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02:前奏曲-演奏者-

 そんな経緯があり。

 女子生徒――藤間あずさ(とうまあずさ)の姿は現在、加羅都度高校旧校舎3階の廊下にある。


 クラスメイトであり親友でもある詩織にかけられた、”幽霊”という、実に不愉快極まりない疑惑を晴らすため、彼女はこうして深夜の旧校舎を訪れたわけなのだが…………まさか本当に、ピアノが鳴るとは思わなかった。




 約30分前。


 自宅で夕飯を済ませたあずさは、防寒用のコートをしっかりと羽織ると、まるで遠足にでも行くかのような軽い足取りで、10時少し前に再び学校を訪れた。そして用意してあった友香考案の適当な理由で宿直の先生からカギを借りると、それを使いセキュリティのかかった旧校舎の正面扉を堂々と開き。そのまま悠々とした足取りで目的地である3階の音楽室を目指した、つもりだったのだが……。


 音もなく静まり返る、自分以外誰の姿もないそこは、日中とは異なり不気味なほどただ静かで暗く。

 1歩足を踏み入れただけで、ぞわりと、だけども生温かい感覚があずさの足先から全身を伝わった。


 この旧校舎を訪れるのは、もちろんあずさは初めてではなく。

 寧ろ、つい先日まで吹奏楽部員であったあずさは、部室である3階の音楽室を毎日のように利用していた。あずさにとってこの旧校舎は、学校の中でも教室の次に身近なところと言ってもいい場所だったのだが。


 ……それなのに、訪れる時間がただ深夜というだけで、こんなにも不安に、不気味に感じるなんて。

 僅かな光源を求め不安な面持ちで天井を見上てみれば、非常用のぼんやりとした苔色が辺りを不気味に浮かび上がらせているだけだった。


 生徒会に所属しており、仕事や雑務で夜遅くまで学校に残ることも多い友香によれば、この旧校舎に設置される各照明器具は、先年の工事で人を感知すると自動的に灯りが付くスーパーハイテク仕様に変わったとのことだったが……いつまで待っても辺りは闇に包まれたまま、一向にその気配はない。

 せめてこの得体の知れない空間の中、天井のわずかな照明だけでも、自分の行く先を照らしてくれれば、気持ちも周囲も少しは明るくなるだろうに。こんな時に何かの不具合だろうか。


 あずさは諦めたように軽くため息を付き。非常用にと持たされた懐中電灯にスイッチを入れると、それを右手に持ち、まずは2階へと続く階段へ慎重に足をかけたのだった。


 ……そして、その直後。上がり始めた階段の1段目。

 あずさは、何かぐにゃりとしたものを踏みつけ、それにより3階までの階段を全速力でかけ上がることとなり。そして、ようやく3階の廊下へたどり着いたと思ったその矢先、突如廊下にピアノの音が鳴り響くという止めの一撃を受け……まさに心身ともに満身創痍の状態で今に至る。




 「…………なんで私、こんな時間に1人でこんなところにいるんだっけ」


 息も絶え絶えに階段をかけ上がり、突然聞こえたピアノの音に大きく飛び上がり。その後、何度も深く大きな深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着きを取り戻したあずさは、廊下を流れるピアノの音色をたどりながら、思わず自分に自問する。


 確かに、詩織のことを幽霊だなんて、まるでもう死んでしまった人のように噂するクラスメイトたちに、とてつもなく腹が立ったのは事実だが……しかし。


 吐き出す息はこんなにも白いのに、いつの間にかあずさの掌にはべっとりとした嫌な汗がにじんでいて、流れる鼓動は普段よりもずっとそのリズムが早い。おまけに、背中からは何か得体の知れない不気味なモノが這い上がってくるような不安感と、何かがじっと自分を見ているような、そんな視線を感じるような気がしてならないのだ。



 あずさは、幽霊や怪談などといった非科学的な存在や噂は全く信じていない。


 だから今日、詩織のその噂を聞いた時も。怒り半分、あまりにもバカバカしくて、それなら自分が確かめてきてやると、勢いのままつい強気に乗り出して来てしまったのだが……。いざ自分が、このいかにも何か出てきそうな、数々の怪談が彷徨い歩くと噂の深夜の旧校舎に1人ポツリと置かれてみると……。


 ……ひょっとしたら、幽霊や怪談は、本当に実在するのではないだろうか。


 そんな、普段では決してありえない考えが、頭にぼんやりと浮んできて。次いで、あずさの脳裏に先ほど階段での一件が、そのことを予め忠告してくれていた友人の言葉が、再び蘇える。



 『――そうそう、1つアドバイスというか忠告なんだけど。なんでも旧校舎には昔事故で手首を切り落として死んだ生徒がいてね。以来、深夜になると主を無くした手首が持ち主を探して校舎中を這いずり回ってるらしいわよ。……だから音楽室に行く途中、うっかりそれを踏んじゃわないよう気を付けてね』



 ……先ほど、ここを訪れてすぐ、旧校舎の1階で。あずさは2階へと続く階段を上がろうと右足をかけた時、その足で確実に階段ではない何かを、踏んだ。


 それが一体何なのか。何となく、いや、絶対にそれを見てはならないと直感したあずさは、決して視線を下ろすことなく、右足で踏みつけたままのそれを2、3度ぐいぐいと押して確かめてみた。すると、それはそこそこ弾力があって、硬すぎず軟らかすぎず、大きさは多分ちょうど人の手ぐらい。もっと言えば、以前うっかりクラスメイトの手を踏んでしまった時の感触に、そっくりだった。


 もちろん、日頃からそういう類をバカバカしいと吐き捨てるあずさは、その事故も切り落とされた手首の話も断じて信じてなどいない。

 それに、『それじゃ明日、朗報を期待してるからー!』と、別れ際、妙にニヤニヤと、にこやかな笑顔で手を振り去っていった友香の様子を見る限り、それは決してアドバイスでも忠告でもなく、単なる嫌がらせの作り話に違いないとあずさは確信していたのだが。


 仮にそれが、過去本当にあった話だとしたら。……今、自分の足の下にあるものは……、まさか……ひょっとして……。


 そう考えた時、つぅーっと一筋の冷たい汗があずさの背をつたい、次の瞬間、あずさは全速力で階段をかけ上がっていた。

 今、自分が踏んだ何かや友香から聞いた話、手首も怪談も、頭の中に浮かぶ全てのものを少しでも早く頭の中から追い払えるように。ただひたすら心の中で絶叫をあげながら――……。




 相変わらず廊下を流れ続けるピアノの音色を聞きながら。あずさは、そんな思い出したくもない一件を思い出し、思わず身震いをすると、慌てて頭を左右に振りすぐにそれを振り払う。


 バカバカしい。あれは怪談好きの友香が考えた出鱈目の作り話に決まってるじゃないか。踏み付けたあれも……恐らくゴミか何か、ひょっとしたら放課後、掃除の時、誰かがあそこに雑巾でも置き忘れたのかもしれない。あれが切り落とされて学校を徘徊していた手首だなんてことは絶対にない。……………………多分。



 そんなことを考えているうちに、あずさの視界に白いプラスチック製のプレートが映る。懐中電灯の頼りない灯りを照らせば、”資料室”の3文字が浮かび上がる。嫌な回想をしている間に、いつの間にか廊下の最奥までたどり着いていたらしい。


 目的の音楽室は、資料室のすぐ真隣にある。音楽室の怪談や詩織の幽霊、真相は、きっともうすぐそこだろう。







□  □  □  □  □  □  □  □  □  □  □






 「………………よし」



 両手で頬を軽くパチンと叩き、小さく気合を入れると、あずさは資料室の前で一度足を止め、表面をザラザラとなだらかな肌触りのガラスの扉にぴたりと背を付ける。耳を澄まし、すぐ隣にある音楽室の様子を伺えば、ピアノの音がより鮮明に耳へと届く。


 ……こんな時間に学校の音楽室でピアノを弾いているなんて、一体何ものだろう?


 ”誰もいないはずの音楽室から深夜ピアノの音が聞こえてくる”……なんて、そんな話。

 所詮ただの怪談、よくある作り話で絶対にあり得ないと思っていたが……。今こうしてピアノの音が聞こえている以上、それが噂通り詩織の幽霊なのかはともかく、誰かが中にいることは間違いないのだ。ここまで来て、その正体を、教室の中を確かめもせずにノコノコ帰るわけにはいかない。


 もちろん、あずさだって本音を言えば今すぐ帰りたい。今起こっていることも先ほどのことも、全てが全部夢だったならどんなにいいか。

 けれど、ここに来る途中。あずさは廊下を歩きながら自分の頬を何度も抓り、頭も数回殴っていて、実を言うと今もじりじりとした痛みに耐えていた。……そこまでやっても夢から覚めないのだから、やはりこれは夢でも幻でもなく現実だと受け止め諦めるしかない。


 それにもう、ここに来て30分は経つ。たかだか忘れ物の回収にあまり長い時間をかければ宿直の先生も不審に思うだろう。

 どうせ中を覗けばすぐに分かることだ。……さぁ、確かめよう。この深夜の旧校舎を舞台にピアノ奏でる、演奏者の正体を。



 ……すうっと。

 今夜、ここに来てから1番大きく深い深呼吸をして。あずさは資料室の扉から背を離すと、1歩、2歩と、慎重に足を進める。


 この音楽室は普段、授業や部活で使用する際、外部に音がもれないよう黒い防音カーテンが下がり、外から見るとまるで窓一面を墨で塗りたくったかのように真っ黒になっているのだが、授業や部活が終われば、それらはすべて上に巻きあげられる。こうしてリアルタイムに演奏が聞こえることからも、恐らく今、防音カーテンは下がっていないのだろう。


 誰かが中でピアノを弾いているのなら、廊下側の窓から簡単にその姿を確認できるはずだ。


 1歩、……また1歩。ドクドクと心臓の音が五月蝿い。窓まで僅か数センチのところまで近付けば、まるでピアノが直接頭の中で演奏されているような激しい音が響いた。


 ゴクリと固唾を飲み込んで、あずさは顔を覗かせゆっくりと中の様子を伺った。







 「………………………………、………………?」




 ……誰も、いない?


 やはり防音カーテンは下がっておらず、覗きこんですぐ、あずさは音楽室の中央に鎮座するピアノへと視線を移した。だが、そこには薄暗い教室の中で、僅かな月明かりを浴び黒く鈍く光る大きなグランドピアノがあるだけ。


 生徒会の女子生徒が音楽室を覗いた時、そこにはピアノを弾く詩織の姿があって。そして、その姿がまるで幽霊のように消えてしまったということだったが。

 演奏者が腰を下ろすその黒い皮張りの丸椅子には、始めからからずっとそうであったかのように誰の姿もなく。……つい先ほどまで確かに聞こえていたはずのピアノの音さえも、今は何も聞こえなかった。



 ひょっとして、自分が覗く直前にどこかに隠れたのだろうか?

 あずさは、身を乗り出し両手をガラス窓にぴったりと貼りつけると、教室の右から左へ、天井へ床へとぐるぐる視線を泳がす。


 だが、中央に置かれる黒く大きなピアノ以外、この部屋にはないもないのだ。ピアノを除く全ての楽器は隣の楽器室に保管されており、ただ広い空間が広がるだけの音楽室に人が隠れるような場所などないことは、つい先日までここで部活動に励んでいたあずさが一番良く知っている。

 それこそ本当に、幽霊でもない限り、ここから忽然と姿を消すことなど、出来ないのではないだろうか。


 まさか本当に、この音楽室には幽霊がいて、今日も独り孤独にピアノ弾いていて。あずさが覗いた瞬間、その姿を音と共に消してしまったのだろうか。

 幽霊だなんて、バカバカしくて正直信じられないけれど……、それ以外、今のあずさにはこの状況を説明する理由が、思い浮かばなかった。




 しばらくの間。あずさは、ただ呆然とした表情でピアノを見つめていたが、やがて小さく乾いた笑い零す。


 「……あ、あははははは。ひょっとして、幽霊って本当にいるのかもね。……あはは、はは……」



 ………………帰ろう。


 事実、噂は本当で。確かに誰もいない音楽室からピアノの音が聞こえたけれど、そこで詩織の幽霊を見なかったことも、また事実だ。

 どうして誰もいない音楽室でピアノが鳴ったのか。演奏者は本当に幽霊なのかそれとも他の何かなのか。あずさには何も分からない。けれど、こうして実際あずさは深夜の音楽室を訪れ中の様子もしっかりと確かめたのだ。……明日、今晩のことを説明するにはもう十分だろう。


 乾いた笑いを止め、無言のまま体をゆっくりとガラスから離すと、あずさは踵を返した。









 ………………心臓が、止まるかと思った。


 振り返ったすぐ目の前に、誰かがいた。その顔面は鼻先が触れるほどに近い。

 思わず悲鳴を上げ後ろに飛び退くと、背中に強い衝撃が走りガラスが悲鳴をあげた。予想外の衝撃に、あずさが動けずにいると、黒い人影がまるで廊下を滑るように音もなく近付く。


 霧のように薄い雲の隙間から月がゆっくりと顔を出し、月明かりがその黒い人影に徐々に色を塗っていき。あずさの瞳にその姿をはっきりと映し出した。




 「……………………詩織」


 そこにいたのは、紛れもなく、あずさのクラスメイトであり親友であり幼なじみでもある、山本詩織やまもとしおりの姿だった。


 友香から詩織の幽霊が出ると聞いた時。あずさは内心、演奏会の近い詩織が学校でこっそりとピアノの練習をしているのではないか、そう思っていた。そして、それを目撃した生徒会の女子生徒が、深夜の音楽室に誰もいるはずがないという先入観から、幽霊だと思い込み、見間違えさせたのではないかと。

 だから、たとえもし今晩、音楽室で詩織の姿を見たとしても。いつものように笑いながら突然声をかけて、逆にこちらが驚かせてやろうという密かな企みさえ持っていたのに。……それなのに、こうして親友を目の前にしているのに、言葉が何も、出て来ない。


 ……何故なら、目の前の親友の顔が、まるで人形のように無表情で生命を少しも感じさせなくて。

 そしてなによりも、その姿が半分透けて見えたから。


 あずさは、幽霊を見たことなどただの一度もない。だけど、詩織の姿を通してすぐ後ろの廊下と窓、それらを照らす月まで半分透けて見えるなんて、これじゃあまるで本当に幽霊みたいじゃないか。

 目の前の光景と当惑する気持ちがぐるぐると混ざり合って、あずさは何も言葉に出せない。……動けない。


 すると、そんなあずさの首へと、詩織の白い手がゆらりとのびてきて。彼女の力とはとても思えないような、信じられないような力でその首を締め上げた。


 両手で咄嗟に払いのけようとするものの、その手は虚しく宙をかくだけ。半分透けて見えた親友は本当に透けていて、あずさはその手を払うどころか触れることすら出来ない。


 だが、向こうはこちらに触れられるらしく、あずさの首を締め付ける力は除々に強まっていく。首を絞められているのに、不思議と苦しいという感覚はなく、詩織の白い腕を通して体全体の力が少しずつ吸い取られていくような、そんな感じだった。



 ……やがてあずさの視界はゆっくりと暗くなり。……空中を虚しくもがき続けていた腕がその動きを止めて、あずさは意識を完全に手放した。

 その瞬間、あずさの首から詩織の白い手が離され、あずさの体は廊下の床へと大きく崩れ落ちる。


 意識はないものの、かすかな呼吸音が聞こえることから、どうやら気を失っているだけのようだった。



 そんなあずさの姿を、山本詩織は無言のまま静かに一瞥し。やがてその姿は、廊下の暗闇へ溶け込むように、ゆっくりと消えていった。

 闇夜を漂う雲が月を再び覆い隠し、廊下を瞬く間に黒く染めた。

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