第40話 父の不在と天高く馬肥ゆる秋 6歳 秋
意外なことに村長は、僕のような平民の子供が生意気にも反論したのに、殴ったりはしなかった。
この村というか社会は、わりと上下の風通しがいいんだよね。
サウナで裸で語り合う文化が良い方向に作用しているのかもしれない。
あるいは、単純に背後で村長婦人が笑顔で目を光らせていたからかもしれないけど。虎の威を借る狐というやつだろうか?僕は狐で村長婦人は虎?
「うーむ・・・勝てるのか?」
「はい!勝ちます!」
村長は唸り、何だか不満そうだったけれど「子供の競技ですからね!子供に任せて!」と押し切った。
これが大人の競技規則の決定についてだったら、そう簡単には行かなかっただろう。
大人のクナトルレイクには、重い面子と大きな政治的利益がかかってるからね。
でもね。村長には言っていないけれど、僕としては大人の競技規則を作ることになっても、競技場のサイズや道具など大人の身体能力に合わせた以外の規定は、子供の競技で実績があるから、と同じように押し切ってしまうつもりなんだ。
村長は、既に実績がある、実例がある、という前例主義の強さをわかってない。
僕が渡した羊皮紙の掟原案の中身を、あんまり読んでないみたいなんだ。
村長婦人に概要を説明させているみたいだけど、たぶん村長が口を挟みそうなところは端折って説明しているなじゃないかな。知らなかったら文句もつけられない。
村長は、たぶんルーン文字の読み書きが得意じゃないんだろう。
だけど、ちゃんと自分の目で確認する癖をつけておいた方がいいと思うよ。
悪い部下が勝手な政策を実行しても知らんぞ。
◯ ◯ ◯ ◯
「トール、おっそーい!」
ようやく家に帰ると、エリン姉に文句を言われた。
いや遅れたのは僕のせいじゃ…いや、僕のせいかも。
夏の家の裏手にある畑の収穫は、今が最盛期だ。
リーキ(西洋葱)、玉葱、えんどう豆、ニンニク、キャベツ…・
一つ一つの畑は広くないけど、たくさんの種類の野菜が植えてある。
ベリーやナッツ等の山の恵みと、家の畑の恵み。それと干した魚だけで長い長い極寒の冬を食いつないで行かないといけないのだ。
ちょっと野菜が足りないからスーパーで買ってくる、などというわけにはいかない。村で富裕層に見られるようになってきた我が家は、どちらかというと頼られる側になっているのだから。
「大麦はもうちょっとかな?」
「そうね。天気がいい日に一斉に刈ってしまいたいわね」
母ちゃんは大麦の穂を落としてしまわないよう、慎重に触れながら確かめている。
大麦は前日の雨で、少し湿っているから今日の刈り取りはなし。
欧州の大麦といえば背が高いイメージがあるのだけれど、北方の大麦は背が低い。
僕の顔に届かないぐらい。大人の男性なら腰ぐらいの高さだろう。
顔を上げれば、大麦の黄金の海の向こうには、本物の青い海が見える。
「…父ちゃんの帰り、まだかなあ」
「そうね。少しだけ遅いわね」
母ちゃんが、僕の頭を撫でた。
父ちゃんは夏のうちに、村の男達と交易のために長船で発って行った。
秋の収穫作業までには返ってくるはずだったんだけど。
「遅れるのはよくあることだから、心配ないわよ」
母ちゃんは、全然心配してないみたいだ。
正確な交易ルートは教えてもらっていないけれど、西の大きな島まで真っ直ぐ行って、沿岸の港街や島々に点在する村を、数週間から数ヶ月かけて回るんだとか。
交易相手の都合に加えて、風向きや天候の都合、水の補給、帆や船体の修理もするだろうし、スケジュール通りに行くことの方が稀だろう。
海で寒くないように、生石灰暖房用の石鍋と樽一杯に小分けした生石灰を詰めて持たせたのだけれど、ちゃんと使って温まってくれてるかなあ。
不味くて硬いパンと干し肉も、海の上でも食べられてるかなあ。
「父さんは強い男だから大丈夫よ
母ちゃんが繰り替し、僕も頷く。
この村がもう少し大きかったなら。干した魚だけじゃなく、もう少し便利で貴重な交易品があったなら。
父ちゃん達が出かけるんじゃなくて、相手の方から来てもらうようにできないものだろうか?
そうしたら、母ちゃんもエリン姉も僕も、村の女子供達も心配せずに済むのに。
◯ ◯ ◯ ◯
畑の収穫は、とにかく人手が足りない。
父ちゃんが作業に参加すること見込みの広さだからね。
それに、野菜は収穫するだけじゃなくて同時に保存食に加工する必要がある。
これがまた手がかかるんだ。
「2人とも、ちゃんと手は洗ったね?」
保存食づくりは、母ちゃんの得意とするところ。
土で汚れた手で作ると腐りやすいことは経験的に知られていて、僕とエリン姉は冷たい水で手を洗ったのを確認してから手伝い作業に動員された。
なかでもキャベツは冬のビタミン摂取の主戦力。
「エリンはキャベツの係ね。トールは塩」
「えー!私も塩がいいー」
よく洗い、干したキャベツを刻んで樽の底に入れる。木匙で少しパラパラと塩をかける。またキャベツを入れる。塩をかける。この繰り返しで樽いっぱいになるまでキャベツを詰めるんだ。するとキャベツから水が染み出して乳酸発酵で酸っぱい保存食になる。
作り方はキムチにちょっと似てる。ザワークラウトの原型みたいなものかな。
「トールはリーキを埋めておいて。こっちでニンニクと玉葱を吊るすから」
「はーい」
リーキは穴を掘って埋める。
いつどこに埋めたのか分かるように、木の棒にルーン文字を刻んで突き立てて置くんだ。文字が使えると便利。うっかり忘れてしまって土中のリーキを期限切れで腐らせてしまうことが減るからね。
病院なんてない村だから、食中毒は本当に命にかかわるんだ。
ルーン文字の習得はダイレクトに生存率を左右する技能だと言える。
冬にエリン姉にも教えておかないと。
リーキを埋め終わって家に戻ると、母ちゃんとエリン姉が器用にニンニクと玉葱を紐で縛って軒先に吊るしていた。田舎の人が干し柿を吊るしているような風景に、ちょっと懐かしさを覚えた。人間の暮らしは、時代や地方が変わっても営みは似ているものだね。
えんどう前は鞘から出して、笊に広げて天日に干すだけだから簡単。
摘みに来る鳥にだけ気をつけないと。
保存食作り、楽しいよね、ワクワクする。
◯ ◯ ◯ ◯
ざくり、と鎌をいれて刈る。
今日は晴れ。大麦の刈り取りを朝からやっている。
父ちゃんがいないから、僕も刈る係。
大麦、なんでこんなに広く植え付けてしまったのか…。
我が家だけでなく、近所の家も手が足りないみたいで手が借りられない。
大の大人が何十人もいなければ、労働力不足にもなるか。
刈り取りして、まとめて干し終わったら、今度は脱穀が待ってる。
「うーん…労働集約農業だ…」
刈り取りでしゃがみ続けて疲れた腰を伸ばす。
うちは農業地帯じゃないし小作農民じゃないからまだマシなんだけど。
大麦の需要が増えたら、脱穀や製粉に水車が欲しいという声が上がるだろうなあ。
「これ どこへ?」
「ああ、あちらの竿に縛って架けてください」
少しカタコトの女性に、刈り取った稲を藁で縛って干してもらうようお願いする。
若い女性の頭髪は短く、ウールの短衣を一枚だけ着て腰のところを紐でベルトにしている。足元は皮を折り曲げ縄で縛っただけの靴。そして皮の首輪。
忙しくてルーン文字教室へ行けない、と断ったら、村長から手伝いの奴隷が派遣されてきたのだ。たぶん村長婦人の手回しだろう。
冬は機織りをしている女性の奴隷も、収穫期は農作業の手伝いに駆り出される。
長屋敷から出しても、逃亡の恐れはあんまりない。
逃げ出したところで見知らぬ土地で飢え死にか凍死するだけだからね。
我が家の負担にならないよう、食事の時間は避けてやって来て、作業を手伝い、夕方には長屋敷へと帰っていく。
言葉もあまり流暢じゃないみたいで、母ちゃんとエリン姉も接し方に困ってる。
遠征の戦利品というやつなんだろうか。
労働用の奴隷をさらってくる、という文化には、いまだにちょっと馴染めない。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「そーれ!」
「えーや!」
「そーれ!」
僕とエリン姉で、乾燥した藁束へ向かって、ブンブンと縄でつなげた長い棒を両手で交互に振り下ろし、叩きつける。
見た目は巨大なヌンチャク。フレイル、という道具だ。
ゲームでは武器の一種としてよく登場する。
別に2人で遊んでいるわけじゃない。これが、このあたりの脱穀作業なんだ。
バンバン叩くのは楽しい。
千歯扱きを開発してやろうか、と思わなくもなかったんだけど忙しすぎて無理だった。それに第一、そもそも需要がなさそうなのも開発をためらった理由。
大麦は村で植えている数ある農作物の一つに過ぎないし、たいていの畑は小さくて離れてる。大麦は叩けば簡単に穂が落ちる。粒が密集している米とは違うんだよね。
だからフレイルで叩けば十分。
収穫した麦は樽に詰めて冬の家に持っていき保存する。
「そろそろ冬の家に移動するかねえ」
「えー!まだ夏の家がいい!」
冬の家を掃除しながら、母ちゃんとエリン姉が言い合ってる。
今年の改築は間に合わなかったなあ。
家畜たちは、冬に備えて一生懸命に1日中草を食んでいる。
今年はクローバーがいい仕事をしてくれたせいか、どれも肥えているようだ。
よく晴れた秋空は抜けるように蒼い。
「天高く 馬肥ゆる秋、か」
「なーにーそれー?トールがまた難しいこと言ってる―」
父ちゃんは、まだ帰ってこない。




