09:西山第三病院(仮)
「む~、どう考えてもこれは李央ちゃんの家じゃないよなぁ」
亮太と(一方的に)別れて約20分後。直の姿は依然として中央区、しかし駅や学校がある中心部からは西に外れた、ぱっと見た印象だけでも10年は前に廃業となった、だだっ広い工場跡地の入り口にあった。
コソコソと電信柱の影に身を隠し李央の後を付けながら。直は途中、隙を見てコンビニに走り新作プリンを購入するというファインプレーを経て、無事、姿を見られることもなく目的地である李央の実家までたどり着いたはず……だったのだが。どう見てもここは工場跡地であって人の住む家ではない。
すぐ近くに”加羅都度中央小学校通学路”と書かれた円状の看板が立っており、どうやら付近に小学校があるようだが。辺りを見回してみても、そこは一面平らな土地に所々、大小様々な草木が生えているだけ、人の姿もなければ1件の民家もなかった。まるで意図してこの場所を避けているかのようだ。
街灯もポツ、ポツと、気休め程度にしか設置されておらず、特に深夜は、唯一コンクリートで舗装された中央区の中心部へと続く一本道がなければ、帰り道が分からず迷子になってしまいそうだった。
直はプリンの入ったコンビニの袋を片手にしばらく周囲を散策した後、自分の身長よりもやや高い、工場跡地全体を囲うボロボロの金網に手を掛けると敷地中を覗き込んでみる。
すると、なにやら人の形をした木板のようなものがいくつも地面に刺さっており、錆びついた金属の部品が埃に混じって無数に散らばっているのが見えた。改めて見れば、先程立っていた門のように金網が開けた入口横にも蜘蛛の巣がはった大量のドラム缶やタイヤが転がっている。
その様子から、やはりここは随分前から人の手が行き届いていない。そう感じられた。
確かに企業ビルや学校、近代的な建物が多く並び常に流行の最前線を行く加羅都度市中央区とはいえ、そこから零れ落ち、朽ちて、やがて忘れ去られてしまうものも少なくはない。きっと、ここもそんな場所の1つなのだろう。
あの、地面に直立する人間のような木板だけは何に使うのか分からないが。よく見れば、それはテレビや本で見たことがある呪い道具の1つ、人形に似ている気がした。ただしサイズはかなり異なり本物の人間サイズだが。
何故、そんなものが工場跡地に何本も刺さっているのか、考えるだけでぞっとするが。そういえば不思議なことに、汚れも見当たらずこれだけは妙に真新しい気がする。
……それにしても、一体、李央はここに何の用事があるのだろう。
先ほど彼女が、あの金網の向こうへ入っていったのを確認した直だが、それからいっこうにその姿を見ていなかった。
(はっ、ま、まさかオレ、上手く忍者になりきれてなくて、こっそり付けてたのがバレたとか!?)
突発的な事態とはいえ、目立たぬようせめて何か布でも被っておけばと今更ながら慌てふためく直だが、しかしこう見えて気配を絶つことに関して少しばかり自信を持っていた。何度か亮太の後をこっそり付け背後から『わーっ』と声をかけた時も、亮太は直の気配に全く気付かなかったらしく、かなり大きく飛び上がっていたし。
それに、中心部から離れ隠れるもののない1本道に入ってからは道路から外れ、背丈ほどある草むらを見つけては、そこをわしわしとかきわけながら慎重にここまで来たのだ。そのせいで季節外れの蚊に手を1か所刺されてしまったが、それも仕方ない。蚊だってきっと生きるために必死なのだ。……だけど、よりによってどうしてこんなかきにくいところを選んだんだ、蚊よ。
右手の中指と薬指の丁度つけねの部分を、つまむように爪を立てながら。ここは李央の後を追い自分も敷地内へ踏み込むべきだろうかと、直は金網から離れキョロキョロと周囲を探る。すると今まで気付かなかったが、入口横に地面スレスレに立て掛けられた木製看板のようなものが見えた。
1メートルを超える横長いそれにはずっしりとした貫録が宿り、文字のようなものが見えることから、恐らくここにあった工場の名称が書かれているのだろう。しかし近寄ってみると、素材は古木のようだがヒトガタの木板同様、目立った汚れもなく10年以上前に廃業となった工場の看板とはとても思えない。
作られてまだ間もない印象を受ける、まるで旅館の看板を思わせるそこには、黒墨のなかなか本格的な書体でこう書かれてあった。
”西山第三病院(仮)”
…………はて? てっきり工場だと思っていたのにまさかの病院、それも(仮)だったとは。
しかしなるほど、言われてみれば先ほど見かけたヒトガタは、子供から大人までサイズは異なるものの全て等身大サイズだった。西山病院といえば、確かな技術と親切な応対で評判の、糸瀬木病院と並ぶ加羅都度二大病院の1つだ。あれはきっと何か医療に使用するに違いない。
ヒトガタは、それを対象者に見立て釘を打ち付けたり火をつけたり、呪術的に用いられることが印象強いが、なかには人の身代わりとして用い災いや穢れを祓うことにも使われるのだ。そんなものをまさか医療に活用しようとは、さすが有名病院は奥が深いと直は感心するように何度も頷ずく。
謎の工場跡地だった場所が一転、自分も含め加羅都度市民なら知らぬものはいない場所であったことが分かり、直は妙に納得、安心すると、改めて工場跡地――もとい西山第三病院の看板が掲げられた敷地内へと足を踏み込む決意をし、金網の開けた入口に立ち奥を見据える。
ここでじっとしていても何も始まらない、迷った時、困った時はとりあえず行動あるのみだ。それが直の信条である。
でも、このままだと目立つし、見つかった時に顔を見られるから……。
病院とはいえ見ての通りの荒んだ様子、営業している雰囲気はまるでないが。一応、無断侵入の自覚はあるのか、あるいは、いまだ李央との延長戦気分なのか。直は肩にかけてあった補助バックの中から昆布色の手ぬぐいを取り出すと、それを頭に巻きつけ鼻の下で結び目を作った。その姿はまるでテレビやアニメで見る、いわゆるコソ泥のようだったが。
「ふっふっふっ、これでカンペキだ!!」
直は右手でピースサインを作って見せると、意気揚々と第一歩を踏み出したのだった。
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仮とはいえ、病院の看板が掲げられているだけあり想像以上に敷地中は広かった。
奥へ進むにつれてドラム缶や地面の上に散らばる金属片は少なくなり、色とりどりの鮮やかな小石に彩られた歩道が姿を見せる。除々に人の手が伸びて来ているように感じられた。
……入口を超えてもなお、何故かそこかしこに相変わらずヒトガタが突き刺さっているが、いくつも目にするうちに不思議とアート性を感じるようになったから不思議だ。もしこの場に、医者の風格と白衣をしっかりと着こなす病院院長がいて『あれは新進気鋭の新人デザイナーにより設計されたものでして……』などと説明があれば、病院のオブジェでも十分通りそうだ。
初めのうち、コソ泥スタイルの直は一歩一歩、足音を消しながら進み、先ほど李央の後ろを付けた時のように、ヒトガタや転がるドラム管を見つけてはそこに身を隠し素早く慎重に移動していたのだが、どれだけ進めど一向に人の気配はなかった。
うっかりヒタガタにぶつかり、あげくドラム缶に体当たりしてひどく大きな物音がたった時も、警報音のような音はならず、警備員も誰もかけつけてはこない。
……やがて完全に無人の気配を察した直は、敷地の真ん中をどうどうと歩き、しばらくして金網の終点までたどり着いた。そこで、ここに来て初めて建築物を目にする。
横に長い長方形の建物、1階建てで病院にしては随分小さいが、入口付近の荒んだ状況を思うと不釣合いなぐらい綺麗な建物。午後3時という丁度空腹な時間帯も影響してか、直はまるでパックから取り出したばかりのつるつるの絹ごし豆腐のようだと思った。真っ白な壁には清潔感があり正面にはガラスの大きな扉が添えつけられている。
(もしかして、李央ちゃんはこの中に……?)
ここまでずっと李央の姿は見かけなかったし、この建物にいる可能性は高いだろう。直は建物の手前に設置された小さな階段を上ると取っ手を掴みガラス扉の隙間からを小さく顔を出す。すぐ目の前に受付カウンターのようなものが見えるが、そこには誰の姿もなかった。
「しっつれいしま~す」
小声で呟きながら、直は扉をくぐり抜けると建物の中へ体を滑り込ませる。
建物の中は外と同じく白が基調の空間で、一歩足を踏み入れた瞬間、何か薬品のような匂いが鼻を掠めた。少々食べ過ぎ、学校の保健室に薬を貰いに入った時を思い出す。
太陽の休憩時間が多い今日の天候もあわせ、カウンターは最低限の照明だけに照らされ、まるでそこから先への立ち入りを拒むかのように、その奥に見える細い通路までは灯りが届いていなかった。
「すいませーん!! 誰か、いーまーすーかー!?」
草むらに身を隠しながら蚊に刺され、ヒトガタにもぶつかり……。途中、地味な災難にぶつかることもあったが、気付かれぬよう細心の注意を払いながらここまでやって来たというのに、そんなことなどすっかり忘れ、誰いないかと直は通路に向かい声を張り上げる。
その声は反響し建物中によく響いた。だが、それでも誰も返事を返さなければ姿も見せない。聞こえなかったのか、それとも元より誰もいないのか。
……しばらく待って、直はカウンターをまわり込み奥に見える通路へと足を向けた。周囲に目が馴染み、薄闇の通路手前の壁に電灯スイッチが、通路の向こうには扉が見えたからだ。ひょっとしたら中に誰かいるかもしれない。
直はカウンターの上にプリンのコンビニ袋を置くと、まずは灯りを得ようと壁に手を触れ奥の通路へ足を踏み入れようと――。
「はぁ~、ヒマだヒマだ。ヒマ過ぎてお腹空いてきたし今日はもう帰っちゃおうかなぁ。受付しながら不審人物が来ないよう見張っとけって言ったってこんなとこラーメン屋のおじさんしか来ないし、興味本位で来る小学生にはちゃんと脅しかけてるし。別にあたしがいなくても受付なんて呼び出しベル置いとけば十分じゃ~…………って」
「…………あ、ど、どうも」
シュッと滑るような音がして。カウンター横の壁だと思っていた箇所が突然、横にスライドし、そこから白衣を着た金髪の若い女が、口にスナック菓子を放り込みながら左腕には”ポテコ”と書かれた菓子袋を数袋抱え現れる。ちなみにポテコというのは今、彼女が食べているスナック菓子の名称だ。
突然現れた女にビクリと体を強張らせるものの、反射的に直は右手を上げ笑顔で挨拶を交わすが。
ふと、頭に手ぬぐいという自分の今の格好を思い出し、無人だと思い泥棒に入った家でうっかり住民に遭遇してしまったような、そんな緊張感の汗が1つ背中を伝う。
それから直と金髪の女はただ呆然と、しばらくの間お互いの顔を見つめたまま無言の時を共有していたが……。
「あーコラ、ちょっときみ~! ここは関係者以外、絶対立ち入り禁止の場所だよ!!」
はっと我に返った女は、目の前にいる直を”不審人物”と判断。持っていたかじりかけのポテコとその菓子袋を直に向かって次々と投げつける。空気を含んだ袋はまだマシだが、ポテコ本体はジャガイモを薄くスライスし油で揚げたものだ。投げつけられるそれはまるで手裏剣のようで、痛いっ、避け損ねると地味に痛いっ!
「す、す、す、すいませーん!!」
「言っとくけどここは幽霊研究所なんだからね! 祟りはあれど金目のものなんて何にもないんだから! 今度来たら幽霊に呪われちゃうからな、このドロボーッ!!」
ああああ、やっぱりドロボーに間違えられた!
いや、それよりも今、幽霊研究所って言わなかったっけ? あれ、ここ病院(仮)じゃありませんでしたっけ?
……と、疑問を口にする余裕もなく飛んでくるポテコを縦に横に斜めに必死に避けながら。直は最後に投げられた1袋を顔面スレスレで受け取ると、攻撃用のブツを全て投げつけ一瞬戸惑う女の隙を逃さず、ぐるりと背を向けカウンターを飛び越えると、正面のガラス扉を開け放ち脱兎の如く走り去った。
息をすることも忘れ、そこかしこに刺さるヒトガタたちに見送られながら。足音は自分のもの1つだけなのに、何故か後ろから誰かが追いかけてくるような気配を感じて、直は振り返ることもせず来た道を猛ダッシュで駆け抜ける。
そのまま金網の開けた門を抜け、中心部へと続く1本道を全速力で駆け抜け、亮太と別れた西区へと渡る交差点の赤信号で、直は肩を大きく上下に動かしながら、ようやく足を止めることができたのだが。…………あれ。しかし、そこであることに気付く。
……ガーン。しまった、コンビニで買った新作プリン、カウンターの上に忘れてきた。