第87話 鱈漁の季節 6歳 冬
冷たく吹き寄せる風が、浜にうちつける波濤を白く崩す北海の海。
勇敢な男たちと網を載せた長船が、冬の荒海へと乗り出していく。
冬の鱈漁の季節が始まるのだ。
「お船、でっかいねえ」
「そうだなあ」
今年から村には長船が一隻増えたので、遠洋の漁も視野にいれているらしい。
とはいえ、長船2隻体制は乗員の訓練も足りないので、慣らしで近海で漁をしている。
危険な遠洋の漁場まで父ちゃんを送り出すのは嫌だなあ。
「父ちゃんは乗らないんよね?」
「そうだなあ…なんとも言えないな」
父ちゃんは早朝から出ていったり、出ていかなかったり。
漁船に乗らないことも増えているみたい。
「面倒な仕事ばかりが増えるよ」
本人が好むと好まざるに関わらず、1人の漁師として仕事をするよりも、もう少し指揮者とか管理者的な立ち位置の仕事を求められてるみたい。すっかり名士だね
「それで、貴族子弟の人達は乗らないんだね」
おまけに貴族子弟たちの面倒も見なきゃいけないし、父ちゃんも大変だね
「さすがに貴い身分の方々を漁船に載せるのは名分がな…」
土木工事までは村に持ち帰れそうな技術なので技術研修として位置づけて働かせられるけれど、さすがに鱈魚の処理や漁は身分的に拒否しているみたい
身分社会的には彼らの言い分の方が正しいし、仕方ないので筋力トレーニングとして伐採とか薪割りしてもらってるとか
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午後になり、漁から男たちが帰って来る。
一旦、我が家の近くの浜に船を寄せ、魚を水揚げして処理をする。
そして、処理が終わった鱈をフィヨルドの奥まった場所にある新設の冷燻所まで輸送するのだ。
鱈を水揚げし、頭を落として内臓の処理をし、男衆は宿泊所まで移動する。
小さい船が水上バスのように、フィヨルドの奥と家の前を人と魚を積んで往復してるんだ。
ちょっと不便だなあ。村長の長屋敷がフィヨルドの奥まった高台にあることは防衛的には正しいのだけれど、製塩所や冷燻所が奥まった高台にあるのは作業譲渡しては不便なのだよね。
だから、うちの前の浜に船をつけて鱈の処理をしてから、運搬の船でフィヨルドの奥へ運んでいく、という運用になっている。
効率が悪くてムズムズするなあ…。
でも村の人達はそこまで不便さを感じていないみたいだし、現にうまく行っているものを無理やり効率一辺倒で改革するのも良くない気がしているので、口出しはしていない。
フィヨルドの奥まった場所にある宿泊所は、貴族子弟たちの宿泊所と区画を区切って、漁師たちの休憩小屋としても使われ始めている。
冬の漁ですっかり冷えてしまった体を暖める場所として好評を博しているみたい。
漁師の男たちの支持が上がることで、村長の機嫌も上々だとか。
冷燻小屋の煙突も元気よく煙を吐いている
塩製造の方も何とか稼働を始めている。
ただ、土地が高いから海水の運搬が大変なはず。
ちゃんと海岸で凍結濃縮してから運び上げているならいいけど
いずれ風車とかで運び上げられるようになればいいんだけどね…。
「はいはーい、ちょっとおかーさん!この子おむつ濡れてる―!」
僕は相変わらず西風炉の火の番をしながら、小さな子供達にのしかかられている。
なんか数が増えているような…。気のせいじゃなくて増えてるね。
村の子供が増える。いいことだ。
村長の方で人口統計取ってないのかな…取ってないだろうなあ。
「この薪、良かったら使ってね」
「ありがとうございまーす」
男たちが宿泊所へ流れる一方で、ご婦人達は、相変わらず社交場の方を好むみたい。
去年から利用していることもあるし、外の光で明るく作業がしやすくて、託児所があるのが良いのだという。僕という託児所管理員もついてるし。
小さい子に外で綺麗な空気を吸わせたり、日光に当てておきたいのだろうね。
「魚さばいてる時、イングリッドの娘が初めて上手に鱗取れたんですって。母親がこれで一人前よって褒めてたわ。あの子、来年はもっとたくさん手伝えるわね」
「エルサったら、魚の内臓を鶏にやってたわ。あれで卵がよくなるって。賢いわよね。私も真似してみようかしら。うちの鶏ももっと産んでくれるかも」
社交場のご婦人方は、鱈の処理の仕事を終えた後で、薬草茶を飲んで温まり、お喋りをしながら糸を紡いだり、料理をしたり。教えたり。
最近は母ちゃんが薬の作り方を教えたりもしてるみたい。
それでお礼に紡いだ糸を貰ったりしてる
全ての子供のために、鱈の肝油を甘くする方法を広めて欲しい。
「おー相変わらず盛況だな」
「はい、袖を出して」
「おう。これをしてもらわないと、漁が終わった気がせんのだよな」
父ちゃんが漁から返ってくると、防水のために縫い合わせた父ちゃんの羊毛織の上着袖の糸を切るのは母ちゃんの仕事だ。
この仕事は他の人に譲る気はないみたいだね。
「それで…干した鱈は、ここにかければいいのね?」
「はい。お願いしまーす」
我が家の螺旋式冷燻所も稼働を始めた。
施設を大型化したのと、煙の流れる効率を改善したので生産性は倍ぐらいになっているはずだ。
問題は…施設が大型化に伴い引っ掛ける場所が高くなって、僕の手が届かないので干せないこと…。
去年も手伝ってくれた未亡人の方々に、補助棒を渡して鱈を吊るしてもらっている。
しまったなあ。自分で設計したのにかかわらず、自分が使うことを計算にいれなかったとか…なんという不覚。
対外的には、雇用を産むためにわざとそうした、ということにしておこう。
エリン姉、そこで頭撫でて自分の方が背が高いアピールとかしなくていいから
その夜、交易用の規格の樽が自宅の食料庫の隅に置いてあるのを発見した。
あれ?サンプルとかで届けてくれたのかな。
そんな気が効く職人には見えなかったけど。
そうしたら、妙に焦った様子で父ちゃんが僕に黙っているよう身振りでアピールをするんだ。
「父ちゃん、これは…?」
「しーっ!特別に大麦酒の仕込み用の樽を回してもらったんだ。母さんには、まだ内緒だぞ…」
僕は酒飲みの執念を甘く見ていた。
あの職人、交易用の樽を横流ししてやがる…。




