第41話 花と蜂蜜 6歳 秋
夏の家の藁のベッドは、冬の家のベッドより少し広い。
冬の家のベッドは壁際のベンチを少し大きくしたようなもので、狭くて硬いのだ。
でも、夏も冬と同じように僕とエリン姉は同じベッドで寝て、相変わらずエリン姉は僕にくっついて寝ているし、足を載せてくる。
「ふわあ…だんだん朝も寒くなってきたなあ…」
そっと姉を起こさないように足を外して起きると、朝靄の中、家の敷地の近くでしゃがんでいる女性が見えた。何かを摘んでいるようだ。
大麦畑なら落穂拾いという可能性もあるけれど、何をしているんだろう?
女性の顔は社交場で見かけたことがある。母ちゃんがときどき塩をあげていた人だ。
「…ということがあったんだけど」
「そう。たぶんフリンの恵みの花の種を摘んでいたのじゃないかしら?私もお友達に種が欲しいと言われたわ」
「種?食べるの?」
「いいえ。自分の家でも花を咲かせたいのですって」
僕が緑肥のために意地になって集めてきたシロツメクサは、夏に白い花を一面に咲かせ、ちょとした村内の観光名所になったのだ。
村の女性達が自分のところでも花を咲かせて飾りたい、と考えるのは自然なことかもしれない。
シロツメクサ、つまりクローバーの葉は今も緑色を保っているけれど、さすがに花は茶色く枯れて種をつけている。
「なるほどねえ。とても種を取るまで手が回らないし。いいんじゃない?」
「そうなのよね。だけど種をとっていくだけならいいけど、農地や牧草地を荒らされるのも困るのよねえ」
「あー。それはあるかも」
自由に取ってよい、となると最初は歓迎されるけれど、だんだんと権利になり妙な主張などされるようになるリスクはある。
節度ある利用のためのルールは設けたほうが良いかもしれない。
「魚や薪を取るほどのことはないし。取った種の1割を箱か皿に入れていく、とかで良いんじゃない?土地の利用料として」
「そのくらいでいいかしらね」
という話がまとまり、小さな箱を見えるところに置き、貝殻棒で「種の一割をここに入れて!」とルーン文字で書いておいたら「魔術よ!」と目茶苦茶に恐れられたらしい。
あとでエリン姉に指摘されて、魔術じゃないよ―と、種の絵と数字を書き加えたのだけれど、なぜか毎朝きちんとシロツメクサの種が入れられるようになり、誤魔化したり畑を荒らす人は出なかった。
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夕方から夜にかけて、俗に「青い時間」と呼ばれる、空が深く美しい青色に染まる時間帯に。
僕はこっそりと、敷地に点々と立っている丸太蜜箱の一つに忍び寄っていた。
丸太蜜箱は1メートルほどの高さの中空の丸太で、郵便ポストのような横向きの細い入口と雨を防ぐ小さな傘を被せてある。
「気づくなよ…気づくなよ…よいしょっと」
ペタリ、と細く真っ直ぐな枝で素早く慎重に出入口を塞いだ。
「で、泥で固める、と」
出入り口は一箇所だけなので、細い棒と泥で出入口を塞いでしまえば、もう蜜蜂は出てこれない。
「あとは…抜いて運ぶだけか。できるかな」
そうっと丸太蜜箱を地面から抜いて、肩に担ぐ。
「ぐっ。意外と重い」
蜜蜂が夏の間に頑張って貯めたのか、担いだ巣箱は思ったよりも肩に食い込む。
そっと、できるだけ振動を与えないようにすり足で歩み、目指すは冬の家。
今は稼働を停止している塩製造設備だ。
「うーん…こういう目的のために作ったんじゃないんだけど」
僕は担いできた丸太巣箱を、燻製室に入れる。
少し待って、蜂が落ち着いたら屋根と出入口の封印を外し扉を締める。
「ごめんね。来年はちゃんと開け閉めできる巣箱作るから…」
蜂を大人しくさせるには、一般に松葉で燻す。
蜂に山火事だと錯覚させるわけだね。
現代養蜂では、その隙に蜂を傷つけないよう蜂蜜の詰まった巣の部分だけを取り出すのだけれど、丸太蜜箱ではそういう器用な真似はできないから、鉢ごと燻して殺すしか無い。
そして、とても都合の良いことに我家には燻すための施設がある…。
ハンノキを燻して蜂蜜がスモーキーな良い香りになるよう、かつ蜂蜜の風味を高温で損なわないように、蜂の巣を丸ごと低温燻製にできる施設があるのだ。
「とりあえず、テストで今回は一本だけね」
そっと施設の竈に火をつける。
余熱で床暖房と社交場のベンチが温まり、冷やされた煙が冷燻の燻製場へと流れていった。
この方式がうまく行ったら、残った丸太蜜箱の蜂蜜も楽に取り出すことが出来るだろう。
ちょとだけ蜂に罪悪感も憶えつつ、夏の家への夜道を歩きつつ、ふと何かが動いた気がして空を見上げた。
「うわぁ…すごいや…」
夜空には、神々が僕を慰めるようにオーロラが翻っている。
まさに神々のカーテンだ。
いつも早い時間に寝てしまっていたから、しっかり見るのは初めてだ。
家に帰ったら、母ちゃんとエリン姉にも教えてあげよう。
僕の足は、知らず知らずのうちに駆け足になっていた。
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翌朝、完全にスモークされた丸太蜜箱を夏の家へと運び込んだ。
「とにかく、とりあえず蜂蜜にしないとねえ」
「トール、なにか方法は考えてるんでしょう?」
「まかせて!」
蜂が腐ったら蜂蜜が台無し。ここからは時間との勝負だ。
「まずは蜂の巣を取り出します」
「斧が要るわね。どいてなさい」
「待って待って。絶対に飛び散るから。ノコギリ使って。それかノミで」
中空の丸太なので、強度は意外と弱い。
強めに大きなノミの刃を立てていったら、意外と簡単に開いた。
木の皮を剥がして、剥き出しになった蜂の巣をナイフでこそぎ取って、リネンの袋を被せた桶に入れていく。
お亡くなになっている蜂や蜂の子は別の桶へ。
砕かれて鶏の餌になる運命だ。
うーん…なんまんだぶなんまんだぶ。
「トール、この後は?」
「桶を振り回します」
「は?」
「こうやって、ブンブンと」
本当は遠心分離機とかほしいけど、精度が高くて頑丈な金属製の歯車なんて調達できないし。木工で専用設備を作る技術力も僕にはないので。
いや頼めば村で作れる人はいるかもしれないけど、今回はテストだから。
桶の取っ手の縄をぶら下げてブンブンとハンマー投げのように回転させていると、リネンの粗い網目から蜂蜜が桶に染み出してくる。
「…原理的にはね。うまくいくはずなんだ。目が、回る…」
ちょっと6歳の僕には荷が重かった。
理論についてこれない幼い体が憎い。
「…要するに、桶をグルグル回せばいいのね?」
「うん」
じっと考えていたエリン姉は、家から天秤棒を持ってくると肩に担いで蜂蜜を2つの袋と桶に分けた。
「よーいしょっ、と」
担いだままグルグルとその場で回り始めると、だんだんと回転を上げていき、しまいには頭上に腕を伸ばして天稟棒だけを風車のように回し始めた。
「はははっ。たーのしーいっ!!」
エリン姉すごい。腕力もすごいけど、天秤棒を使ってバランスを取るという発想と、アイディアについてこれる運動神経はもっとすごい。
さすが精鋭戦士の家系。それを言えば、僕にも同じ血は流れているはずなんだけど。
「ところでこれ、どのぐらい回してればいいの?」
「うーん…どれぐらいだろう?エリン姉が飽きるまで?」
途中で止めて分離具合を確かめたいけれど、機械じゃないからエリン姉の気が済むまで回してもらった方が結果は良くでそう。
遠心分離が不足していたら、次の僕が頑張ればいいわけで。
「…ちょっと飽きてきた」
「はーい。じゃあストップ」」
数分間、エリン姉がブンブンと振り回してくれたお陰で、桶にはだいぶ蜂蜜が染み出していた。
「ごくろうさまー。っと、すごい量!」
2つの桶を足すと、数リットルはありそうだ。
…こんなにも量が採れるものなの?子供の力で軽く分離しただけだよ?
この後で圧搾したり、蜂蜜酒ようにお湯で巣を洗って取り出したりしたら、3倍ぐらいは採れるんじゃないか?
「…蜂蜜が営巣している巣箱、最低でも、あと30個はあるんだよね…」
夏に確認したときは30個で数えるのを止めてしまったから、今はもっと増えていてもおかしくない。たぶん。いや確実に上回っているだろう。50個あってもおかしくない。
採取量は概算で、数リットルの3倍の50倍。
重量に直したらkgじゃなくて、tで測るような重さになるんだけど…?
「うわー蜂蜜いっぱい取れたね―」
「そうねえ。何に使おうかしら」
「どうしよう…」
嬉しそうに桶を覗き込む母ちゃんとエリン姉を横目に、僕は膨大に採れてしまった蜂蜜の使用用途について、頭を抱えたのだった。




