第19話 SNSサイト(物理) 6歳 春
「うっ…苦しい…」
息苦しくて目が覚めると、寝台でエリン姉が僕の頭を抱えるように抱きついていた。
姉を起こさないように、そろりそろりと慎重に腕を外して起き上がる。
「うー…さむさむっ」
ブラック労働従事者(6歳)の朝は早い。
まだ暗い中を、毛皮の靴で霜柱と雪をさくりさくりと踏みしめて海岸へ出る。
天気は…薄曇りか。
海岸近くに設置された製塩炉に着いたら、父ちゃんが夜のうちに汲んでおいてくれた木桶の氷を木槌で割って、氷は共同倉庫の保管用の箱に移す。
残った濃い塩水に、慎重に量を測った生石灰を来匙で投入して混ぜる。
こうすると海水中の苦みの元である塩化マグネシウムが、生石灰の酸化カルシウムと反応して、難溶性の水酸化マグネシウムとして沈殿するんだ。
出来上がる塩の品質も上がるし、おまけで海水もちょっとだけ温まる。
貝殻を焼いた生石灰を使っている分だけ、うちの塩の品質は藻塩とかで村で塩作りをしている人達の塩とほとんど変わらないか、純度では上じゃないかと思ってる。その上、製造価格は拾った貝殻と熱源フリーの製塩炉なのだから、価格面競争力では勝負になるわけがない。
そんな安価な塩を大々的に村で流通させたら、村内の既得権層と血の抗争勃発が待ったなしである。
というわけで、うちで造った塩は今のところあんまり流通させてない。
家に溜め込んで保存食作りに使ったり、社交場でご婦人方に出すスープの味を濃くするのに使ったりするぐらいに留めている。
社交場にご婦人方が集まる理由の何割かは、塩味の濃さも効いている気がする。
塩味が濃い、というのは村では贅沢品だからね。
「まーざれまーざれまーざれ…ぼーくは魔術師じゃーないぞ―」
「あー、いたいた。トール、朝ご飯だって」
でたらめな歌を歌いながら木桶の塩をグルグルと混ぜてニガリを反応させていると、髪がボサボサのエリン姉が呼びに来た。
家で軽い朝食を済ませたら、今日も労働本番の始まりだ。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「よいしょ、っと…」
「トール、ちょっと貸しなさい」
最初に、生石灰で苦みを取り除いた海水を、エリン姉と母ちゃんに手伝ってもらいながら製塩炉にセットする。燃焼の距離を稼ぐために、鍋の置き場が高めに設置してあるから辛い。
階段とか造ろうかな。いやテスト用の炉だから来年には移築するか。僕の背だってまだまだ伸びる。
それに背丈だけじゃなくて、根本的に筋力が足りない。早く大人になりたいなあ。
「そもそも大型化するなら、器械化ぐらいはしたいよね」
今の家内制製塩業で行っている作業プロセスは、海水を汲む、氷を取り除く、生石灰を撹拌する、熱源にかける。これらを器械化したい。
別に人海戦術でも良いのだけれど、器械化して効率化する方が趣味に合うんだよなあ…。
製塩炉に火を着けながら、ぼんやりと将来の製塩工場の図面を描いたりもする。
あとは床暖房で温まりながら火の番をしつつ、ぬくぬくと父ちゃんが漁から帰って来るのを待つ…そんなホワイト労働環境が許されたのは過去の話なのであった。
「うっ…溢れてる…」
製塩炉にいつの間にか併設された共同倉庫には、既に社交場利用料として新鮮な魚が数尾納められていた。今日もよろしくお願いしますね、という圧力を感じる。
暖房用燃料としての薪や泥炭もうず高く積まれていて、最近は父ちゃんが薪を割る回数がめっきり減った。
「母ちゃん、よろしくお願いします」
「はいよ」
今日の納品はタラの一種。少し小さめ。交易商品としてはあまり人気がない種類で家庭内消費されるものが寄付されることが多い。
母ちゃんがナイフで手早く腹を切り裂き、内臓を取り出す。
「肝臓は…あとで煮出そうかね。体にいいからね」
「え”っ…」
エリン姉が顔をしかめた。
タラの肝臓を煮出した脂は、タラの肝油として薬になる。
この村では、冬の間のビタミンを補充する医薬品として、子供の頃から魚臭い脂を定期的に木匙で飲まされるんだよね。
当たり前だけど、ぜんぜん美味しくない。
美味しくできたら肝油ドロップとかになるはずなんだよね。
蜂蜜が貴重品じゃなかったら、甘い肝油とか作るのに…。
そんなニーズがあるかは知らない。
「よいしょ、よいしょ」
処理してもらった魚は、別の濃い塩に着けておいて、明日の朝、燻製にする。
今朝は昨日から処理しておいた魚に糸を通して、小さな燻製小屋の中に吊るすのだ。
高い場所は背が届かないので、箱に乗って背伸びしての作業になる。
「もっと大きい燻製小屋が要りそうだなあ」
先日のご婦人方の反応を見るところ、今後は村でもコールドスモーク魚介類のニーズが爆発しそうな気がする。
下手をすると、全ての燻製をコールドスモークにしよう、などと言い出すのではなかろうか。
僕がなんとか数尾の魚を燻製小屋に吊るし終えた頃、社交場へ朝の家事を終えた村の女性達が集まり始めているのが見えた。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
社交場のベンチが製塩場の煙で温まる頃には、女性達はすっかりお喋りの方で温まっている。
しかしよくよく観察してみると、彼女たちは口だけ動かしているわけではなく、持ち込んだ羊毛の塊から、棒と重りを使い実にうまく糸を紡ぎ出してもいるのだ。
その道具は、紡錘車と呼ばれている。
母ちゃんもエリンも、村で見かける女性達は暇さえあれば糸を紡いでいる。
糸は編めば布になるし、布は服や帆にもなる。とりわけ長船には巨大な帆が必要だ。
なので糸はいくらあっても足りないのだろう。
社交場では、糸の紡ぎ方を互いに教え合ったりもしていて、エリン姉も母ちゃん以外からも教わったりしているみたいだ。
「なるほどなあ…物理のSNSなんだな」
ご婦人方の社会的圧力に負けて勢いで整備した社交場だけれど、村の女性達には確かにこの場が必要とされていたのだろう。
たまたま、これまではニーズが顕在化していなかっただけなのだ。
過去にも洗濯とか炊事とか共同作業の際に小さな社交は近隣で行われていたのだろうけれど、そうした時限的で局所的な小さな交流所と比較すると、今の社交場は圧倒的に開放的で快適だものね。利用料は安価で、おまけにスープやお茶もついてくる。
SNSサイト(物理)としてのサービスレベルが全然違う。
そりゃあ独占サービスになりますね。
運営者(1人)は火を吹いて走り回っているんだけど…。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「今日は、別の蒸し料理を紹介しますよ!」
お昼近くになる頃、母ちゃんが新しい蒸し料理の紹介を始めた。
簀子を使った蒸し料理のレパートリーなんて、なんぼあってもいいですからね。
新しい道具を使った新しい料理法には、新しい料理が必要とされている。
それに、母ちゃんが昨夜から張り切って準備していたのを、僕は知っている。
母ちゃんに先導されるまま、新しい料理に興味のある女性陣が、ぞろぞろと製塩所に併設された熱利用のキッチンに移動する。
このキッチンも石造りになっていて、焚き火と違って火傷しにくいのもいいんだよね。
母ちゃんはキッチンに鍋を置くと、少しだけ水を注いで、その上に木製の簀子を置いた。
昨夜、父ちゃんが木工でつくらされていた、ちゃんとした簀子だ。
僕が枝で糸を縛ってでっち上げた物とは違う。
そうして簀子の上に、ハードタックの大麦パン、コールドスモーク燻製ニシン、キャベツ、リーキ、ニシンの卵の塩漬けの順で置いた。
ハードタックの大麦パンというのは、簡単に言うと焼いた大麦粉で出来た皿なのである。保存食であり、薄くて、硬い。実際、皿として使われることもある。
そのまま食べると歯が欠けるので、たいていはスープに浸して柔らかくしてから食べる。父ちゃん達船乗りは、これを常用食としているらしい。
断じて、家庭で喜んで食べるようなものではないそれを、母ちゃんは蒸し料理に使おうとしている。ご婦人方からは、この暴挙に対し大丈夫だろか、という戸惑いの空気が醸し出されていた。
そこで母ちゃんは、秘密兵器を出してきた。
大きな木の皮で編んだ笊のような籠を取り出し、それを鍋に被せたのだ!
僕は思わず心のなかで叫んだ。それって蒸籠じゃん!早い、早いよ!
あまりに料理文化の進歩が早い。母ちゃんは天才じゃなかろうか。
やがて蒸気が上がり始めた。
なにしろ、製塩炉は業務用の熱源だからね。家庭用とは火力が違いますよ。
蒸気が蓋の隙間から漏れ出し、冬の空気を真っ白に染める。
食材が否応なく蒸されて熱されていることが、視覚的にもよく分かる。
やがて十分に蒸されたと判断したのか、母ちゃんが被さっていた籠を取り去ると、ふわっ、と熱気と料理の香りが広がった。
わあっ、と見守っていた女性達からも声があがり、大きな木皿へと移された料理は試食のために社交場のテーブルへと運ばれていく。
食べる前から勝負ありだ。この試食会は、大成功に終わるだろう。
「さて…あれだけじゃ足りないよね」
母ちゃんが去った後、僕とエリン姉は同じ料理を別テーブルでも食べられるように造り始める。幸い、レシピは簡単だ。鍋に水をかけて材料を載せて籠を被せるだけだから、僕達でも出来る。キッチンを使うには背丈が足りないのがネックだけど…。
「ちょっと、手伝わせてもらってもいいかしら」
僕とエリン姉が背の高いキッチンに苦戦していたら、御婦人の1人に声をかけられた。
青銅のよく磨かれたブローチで肩口のマントを留めていて、黄金の指輪をしている背の高い女性だ。
背だけでなく身分も相応に高い人っぽい。高貴な女性は家からあまり出てこないから、母ちゃんの友達以外はよく顔を知らないんだよね。
「ありがとうございます。助かります」
身分を気にするのは大人に任せて、子供らしく手伝ってもらうことにする。
器具と材料を指示して、具材を硬い大麦パンに載せるだけだからね。
「…本当に簡単なのね」
「はい。それもこの手法の長所です」
鍋を火にかけて籠を被せると、すぐに蒸気が上がって、数分で蒸し上がった。
実際のところ、料理というより、蒸気で温めているだけに近いからね。
「こうしてクルッと大麦のパンで具材を巻いて一緒に食べます」
「まあ」
「カブっと、一口で」
「保存パンで…歯が欠けたりしないのね」
出来上がりを幾つかに切って身形の良い婦人と、僕と、エリン姉に分けてから、見本代わりに僕がパクっと食べて見せた。
オープンサンド形式でもいいけれど、柔らかくなった薄い大麦パンで巻いた燻製魚と野菜と塩漬けの魚卵を一緒に食べると、得も言われぬ野趣があって美味しい。
やはりタンパク質と炭水化物と野菜の組み合わせは最高である。
「…美味い」
「美味しい…」
これは北方ブリトーと言っても過言ではないのではなかろうか。
メニューを発明した母ちゃん、なかなかやるなあ。
「すごいわねえ…これって全部保存食なのでしょう?」
「そうですね」
ハードタックの薄い大麦パンは、もともとは航海用の保存食だ。
コールドスモークの燻製も環境が良ければ長期間持つ。
生石灰は乾燥剤にもなるから、保管箱に一緒にいれればさらに保存期間は伸びるだろう。
「家に余っている大麦を、全部粉にして焼かせてもいいわね」
粉にするのも焼くのも人にやらせる、ということかな。
やはり身分の高い人っぽい。料理用の奴隷を所有してそう。
ちょっとだけ媚びておこうかな。あとあと何かの交渉で布石になるかもしれない。
「もともとは父ちゃんに船の上で、いいものを食べてほしかったんです」
「あら。いい子なのねえ」
上目遣いで言ってみたら、頭を撫でられた。
横からエリン姉がジトッとした目で見ているのを感じるけれど、可愛げに振る舞える子供の特権を振るうのに躊躇はしないぞ。
あと2、3年は使わせてもらおう。
「でも船の上だと火が使えないでしょう?蒸すのは短時間だから大丈夫かもしれないけど、旦那衆には、なかなか難しいわよねえ」
顎に手を当てて考え込む身分の高い御婦人に、僕は少しだけ手の内を明かした。
「少し、考えていることがあるんです。いずれ船の上でも温かいご飯が食べられるようになりますよ」
御婦人は悪戯っぽく満面の笑みを浮かべた。
「まあ。小さなフギンさん。楽しみにしているわね」
そうして社交場の方へ去っていく女性の背を、僕とエリン姉は残りの北方ブリトーを口にしながら見送った。
「…結局、あの人は誰だったの?」
「知らない」
たぶん村長に近い人なんだろうとは思う。
奥様…ってことはないよね?




