第60話 男達は帰りて家を建てる 6歳 晩秋
北方の晩秋の陽射しは、数週間後には厳しい冬が来るとは信じられないほどに柔らかく、フィヨルドを吹き渡る冷たい風は枝を編んだ壁に遮られ、毛皮が敷かれた床に接する尻は温かい。
社交場から響いてくる女性達の楽しそうな歌を聞きながら、僕は下を向いて羊皮紙にルーン文字を刻んでいる。
本来は野山を駆け回って友達と悪戯三昧の日々を送るべき6歳男児としては過重過ぎるブラック労働に従事していることには違いないのだけれど、働く環境としては悪くないと思う。
明るく温かい場所、新鮮な空気、いつでも飲める温かい薬草茶とスープ。
農地で大麦の刈入れをしている時ほどに腰は痛くならないしね。
村内でなぜか怖がられているせいで、同年代の友達がなかなか出来ないのが悩みと言えば悩みかな…エリン姉はその点で僕よりも遥かにうまくやれているらしく、よく同年代の子達を引き連れているのを目にする。そのうち軍団とか作りそう。
ふと気がつくと、女性達の歌声が止んでいた。
顔を上げると、ご婦人方が立ち上がって村長の長屋敷がある方向を指さし、向かい始めていた。
つられて視線をフィヨルドの奥の高台に向けると、えっちらおっちらと山から人が列を成して降りてきているのが見えた。
木材の伐採に向かった男衆が、帰ってきたのだ。
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「うーん…遅れた…」
弾む息をおさえつつ、じっと足を見る。己の短い足が恨めしい。
伐採から帰ってきた夫や息子を迎えるため、速足で向かうご婦人たちには完全に遅れを取ってしまい、僕が現場に駆けつけたときには、感動の再開場面はすっかり終わった後だった。
男達は山の汚れを落とすためにサウナへと向かった後で姿はなく、現場には山から伐採し運搬されてきた大きな木材や、木の皮、枝などが乱雑に積まれていて、長距離の木材運搬に縄をかけて従事した馬たちが数頭、ご褒美の干し草を食み、水を桶からごくごくと飲んでいる。
「馬かあ…馬もいいなあ」
北方の環境に順応した種類で、村では村長と有力者しか飼っていない。
それほど大きい馬体ではないけれど、まつ毛が長くて可愛い。
僕の家でも飼えないかなあ。でも我が家は農地が広いわけじゃないから、労働力としての必要性はないので厳しいよね。
大きな長船を操れるようにもなりたいけど、馬にも乗れるようになりたい。
いつか馬に乗れるようになったら、フィヨルドの山々を越えて他の村に行ったりできるようになるかもしれない。ひょっとしたら、もっとその先へ行けるかも。
この村だけじゃなくて、いつか広い世界も見ていたいんだ。
「…もうちょっと大きくなってから…ね」
せめてご婦人方に駆けっこで負けないぐらい成長してからじゃないと、村の外へ出るのは厳しいだろうからね。
村長婦人の指揮で、帰還した男衆のための宴が準備始まっている。
今夜も酒盛りになりそうだ。
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翌日から、宿舎の建築が本格的に始まった。
ひときわ大きなオークの木は、組み合わされて主構造になるらしい。
溝、日本建築で言うところの相欠きが柱に掘られ、3本の巨木が門型、つまりコの字型に組み合わされる。接合に釘は一切使われない。
地面におかれたまま接合部がグルグルと縄で固められると、次は引き起こし作業となる。周囲から何本もの縄が門型を安定させるためにかけられて、慎重に、かつ力強く彫り込まれた地面の基礎石の上へ立ち上がっていく。
「引け!引け!」
「おうよ!」
門型が前後に倒れると大惨事だ。男達は声を掛け合い、少しずつ、少しずつ傾きをキツくする。
「よーし!そのまま!互いの引きを合わせろ!」
門型が垂直になったところで、周囲から引く縄の力を完全に合わせて安定させる。
すると柱の根元へ石やスパジを持った男達が殺到する。柱の根元を固めて、安定させるためだ。縄を持った男達も、次の門型を建てる作業へ移るため、引いている縄の多くを地面に打ちこんだ杭に結びつけていく。
「次の柱を建てちまうぞ!集まれ!」
「おうよ!」
再び男達が集まり、門型に組み合わされた主柱を建てる。
この作業を繰り返して、長屋敷の構造が出来ていくわけだね。
建築の指揮をとっているのは村長だ。
なんだ、ちゃんと男衆を指揮する能力は高いじゃないか。
宿舎の建築現場は、村長と父ちゃんに任せておいても大丈夫そうだ。
僕は大丈夫じゃないところをやるとするか。
…それにしても、危ないなあ。
見ていると、身の軽い衆が命綱もせずに、するすると主柱の上までよじ登って、2つの門型を結ぶ横木を渡す作業をしている。
落ちたらどうするんだ。というか、そもそも建築現場だと言うのに、僕を含めて誰もヘルメットも被っていなければ、軍手で手を保護もしてない。
久しぶりの大規模建築っぽいし、素人集団の安全教育とかもしてないよなあ…。
怪我しても知らんぞ。
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「痛え、痛えよう…」
「このぐらいの傷でなんです!戦士でしょうに!」
はい。思い切り怪我人が出ています。
高いところから落ちた、刃物や木で手や足を切った。
なかには酔ったままノミで木を削っていて腕を刺した、なんてのもいる。
お祭りで浮かれた気分で作業したらダメだね。
期せずして、社交場で共有されたばかりの知識が大活躍する場面ができた。
「ちょっと腕を出しなさい!まず拭くから!」
村長婦人の手ずから、手を切った傷口を煮沸して冷ました布で拭って綺麗にする。
この基本が出来ているだけで、傷口が膿むリスクが凄く減るんだ。
そこに蜂蜜と煮出したヤロウ成分を混ぜた傷薬を塗り、さらに煮沸消毒を済ませた布の包帯を巻く。これで治療は完了だ。
「はい、次!」
表面上、村長婦人は男達のバカさ加減に腹を建てているように見えるけれど、なんだか生き生きしているようにも僕には見えた。
「トール、この人は傷口を縫いますよ。できますね?」
「は、はい!」
僕も狂想曲の傍観者でいることは叶わず、久しぶりにチート縫い物スキルを発揮して迂闊な男衆の傷口をチクチクと青銅の針と動物の腱で縫い合わせる羽目になったのだった。
なんか悲鳴を上げていたけれど、麻酔はないのだ。すまんね。
父ちゃんは叫んだりしなかったぞ。我慢しなさい。
後日、せっかく傷口を縫ってあげたというのに、男衆達は僕に感謝するどころか、怖れて逃げ回るようになったのだった。
村長婦人は治療で崇拝者が増えたというのに、この格差よ。
誰のお陰で手足が腐り落ちずに済んだと思っているんだ。
恩知らずどもが多いぞ。




