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10:続・西山第三病院-1-

 地面に落ちた黒い絵の具が紅い夕日に照らされ細く長く伸びる頃。


 加羅都度市西区にある杉原ラーメン店は、今日もお馴染みの客たちで早くも店の半分の席が埋まり、ずるずると熱々のラーメンを啜る音と野球中継の音が店中を湧かしていた。天井隅の小さな四角いテレビから小気味良い金属音が響く度に歓声が上がっている。


 しかしそんな杉原ラーメン店で、今日は普段と違うことが1つ。いつもならその間を縫うように勢いよく飛び交う黄金魔球――もとい、黄色いおしぼりが一度も飛んでいないことだった。なぜなら今日はそんな余裕が一切なく、その行為を咎める人物がいないから。



 「おぉーい!! ラーメン一丁上がったぞー!! な~お~~~!!」

 「……ええと、じゃあ注文は以上で……、はい、はーい、聞こえてまーすーよー!!」


 飲み残しのグラスが乗ったおぼんを片手に空いた手でテーブルを磨きながら、同時に頭に注文を書き留めながら。直は厨房から投げられた声に体ごとひねり慌てて返事を返す。その拍子にグラスが1つ傾いた。それをギリギリのところで受け止める。


 危ない、危ない。この店では食器やグラスを割ると、その日の晩ご飯のおかずを1品抜かれるという直にとってはバイト代を引かれるよりも苦しいペナルティーが待っているのだ。(ちなみに、晩ご飯がもしラーメン1品だけだったら具が取り除かれる)



 「おじさーん。島崎しまざきさんは、いつものラーメンと餃子だって。それから3番テーブルさんが、ラーメン2つと餃子1つ~……」


 直が厨房へ入ると、善治はラーメンの水切りしながらフライパンで器用に餃子を返していた。その合間にスープの入った大鍋のチェックも忘れていない。一切の無駄なく手慣れた様子で1人厨房に立つ善治の姿には、いつもながら感嘆のため息が漏れる。

 ……が、しかし。それ以上に油の弾ける音と、とんこつベースのラーメンスープの匂いが小腹の減った胃袋の底まで入り込み、直の食欲はこれでもかというほど刺激されていた。……ううぅ、おなか減ったなぁ。



 「こら直、腹が減ったのは分かるけど、つまみ食いはするなよ」


 ギクリ。どうやら自分の空腹事情がそのまま顔に出ていたらしい。善治はたれ目がちな目を思いっきり吊り上げ厳しい口調で直に一喝する。以前、直は空腹の余り冷蔵庫に保管されていたネギにかじりついていたことがあったのだが(本人は無意識だと言っていたが)またそんなことがあっては困るからだろう。


 ところが、善治は手元の紙に注文をメモし終えると「ほれ、焼きでちょっと失敗したやつだ」と、脇に置いてあった小皿を直に差し出す。


 皿の上には、ほこほこと美味しそうな湯気を立てている餃子が4個。失敗と言いながら、どれもいい焼き具合だった。直と目が合うと善治はキラリと光る歯を覗かせ、軽く親指を立てるとそのまま背を向け作業に戻った。つまりは、これでも食べて少し腹ごしらえしろということだ。



 「おじさ~ん、ありがとう」


 善治の心遣いに、直はうるうると瞳を潤ませながら感謝の言葉を口にすると、早速餃子を1つ口に放り込む。

 ――熱っ!?





 「……それにしても、亮太のやつは一体どこで何やってんだ? 全く、あの不良息子め」


 結局それから、注文を伝えるため厨房に寄る度に直は餃子を1個ずつ頂戴していた。おかげでお腹を減らせることなく、接客も厨房とのやり取りもその他の雑務も何なくこなせていたのだが――。


 夜の7時を過ぎても、いまだ亮太の姿は店になく。

 正確にいえば、直は学校が終わり中央区の中央交差点で別れて以来、亮太の姿を見ていない。善治によれば今日はまだ店にも一度も顔を見せていないということだから、つまり学校が終わってからの足取りが全く分からないのだ。


 待ち合わせ時間もきっちり時間厳守どころか15分前行動の亮太だ。普段なら、バイトの時間が始まる夕方5時にはすでに帰宅し店で手伝いを始めているはずなのに。



 (こういう時に、マイ携帯電話があれば便利なのになぁ~。えーと、090、090……)


 直は、先ほどからバイトの仕事をこなしながら、暇を見つけては厨房に設置された、今はもう珍しい黒のダイヤル式電話の受話器を片手に必死にある数字を思い出していた。亮太の携帯電話の番号だ。だけど、どうしても最初の『090』までしか思い出せない。ちなみに善治にも訊いてみたが、両手を腰に当て自身満々に『090までは覚えてるんだけどな!』だった。


 しかしこんな時もあろうかと、直は以前、亮太から番号の書かれたメモを渡されていた。だけど、今度はそのメモの行方が思い出せない。机の引き出しにしまい込んだような、飛行機にして飛ばしてしまったような、それとも本の栞に使ったんだっけ……?

 全く、これでは本末転倒である。


 手が空いた今のうちに皿洗いでもやっておくかと、直は己の記憶力レベルの低さに頭を垂らしながら、のろのろと流し台へ足を向けた。


 その時、あっと声が上がる。声のしたほうを見ると、おたまを片手にまるでビデオの早回しのようにカウカクとぎこちなく忙しく厨房を歩き回り意味もなく鍋の蓋を開け閉めしているラーメン屋の主の姿。一体どうしたんだろう、何やらブツブツと妙な呟きも聞こえてくる。



 「おじさん、どうしたの?」


 ちょっと不気味に思いながら、尋ねてみる。すると善治はビデオの停止ボタンを押した時のようにピタリと動きを止めた。ギ、ギギ、とぎこちなく首だけを回しこちらを見る善治はまるでホラー映画のゾンビのようで。いつものような覇気もなく生気もなく、こころなしか目も虚ろに見える。



 「……おぉ~、直か。いや実は出前の注文が来てたのをすっかり忘れててな。どうしよう、7時半に頼まれてたのにあと15分しかない」

 「あぁー、そういえば!」


 杉原ラーメン店は、夕方5時から閉店1時間前の深夜10時の間だけ出前を受け付けている。普段は善治1人しかいないが、その時間帯なら亮太と直が店の手伝いに入るからだ。

 そして出前に関しては、いつも亮太が管理している。しかし今日はその亮太がいない。それで、うっかり忘れてしまったのだろう。かくいう直もたった今、思い出したところだ。


 善治は大きく肩で息を吐き出しながら「駄目だな俺は……」と彼にしては珍しく自虐的な言葉とともにずるずると壁に寄りかかる。一見すると普段通りに見えるが善治だが、やはり亮太のことが心のどこかにひっかかっているに違いない。何といっても一人息子だ。本当は心配で気になって仕方ないのだろう。


 ……もしも。自分が行方知れずになったとして。こんな風に誰か心配してくれる人がいるだろうか。



 「……おじさん、ならオレが出前に行ってくるよ。大丈夫、オレは亮太みたいに補助輪付けなくても自転車乗れるし、パーっと行ってパパーっと戻ってくるから!」


 一任しているとはいえ、超運動オンチと言ってもいい亮太は自転車の運転すら怪しく、いつも出前の注文を届けるのは善治の仕事だった。そして亮太は、その間だけ店長の代わりを務めている。ハッキリと確認したことはないが、多分、亮太は将来このラーメン店を継ぐ気なのだろう。だから、とりあえず今は、善治が出前の間だけ厨房の修業中というわけだ。


 直の申し出に、善治は少しだけ何か考えるそぶりを見せた後、ポンと直の肩を叩き「そうか、じゃあ頼んだぞ」と早速、出前用のラーメンに取りかかった。その間に、直は出来る限り店の用事を片付けた。頃合いをみて厨房に戻り、白いウサギのキーホルダーが目印の出前用自転車のカギを手にとる。……あれ、そういえば。



 「そういや、おじさん。出前先ってどこだっけ?」

 「あぁ、そういや言ってなかったな。お得意さんなんだけど、ちょっと変わった場所でなぁ。何でも、病院だけど幽霊を研究してるとか何とか……ええと、ほれ、ここだ」


 善治は器一杯のスープの上に流れるような動作でメンマを盛り付けると、壁に貼り付けてあった注文用のメモ――お得意先にも関わらず毎回住所まできっちり書かれてある亮太の出前メモ、を外しそれを直に差し出す。そこには、こう書かれてあった。


 ”とんこつラーメン×1、(住所)中央区●町目△番地××

 ――――西山第三病院(仮)”







□  □  □  □  □  □  □  □  □  □  □






 「しっつれいしま~す」


 小声で呟きながら、直は扉をくぐり抜けると建物の中へ体を滑り込ませる。ようやく外の冷たい風から解放されたと思ったのに、外気とさして変わらない冷え切った空気が指先からあっという間に体全体を震わした。まるで冷凍庫から冷蔵庫に入ったような、微妙な体感温度の違い。氷の上を歩くように、無音の中、カツンと靴音が響く。


 日中、訪れた時と違い、白い建物の外観はすっかり暗闇色に塗りつぶされていた。そしてそれは中も同じ。唯一、受付カウンターだけが最低限の照明に照らされそこだけぼんやりと不気味に浮かび上がっている。この時間帯に仄暗い照明、静まり返る冷え切った空間。……病院に幽霊。なるほど、これなら善治が言っていたフレーズに十分、相応しい雰囲気だ。


 しかし、そんなおどろおどろしい空気はなんのその。建物の中に入った直は、すぐさまカウンターにかけよった。期待は半分、駄目元も半分。だけども両手を合わせ目を瞑り、どうかありますように、と心の中で祈ってから……そっと目を開く。しかし願い届かずそこに求めたそれは、なかった。



 (……しくしく。オレの、プリンが)


 薄々分かってはいたものの、目の前の現実に直はガックリと肩を落とす。

 ミルクチョコとビターチョコで作られた2層のチョコレートプリンに、天辺には白のホイップクリームと赤いイチゴがきらきらと輝く。甘さと酸味と苦みが絶妙にマッチした逸品と噂の新作プリンだったのに。


 しかし無理もない、たった4時間前とはいえ泥棒と間違えられた人物の置き忘れたコンビニ袋がそのまま残っているなんて。

 それに直はあの時、投げつけられたポテコの菓子袋はそのまま持ち帰り、中身もちゃっかりと頂いてしまっていた。だからまぁ、お相子といえばお相子なのだろうが。…………プリン。



 ――直が、出前に訪れたのは、西山第三病院。

 正しくは最後に(仮)が付くのだが、今日の放課後、李央の後を付けた末たどり着いた、あの工場跡地の奥にあった建物だった。


 善治によれば、ここ西山病院は大のお得意様で、出前だけでなくほぼ毎日、直接店に足を運んでくれる客もいるらしい。その人から専用のカギも預かっていて、出前の時はそれを使い裏門からお邪魔しているとのことだった。


 地理上の関係で中央区を経由しないと行けない表門(李央の後を付けた時、直が通った門)とは違い、裏門へは裏道を通れば西区から直接行け時間も大幅に短縮できる。出前をする側にとって実に有難い話だった。ということで善治からカギを又借りし、直も今回は裏門を利用させてもらった次第である。


 ギリギリだったものの、これで何とか時間にも間に合った。亮太のことも気になるし、今現在、店には善治1人しかいない。とにかく早く届けて店の手伝いに戻らなければ……そう、思っていたのだが。



 「うーん、また誰もいないなぁ」


 プリンことはすっぱり諦め、直は受付カウンターの前に立ち「誰かいませんかー」と暗闇の廊下に向かい声を掛けていた。自分のことをここの受付のように言っていたし、てっきりあの金髪ポテコの人がいると思っていたのに。またも受付は無人だったのだ。さっきから自分の声だけが無機質に反響している。


 そう言えば、もう帰っちゃおうかなぁ、なんてことも言ってたっけ。しかし今回、自分は出前に来たのだ。せっかくのラーメンが冷めても困る。

 ……あ。そういえばあの人、呼び出しベルがあるようなことも言ってなかったっけ。


 直はラーメンを収めた岡持ちを床に置くと、丁度、高さが直の腹辺りに達するカウンターに両手をかけ軽く床を蹴ると、体をくの字に折り曲げ宙ぶらりんの状態で向こう側をのぞき込んだ。するとカウンターの上、電話の横に白いシールが貼られたファミレスでよく見かけるタイプの呼び出しベルのようなものが見える。


 シールには何か黒い文字が。すっかり字が薄れているせいではっきりとは読めないが、最初の文字は『押し』だろうか。随分と余白が目立っているし、その後にも何か続いているような気配はするが。

 まぁ、せっかく見つけたことだし、『押し』とも書いてあるし、思いきって押してみよう。少し遠いが腕を伸ばせば届きそうだ……と、人差し指に金属の冷たい感触。


 見た目がファミレスのソレだったから、てっきり音もそんなもの、だと思っていたのに。


 ポチ、と軽く押した瞬間、ビーッとまるで侵入者の発見を報せるが如くけたたましい電子音が、静まり返っていた空間に繰り返し鳴り響き、おまけにカウンター上では丸い照明――パトカーの赤いランプに似ている、が、ぐるぐると回転しながら赤く点滅し始めた。



 「えっ? えっ? えーっ!?」


 予想外の事態に、思わず直はその場から逃げだそうとするが、どうやらカウンターにすっぽりはまってしまったらしい。山なりで足がぶらぶらと宙に浮いた状態からなかなか抜け出せない。両手足をバタバタと動かしようやく地面に足が付いた。ほっと一息。


 全く、なんて大仰な演出だろう。これではまるで警報音だ。断じて呼び出しベルのレベルではない。


 気付けば辺りは再び薄暗く無音の世界だった。しかしその過剰過ぎる音が鳴り止んでも、やはり誰が姿を見せることもなく。直は両腕を組んで頭を悩ます。

 あれだけの大騒ぎで誰も気付かないなんて、ひょっとして本当に誰もいないのだろうか。出前の注文を受けているのに?


 あれやこれやとしばらく考えた後、直は受付の奥に見える廊下へと視線を移す。相変わらず視界は悪いが、そろそろ目も慣れてきた頃だ。確かこの先に扉があったはず。ここでボーっとしてても仕方がない。行ってみよう。


 直は、ポンポンと杉原ラーメン店の白い制服を払い、岡持ちを床から取り上げるとカウンターを回り込む。そして、まずは灯りを得ようと壁のスイッチに手を触れながら奥の通路へ足を踏み入れようと――。



 「……そこだぁあああああ!!」


 ――した瞬間、くるりと回れ右。空いた左手を素早く体の前に構え両足を開き戦闘態勢をとった。忘れはしない、何故なら前回、同じようにここを通った時、壁だと思っていた箇所が突然、横にスライドし、そこからあの金髪ポテコの女が現われたのだから――!


 同じ手は二度食わない。今度はこちらから仕掛ける、先手必勝だ。


 …………しかし今回、いつまで経っても壁は壁のまま。微塵も動かず。

 直は戦闘ポージングのまま、まるでデパートの玄関を飾る風変わりなマネキンの如くしばらく固まっているのだった。

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