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04:ボーイミーツガール-モップとメガネと緑の海-

 「……って、突然何言い出すんだ、お前は――!?」


 勢いよく倒れこんだのもつかの間、間髪いれず、亮太は床より跳ね上がる。

 まさか、この状況で『好きです』なんて言葉が飛び出してこようなどとは夢にも思わなかった。


 多くの人が行き交う加羅都度駅で突如開演された告白劇に、各々の目的地へと急ぎ足を進めていたはずの人々も、一体何事かとじろじろとした視線を向けてくる。

 知らず”駅で一目ぼれをした少女に告白する主人公の友達”という名の登場人物となっていた亮太は、四方八方を見知らぬ黒目に囲まれ、たじろぎながら両手で頭を抱え込んだ。



 「突然何言い出すんだって言われても、今言わないで一体いつ言うんだよ。……あの、オレあなたに一目ぼれしました! 付き合ってください!!」


 そんな状況にあっても、当人の本人だけは実にマイペースなもので。

 相変わらず転んだままの体勢で顔だけを亮太に傾けそう答えると再び李央に向かうが。次の瞬間大きく目を見開き「あ!」と叫ぶと。



 「そういえば、あなたの名前を聞いてなかったんですけど、教えてもらってもいいですか?」


 その言葉に、亮太は頭を抱えたまま再びころげそうになった。

 ……だが、言われてみれば確かに。この目の前の少女のことを、亮太も直もまだ何も知らないのだ。名前すらも。


 しかし、あまりに想定外かつ唐突すぎる事態に、まるで頭が停電したように全ての脳内回路が停止していた李央は、そんな直の問いにも無言のままその大きな瞳をパチパチと瞬かせるだけであり。



 「……………………あ、か、香上、李央です!」


 短くない時間を要し、今、質問された内容がただ名前を聞かれただけ、という至極単純なものであることに気付くと、慌ててそれに答えた。



 「李央ちゃん! ……良い名前ですね!」

 「あ、どうも、ありがとうございます」


 ニッコリと満面の笑みに、ペコリと頭を下げ、つい李央も笑顔で答えるが。

 反面、ようやく運転を再開した頭の中は、様々な思考と感情がごちゃごちゃに巡り混ざり合い、まるで大型連休中の高速道路を思わせる大渋滞状態。年末の大掃除さながらの大混乱状態だった。



 「え、ええと、それで、そのー……」


 けれど、こうしてきちんと告白の言葉を受けた以上黙って立ち去るわけにもいかず、混乱の中、李央は必死に言葉を探すが。

 ……だけど、何をどう答えればいいのか頭に全く浮かんでこない。……というか、そもそもこの人は一体どこの誰なのだろう?


 自分の記憶では、つい1分ほど前に知り合ったばかり、正真正銘の初対面のはずなのだが。……だが、初対面の相手にいきなり告白なんて果たしてあるだろうか?


 ひょっとしたら、うっかり忘れてしまっているのかもと、記憶を巡らし改めて李央は目の前の少年をじっと見つめてみるが、……やはりその顔に見覚えはなくて。

 唯一、加羅都度高校の制服を着ていることから、自分と同じ高校1年か少し上だということは推測できた。


 生き生きとした茶の瞳に、同じく茶の短髪は活動的に跳ね少しクセっ毛で。顔立ちは決して端正とは言えないが、その笑顔は見ているだけで、何だかこちらまで幸せな気分になれそうだ。


 見かけだけで人は判断できないが、悪い人には見えないし、あまりスレートに断るのも心が痛む。それに、今はまだ知り合ったばかりだが、これから交流を重ねれば、ひょっとしたら友人にもなれるかもしれないし。



 (……ここは無難に『お友達からお願いします』……とか、かなぁ?)


 ぼんやりと、頭の中にようやくそんな考えが浮かぶ。しかしその刹那、李央の脳裏にさっとある人物の顔が横切って――。


 李央は「わ!」と叫ぶと、慌てて頭を左右に振り、言葉にならない叫びをあげながら、続けて振り子のようにびょんびょんと体を左右に大きく揺らし始めた。


 ――だ、だめだめだめ! 曖昧な返答は少なからず相手に期待を持たせてしまうし、何よりも、あの人への裏切りではないか――!!


 よほど強い力が込められているのか、両腕に抱えられたプリントの束からはバキバキという悲鳴が聞こえ。

 傍から見ていて明らかに動揺していると分かる、そんな李央の次の言葉を、亮太は頭を抱えたまま呆然とただその時がくるのを待ち、直にいたっては、なぜだか一緒に左右に揺れていた。


 ……それからしばらくの間、うーうーと唸りながら、ゆらゆらと揺れていた李央だが、やがてはっと意識を取り戻すと、慌てて姿勢を正し、コホンと軽く咳払い。

 瞼を閉じ自らを落ちつかせるように深く深呼吸をすると、開かれた瞳には、何か強い決意が込められているように見えた。


 そして真っすぐに直を見据えると、心苦しさの混じったような表情で、静かに口を開くが――。



 「あ、あの、先ほどのお返事ですけど。その、お気持ちは嬉しいんですけど、私――……」

 「あああああ!! そういやオレたち今日、すごく重大な用があったんだっけ!!」


 突然ポンと手を打ち大声を上げた亮太により、李央はその言葉を途中で飲み込んでしまった。

 何が起こったのか状況が掴めず、目をぱちくりと固まる李央をよそに、亮太は流れるように直の足もとに回り込むとその足首を掴み、続いて直の「わぁ!?」という声。



 「そ、それじゃ、オレたち急用を思い出したのでこれで。……行くぞ、直!」


 そして片手を上げ、ひきつった笑顔で李央にそう告げると、まるで荷車でも引くように両足を両脇に抱え込み。

 「え?」「えっ?」「えーっ??」と、同じく状況が全く掴めず、頭の上にクエスチョンマークをいくつも放り出す直を、問答無用の勢いでざーっと引きずり去っていってしまった。


 瞬く間にその姿は豆粒のようになり。あっという間に舞台から退場した2人を、李央と周囲で見守っていた観客たちは拍手もなくただ無言で見送り。……やがて観客たちは、一人、また一人と、止まっていた時をおのずと呼び起こすと、それぞれの目的地へと再び歩みを再開させていった。


 唯一、李央だけが、いまだ舞台に取り残されたまま。ぽかんとした表情で立ち竦んでいる。





 「こんなところで告白とは、最近の若者は元気はつらつだな」


 するとそんな李央に、後方から感嘆するような、しかしのっぺりとした男の声が掛けられた。

 その聞き覚えのある声に、意識を取り戻した李央が振り向けば、そこには白衣姿の2人の男の姿がある。



 「なーさん! 戻ってくるのが遅いですよ、何やってたんですか!」

 「いや、すまん。かなり頑張ったんだが、掃除のおばちゃんが急に戦闘態勢に入って、掃除道具をなかなか貸してくれなくてな」


 困ったように眉尻を下げ、しかし淡々とそう答える”なーさん”こと名々尾駿平ななおしゅんぺいの、その長身の肩には、確かに掃除用具――それも実にカラフルな蛍光ピンクのモップが乗っているが。


 その平たい喋り方と、というわけで自分に落ち度はこれっぽちもありません、という空気が、言葉とは裏腹に反省の意を全く感じさせず。この場所でもう20分近く待たされていた李央は、何とも釈然としない気持ちに唇を尖らせると、む~っと表情を歪めた。



 「それは、なーさんが何も言わずに、いきなりモップを掴んで持って行こうとしたからじゃないですか。ちゃんと事情を説明すれば、あの人もすんなり貸してくれましたよ、絶対に」


 意識的に『絶対に』の部分を強調させながら、名々尾の隣にいた黒縁眼鏡の青年も、手に持った同じくカラフルな蛍光グリーンのバケツを床に置くと、呆れたようにため息を付き反省を促す視線を左上へ送るが。



 「それでも、なにもあんなにトイレットペーパーを投げつけなくてもいいと思うがなぁ。地味に痛いぞあれは」


 どこか遠くを見つめるように、その大きな隈が目立つ目を細め。モップで肩をトントンと叩きながら、空いた片手をポケットに突っ込みそこから棒付きのキャンディーを取り出す様子から、残念ながら名々尾には、そんなささやかな講義は全く効果がないようだった。



 「それで、香上。さっきの元気はつらつ君は一体何なんだ? どこのどちらさん?」

 「えっ? ええと…………あれ?」


 あまりにもあっけらかんと、何事もなかったようにオレンジ色のそれを口にくわえ話題変換をはかる名々尾に、李央は直前までの不満感をあっさりとそがれ、慌てて事情を説明をしようとするが……そういえば、自分もまだ相手の名前をはっきりと聞いていなかったような気がする。


 一緒にいた少年には、確か”直”と呼ばれていたが、それが名前なのか苗字なのか、あるいは愛称なのか。

 しばらく頭を悩ませてみたものの、知らないものはどうにもならず。「多分、加羅都度高校の人だと思うんですけど、初対面で名前も聞いてないです」と答えると、「……そうかぁ」と名々尾はちょっと残念そうに呟いた。



 「それより李央ちゃん、その手に持ってるボロボロの紙クズは一体何?」


 すると今度は、いつの間に名々尾からモップを奪ったのか。床に広がる、直が転倒する原因となったそれをゴシゴシとふき取りながら、黒縁眼鏡の青年――千場堕一せんばだいちが、李央が抱えるクシャクシャの物体を指差しながら怪訝な顔で問いかける。


 はて、そんなボロボロの紙クズなんて持っていただろうか……?

 堕一に聞かれたものの、そんなものを所持している記憶がない李央は、不思議に思いながらも視線を下へと移動させるが、そこにあった光景に小さく「あ」と声をあげると、途端にばつの悪そうな顔になった。



 「こ、これは、その、さっきの人の落し物なんですけど。……その、うっかり返しそびれちゃって」


 李央が抱えるそれは、直が転倒した際、拾い集めた数枚のプリント用紙、なのだが。

 先ほど振り子になった時、両腕に強く力を込めたせいで、少し形を崩し……いや、まさに”ボロボロの紙クズ”状態になっていた。


 まぁ、突然の告白に加え、あんな風に亮太に引きずられては、返すタイミングを見失っても仕方はないが。

 他人の落としものをこんな風にしてしまい、とりあえず手で必死にシワを伸ばしてみる李央に、高い位置からぬぅーっと名々尾の手が伸び、それらを全てすくい上げる。



 「あっ、ちょっとなーさん! 何するんですかー!!」


 慌てて李央は、名々尾の手から奪い返そうとするが、身長差があるため、こんな風に真っ直ぐ腕を伸ばされてはジャンプしても届かない。名々尾は、そのまま少し誇らしげにくるりと半回転すると、李央に背を向け、手に入れたクシャクシャのプリントを表に返す。


 そこには、少し丸みのかかった書体で”1年B組19番 芳田直”と書かれてあった。



 「なになに、1年B組19番……よしだ、……えー、…………ちょく?」

 「なお、じゃないですか。さっき友達っぽい子にそう呼ばれてたし」

 「おぉ」


 いつの間にか横から覗きこんでいた堕一の言葉に大きく頷きながら、名々尾がそこから更に視線を流せば、”18点”の文字が赤々と輝いていて。直が落とした数枚のプリント用紙は、どうやら全てテストの答案用紙だったらしい。

 その数字から何かを察した名々尾は、そのまま残りの答案用紙も全て扇のように広げてみせる。



 「……………………あー」


 ……そこに並ぶものは、やはり名々尾の想像を裏切らず。

 左から、先ほどの数学18点、英語21点、物理16点、生物14点、古文31点……と、ほぼ真っ赤っ赤の見るも無残な数字の羅列であり、何ともコメントしずらい。



 「……まぁ、あれだな。加羅都度の学力レベルが、俺が通ってた頃と大して変わってなくて一安心だな、うん。

 それより香上、さっきの告白、返事はどうするんだー? 放ったらかしは可哀想だぞー?」


 「それは、なーさんのレベルであって、椿さんとか摩利夜ちゃんは、普通に成績良かったと思いますけど……。

 って、あ。でもこれ5枚全部合わせると100点じゃないですか」


 とりあえずこの微妙な空気をどうにかしようと、うんうんと頷きながら、何事もなかったように名々尾は再び話題変換をはかり。

 一方、堕一はその隣で表情一つ変えず、始終落ち着いた様子で答案用紙を眺めながら、名々尾に一応のツッコミを入れ。それとなく5枚全ての点数を加算した結果、導き出された偶然の大発見に珍しく感嘆の声をあげているが。


 ……ん? あれ、そういえば……?

 そんな2人の後ろ姿を、プリント用紙を奪われた李央は、ぷくーっと頬を膨らませたまま、じっと眺めていたのだが。

 再び名々尾に告白の件を振られ、はたとある事に気付くと、さっと顔を青ざめさせ、両手をばたばたと振るいながら、大慌てで堕一の正面へと周り込んだ。



 「あ、あの、先輩! さっきのは、違いますから!! さっきのはすぐ断るつもりだったんですよ、本当ですっ!!」

 「……えっ?」


 意識が完全に答案用紙に集中していた堕一は、突然、李央に詰め寄られ、驚いたように顔を上げる。そして、そこにあった医者もびっくりなくらい青ざめた顔で、見るからに大慌て状態の李央に更に驚く。一体何事だろうか?



 「た、確かにその、あまりに突然だったので、ちょっと驚きはしましたけど……。でも私は、さっきの人のことなんて、全然何とも思ってなくてですね……」


 「う、うん……?」


 もちろん李央は、あの告白をはっきりその場で断るつもりでいたが。亮太の絶叫に邪魔をされ、更にそのまま引きずられていったため、結果として返事保留という形になってしまったのだ。

 名々尾に再び先の一件を振られ、そのことを思い出した李央は、まさかそのせいで『ひょっとしたらあいつに気があるんじゃないか?』とか、あらぬ誤解を与えていたら非常に困ると、ずいずいと更に堕一へ詰め寄る。



 「だ、だから、今度あの人に会ったら、私、ちゃんと断わ……」


 「……あぁ! でもまぁ、別に急いで返事しなくてもいいと思うよ。そんなに悪い子には見えなかったし、しばらく話してる間に仲良くなれるかも知れないし。……なんなら、せっかくだしためしに付き合ってみれば? 意外と上手く行くかも――」



 ――グサッ!!


 ……あれ?

 李央の話を聞きながら、どうやら告白の返事を保留にしてしまったことを申し訳なく思っているらしいと気付いた堕一は、とりあえず安心させてあげようとの思いで今の発言を口にしたのだが……。とても身近なところで、何かとてつもなく巨大で鋭利なものが突き刺さった音が聞こえた気がして、先の言葉を詰まらせる。


 ……しかし、多分気のせいだったのだろう。自分が見る限り、すぐ目の前にいる李央にも、特に異常は見られない。……こころなしか、周囲の気温と空気が急激に落ち込んだ気はするが。



 「それじゃ、俺は、モップとバケツを返してくるんで」


 そしてそのまま、一通りの会話とフォローを終えたと判断した堕一は、いつの間に自分たちから離れたのか、数メートル向こうで電信柱のように存在感を消し佇む名々尾にそう告げると、カラフルなモップとバケツを手に駅ビルの一角へと足早に消えていった。


 残された李央は、その背に巨大なギロチンの刃を突き立てたまま、その後ろ姿を追うように右手を前に伸ばすが、……結局何をどうすることも出来ず、そのまま見送る。



 「……あーしかし、突然転んだ見ず知らずの人を介抱するなんて、香上は親切だな。将来、きっと良い嫁さんになるぞ」

 「……というか。それは、あの人がなーさんのこぼしたジュースに滑って転んだからなんですけど……」


 うんうんと頷きながら、この話を少しでもポジティブなほうへ持っていこうと画策する名々尾だったが。

 暗く深く沈んだ瞳から、ぼたぼたとついには大量の涙を流し始めた李央に、じぃーっと恨みの混じった目で睨まれ、どうやら事の原因は自分らしいことを悟ると、「……ひょー」と口笛の真似事でさっとその視線をそらした。


 ……そう確かに。

 目の前で人が転べば、それがたとえ見ず知らずの人物であっても李央は助けに入っただろうが。先のほどに関してだけは、少しだけ事情が違う。


 李央が行かなくても、すぐ近くにいた友達らしきあの少年が何かしらの行動を見せてくれただろうし、実際、亮太は転んだ直に駆け寄ろうとしていた。だが、掃除用具を取りに行った名々尾たちの帰りを待っていた李央は、名々尾が原因のそれで転んだ直に咄嗟に罪悪感が芽生え。そう思った瞬間には足が動いてしまっていたのだ。


 もしも名々尾が『今日は、ジュースの3種類同時飲みなんてやってみるか』とか、意味不明なことさえしなければ、直が滑って転ぶこともなく、李央がそれを助けに入ることもなく、その先の展開もなかったに違いない。



 (うううう……、それにしてもまさか先輩に交際を勧められるだなんて)


 先ほどの口ぶりを見る限り、いつものフォローになっていないフォローのようにも感じられて、果たして本心かどうかは謎であるが。しかしあまりよろしい状況ではないことは分かる。


 ……もっとも、李央と堕一は決して特別な関係などではなく、只の先輩後輩という関係だけなのだから。

 李央が誰に告白されようが、その返事をどう答えようが、それを堕一がどう考えようが。世間一般的には、それをとやかく言う筋合いは一切ないのだが。



 (私が好きなのは、4年前からずっと先輩だけなんですよ~っ!)


 今頃、清掃係りの人にモップとバケツを返却している頃だろうか……。

 堕一が消えた方向を見つめながら、心の中でそう叫ぶと、李央はガックシと意気消沈する。


 そんな李央に、名々尾は、そろそろと横歩きで近付き……。



 「まぁ、青春は万歳ってことで。これでも食べて元気出せ」


 白衣のポケットから棒付きのフルーツキャンディを取り出すと、垂れ下がった李央の頭にそっと乗せた。







□  □  □  □  □  □  □  □  □  □  □






 (……やっぱ、まずかったかな)


 李央の言葉を遮った瞬間、内心、亮太はそう思っていたのだが。

 しかし李央の様子を傍から見ていて、その”答え”を早々に予感してしまった亮太は、つい李央の言葉を遮断してしまったのだ。


 だって、まず普通に考えて。

 『お気持ちは嬉しいんですけど……』の後に、『私も好きです』とか『私でよければ……』なんて好意的な返事が続くなんて絶対に考えらない。

 直前の、あの振り子のような動作が、どういった感情を表していたのかはいまいち分からないが、つまりあのまま放置していれば確実に、ほぼ十中八九、直はフラれていたに違いないのだ。


 直は、気分の切り替えが早いというのが1つの長所だが、同時に感情の浮き沈みが非常に激しいという短所も持っている。それも他人を巻き込む行動に出るから厄介なのだ。

 舞いあがる時は、歓喜のあまり突然見ず知らずの他人に抱きついたり、手を取ってくるくると回り出したり。反対に沈む時は、地面に寝転びシクシクと泣き続けたこともあった。まったくもって迷惑この上ない。


 しかもあの時いた場所は、ここ加羅都度で最も多くの人が集まる加羅都度駅で。更に突然の告白劇のおかげで自分たちはかなりの注目を浴びていた。

 あそこで、フラれて落ち込んだ直が何かしでかしたら、……想像するだけで恐ろしい。絶対、自分まで妙な目で見られる。あぁあ嫌だ、とてもじゃないが耐えられない!


 そんなことを瞬時に悟った亮太は、気付いた時には、すでに李央の言葉を遮った後だった。……もちろん、重大な用事なんてあるわけもない。



 「あぁ、疲れた……」


 思わず本音がそのまま漏れる。



 ここは、加羅都度駅を出て、西へ数分歩いたところにある”喫茶verde mareヴェルデ・マーレ

 イタリア語で”緑の海”を意味するそのメルヘンチックな喫茶店の窓際の席に、くたびれた様子でソファーに深く腰を下ろし、一目見て”疲れた”と分かる亮太の姿があった。


 あの後、告白の返事も聞けぬまま李央の前から引きずり出された直は、すっかりへそを曲げてしまい、『まだ返事聞いてなかったのに亮太のバカ』とか『お前こそあんなとこで告白すんなバカ』とか『なんで邪魔するんだよ亮太のバカ』とか『少しは他人の目を気にしろこのバカ』とか、……しばらくの間、口論になっていたのだが。


 最終的に亮太が折れ『じゃあ、何かおごるからそれでいいだろ!!』『分かった、それで全部水に流す!!』……とやけにあっさり解決し、今に至る。



 「はぁ……」


 再び大きなため息の後、ぐったりと疲れ果てた目で向かいの席を見れば、ふんふん~♪と嬉しそうにメニューを開く直の姿がある。



 (こ、こいつ、オレがおごるって言った瞬間、ころっと態度変えやがって……!)


 ……というか、告白ってこんなにもあっさりと簡単なものだっただろうか。

 告白するというのは、もっとこう大変な勇気とガッツが必要で、あと綿密な計画も必要で。それから、それを実行に移すまでの決意の時間が、きわめて膨大にかかるもので……?


 まるで先ほどのことなど、頭の隅にも残っていなさそうな直に、亮太は少々イライラを募らせながらも、疑問に頭を悩ませ、ずるずると更に深くソファーに埋もれそうになる。



 「ふふふ、相変わらず仲が良いのね。こんにちは、お2人さん。ご注文はお決まりですか?」


 すると、グリーンのロングフレアスカートに白のサロペットエプロンを纏った1人のウエイトレスが、クスクスと笑いながらテーブルへ近付いてきた。それに気付くと、亮太は慌ててソファーに座りなおし背筋をピンと伸ばす。



 「あ、あ、あ、綾香あやかさん。……え、ええと、オレはホットコーヒーだけで」

 「はい、亮太君はホットコーヒーね。直君は?」


 「オレは亮太のおごりで財布にとても余裕があるので、この”メガ白玉あんみつ”でお願いします!」

 「って、お前まだ食うのかよ!?」


 しかも、”メガ白玉あんみつ”と言えば、テニスボールほどの巨大な白玉が売りの、この喫茶店の名物ドデカメニューの1つだ。ついさっき抹茶アイスを2つも(内1つは途中で無残な最期を遂げたが)食べたばかりだというのに。


 しかし亮太が止める間もなく、笑顔でVサインをして見せる直に、同じく綾香も「了解」とVサインで答えると、そのまま厨房へとくるりと踵を返す。

 ……すると、シンプルなデザインだが細部に小さな花柄のレースが編み込まれたフレアスカートがふわりと舞って。

 お世辞でなく、ヴェルデ・マーレの制服を着た綾香のウエイトレス姿は、後ろ姿だけでもとてもよく似合っていて。


 亮太は、そんな綾香の後ろ姿をぼーっとした顔で見つめながら……ふと不思議そうな顔でこちらをじーっと見る直の視線に気付くと、「ゲ、ゲホン」と咳払いの後、何事もなかったかのように姿勢を前に戻した。……いかん、ついうっかり魅入ってしまっていた。何か適当に会話を……。


 ―――その時。


 カランカランという音が響き、喫茶店の扉が開いた。その音に、直は亮太から視線を外しそのまま入口のほうへ向け。……次の瞬間、全身をギクリと強張らせる。

 扉へ背を向ける形で座っている亮太には、今、来客した人物の姿は一切見えない。だが、直のその反応でピンと来た。多分、この反応は間違いなく……。



 「あれ、君たちまた来てたんだ。一体何がそんなに好きで、しょっちゅうここに来るのかなぁ? ……ねぇ、杉原君?」

 「い、いや、あははははは……」


 紺地に赤いスカーフが特徴の加羅都度高校のセーラー服に、きっちりと揃えられた前髪。それから、抑揚のないようでどこか鋭い確信を秘めた喋り方。……思った通り、同じクラスでクラス委員長の日野友香だ。


 店内に入るなり、その視界に直と亮太を捕えた友香は、妙に不敵な笑みを浮かべながら近付いてきて。それと同時に、直は視線をめいいっぱい友香から避けながら、そろそろとソファーの隅へと移動する。



 「あら友香お帰り、早かったのね~! 今日は、あずさちゃんはいないの? それに最近、詩織ちゃんのこと全然見ないけど……?」


 来客を告げるベルに、綾香がパタパタと大慌てで厨房から駆けだしてくるが、それが友香だと分かるとピタリと急停止。乱れたエプロンと直しながら笑顔で友香に笑いかける。



 「今日は、昼休みの後すぐ掃除で終わりだったしね。なら、昼休みの分繰り上げて早く帰せよって話しだけど。

 ……ちなみに詩織は、最近、音楽祭の練習で忙しくて。それからあずさは、今晩、音楽室まで怪談を確かめに行かなくちゃならないからその準備で大変なのよ。……ね、芳田君」


 「ひいぃ!? 委員長、オレは何も知りません!!」


 ちなみに直はというと、今しがたこっそり移動したソファーの隅から、今度はテーブルの下へと芋虫のようにうねうねと体を滑り込ませようとしていたところだったが。友香に突然名前を呼ばれ、即座にソファーに座り直す。きっちりと正座で。



 「ふぅーん、詩織ちゃんもあずさちゃんも大変なのね。それじゃ私、仕事に戻るから」

 「あ、あたしも手伝うわ。っていうか、お姉ちゃんこそ大学は?」


 「ありがとー。私も午後休講になって今日は早めに終わったの。……ええと、それじゃあ友香には、あれしてもらって、これしてもらってー」


 詩織のことはともかく、”音楽室まで怪談を確かめに行く”というあずさの珍妙な事情までをも、何の疑問も持たずあっさりと納得し、いそいそと仕事に戻るド天然な姉とそれを追う妙に鋭い勘を持つ妹。



 (……綾香さん。仕事熱心だし、ちょっと天然の混じったところは可愛いんだけど……あまり物事を深く考えないというか、言葉の表面しか受け取らないというか)


 亮太は、そんな仲睦ましい姉妹の姿を眺めながら。頭の中で過去、綾香に言ったであろう、綾香にとっては日常会話だが、亮太にとっては出来れば忘れ去りたい言葉の数々を思い出し……。恥ずかしさのあまり心の中で絶叫を上げると両手でぶんぶんとそれらを消し去った。


 そして、はぁっと一息ついた後、友香の姿が完全に厨房へ消えてもなお正座でガタガタと震える直を見て、先程の駅での一件を思い出す。

 あの時は、出会った瞬間に一目ぼれでそのまま告白なんて、順番も色々通り越してるし、あまりにも唐突過ぎて一体何を考えてるんだこのバカはと思ったが。



 (……それでも、かれこれ知り合って4年。こうやっていつまでも曖昧なまま、ハッキリと告白出来ないオレよりはマシか……)


 後ろのソファーに大きくもたれかかると、亮太は、本日何度目かになる大きく深いため息を吐き出すのだった。

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