第38話 実りの秋 学びの秋 文化の秋 6歳 秋
フィヨルドに秋がやってくる。
あれほどに長かった日照が短くなり、朝や夜はしっかり暗くなる。
寒暖が激しくなり、気持ちよく晴れ渡っていた空も朝霧や小雨が多くなってきた。
山々の白樺や楓、ナナカマド類が一斉に紅葉し、赤、橙、黄の鮮やかで美しいコントラストがフィヨルドの水面に映える。
秋は最も美しい季節。そして収穫の季節でもある。
「わたし、秋が一番好き!」とエリン姉は言う。
僕もエリン姉と同じ理由で秋が好き。
秋はフィヨルドの野山に沢山の果実をもたらしてくれる。
森を少し歩けば、コケモモ、ラズベリー、ブルーベリー、ナナカマドの実が籠一杯に採れるんだ。
その場で食べてもいいし、乾燥させておやつに摘むのもいい。
保存食としては、水につけて保存したりもするし、ナナカマドの実は煮込んでジャムっぽくしたりする。味はちょっと酸っぱくてジャムというよりソースだけど、パンや魚に合わせて食べると、すごく美味しいんだ。
保存食づくりは母ちゃんの得意とするところ。エリン姉と僕も手伝いをする。
「蜂蜜がたくさんあったら、もっと美味しく保存できるんだけどねえ」
「そろそろ取ってみる?」
夏にもの凄くたくさん、たぶん100本ぐらい設置した丸太蜜箱には、かなりの蜜蜂が巣を作っているみたい。
ちょっと広域にたくさん作りすぎたのと忙しすぎて、正直なところ見回りが出来ていないのだ。営巣が30箇所を過ぎたところで僕は数えるのをやめていた。
だって、どう考えても自家消費できる量を超えてたから…。
もう少しだけ寒くなってからの方が蜜蜂の動きが鈍くなって取りやすいかもしれないけれど、冬まで待ってしまうと保存食として蜂蜜が消費されてしまう。
ちょっと悩みつつ採取の時期を計っている。
もう一つ、僕がもの凄く楽しみにしていることがある。
鮭の溯上だ。
フィヨルドに流れ込む川の幅一杯に、銀色の鱗を水面に煌めかせて産卵のために鮭が上ってくる光景を想像しただけで興奮してくる。
タラも美味いけど、サーモンはもっと美味い。
魚卵もしっかり塩漬けにしてやろう。
このときのために塩を備蓄していたと言っても過言ではない。
子供だからプリン体とか血圧とか全く気にしなくていいからね。
腹がはち切れるまで食べるのだ。
村では大人達が鮭やマスの溯上に備えて、投網や追い込み漁の準備をしているらしい。
秋の味覚が今から楽しみで仕方ない。
だけれども夏から秋へと季節が変わる一方で、変わらず続いているものがある。
「だいぶ書けるようになったわね」
「はい」
僕は未だに村長婦人のルーン文字教室に通い続けていた。
ルーン文字のアルファベットは、実はそこまで難しくないんだよね。
昔は24文字あったらしいけど、今はたったの16文字しか使ってない。
まあ、その代わり1文字で複数の音を持っていたりするから発音はややこしいんだけど。
意外だったのはルーン文字単体では魔術的な意味合いなどはなくて、そのへんに書きつけても特に何か言われたりはしないこと。
家でもガシガシ練習してるけど、母ちゃんやエリン姉も特に気にする様子はない。
「この黒板と貝殻棒というの、とても便利ね」
「はい。まあ出来はいろいろと不満なんですが」
最初はナイフで小さな木切れに刻むかたちでルーン文字のアルファベットの書き取り練習するように言われたのだけれど、手が疲れるし危ないし細かい字が書けないので拒否。
「これ、危ないし不便だから、あんまりやりたくないです」
そうしたら、村長婦人は目茶苦茶驚いてた。
貴族で師匠に逆らう平民の子供がいる、なんて想像もしたことがなかったらしい。
いやいや待ってください。僕は理由なき反抗をしているわけじゃないんです。
明日まで待ってください。本物の筆記用号を持ってきてやりますよ。
と、脳内でだけ反論して、翌日の教室に黙って黒板と試作品のチョークを持っていくことにした。もっと良い筆記用具を準備したら納得してくれるだろう。
ルーン文字を木に刻んで書いてみていわかったのだけど、横向きの木目で文字を誤読しないように、横線は避けて縦線と斜め線が中心にアルファベットが組み立てられているんだね。
まあ、そんなのは無視してチョークを作ってやりましたよ。
生石灰と水と膠と熱源さえあったら作ること自体は難しくないんだ。
小麦粉で固めることもあるぐらいだからね。
ただ製品としてのチョークを知っていると、低すぎる完成度に悲しくなるのでモチベーションが湧かなかっただけで。
それでもナイフで木に刻ませられるよりはずっとマシなので作ったのだ。
「ちょっと強く持つと汚れるし崩れるから…木の皮を巻けばいいかな」
硬さと書き味の両立、なんて高度なことは出来ないので持ち手を作った。
白樺の薄い木の皮を撒いて紐で縛ってとりあえず完成だ。
黒板の用意は、もっと簡単。クナトルレイクのスコアボードを作ったときに、失敗した余りの小さな板を持っていった。
そうしたら、昨日とは別の顔で村長婦人はめちゃくちゃ驚いてた。
「小さなフギン…あなた、なんて便利なものを作ったの!?」
「いえ…貝殻の焼いた白い粉は前から顔料で使ってましたし、黒板はよく見えるように黒いタールと鉄渋を塗っただけですから。そもそも、夏のクナトルレイクの得点を書くのに使ってましたし」
「わたし、クナトルレイクはあまり見ないの。野蛮だから」
「えっ」
今度は僕が驚く番だった。
この村でクナトルレイクの熱狂的支援者でない人なんているんだ!?
村長婦人は別の村から嫁いてきたらしいけど、違う文化圏から来てない?
そう思って見てみれば顔立ちや服装も、なんとなく違う東方文化の香りがするような…装飾品とか服に詳しくないからよくわからないけど。
いろいろと異文化の衝突がありつつも、黒板と貝殻棒の導入で村長婦人のルーン文字教室は、もの凄く進んだ。
道具が良ければ学習は進む。学習が進む分だけ僕の学習強度が増える…あれ?
楽をするために導入した道具が、なぜ僕を苦しめるんだろう?
「先生《村長婦人》、数字は棒線の組み合わせにしておきましょうよ。文字で書いたって伝わらないし誤解が生まれますから」
「なにを言うの。正式な手紙の数字なんだから、文字で書かないとダメに決まっているでしょう?」
僕と村長婦人で見解がぶつかっているのは、手紙などに採用する数字をどのように表記するのか、という話だ。
僕はだんぜん、棒線派。タリーマークのように、商人や平民が数を数えるときに木片に刻む縦線が4、斜め線が1で合わせて5と数えるやり方だ。
わかりやすく、何よりも広く使われている、という利点がある。
村長婦人は、手紙とは貴族間の礼儀であるから数字についても古ノルド語の数詞をそのままルーンで書いて表現したい。仮に英語で表現すると、123をone two threeと書くようなやり方だ。
絶対わかりにくいし誤読が発生すると思うんだよね。
「手紙を読む人のことを考えてくださいよ。ほとんどは平民ですよ?貴族しか読めない文字で書いたら貴族が中心に準備をしないといけないじゃないですか。村にやってくる子供の人数を村長が数えることになりますよ?」
「それは…ちょっと無理があるかもしれないわね」
実際の光景を想像してみたのだろうか。村長婦人は僕の意見に譲ってくれた。
本当に頭が良く合理的な女性だ。
しかも若くて綺麗なのに、なんでまたうちの村長のところなんかに嫁に来たのだろう?不思議だ…。
◯ ◯ ◯
村長婦人の手紙教室は進み、アルファベットの習得から実践的な手紙を書くという段階に移っている。
平民で子供の僕が文案を練ったり他所の村向けの手紙を書いているのはどう考えてもおかしいと思うのだけど、あくまで練習、という体裁で教室は続いている。
まあ手紙はいいんだ。形式があるから村長婦人に従って書けば良い。
だけど、中には僕が創造性を最大限に発揮しなければならない文面もある。
「クナトルレイクの実施要綱、日程、参加者の持ち物、それにルール、かあ」
この中で、最も記述が難しいのはルールだろう。
ミクロなルールは多くの人が癒えると思うのだけれど、競技のルールは体系で考えなる必要がある。
「何のためにこのルールが存在するのか」という総則と法の精神が最初にあって、細かな細則は総則を実現するためにあるのだ。
僕が書くクナトルレイクのルールは文字として伝わりやすいだけでなく、きちんとクナトルレイクの精神を交えて競技体系化されて書かなければならない。
「これは僕しか書けないだろうけど…僕が書いてしまって良いものなのだろうか?」
書いている途中で、ヴァイキング文化に大きく影響を与えてしまう大それた行為あのでは?という疑念が頭をかすめたけれど、そもそも仕事を押し付けてきた村長が悪いわけだし、大人がなんとかすればいいので僕は悪くない。
規則改変の手続きについても書き加えておけば、気に食わなかったら改変するでしょ。
難しい政治のことは、大人たちが苦労して責任をとるべきなのである。
と、途中で考えるのはやめて書き上げた。
そのときの僕は、秋の収穫労働とルーン文字学習との忙しさでで投げやりになっていたので、僕が起草した「クナトルレイク競技総則」が北方社会に与えることになる文化的影響、あるいは後世に言うところの「社会文化的激震」については、全く想像もついていなかったのだった。




