった。まだしばらく宜しく頼む」
「……よろしく」
「えぇ。こちらこそよろしくね」
そんな挨拶を締めにして、また明日改めて資金稼ぎに出かける約束を交わし俺とルルーはメリアの宿を後にした。