第71話 三方良しの商売の罠 6歳 晩秋
「|さようなら、兄弟《ファール・ウェル、ブロージル》!」
「またおいでねー!」
「ばいばーい!」
力強く手を振り、名残惜しそうに何度も何度も振り返りながら歩き去る子供達の背中がフィヨルドの山々の薄い紅葉に隠れて遠くなっていく。
そうして去っていく子供達に手を振っていた大人も子供も、その数はだんだんと減っていく。
楽しかった祭りは終わり、日常の仕事へと戻るのだ。
秋は終わりに近づき、これから長く厳しい冬が迫っているのだから。
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「ふう…やれやれ」
僕は肩に重くのしかかっていた荷をようやく卸すことができた解放感に、ぐるりと肩を回した。
全ての大会日程を終えて、迎え入れた子供達を誰一人欠けることなく送り出すことができたし、来た時には軽い風邪を引いていた子も、暖かい宿舎と栄養豊富な食事と朝夕の甘い薬草茶、夜のタラ肝油蜂蜜飴の投薬のおかげで全快し、自らの足で帰路につくことが出来た。
僕は、クナトルレイク大会子供の部の運営の仕事は立派に果たしたよ。
例え誰に褒められなくても、胸を張って言える。
ただ幸いにも、ちゃんと見てくれる人はいる。
「よくやりましたね。トール」
いつの間にか横に並んでいた、僕の政治的保護者であるところの村長婦人に、頭を撫でられた。
どうも身内以外の人間に頭を撫でられるのはくすぐったいね。
「はい、頑張りました!」
と、僕は笑顔で素直に返事をした。
もちろん僕一人の頑張りではないけれど、褒め言葉は素直に受け取ってもいいでしょう?
もしも僕が老獪な政治家であったなら、いいえ自分の力だけではなく皆様のご尽力のお陰です、とか答えないとダメなんだろうけど、まだ子供だからね。
そしてまた、頭を撫でられた。
さて。運営者としての仕事は子供たちを送り出して終わったけれど、大会の趣旨を果たすための仕事は、まだ残っている。
「もうひと頑張りだなあ」
乱暴だけど純心な子供の相手をしていれば良かった時間は終わり。
ここからは、老獪な貴い身分の方々の凝り固まった頭を粉々に砕いて、柔らかく捏ねてあげる仕事が待っている。
そのための準備もしてあるからね。
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大会終了後のセミナーの企画はもちろんあるのだけれど、お年を召した貴い身分の方々は座学が苦手だ。特に若造がいきなり話をしたところで聞くわけがない。
そこで、まずは村内のツアーを行うことにした。
特に、村に到着したときから目立っていた白い宿舎の関心は高い。
宿泊していた子供が去って掃除も済ませたので、手始めにするにはちょうど良い。
「さて皆様。こちらが、大会の子供達が宿泊していた白の宿舎です」
父ちゃんについて来てもらって、僕がツアー案内人を務める。
今回の大会で、父ちゃんは偉大な戦士として名前と顔を売ったみたいだからね。
偉い人たちも父ちゃんの先導に大人しく従ってくれた。
「おお…広いな…なんと高い天井か!それに清浄だ」
「おい床を見ろ!全て石造りだぞ!」
「一枚岩…?ではないのか。石板を並べて漆喰で埋めているのか。なんと贅沢な」
「しかし、夏は良いが冬は凍えてしまうのではないか?」
宿舎の室内の広さに驚く偉い方々。建物の大きさこそ偉い方々が投宿していた村長の長屋敷と同じくらいだけれど、宿舎の中は何にも置いていないがらんどうだからね。
彼らも、これだけの広さの室内空間を見たことはないのではなかろうか。
そして、当然のように石造りの床の寒さに疑問が呈される。
北方の人々にとって、寒さに耐えることは何よりも優先されるからね。
「そうです。石は冷たく凍える、というのが常識です。ですが、この宿舎の中では石炉で焚き火もしていないのに暖かいとは感じませんか?」
当然の疑問を否定せずにうなずきつつ、疑問を投げ返した。
「たしかに…暖かい」
「中央に石炉がないぞ!どうなっている!」
そこで、僕はしゃがんで床に小さな手で触れてみせた。
「床に手を触れてみてください。どうですか?」
「おお!暖かい!床石が暖かいぞ!」
「なんと!本当だ!魔術か?いや、ソールの女神の加護か?」
「この床石を剥がして持って帰るぞ!銀をいくら積めば良い?」
待った待った。魔術でも女神の加護でもないし、床石にナイフを突き立てないで。
なんで水道の蛇口を持って帰ろうとした兵士みたいなこと言い出すのか。
「皆様、では種明かしをいたします。魔術でも女神の加護でもありません。技術です。知恵と工夫です。こちらへどうぞ」
しまいには斧を取り出そうとした人々を、父ちゃんと一緒に苦労して室外へ誘導し、西風炉の火の番をしている人のところへ連れて行った。
「こちらの炉で火を焚き、煙だけを床下に流しています。熱い煙が床石を暖めているのです。少し地面が掘り込まれて低くなっているのがわかりますか?煙は低い場所から高い場所へと流れる性質を利用しているんです」
「煙で暖かくしているだと…?火の炉は、炎は必要ないのか?」
「だが少しばかり宿舎から離れているのではないか」
屋内の焚き火に慣れた人々には、直接の火に当たらなくても暖かい、という熱伝導の理屈が直感的に理解しにくいようだ。
とはいえ、実際に体験した室内は暖かったわけで。
北方の人々にとって、暖かさは生存に直結する技術であるから、懸命に理屈を理解しようとしてくれている。
「そうです。離れているのは、屋根に火の粉が飛んで火事になるのを防ぐためですね。床下を暖房する際には、炉には火の番として常に人をおいて注意しないといけません。熱い煙は床下を通り、床を暖めてから、あちらに見える煙突と呼ばれる高い石造りの塔から煙として出ていきます」
宿舎から少し離れた場所にあり、もくもくと白い煙を吐き出す煙突を指差すと、偉い人々の視線もそちらに移る。
「なるほど。あの煙が出る石塔は、そのような場所であったか」
「てっきり魚を燻製にしている場所かと思っていたが…」
さすがに、鋭い人がいるな。
「今は宿舎が出来たばかりですが、いずれはそうした設備も作る予定と聞いています。薪を無駄にするわけにはいきませんから」
予定を聞いている、というか作るんだけどね。
ついでに塩も作っちゃうぞ。それも言わないけど。
「なるほど。たしかに…」
「薪の費えはかかるように見えるな」
費用を気にしている人がいるので、宿舎の目的とかかる費用についても説明を追加する。
「床を暖める仕組みにも良い点と悪い点があります。床下に煙を流すことで宿舎の中を清浄に保つことはできますが、煙が出ないので屋内で干したタラや天井の木の皮を燻すことができません。ですから、宿舎はあくまで宿舎で食料庫には使えません」
長屋式の利点は、住居であり、食料倉庫であり、家畜小屋でもあること。
北方の冬を低コストでやり過ごすための工夫が詰まっている。
その利点を捨ててしまうことになるわけだ。
「なるほど…これだけの設備が食料庫に使えないのは無駄だな」
「薪も馬鹿にならんな。衣服や髪に煙がつかない分、妻は喜ぶだろうが…」
「全くだ。このようなものがあると知れたら、どれだけせっつかれるか判ったものではないな」
はっはっは、と男達が笑い合った。
どこの村でも奥さんに頭が上がらないのは共通なようで。
なるほど。奥様を落とせばいいのね。OK。
そちらから手を回すようにしようか。
「これほど大きな宿舎でなくとも、小さな設備から始めることもできますよ。僕の村でも、最初は海の側で冬の漁で冷えた男達を暖めるために、ほんの8エル四方程度の、屋外のごく小さな床から始めました」
僕は控えめに提案をする。
あくまで、男達の仕事に直接役に立つ安価なプランもありますよ、と。
「なるほど。そうした始め方もあるか…」
「たしかに冬のタラ漁はきつい。凍える海の水は身に染みる…」
「この村では職人の派遣はしているのか?」
気の早い村長は、職人の派遣の話もし始めた。
僕の村にとっても、冬の出稼ぎに良いと思うんだよね。
滞在中の薪も食料も相手持ちになるし、賃金だって貰えるわけで。
冬という季節を、じっと耐えて食料が減っていく時間ではなく、頑張って副収入を稼げる時間にできるのは魅力だろう。
誰をどこへ派遣するか決めるのは村長の胸先三寸になるから、村内の権威や権力を強めることにもなる。
売りて良し、買い手良し、世間良し、の三方良しのビジネス…に、見えるよね。
そうだよね。男達は海の仕事が楽になる、と思うよね。
だけど、それは罠なんだよ。
一度でも村に暖かくなれる場所を作ったら、いずれは奥様達に知られて、占拠されてしまうことになるんだ。それは、この村の事例でも証明済みの自然の摂理なんだよ。
僕は、嬉しそうに床暖房の設備があれば冬のタラ漁が楽になる、と話し合う貴種の会話を「籠罠の下のパンくずを啄みに来る鳥を見る猟師って、こんな気持になるのだろうな」と思いながら聞いていたのだった。




