第32話 経験がない?習うより慣れるのだ 6歳 夏
北欧の森は、温帯の森とは全然違うのです。
樹冠の合間からは夏の光が柔らかく差し込み、苔の緑と針葉樹の深緑がコントラストを作ります。
足元は苔でふかふかしていて、適度に伐採されて歩きやすくなった足元にはブルーベリーの低木が生えています。
鳥のさえずりが聞こえ、狐やリスを見かけることも多いのです。
そんなメルヘンから出てきたような美しい森の中で。
僕は石のスコップで穴を掘っています。
「父ちゃん、これくらいでいい?」
「十分だな。じゃあ、ちょっと退いていなさい」
丸太を何本も背負った父ちゃんが穴に丸太をぶっ刺す邪魔にならないよう、横に退く。父ちゃんがグリグリと丸太を挿したら、僕はスコップで周囲の土を持って地面を固める。父ちゃんが小さな屋根を丸太に取り付ける。
これで一連の丸太蜜箱設置の作業は終了だ。
「ええと、これで何本目だ?」
「父ちゃんの背中に残ってるのがあと4本だから、6本目が終わったね。今は4日目だから、36本目?」
「…少し作りすぎたかな」
「そうかもね…」
最近は、父ちゃんが北欧の明るい夜に夜なべして造り貯めた、とてもたくさんの丸太の蜜箱を設置して回っている。
作りすぎて家の周囲にはもう挿すところがなくなったので、近くの森にまで遠征して設置してる状態だね。
正直なところ、見回って管理できる数や範囲を大幅に越えている気もするけれど、分蜂した蜂の越冬に役立ちそうだし、それはそれで良いと思う。
それよりも、せっかく父ちゃんと2人きりなので、気になっていたことを話し合うことにする。
「父ちゃんさあ、クナトルレイクを大民会でやるのはやっぱり無理だと思うよ」
「そうかあ…」
「だって掟も道具も競技場もちゃんと統一されてないんでしょ?審判をどこの村から何人出すとか、反則した戦士をどうするかとか。怪我したり死人がでたらどう処理するとか決まってなさそうだし。嫌だよ、クナトルレイクが原因で戦争になったりしたら」
「ううむ…そうだなあ」
村長の長屋敷に出入りできる身分でも年齢でもない僕は父ちゃんから状況を間接的に聞くしか無いのだけど、大民会でクナトルレイクを開催しよう、という意見はまだ出始めたばかりらしい。
どこのあたりまで新しいクナトルレイクが広まっているのかわからないのだけれど、かなりの熱狂を呼んでいる気がして怖いぞ。
新しい競技だからとにかく試合をしてみたい、という気持ちはわかるんだけどね。
「村を集めて大きなイベント運営の経験なんて誰にも…いや、戦争とか略奪行で経験はあるのかも?」
大民会が行われていることでもわかるように、村々が集まって一緒に行動するという経験はありそうだ。大人数で遠征し略奪するという一大イベントをこなすノウハウもあるのだろう。
問題は、戦争や略奪行が大勢の死人が出ることを前提とした究極の自己責任イベント運営であることなだけで。
戦争の流儀で大クナトルレイク大会の運営はやってやれないことは無さそうだけど、物凄い血を見る気がする。
まして女子供が気楽に見に行けるようなイベントではなくなるだろう。
それは嫌だなあ。
「父ちゃんさあ、僕もクナトルレイクは好きだけど、村でやってる試合が好きなんだ。大人の戦士達が殺し合うようなやつは好きじゃない。きっと母ちゃんもエリン姉も応援してくれないよ」
「それは…そうだろうな」
父ちゃんも、村のクナトルレイクは楽しんでくれた。
あの経験を見に来る人みんなに体験して欲しいんだ。
「それにね、新しいクナトルレイクって掟があるから、戦い方も複雑でしょ?子供達だって、今みたいに試合できるまで、けっこう時間がかかったし。だからね、もっと大人も練習する時間をとってからの方が、良い戦いができると思うんだよね。良い戦い方ができた方が、村の名誉になるでしょ?」
「村の名誉がかかっている、か」
村の名誉は、大人の戦士にも響く言葉だ。
父ちゃんは少し考え込む。
「トールは、どうしたらいいと思う?」
珍しく父ちゃんに意見を聞かれたので、頭を絞って答えた。
「僕はね、主催する側も練習が必要だと思う。とにかく、いっぱい考えること、経験しないとわからないことがあると思うんだ。
例えばだけど、審判の間で掟の基準を合わせる話し合いとか、船でやって来たらどこに停泊させるとか、どこに引き上げるとか。
参加する人だけじゃなくて、見に来た人をどこに泊めて、どこで何を食べてもらって、どこでトイレをしてもらうとか。冬だったら野外テントに泊めるわけにはいかないでしょう?
それと病気になった人がいたら、怪我をした人がいたら、万が一亡くなった人がいたらどうするか、とか。
競技場の観客席にどんな順番で座ってもらうか、とか。競技や宿泊のための新しい建物を建てたり、食事を提供したり、薪を燃やす費用を誰がどの位負担するのか、とか」
少し考えただけで、ものすごくたくさんの懸念点がある。
クナトルレイクの掟や道具の統一なんて全体運営の難しさから見れば、些細なことなんだよね。
なにしろ大規模で安全で楽しいスポーツイベント開催のノウハウ、というやつをゼロから蓄積しないといけないんだから。
戦争や略奪と違って、強い戦士だけ集めて生きるの死ぬも自己責任、食料は自弁。以上!というわけにはいかないんだ。
女も子供やってきて、皆で楽しんで、笑顔で安全に帰ってもらうまでの一連の流れを詳細に設計する必要がある。
一番の問題は、こうした事態が発生するだろう、ということを誰も認識していなさそうなことだよね。
見えない問題は議論されない。
それが怖いんだ。
「だから、練習が要ると思うんだ。一度、3つか4つの村だけで小さな大会を開いたらいいんじゃないかな。大民会の主だった人に運営に参加してもらって、大会の練習をするんだ」
「なるほど。大きな戦の前に若い戦士を小さな戦に出すようなものだな」
「うーん…まあそんな感じ…かな」
例えがちょっと伝わりづらいけど、たぶん分かってもらえたと思う。
とはいえ、父ちゃんも自由農民階級でしかないから、貴族の村長の意思決定をどこまで左右できるかはわからない。
まして大民会の決定まで意見が通るかどうかとなると、小石を海に投げ入れて大津波を引き起こすぐらい難しいことだろう。
だけど子供の僕に出来ることはほとんどないし。
責任ある大人達に、難しい政治は任せておこうね。
「それでね、父ちゃん。家に帰ったら練習してほしいことがあるんだけど」
「…ううむ」
考え事をしているのか、父ちゃんの返事も何だか上の空だ。
まだ丸太蜜箱を設置する仕事が残っているのだけど、大丈夫かなあ。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
しばらく後で、秋にわが村で4ヶ村対抗の子供クナトルレイク大会が行われることが決まった、と聞かされた。遠い村の偉い人も沢山来るんだって。
おまけに、僕も子供代表として運営に加わるらしい。
いやいやいやおかしいでしょ?
なんで?




