第39話 美女とのお茶会を邪魔するおじさん 6歳 秋
「ええっと…総則1:クナトルレイクにおいてはフォルセティ神に恥じぬよう、戦士として正々堂々と戦うべし、と…」
黒板に貝殻棒で書いただけの文案を、羊皮紙に慎重に書き写す。
いきなり直接書くのは怖いから、炭の粉を水でといた薄いインクをつけた金属のペンで下書き中。
すでにルーン文字教室という建前は失われ、僕は文書作成作業にガッツリ駆り出されていた。こんなの学習じゃない、児童労働だよ。ILOは何をしてる…。
とはいえ、労働条件は悪くない。
筆写にあたっては長屋敷の村長婦人専用に区切られた区画の、来客用の卓と椅子を使わせてもらっっている。しかも毛皮のクッションつき。席が硬い壁際のベンチじゃない、というだけで破格の扱いだろう。
さらに、労働後には、お茶とお菓子まで出るんだ。
ご褒美を目当てにカリカリと細かい作業を続けていると、婦人が関心したように言う。
「トール、あなた随分と丁寧な文字を書くのね?」
「この方がわかり易いと思いました!」
僕としては、字の綺麗さには自信がない。せいぜいフォントサイズを同じようにして左から右に書き、段落を意味により分けたり下げたり、カンマやピリオドなどの現代でも使っている文書記号は自重せずに使ったぐらいだろうか?
視覚的に整理しやすい文書デザインにできた自信はある。
それを表現する言葉がないので「丁寧な文字」という言い方になっている気がする。
「そろそろお茶にしましょうか」
お昼前に、今日の仕事は終わりにしてくれるらしい。
庶民には、この後の農作業があるからね。
父ちゃんが交易に出てしまっているから、僕も労働力として母ちゃんを助けないといけない。
村長婦人の合図で、侍女の人が火にかけた石鍋から煮出したハーブ茶を長い木の匙で金属製の器に移して運んできてくれる。ティーポットとかないんだよね。
「蜂蜜はどのくらい?」
「あ、たっぷりお願いします。たくさんで」
銀製の器なので(銀ですよ、銀!)当然ながら、さわると熱い。
蜂蜜をいれて優雅にかき混ぜながら少し冷めるまでお話をしながら待つのが、村長婦人主催のお茶会のスタイルらしい。
蜂蜜の甘い香りに混じり、ふわっと香る爽やかで心落ち着くような香りは…
「これ、カモミールですね?」
「あら、わかるの?」
「お茶が好きなんです。家族に無理やり飲ませてます」
「まあ!男の子がお茶好きなんて珍しいわね」
婦人が笑う。僕が家族にお茶を飲ませるのは健康維持が目的で好き嫌いの問題じゃないんだけどね。庶民はあらゆる手段で冬のビタミンを取らないといかんのです。
カモミール茶を入れた器の温度が落ち着く頃、侍女の人がお菓子を載せた木の皿を持ってきてくれる。
今日のお茶菓子はドライブルーベリーとヘーゼルナッツに蜂蜜チーズ。
うちはチーズは手間がかかるから作ってないんだよね。
フィヨルドは牧草地が狭いので、どうしても他地域から交易で買ったほうがお得になる。
やはり乳製品は正義。蜂蜜がかかってさらに美味しい。
父ちゃんもチーズ仕入れてきてくれないかな。母ちゃんもエリン姉も喜ぶぞ。
「美味しい?」
「はい!」
村長婦人が、お菓子を食べる僕をニコニコと眺めている。
平民の男の子なんて見て楽しいのだろうか。
村長婦人は不思議な人だ。外見は貴族女性らしく、よく梳かれた金色の長い髪は複雑な形状にガラスビーズや銀の装飾品と一緒に編み込まれ後ろに流されていて、青く染色されたエプロンドレスとの対比が目に鮮やかでよく似合っている。
おまけにルーン文字にも詳しい。女性でルーン文字の読み書きができるって、相当に珍しいことじゃなかろうか。貴族だと普通なのかな?
「あら?この服が気になるの?」
「いえ、その…」
青い染料、高いんですよね。子供フェンリルチームの盾を思いつきで青く染めたんだけど、後で父ちゃんが母ちゃんにすごく怒られてました。という趣旨の話を婉曲に伝えたら、お腹を抱えて笑われた。
家族の話もした。エリン姉も連れて一度お茶を飲みにいらっしゃい、だって。
気のせいかもしれないけど、微妙にだんだん待遇が上がっている気がする。
あの豊かな髪を維持するのも大変なんだろうなあ。侍女の人が頑張って毎日梳いて、たかい頻度で洗っているんだろう。
実は液体石鹸って、貴族向けには既に存在するんだよね。
生石灰と脂肪を煮込むだけだし、材料はある。
香りを良くするためにハーブと塩を入れるぐらいはやってる。
だけど材料と工程からわかるように、安い製品じゃないから庶民が普段使いできるようなものじゃないから広く使われてはいない。
サウナ中心のライフスタイルだと微妙に液体石鹸が使いにくい点も挙げられる。
植物性天然サポニンの新鮮な白樺の枝葉で体を叩くのが一番綺麗になる、という風潮もあるから、そこまで動物性石鹸の人気は高くない。
安価に作れたら、洗濯用とかまた違ったニーズが喚起できるんだろうけどね。
やはり文化の来歴が違う感じがする。村長婦人はどこから来たんだろう。聞いても良いものだろうか。たぶん良くないだろうなあ。
「どうれ。どこまで進んだかな?」
楽しく優雅な時間を邪魔しに来るおじさんがいる。
のっそりと髭の顔を出したのは村長である。
「そうね。今のところ、他の村々へ知らせる手紙を準備はだいたい済んだわ。それから…」
運営は村長婦人。責任者は村長という体制だから、2人の間で報告を求められたり、報告をするのは当然のこと。
だけど僕はなぜ同席しているんだろうか。建前としてはルーン文字を習っているだけで実態は可愛そうな児童労働を強いられている手伝いに過ぎないはずなんだけど。
「しかしなあ、シグリズ。用意するものや人数について先方へ知らせるのは良いが、掟についても知らせておくのはやり過ぎではないか?」
「なぜですか?その方が、当日の運営が楽になりますでしょう?」
いるんだよねえ、こういう文句つけるのが仕事と勘違いしてるおじさん。実務は面倒くさくて丸投げしたくせに、口だけは挟みたいんだから困るよね。かと言って、報告しないと、俺聞いてないぞ、面子を潰されたと邪魔する側に回るから扱いに困る。
「クナトルレイクは神事というだけではない。政治だ。勝てば村の面子が立つ。負ければ面子が失われる。少なくない費用を出して招致して試合を行うのだ。掟は秘しておいた方が有利ではないか。試合の前に掟を教えることにすれば不誠実ではない」
そういう小賢しくてセコい武略は、僕は嫌いです。
クナトルレイクは地域共通ルールになることを目指します。
つまり地域のコモンセンスになるという巨大な公共の利益を追求するんです。
村の小さな利益なんかを挟んで普及を妨げることは許せません。
「あなた、村のことだけじゃなくて…」
「クナトルレイクは政治である前に神事です。フォルセティ神にかけて公平で公正な運用がされるべきです」
「お前は…?」
村長が何か言いかけたけど、言いたいことを先に言ってしまう。
殴られたりしたら続けられないからね。
「アスガルドの神々にかけて。大神オーディンにかけて。雷神トールにかけて。クナトルレイクは戦士にとって、公平で公正な戦いを保証するものであるべきです。それは人数、道具。そして知識もです。戦いの掟は知らされるべきです。どうすれば勝ち、何をすれば負けであるか知らなければ、良い戦いにならないではありませんか?
神々に捧げる戦士の戦いは明確に、正々堂々と行われるべきです」
む、と村長が黙り込んだので、僕は最後に笑顔で言う。
「それに、僕達の村の子供を信じてください。僕達は強いですよ?他の村の子供になんか負けるわけがありません」
実は僕自信はクナトルレイクの試合に出場したことがないのは、この際遠くの棚に放り投げておいて自信満々に胸を張ったのだ。




