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14:糸瀬木病院にて-1-

 「だから、そんな大した怪我じゃないんです! ちょっとした火傷なんです! お願いします、この通り!!」

 「だーかーらー! 今は緊急会議中で先生方は誰もおられませんと何度も言ってんでしょーが!!」


 観葉植物の緑と白い壁紙が落ち着きと清涼感を醸し出す、まるで高級ホテルのロビーのような静かな受付で、直と女性の荒声が響いていた。


 ここは、加羅都度市中央区にある糸瀬木いとぜき大学病院。

 糸瀬木病院といえば加羅都度二大病院の1つで、その外観も内装も病院とは思えないほど豪奢で煌びやか。院内の床には何と一面カーペットが敷かれていて、見ての通り清掃も行き届き、もちろん埃一つ落ちてはいない。


 常に最新技術を取り入れ、設備も全て一級のものを揃える。働く医師や看護師、清掃員でさえも皆、優秀な成績で名門大学を卒業したエリートばかりという、すべてにおいて最高ランクの大病院である。

 例え同じく二大病院の1つであると謳われる西山病院であっても、糸瀬木と比べられては、ほぼ全てのことが劣るだろう。


 しかし、そんな大病院にも何かしら問題はあった。それは、何かと言うと――。



 「誰もいないって、今だってそこの廊下を医者っぽい人が普通に歩いてるし、後ろで普通に待ってる患者さんもいるではないですかー!!」

 「……っ、そ、それは。たまたま非番の先生が院内を歩かれているだけです。それから、そこにおられる方々は特別です。ですからどうぞお引き取り下さい!」


 直は下げていた頭を勢いよく持ち上げると、納得いかないといった様子で、すぐそこの廊下を歩く白衣姿の男性を指差し、続けて後ろを振り返る。


 直と、受付カウンターの向こう側で声を荒げていた女性――糸瀬木病院の受付嬢である女性の後ろには、一目見てお金持ちだと分かる身なりの老婦人や、ブランドスーツに身を包む女性と彼女の息子であろう同じくブランド物の子供服をしっかりと着こなす10歳くらいの子供。そしてラフな格好にも関わらず、我が物顔でどっかりと腰を下ろし開け放たれた胸元から純金のネックレスを光らせる強面の中年男性など、数人がこれまた見るからに高級なソファーに腰を下ろしていた。


 受付嬢曰く、特別な彼らはここ糸瀬木病院を訪れた患者で、先ほどから自分の番を待っているのだが……。しかし、それなら彼女が先程言った”緊急会議中で医師が全て不在のため診療を受けることができない”の辻褄が合わないではないか。


 仮に医者が全員いないというあり得ない状況を受け入れたとして、なぜ彼らはこうして普通に待っているのに直には帰れなのか。いや、そもそも先ほどの時点で、……訂正。たった今、直の目の前をどう見えても医者にしか見えない人が歩いていった時点で、彼女の言葉は明らかな嘘なのだが。


 ……つまり、遠まわしに直は診療を拒否されているのである。


 糸瀬木病院は、あらゆる面で確かに最高峰と言える病院であるに違いない。しかし驚くべきことに、この病院は”患者”を選ぶ。ある意味、病院とすら呼べない最底辺の病院なのだ。


 簡単に言うと、高い地位や権力を持つ上流階級の人間と一般市民に対する扱いの差。それがもういっそ清々しいほどに違っている。一般の患者も受け入れてはいるが、順番の割り込みは日常茶飯事であるし、受付や診療の応対も決して良くはないのである。


 ましてや直は見るからに平凡そうな高校生。それも名門でもない加羅都度高校の生徒ならば、こうやって特別な患者が複数待ちを強いられている時点で、これ以上余計な手間は省けない。考慮することなく受付で門前払いなのだ。


 そして、更に恐ろしきは患者のほうもそれを受け入れていることだろうか。ロビーに座る誰もが、自分たちは立場が上なのだから優遇されて当たり前。あの高校生はさっきから一体何を喚いているのだろうと言わんばかりに、ずっと直と受付嬢のやり取りを冷ややかな目で傍観していた。



 「病院のくせにケガした人に帰れなんて、なんだよドケチー!!」

 「ド、ドケチ!? い、いい加減にしてください! 大体何なんですか、あなた!」

 「何なんですかって、オレは加羅都度高校1年B君、芳田直です! 今日で1年生は終わりですけど!」

 「誰もそんなこと聞いてねーよ!!」


 最初こそ落ち着き払った丁寧な物腰で追い返そうとしていた受付嬢だったのだが、直のあまりのしつこさに、今ではすっかり冷静さを失っているようだった。


 そもそも、こういった糸瀬木病院の事情は、加羅都度市民ならばほとんど誰もが知り得ていること。一般市民の多くは、よほどのことがない限りこの病院を自ら進んで訪れないのが基本なのだが。普段から多少の怪我は自力で治し風邪も滅多にひかない直はそれを全く知らなかったのである。



 「――確かに、病院が患者を受け入れないなんて大問題ですね」


 その時、直と受付嬢の間でなおも続く押し問答を、声が1つ割って入った。2人の声量に比べれば、まるで囁くような落ち着きのある声。なのに、その声は一瞬にして2人の口論を止めるだけの見えない何かを含んでいた。



 「……あ」

 「……?」


 いかにもマズイといった表情で、突然固まる受付嬢に一体どうしたのかと直が後ろを振り返れば、そこにはいくつかのファイルを抱えた白衣姿の男が1人立っていた。ぱちくりと目を瞬かせる直に軽く一礼した後、男は受付嬢に目線をやり「あなたもそう思いませんか? 浜本はまもとさん」と笑顔を向ける。笑顔とはいっても、目元はちっとも笑っていないのだが。



 「ほ、星嶋ほしじま先生。あの、それは確かに、そう……ですが。その……」


 受付嬢の名前は、どうやら浜本と言うらしい。先程までの威勢はどこへやら、星嶋の姿を目の前にした途端、左右に視線を彷徨わせ小声でそう答える彼女は、すっかり委縮してしまっていて。一介の医師と受付の会話にしては、妙に張りつめた空気が漂っている。この星嶋という医師は、病院内でも立場が上の人物なのだろうか。


 時間にすれば本当に僅か。しかし、ただ横で見ているだけの直にも伝わってくるほどピリピリとした緊張感の中で……結局、ずっと困惑した表情で押し黙ることしか出来なかった浜本に、星嶋は静かに1つ息を吐くと、ゆっくりと直に向かいなおる。



 「芳田直さん仰いましたね。私はこの病院の医師で、星嶋利久ほしじまりくと申します。私でよければ診察させていただきますので、どうぞこちらへ」







□  □  □  □  □  □  □  □  □  □  □






 「申し訳ありません、不愉快な思いをさせてしまって。火傷の方は本当に軽度のようですから、数日の間に自然完治すると思われます。ですが、少しでも異常があればまたすぐお越しください」


 小規模とはいえ天井からぶら下がるシャンデリアに、見事な細工の施された調度品。どう見ても高級ホテルの一室のような豪華な診察室で。星嶋は、診察を終えると革張りの黒い椅子から腰を上げ、向かいの丸椅子に座る直に、深く頭を下げる。



 「えぇっ!? いや、その、こちらこそすみません。こんな軽い火傷なんかで病院に来てしまって、その……」


 あの浜本という受付嬢とのやり取りで腹が立っていたのは事実だが、でもそれはあくまでも浜本個人に対するものであって、星嶋に決して非はない。なのに、深く頭を下げたまま謝罪を続ける星嶋に、直は慌てて椅子から立ち上がると同じく頭を下げる。


 診察室で、向い合い頭を下げ合う医者と患者。事情を知らないものが見れば、これは一体どんな状況なのかと頭を捻るであろう。



 「いえ、どんな些細な怪我であれ、その治療を拒否するなど本来あってはならない事ですから。お恥ずかしい限りです」


 顔を上げると、星嶋は目を伏せながら小さく顔を横に振るうが。……何故か、目の前でペコペコと腰を折り続ける直に気付くと「あ、あの、どうぞ顔を上げて下さい」と慌ててその動きを止めにかかる。ようやく動きを止めた直は、高速でお辞儀を繰り返していたからか若干黒目が泳いでいた。



 「そのー、患者さんもみんな凄そうな人ばっかりでしたけど、なんというか凄い豪華な病院ですね」

 「えぇ、ここは元々は病院ではなくシティホテルだったので。大学病院としてリスタートする際、改装の話もあったのですが、院長の趣味で結局外観も内装もほぼそのままになったんです」

 「へぇ~」


 お互いそれぞれの椅子に腰を下ろすと、星嶋はデスクの上にあるパソコンに何かしら打ち込みながら、直は、キョロキョロと落ち着かない様子で辺りを見回しながら。すでに診察は終わったものの、何となく雑談を交わしていた。


 実を言うと直は病院というものが好きだった。好き、というよりは落ち着く、というのか。

 ただ直は、何度も言うように滅多なことでは風邪もひかない、体調も崩さない、怪我もない超健康体なため、なかなか病院を訪れる機会はないのだが。



 「ちなみに、この病院は医者というより研究者が多いんですよ。かくいう私も、どちらかといえば研究がメインなのですが。……だからかもしれませんね、病院全体が本来、当たり前で最も重要視しなけばならないはずの患者への誠意に著しく欠けているのは。ここにいるのは、目の前の患者よりまだ見ぬ新薬の開発に重きを置いている人ばかりです。でも、研究には莫大な研究費が必要になる。……だから、そのための”資金”を援助してくれる患者には特別丁重な扱いなんですよ。こんな病院にいる私たちは、……私は、果たして本当に医者であるのか。甚だ疑問です」


 まるで他人事のような口調で、キーボードに文字を打ち込みながらそこまで言い切った星嶋はハッとしたように顔を上げた。多分、こんなことまで話すつもりはなかったのだろう。直のほうへ椅子を傾けると「すみません、今のは聞かなかったことにして下さい」と苦笑して見せる。


 それからすぐ星嶋は何か資料を手にすると再びパソコンに向かった。直は独白のような星嶋の言葉を聞き終えた後も、しばらくじっと黙ったままだったが。……やがて、何か言おうとしたのかゆっくりと口を開く。その時だった。コンコン、とノックの音が響いたのは。



 「失礼します。――あら?」


 入って来たのは、薄い青色のナース服に身を包んだ1人の看護師だった。丸椅子に腰かける直に気付くと、驚いたように目を瞬かせる。外見は日本人に近く見えるのだが、目の覚めるような青い瞳の、いかにも看護師といった清廉で知的な雰囲気を纏った若い女だった。直に軽く会釈をすると、彼女は奥の星嶋に向かい声をかける。



 「申し訳ありません。休憩の時間でしたから、てっきりお一人でいるとばかり……」

 「えぇー!?」


 大声を上げたのは、何故か直だった。まるで大地震でも起こったような慌てぶりで立ち上がり。かと思えば、しゃがみ込み、椅子の横に器用に積み重ねていた大量の荷物に手をかける。

 ちなみに、先ほど学校の裏庭で盛大にばら撒いたこの荷物。病院までの道のりは直1人で必死にバランスを取り持ち運んでいたのだが、受付からは星嶋に半分ほど持つのを手伝ってもらっていた。本当に何から何まですみません。



 「まさか休憩中だったなんて! すみません、オレはもう帰りますので!!」


 「…………あの。よければ、そこの段ボール使いますか?」

 「いいんですか! すいません、本当にありがとうございます!!」


 両手で荷持つを器用に抱き上げ立ち上がった直だが、途端ぐらぐらと揺れはじめる天辺に乗せられたトウモロコシ型の直のペンケース。初めはただ黙って眺めていた星嶋だが、誰もが簡単に予測が付くであろうその顛末を彼もまた予測したのだろうか、ささやかな助力の手を差し伸べた。もちろん直は、有難くそれを受ける。


 星嶋の診察室には、大量の本や資料らしき紙束、いくつかの段ボールが転がっていた。「散らかっていてすみません」と彼は申し訳なさそうにしていたが、本の背表紙は種類別にきちんと揃っているし紙の山もどれも同じ高さに積み重ねてある。段ボールは蓋をきっちりと閉めた状態で部屋の隅に寄せてあった。


 確かに物は多いが、十分、整理整頓されているだろう。

 ……どうでもいいものが無駄に転がる、誰かさんの部屋と比べれば。



 「それじゃあ、ありがとうございました!」


 空の段ボールを1つ譲ってもらい随分持ち運びやすくなったそれを抱えると、直は診察室の出口まで向かう。しかし両手がふさがっていて扉を開くことが出来ない。どうしたものかと考えていると、「……開けて差し上げてください」と、やや語尾が強く感じる星嶋の一言。すると、扉横で控えていた先ほどの看護師がはっとした様子で慌てて扉を開けてくれた。


 直はそれに軽く頭を下げ感謝を伝えると、そのまま扉をくぐり抜ける。……そこで、ふと思い出したように立ち止まった。くるりと回転すると、椅子に腰かける星嶋の目を真っ直ぐに見つめ。



 「……あの、オレ難しいことはよく分からないんですけど。でも、あなたは凄く良い人で、凄く良いお医者さんだと思います!」


 そのままペコリと頭を下げると、直はそのまま診察室の前からぴょんと飛ぶように姿を消す。しばらくして、「ちょっとそこの人、病院の廊下は走らないで下さい!」との怒声が星嶋の視察室にまで響いてきた。


 ……クスリと笑いをこぼすと、看護師は静かに扉を閉める。ふいに、彼女を纏う空気が、それまでとはガラリと変わったように見えた。



 「随分、元気のいい方でしたけど。先生のお知り合いの方ですか?」

 「いいえ。芳田さんと言って今日が初対面の方ですよ。……でも、少し元気を分けて貰ったかもしれません」

 「まぁ!」


 扉横のデスクに腰を下ろし足を組みながら、驚いたように青い目を見開くと看護師の女は両手で口元を覆ってみせるが。さっきも、今も、それが全て彼女の芝居であることを分かっている星嶋は、口元に携えていた僅かな笑みを静かに消すと、「どうでもいいですが、その意地の悪い性格は改めるべきだと思いますよ」と、パソコンに向かいキーボードを叩きはじめる。


 直は全く気付いていなかったが、先ほど扉の件で星嶋に指摘された時の慌てぶり。あれは、実は全て彼女の演技だった。恐らく直が扉の前で立ち往生している時も、気付いていながらわざと放置して内心嗤っていたに違いない。



 「クスクス。何のことだか私はさっぱり分かりかねますが。……ところで、例の件はその後いかがです?」

 「その点はご心配なく。少しずつですが、研究は確実に進んでいますよ」


 星嶋は一切の視線を合わせることなく作業の合間に淡々と答える。まるで『話はそれだけでしょうか。ならばこれでお引き取りを』そう言わんばかりだった。看護師の女は静かに笑うとデスクから降り立ち星嶋に一礼する。顔を上げた時には、彼女を纏う空気は再び、清廉知的で控え目なものになっていた。



 「それでは、私はこれで失礼いたします。ご休憩中の楽しいご歓談のところお邪魔して申し訳ありませんでした。星嶋先生」

 「いいえ。こちらこそお忙しいところ、わざわざお越し頂いたのに大したおもてなしも出来ずにすみません、ミレ……失礼、今は”湯咲さん”でしたね」


  その言葉に、湯咲と呼ばれた看護師は青い目を細めると、ほくそ笑むように笑って見せる。



 「ええ、今の私は一応、看護師ですから。それでは失礼いたします」

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