第89話 長い冬の終わりが近づいている 6歳 冬
冬の北海は穏やかではない。
遠くから唸り声のような波音が響き、沖合では灰色の巨大なうねりが押し寄せてくる。岩礁にぶつかった波は高く舞い上がり、塩の匂いと冷たい霧を吹き付ける。
村の男衆は、ニョルドに航海の安全と豊漁の祈りを捧げ、ホ―!ホ―!ホ―!と声を揃えて櫂を握り、荒ぶる海へと力強く漕ぎ出していくのだ。
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村は、冬の鱈漁の最盛期を迎えていた。
男衆はまだ暗い早朝から船を出して近海の漁場へ鱈漁に出かけていき、昼には長船に鱈を満載して帰って来る。
海岸で湯を沸かしナイフを持って待ち構えていた女衆達は、長船から降ろされた鱈を流れるように処理していく。2エル弱はありそうな大きな鱈も、ひょいと持ち上げられては、処理に回される。
「うーん力強い…」
うちの村は、女衆も力が強いんだよね。
僕のぷにぷにした腕では全く勝てる気がしない。
「すごいスピードで処理されてるし…」
秋の鯨や鰊処理のときにも思ったことだけれど、今年の鱈の処理は去年と比較しても明らかに仕事の連携が向上しているように見える。
「おーい、下ろすぞ―!重いから気をつけろー!」
男衆が長船から鱈を下ろす、女衆が受取って処理に回す動きの淀みのなさよ。
無駄がないというか、遊んでいる人がいない。
各自がチームとして、どこでどのように動くべきかわきまえて動いている。
集団の仕事を指揮してみると分かるけれど、これは実に驚くべきことだと思う。
「鱈の頭落としたよー!内臓は任せる―!次、頭ついてるのよこして―!」
「ワタ出した桶足りないよ―!卵と肝臓は別にするからね!」
効率が良いということは、仕事に速度が求められるということ。
豊漁ということもあって、鱈の処理場は目の回るような忙しさだ。
女衆が鱈の頭を落とし、内蔵を掻き出し、肝臓と卵を別にして、洗浄し、二匹の尾を結んで吊るしの準備をする。
大柄で力の強そうな女衆が頭落としを担当し、ベテランや手先の器用な女衆鱈の腹を切って内臓を掻き出す担当。
エリン姉を始めとする女の子は洗浄や尾を結ぶ担当に回る。
そこに母ちゃんを中心に鱈の肝臓だけを集めて煮ている組がある。
去年までは無かった工程だ。
「あれは薬になるんだろうな…苦くないといいな」
残念ながら甘い蜂蜜でコーティングされる肝油の飴は、まだ母ちゃんにしか作れず、価格も蜂蜜のせいで高価になることから、我が家でも風邪を引きそうなときぐらいしか舐めさせてもらえない。たいていは、苦い肝油のままで舐めさせられているのが現状だ。
そうして流れ作業で処理が済んだ鱈の一部は、社交場に隣接する螺旋式の冷燻所行き。そして大部分の鱈は宿泊所併設の冷燻所で吊るされるため、小さな船に積み替えられて運ばれる。
「うーん全部が冷燻所に回せたら良かったんだけど…」
鱈が豊漁に過ぎて、どうしても冷燻できない分は、風乾に回されることになる。
冷燻施設を大型化したけれど、さすがに全ての鱈を冷燻処理するのは無理だったか。
とはいえ交易品として銀貨に換算すると多少の損ではあるけれども、リスク分散の観点からは保存方法が異なる食料は残しておいた方が良いとは思う。
風乾鱈よりも冷燻鱈の価格が数倍になるとはいっても、それが永遠に続く保証なんてないのだから。
一つの高価格商品だけに頼り切りのモノカルチャー経済は、利益極大化と合わせてリスクも極大化する、長い目で見れば貧困への一本道だからね。
サトウキビとかコーヒーでも見たことのある光景だ。
僕は、村の未来を一点賭けするような真似はしないぞ。
もっともっと商品を生み出して多様化して、参入市場では先行してブランド化を図って競合をブロックするんだ。
「そろそろ、村のブランドの名前やエンブレムも考えないとなあ」
村長は名前を入れるのを嫌っているから、何か名前を感がないと。
父ちゃんはクナトルレイクで周辺の村で有名になってきたし、薬を作っている母ちゃんの名前もこっそり入れてしまうのも良いかもしれないね。
エリン姉も仲間外れは可愛そうだから入れてしまおうかな。
僕?僕は恥ずかしいから、なしの方向で。
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お昼には仕事が一通り終わって、村は静かになる。
男衆は肉体労働なので明日の漁に備えて午後はお昼寝の時間。
村長の長屋敷の傍の白い宿泊所で暖かくして冷燻に関わる少人数を残してお休み。
ご婦人方も、社交場で託児所を見ながら糸を紡いだりお喋りをしたり。
「よーし、今日は試合するぞ―!」
「今日は前衛やりたいー!」
「ボール、こっちパース!」
小さな男の子達は元気にクナトルレイクで走り回る。
いやほんと元気だね…。
去年僕が作ってあげたボールや盾などの道具も、大事に使ってくれているようで嬉しい。
「押すぞ。押せーっ!」
「抜けられた!カバー!内に絞って―!」
それにしても戦術のレベルが高い。僕もあそこに入るのか。自信がない。
「前から守備の人数が足りなていぞー!相手の陣形変化に合わせろ―っ!」
気がつけば父ちゃん以外の人もクナトルレイクのコーチしている人がいた。
父ちゃんを手伝っていた人達だ。
「いいぞー!頑張れーっ!」
「押し負けるな―!いけーっ!」
休みがてら見に来る大人たちの声援がすごいね。
親達の声援で、ますます子供達は頑張ってプレーも冴え渡る。
そうして見る側の目が肥えていくんだろうね。
「おいおい…なんだよ、あれ…」
目が肥えていくのは村の大人たちだけじゃない。
子供達のクナトルレイクの試合内容の高度さに、貴族子弟達が慄いていた。
「今の陣形変化を見たか。逆を取らたのに素早かった」
「それよりもカウンターの出足だ。パスの出しての後ろもよく見ている」
「なんで子供があんな高度な戦術を…」
その光景を満足そうに眺めていた父ちゃんが言う。
「奴等も、ようやく見る目が育ってきたか。そろそろ、村の若いのと再試合をしてもいい頃合いか」
「えー大丈夫なの?また酷い負け方をしたら立ち直れなくない?」
貴族子弟達が村に来て最初の試合は、もう精神的外傷になるぐらいの大惨敗を喫した。父ちゃんもコールド試合の規定は無視して最後までやらせたしね。
「いや負けた理由がわかり改善できるなら、負け試合は問題にはならない。負けを勝利に繋げる訓練の道を教えればいい。別に死ぬわけじゃない」
「そういうものかなあ…」
戦士の理屈は、相変わらずよくわからない。
そうして実際にやらせてみた練習試合は、貴族子弟が意外と健闘している。
よくよく見れば貴族子弟達が村に来たときよりも遥かに体の厚みは増えていたし、試合中もよく頭を振って声をかけあっていた。
考えてみれば一緒に練習をして、宿泊所に一緒に泊まり、一緒の飯を食べてきたのだから、運動部が長期間合宿してきたのと同じだよね。
強くなるのも連携が良くなるのも当たり前なのかもしれない。
「試合終了!フギン勝利!」
試合が終了した。
勝てはしなかったけれど、貴族子弟たちにも観客から賞賛の声が上がった
パラパラとまばらだけど拍手も降ってきた。
ねえ見てよ、貴族子弟達が父ちゃんにお礼を言ってるよ!
おまけに「村に来ないか?」だって。
父ちゃんへの社会的お触りは禁止です!
そして練習試合の後は、貴族子弟たちはさらに身を入れて真剣に監督や審判の学習までもするようになった。
以前は興味を示さなかった、宿泊所での夜の座学も実施できるように。
監督や審判を務めるため知識を増やす必要性も理解できたようだね!
今まで死んでいたルーン文字読める能力が、ようやく生かせる時が来たぜ!
と、いうわけで。僕も父ちゃんを助けて頑張って教えたんだけれど、なんか変な目で見られていた気がする。
父ちゃんが後方で腕組み待機していたから、文句は出なかったけど。
そうして冬が過ぎていき、沿岸漁の漁期が終わり長船で遠洋にも漁に行くか村では検討しているらしい、と聞く頃。
弱々しかった太陽の光が少しずつ力強さを増してきた。
長かった冬の終わりが近づいている。




