紅き口付け
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「くそっ! なんでこんな事になっちまったんだ……」
眼前に襲い来る炎を魔法のかかった銀製の盾で防ぎながら、俺はそんな声を漏らした。
俺の後ろには真紅色の髪をした少女が倒れている。外傷は見当たらなかったが意識がなく、どうしたものかと考え込んでいたのが失敗だった。
勢いのついた炎が止み、俺は視線を上げる。
イビルドラゴン――人に仇名すモンスターの中でも上位に位置する龍種。その中では下位のモンスターではあるが、それでも人間一人の手には十分過ぎる程余る相手。口から放たれる炎は普通の鉄程度なら一瞬で溶かし、鋭利な爪は人の身など簡単に切り裂く。硬い皮膚は黒い鱗で覆われており、安物の武器では傷を付ける事すら難しい。普段は四足歩行だが後ろ足の方が発達しており、後ろ足だけで立ち上がる事が出来る。背には翼があり、人間の何倍もある巨体にも関わらずかなりの高速飛行が可能だ。
ここが広いとは言え天井のある洞窟じゃなかったら、背後に倒れた人間を守りながら対峙する事は出来なかっただろう。俺の知る限りでは小振りなサイズだが、自由に飛び回れる程のスペースはない。不幸中の幸いと言える。
言えるんだが……
「この状況、どう打破したものか……」
自慢じゃないが俺は強い。最強とは言わないが、まあ世界中でもかなり上位の強さだと思う。当然人間の中ではだが。イビルドラゴンの炎を平気で防ぐ魔法の盾や、奴の鱗や皮膚を相手にしても負けない銀製の魔法の剣も持っている。飛ぶ事の出来ない状況にある今なら、戦って倒せない事はない相手だ。だがしかし、俺の背後には意識のない人間がいる。俺が逃げても戦っても、おそらく無事では済まないだろう。そもそも、意識のない人間をモンスターの前に放置して逃げるなんて俺には出来ない。目を覚ましてくれると助かるんだが……
「さっきまで散々揺らしたり声をかけたりしたんだ。そう簡単には起きないだろうな」
なんて呟いた俺だったが、その予想は良い意味で裏切られる事になる。
再びイビルドラゴンが吐いた炎を防ぎ、一縷の望みをかけて振り返ると、少女が目を覚ましたのだ。
今まで意識を失っていたのが嘘の様にはっきりとした視線を俺に向けてくる。だがやはり寝起きの状態で意識がはっきりとはしていないのか、無言のまま俺を見るだけで何も言わない。
仕方ないな。こっちから声をかけるか。
「大丈夫か? 何があったのかは知らないが、動けるなら早く逃げてくれ」
そうすればイビルドラゴンと真っ当に戦う事が出来る。
俺の言葉が聞こえなかったのか、少女が動く気配はない。しかし、真っ直ぐと俺に向けていた視線を斜め上に上げた。少女の視線が捉えたのは、当然イビルドラゴンだ。
「今も危険な状況なんだ。分かったら早く逃げてくれ」
今度は聞こえたのだろう。再び俺へと視線を向けた少女は、ゆっくりとだが立ち上がった。
だが、これで逃げてくれるだろうと思った俺の予想は裏切られる。少女は、ゆっくりとした足取りで俺へと近付いてきた。
良く見れば少女は素足だ。洞窟を素足で歩くなんて危険極まりない。足、痛くないんだろうか?
いやそんな事はどうでも良い。
「こっちじゃない。反対に逃げるんだよ」
そんな俺の言葉は通じない。一歩、また一歩と少女は俺に近付く。
今まで意識していなかったが、少女の顔はかなり整っている。歳は十五くらいだろうか。幼さを感じさせる顔付きではあるが、大人へと成長する段階特有の可愛くも美しくもある顔立ち。真紅の髪は鮮やかで綺麗だ。幼女趣味は持ち合わせていない俺だが、それでも美しいと思える容姿、そして少女の持つ雰囲気に惹かれ呑まれてしまう。
今はそれ所じゃない。そんな事は分かりきっている。それでも、目を奪われしまう。
「ルルーセリア=エルド=ガーネット」
俺の目の前までやってきた少女が、小さな声でそう呟いた。
「……それが君の名前か?」
俺の言葉に、少女は頷いた。そして俺の目をじっと見つめ、小首を傾げる。
俺の名前を聞いているんだろうか? 状況的にそう判断し、俺は自分の名を名乗る。
「俺はバナッシュ=ラウズコートだ」
「バナッシュ?」
「ああ」
「バナッシュ=ラウズコート。契約を――」
確認の意であろう言葉に頷くと、今度は少女はそんな呟きを漏らし――
自身の唇を俺の唇に合わせてきた。
「――え?」
一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。少女が俺から唇を離し、ようやく現実を理解した。だが、なぜ……? こんな事をした理由が分からない。
「バナッシュ。わたしの名を――」
訳が分からないまま、俺は少女に言われるままにその名を口にする。
「ルルーセリア?」
俺がそう呼ぶと、少女はふるふると首を横に振った。ああ……フルネームで呼べって事か?
そう考えて、試しにフルネームで少女の名前を呼んでみる。
「ルルーセリア=エルド=ガーネット――」
その刹那、少女の身体が光を放つ。紅い光だ。光は瞬時に強さを増し、俺は思わず目を瞑る。だがそれも一瞬だったのだろう。光が止み、俺は周囲の明るさに慣らす様にゆっくりと目を開けた。
そこには、少女の姿はなかった。だけど、ここにいる。そう確信出来る。なら、どこにいると言うのか……
そう考えて、自然と答えが思い浮かんだ。
彼女は、俺の中にいる。と――
「とりあえず、あいつを片付けるか」
俺は前方へと視線を戻し、イビルドラゴンを見据える。未だに納めたままだった剣を抜くのと、イビルドラゴンの炎が止むのとはほぼ同時だった。
次の攻撃が来る前に片付ける。そう意識して跳躍する。まずは真っ直ぐ正面に跳び、イビルドラゴンとの間合いを詰める。その巨体故に機動力では確実にこちらに分がある。足の間を通り背後に回り、相手が反転するよりも早く再び跳躍。イビルドラゴンの背を利用し首元近くまで跳び上がり、弱点である首の後ろにある逆鱗へと剣を突き刺す。
本来ならば大きなダメージを与えはするものの、この一撃が致命傷になる事はない。が、今の俺が放ったその一撃は、イビルドラゴンの命を簡単に奪った……