第90話 冬の終わりと別れの季節 6歳 冬
「船が戻ってきたぞ―!」
帰港を知らせる角笛の音がブォーと鳴り響き、村の家々から人が一目見ようと飛び出してくる。
フィヨルドに現れた2隻の船は、帆を小さく畳みゆっくりとしな船足で、冬の海を進んできた。
「すごいねえ、今にも船が沈みそうだよ」
遠目に見ても、喫水が一杯に沈んでいるのが判る。
よほどに大漁だったらしい。
船長をはじめ、船員たちに笑顔が見えるのも、村に帰れた喜びだけではなさそうだ。
船が重いので、ゆっくりと慎重に浅瀬に横付けされる。
いつもの航海であれば舳先に縄をかけて村の男達で陸へ引き上げるのだけれど、今日ばかりは大漁の釣果で引くには重すぎる。
「下ろすぞ―!」
舷側からタラップ代わりの板を渡して、樽に詰めた釣果を下ろしていく。
不思議なことに樽の大きさは全て同じで、ちょうど2人で抱えられる大きさだ。
船員や村の男達の手によって、慎重に船から降ろされて運び出されていく。
「転がすなよ!中身が傷む!」
「は、はい!」
不精して樽を地面に下ろして運ぼうした船員に、船長から怒声が飛んだ。
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2隻の長船が、遠洋漁業から村へ帰ってきた。
村としても初めての試みだったけれど、他の競合が存在しない漁場では、嘘のような大漁だったとか。
これが本当のブルーオーシャン戦略というやつか。
「鯨もいたな!あれがまた穫れたら良かったんだが…」
と、残念がる余裕まであったとかね。
もちろん冗談なのだけれど。
外洋の鯨を今の長船で獲るのは無理だからね。
「いやあ、それにしても塩がたくさん使えるってのはいいな!遠洋で釣った鱈も新鮮なまま漬けて持って帰れる」
と、船長は樽に詰められた塩鱈の蓋を叩いた。
これも村で初めての試みだったのだけれど、釣れた鱈は長期の航海中に保存するため、現地の船上で頭を落とし内臓の処理をして、塩漬けにした上で樽に詰めて蓋を閉じ持ち帰られている。
村の製塩所が稼働して、たくさんの塩が作れるになったからできることだね。
樽の塩漬け鱈は、中身を出して多少の塩抜きをしてから冷燻にしてもいいし、そのまま塩漬けの鱈として干してもいい。
村で利用してもいいし、樽のまま出荷することもできる。
多様な方法で処理できるのも、交易用の樽と業務利用の樽の規格が一致しているからこそ可能なことだ。
最近は、樽の規格が一致していることの利便性、というやつが自然と村に浸透してきている気がする。
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遠洋漁業の船員の他にも、村に帰ってくる人がいる。
他の村へ床暖房の工事のために派遣されていた出稼ぎ組が帰ってきたのだ。
派遣した人達も全員、1人も欠けることなく帰ってきてくれて何より。
いや、派遣した人数より帰ってきた人数のほうがけっこう多くない?
「お帰り!…ところで、そちらの娘さんは?」
「はい。ゲルズと言います」
「向こうの村で、一緒に連れて帰ると約束してしまったので…」
そうして何人かはお嫁さんまで連れてきたよ」!
話に出た時は冗談だとばかり思っていたけど、すごいねえ!
何人かは真面目な働きが見込まれて引き抜きの話もあったみたいだけれど、うちの村のほうが住みやすいから!と断って戻ってきてくれたそうで。
どんどん村に人が増えるなあ。
春になったら、たくさん家を建てて、農地も開いて、漁船も造らなきゃね!
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村に人が増えていく一方で、減っていくこともある。
なんとか湾から迎えの長船がきた。
貴族子弟達がクナトルレイクの留学を終えて帰るのだ
「貴族子弟達も、ずいぶん変わったねえ」
「そうだな。一冬の間、ずうっと鍛え続けたからな。変わらなくては困る」
服装こそ同じだけれど、最初に村に来た時とは様子がすっかり変わったと思う。
傲慢な態度はなくなり、代わりに誇りと自信に満ちた顔つきになった。
身体も分厚く逞しくなり、姿勢も良くなったように見える。
「あなたのお陰で、自分達は信じるものができました」
「それはお前たちの努力のお陰だ。戦士としての自分を誇るがいい」
貴族子弟達が父ちゃんとの別れを惜しんで言葉を交わしている。
彼らは、一冬の経験で自信と誇りを身につけた。
「おい、お前だけが挨拶するわけじゃない。そろそろ場所を譲れ」
「おっと済まんな。お前たちも別れを告げたいのだものな」
気やすく肩を叩いて交わす言葉には、友誼が感じられる。
彼らは、生涯の友人と師ができたのだ。
それぞれの村に帰ったとしても、もはや孤独ではない。
将来、何かがあったときは互いに助け合っていくことだろう。
そうして互いの肩を叩きあって別れを惜しんでいる集団に、僕は声をかける。
「こちらは、村からの皆様への贈り物です。お収め下さい」
「おお、これはすごい」
「なんと、見事な」
僕からは、大人用のクナトルレイクの盾を贈ることにした。
クナトルレイク研修の卒業証書みたいなものかな。
盾の裏にはルーン文字で父ちゃんの名前を刻んである。
例の木工職人をしばき上げて造らせた逸品だ。
しっかりと表面を滑らかに仕上げて、高価な顔料で色も鮮やかに塗ってある。
「未来に、アスガルドの神々の加護を」
僕が渡すのも変なので、父ちゃんから渡してもらうことにした。
貴族子弟達は推し頂くように受け取ってくれているので、神々の紋様がランダムであることに文句は出ないみたい。
どうしても不満なら、あとで取り替えてもいいし。
しっかりと「大人クナトルレイク大会用の試作品」を村へ持ち帰って、大いに自慢して欲しいね!
きっと良い宣伝になるだろうし、夏の大会に備えてクナトルレイク大会用の盾の注文を取りまとめて我が村へ送るところまでやって欲しい。
キックバックも辞さないよ!
「こちらは道中の慰みになれば」
おまけで冷燻の鱈を1樽、薬草蜂蜜酒1樽も渡した。
同じ規格サイズの樽だけど、気がつくかな。
樽には、エリン姉と母ちゃんの名前もルーンで刻んでおいた。
そうして迎えの船に人員と荷物が積み込まれて、ゆっくりと岸を離れていく。
漕ぐ櫂のリズムを合わせる、ホイ!ホイ!・ホイ!という声も遠ざかる。
村の人達も、別れを惜しんで手を振っていた。
彼らと何度もクナトルレイクの試合をした若者たちは、練習用の盾を叩き見送りをする。
貴族子弟達は招かれざる客としてやって来て、惜しまれる客として去っていくのだ。
ただ、多くの交わされる声の中で「また会おう!兄弟よ!」という挨拶だけは気になった。
また?ってなに?
また来るの?…まさかね。
きっと夏にやるクナトルレイク大会で会おうってことだよね。
だったら僕や父ちゃんの仕事には関係ないし。
…そういえば、大人のクナトルレイク大会の準備が順調とか滞っているとか聞こえてこないね。
頼りがないのは良い便り、というぐらいだから、きっと大会準備は順調に運んでいるのだろう。
すると、いつの間にか隣にいた村長婦人が僕の希望的観測を打ち砕いた。
「来年も、同じように他の村から研修生を受け入れるそうですよ。村長《うちの人》
は、褒章の銀貨にすっかり目がくらんだようですから」
「えーっ!!」
「私も賛成しますよ。村に収益の柱が立つのは良いことですから。貴族子弟達を受け入れれば宿泊所の稼働日も増えて製塩所と冷燻所の薪が助かりますし」
たしかに、宿泊所と製塩所と冷燻所は同じ炉の燃料と熱を使うので、宿泊所を稼働させる薪代を肩代わりさせられれば、実質タダで塩と燻製が生産できて利益があがる。
そうなるように施設を作ったのは僕なんだけどさあ…。
「うう…」
僕は誰を責めることもできず、唇を噛んだ。
「あの穀潰し達が立派に更生して村に帰るのですから、必ずや評判は高まるでしょう。来年以降は、もっと多くの若者たちが送り込まれて来ることでしょうね」
村長婦人の予測は、予言の巫女の言葉のように響くのだった。
6章終わり
明日はトールステイン大王伝記の回です




