第33話 魔術じゃないよ技術だよ 6歳 夏
父ちゃんが夏の交易団の一員として遠征に帯同することになった。
畑起こしや種まきなどの一番男手が必要な時期が過ぎると、村の男達は夏の出稼ぎへ出かけるのだ。
村に余裕と交換する商品があるときは交易。どちらも無いときは略奪。
とても分かりやすい。
幸いなことに、今年の選択肢は前者。
後者の略奪行は実入りも危険も大きいが、ハイリスクハイリターンの選択肢。
成功した略奪でも2割ぐらいは死んだ、と聞いているからね。
うちの兄も1人、略奪行で死んでいる。
「母さんとエレンを頼んだぞ」
「うん」
父ちゃんが僕の頭を撫でる。
父ちゃんがいない間は、家と家産の守りは僕に任される。
実際、我が家も村では富裕層っぽくなり始めているから用心は必要だ。
母ちゃんのお友達ネットワークがあるから滅多なことは起きないと思うけど、男手が幼い僕だけというのはいかにも頼りない。
なので父ちゃんには、どうしても無事に帰ってきてもらわねばならぬのです。
そのためには、僕も最善を尽くします。
「父ちゃん。交易に行く前にどうしても憶えてもらいたいことがあります」
「おう。どうした?」
僕が用意したのは、大きな貝殻に詰めた生石灰。
石鹸石のカップがいくつか。水を入れた桶。
「これは貝を焼いた粉です。水をかけると温かくなります」
貝から木匙で生石灰を石鹸石に少量入れる。
柄杓で桶から水に入れる。
棒で混ぜる。
「はい。父ちゃんも同じことをやってみて」
「う、うむ。魔術じゃないだろうな…」
こわごわとへっぴり腰になりながら父ちゃんも同じように、木匙でカップに生石灰を入れ、柄杓で水を注いだ。
「はい。エリン姉もやってみて」
「え?う…うん」
「目をつぶってやったら帰って危ないから」
「だ、だって怖いんだもん」
エリン姉も少し水をこぼしながらも、なんとか同じことをする。
「わっ。煙出てきた」
「煙じゃありません。湯気です」
石鹸石のカップの中で、生石灰と水が反応して熱を生み、水の温度を上昇させて湯気が発生しているのだ。
「不思議ねえ…」
「このように父ちゃんとエリン姉でも出来るから魔術じゃありません」
「魔術じゃないなら、古代の技術というやつか…?」
「まあ、そうなるのかな…?」
古代ローマでは大理石、つまり豊富な石灰岩を用いた建設技術が発達していたそうだから、生石灰の水和反応も工学的現象として広く知られていただろう。
その意味では、古代技術というのは間違ってはいない。
「はい。ではカップをそっと触ってみてください」
こわごわと父とエリン姉が湯気の上がっている石鹸石のカップを触り、目を見開いた。
「あ、温かい!」
「すごいな。温かいぞ」
よしよし。これでようやく道具開発のスタートラインに立てるぞ。
「貝の焼き粉と水を使えば、火を使わずに温かくできるでしょ?これを使えば、寒くて火を起こせない海の船の上でも温まることができると思うんだ」
「お、おう」
「例えば、海の上で寒くて眠れない夜に、防水の毛皮の寝袋の足元に口を閉じて温まった石の鍋を入れたら全然違うと思うんだ」
「それは…ありがたいな。本当にありがたい」
父ちゃんの目つきが少し変わってきた。
村長のところに1隻だけある大型長船は船首と船尾こそ荒波を切り裂くように高くそびえているけれど、盾とオールを設置する舷側の高さはそれほどでもないから、外洋の高い波にさらされれば、冷たい海水を被り放題になるだろう。
雨や嵐の際には帆を下ろして簡易タープのように船に被せて凌ぐらしいけれど、基本的には船室などない吹きさらしの大型ボートに過ぎない。
冷たい海で暖がとれる、というのは抗いがたい魅力があるに違いないんだ。
「トール、これはどのぐらい熱が続くんだ」
「貝の焼き粉と水があればいくらでも。だけど試した限りだと、薪を燃やすようにはいかないから、温めた後は毛皮とかに包んで寝袋の足元に入れるような使い方がいいと思う」
「そうか…いや、それでもありがたい」
使うことに同意してもらえば、あとは用法だ。荒れる海の上、冷たさでかじかんだ指で木匙で生石灰を測らせるのは無理があるよなあ…。
小さな麻袋に1回分の生石灰を入れておいて、石鍋に水を足してもらうようなパッケージ化が必要かもしれない。
水密を区切った防水樽に分けていれておかないと、海水をかぶって一度に駄目になったりするかもしれないから、保管方法も工夫しないと。
「それから古代技術を応用した料理です。これは母ちゃんにも手伝って欲しい」
「あ、あたしかい?」
他人事のように傍観していた母ちゃんにも声をかけて、生石灰を用いた古代技術の実演に参加してもらう。
「ま、魔術じゃないだろうね…」
それはもう父ちゃんがやったから。
「け、煙がでてきたよ!」
それもエリン姉がやったよ。
反応がまるっきり家族だなあ…。
「そっと湯気を触ってくれる?あんまり近づかせなくていいから」
「こ、こうかい…?あら、温かいわね」
母ちゃんの強張っていた氷上が少し緩んだ。
「この湯気を使って蒸し料理をつくったり保存食を温めて寒い海で父ちゃんに食べてもらいたいんだ。これは母ちゃんにしか出来ないから、お願いしたいんだけど」
「まあ!」
航海する父ちゃんのための蒸し料理、と知って母ちゃんの目つきも真剣なものに変わった。
調理場から鍋を持ってきて、水蒸気の量や時間の検証を始める。
「あんまり長くは続かないみたいだね」
「うん。だから調理と言うより、湯気で温める感じになると思うんだ」
「…ちょっと時間はかかりそうだね。貝の焼き粉はまだあるかい?」
「たっぷりと」
冬の間中、ずっと社交場を稼働させ続けていたからね。
あり余った熱源と時間を使って、塩作りのついでに貝殻もずっと焼いていたから、生石灰は山ほど樽に詰めて貯蔵してあるんだ。
料理用の生石灰も、お弁当のように一食分だけ温めるだけの量を麻の小さな袋に入れて鍋に水をかけるように運用になるのかな。
メニュー開発と生石灰の使用量の割り出しについては母ちゃんに任せられそうだから、僕は小さな麻の袋を量産するか。
ひさびさに僕の神々《アスガルド》から授けられたチート能力、縫い物が得意が火を吹くぜ!
…神様、僕の能力は地味すぎませんか?




