第79話 父ちゃんのメモと母ちゃんの薬づくり 6歳 冬
北方の冬の夜はとても長い。
夜の食事を終えても眠くなるまでにはかなり時間があるから、家族で家の中央の石炉の薪を囲んで、それぞれの手仕事をしながら話をする。
薪が不足している家は節約のために早期に寝てしまうそうだけど、幸いなことに我が家は村の中では裕福な方なので薪を焚く時間は長くできる。
「…だから試合の勝敗は最初の押し合いで半分が決まる。それぐらい最初の押し合いの結果は大事なんだ。前衛の訓練の殆どは盾の押し合いでどうやって勝つかを教え込むことに尽きる、と言っても良い」
「へえ…押すだけなのに、そんなに教えることがあるんだ…」
「それはそうだ。例えば盾の構え方。押し合いで中央突破をしたいのか、斜線で崩したいのか。それともガッチリと受け止めたいのか。左右の戦士との盾の重ね方からして違うんだ。逆を言えば、相手の盾の重ね方をよく観察すれば作戦の意図が分かるということもある」
「そんな高度なことしてんの…!?」
夜のお話し時間を使って、僕は父ちゃんからクナトルレイクの話を聞きながらメモを作っている。
外から素人が見ていただけではわからない、陣形や動作、そして戦術の細かさに圧倒される。
クナトルレイクって、単に力任せに押したり走って投げてるだけじゃないんだね…。
父ちゃんが鍛えた子供たちの新式クナトルレイクを見慣れている村の衆が、他の村の子供の試合にいまいち熱狂でいないのも当たり前だね。
父ちゃんの話を聞けば聞くほど、僕が試合に参加しても活躍できるイメージが湧いて来ない。
せめて、知識ぐらいは追いつこうと、僕は今夜も父ちゃんの語りを頑張って小さな黒板に貝殻棒で記録する。
そのうちに整理して羊皮紙に記録しておこう。
折に触れて読み聞かせをすれば、誰かルーン文字を憶えて読みたがる人もいるかもしれないからね。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
父ちゃんがクナトルレイクにますますハマる一方で、最近の母ちゃんのブームは、蒸し料理づくりが一段落して、薬作りにハマっているらしい。
今夜も小さな鍋でお湯を沸かして何か煮込んでいる。
「トール、ちょっとこの羊皮紙を読んでくれない?」
「はーい」
母ちゃんが広げている羊皮紙は、村長婦人が村のご婦人たちから聞き取りをした家庭用医薬のレシピを記録したものだ。
押し花的に草が押してあるので何の材料かはルーン文字がわからなくても読めるのだけれど、細かい製造手順となると文字が読めないと厳しい。
「戦士の傷薬の作り方。最初にヤロウ草を一束、綺麗な流水で洗い流して干します。乾燥した草をナイフで小さく刻み、鍋の水にかけます…」
「一束ね。それで小さくってどれくらい?」
「さあ…書いてないね」
「鍋の大きさは?」
「書いてないね…」
うーん。だいぶ頑張って簡単に書いてあるんだけど、なかなか難しいなあ。
「水が3分の1になるまで弱火で煮詰めます。色が濃い緑色、または茶褐色になるまでです。その際に沸騰させてはいけません」
「はいはい。それから?」
「煮詰めたものを粗い布で濾し、冷ました後で少しずつ蜂蜜を混ぜます。蜂蜜は熱くしすぎると効能がなくなるので熱さに注意して」
「どのくらいの分量?」
「さあ…書いてないね」
「そのあとはどうしたらいいの?」
「動物の脂肪を煮詰めて濾した、ドロドロになったものに少しずつ混ぜます。木べらを使い伸ばします」
「このくらいかねえ…」
重さと時間と体積が普及していないと、薬作りはしんどいな。
アラビア銀貨とエル単位の記述に書き換えたい。
時間は、どうしようかな。水時計か振り子にするか…。
今のところ、薬作りはレシピがあっても母ちゃんの勘頼りだ。
なるほど、薬作りが家伝の秘薬扱いされるわけだね。
よほどに間近で学ばないと同じ薬が作れないもの。
「出来上がった薬はどうするの?」
「村で欲しい人がいるから、糸と交換するのよ。薬と糸を交換した方が、自分で糸を紡ぐよりもたくさん手に入るから」
し、資本の集中が起きている…!
いや、もちろん母ちゃんにそんなつもりはないんだろうけどさ。
薬づくりは専門技能だから、高い値段がつくんだ。
「こうやって配ってるのよ」
母ちゃんが見せてくれたのは、浜にもよく落ちてるムラサキガイ。
二枚貝に軟膏化した薬をつめて、間に柔らかい白樺の樹皮を挟んでから紐で縛ってある。
「すごいね。軽いし割れないし清潔だ」
「そうでしょ?工夫したのよ」
特に白樺の皮が挟んであるのが良い。白樺の皮には殺菌作用もあるし二枚貝の僅かな隙間を詰めて、半分づつ使う場合の蓋も兼ねている。
「なかなかいいな。今度の交易に持って行くか」
「あら!それなら、もう少したくさん作ってみようかしら」
父ちゃんに褒められて、母ちゃんも嬉しそうだ。
「父ちゃん、交易で薬って高く売れるの?」
「そうだなあ…変な薬や安い薬は売れないな。命に関わる」
その事情はわかる。ウンチ腐らせて混ぜてる薬とかある時代だからね。
傷に傷薬を塗ったら敗血症になって死んだ、なんて話がゴロゴロしてるんだ。
「じゃあ、高い薬のほうが売れるんだね」
「そうだな。信用がある高い薬なら買い手はいるだろう」
高い薬か…中身は母ちゃんが作った薬で間違いないと思うんだよね。
変な混ぜものしてないし。
「うちにある一番高い器は?」
「父さんの角の酒杯か、青銅の杯じゃない?…あった」
「え、エリンそれは…」
父ちゃんが狼狽は無視してエリン姉が持ってきた角の酒杯を手に取った。
牛の角をくり抜いて表面がよく磨かれた酒杯は、いかにも高級品として高い酒を飲むのに最適な器に見える。
つまり高級な薬を入れるのにも向いている。
「これをこうして…薬師の女神はエイル様だから…」
赤い顔料でぐるりと角の酒杯の口を縁取る。
小さなナイフで、エイルの傷薬、アーシルド作成…とルーン文字で刻む。
「今、何月だっけ?屠殺月でいいかな」
初冬の屠殺月、と刻んでから、小さな文字に赤い顔料を流す。
蓋は木の蓋がいいけど、とりあえず木の皮で閉じる。
「この角に薬を詰めてさ、蜜蝋で蓋をしたらいいと思うんだ。母ちゃんの指輪で蜜蝋に刻印したらさ、すっごい高級品の薬に見えると思うんだ」
「…こりゃすごいな。確かに高そうな薬に見える」
「ねえトール、酒杯には何て書いたの?」
「ええと、エイルの傷薬、母ちゃんが屠殺月に作った、って書いたんだ。これなら、何の薬で、誰が、いつ作ったのかわかるでしょ?それで蜜蝋で封印しておけば変な混ぜものしてない証にもなるし」
粗いけど、高級医薬品のでっち上げ!
ちがった。高級医薬品包装の出来上がりだ。
母ちゃんがせっかく頑張って作った薬だから、高く売れた方がいいよね。
「まあ、本物の交易品の薬みたいだねえ!」
母ちゃんはすっかり喜んでしまって、角の酒杯に薬を詰め始めた。
「ああ…それは…」
とっておきの酒杯が高級薬入れに化けてしまい、手元から永遠に去ることを悟って悲しみに沈む父ちゃん。母ちゃんがあんなに嬉しそうにしていたら、取り上げるなんて出来ないものね。
お詫びとして、別の牛の角杯をどこかで貰ってきてあげるとしようかな。
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後日。母ちゃんが村のご婦人方に牛の薬入れを大そう自慢して回り、大評判になったらしく。伝え聞いた村長婦人に、僕はもの凄い剣幕で呼び出されることになるのだった。




