第17話 僕は怖ろしいものを作ってしまったのかもしれない 6歳 春
父ちゃんのために船上で生石灰化学反応で調理可能な蒸す料理を開発するのは出来そうだけれど、広める手段をどうするかというところで詰まってしまった。
ただでさえ魔術師疑惑の耐えない僕が提案する料理なんて、家族以外には食べてもらえないだろう。食習慣というのは、とても保守的なものだからね。
そこで、家庭で料理を担当する村の奥様方のネットワークに、どのように新しく料理文化面で入り込んだらよいか。
その解決策は、母ちゃんが意図せずに齎してくれた。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「ねえトール、大きな鍋に温いお湯を用意しておいてくれないかしら?」
僕がいつものように、海を眺めながら床暖房でぬくぬくしつつ製塩業の火の番をしていると、珍しく母ちゃんから依頼があった。
「温いお湯?」
「そう。タラを捌いた後に手を洗いたくて。冷たいと痛いでしょう?」
「あれ。母ちゃんも参加するの?」
「今日はね。大漁みたいから手が足りないって」
男衆が漁で魚を持ち帰ると、村中が総出で捌くことになる。
うちは製塩業をしているのと、父ちゃんが漁で働いてある程度余裕があるから、女性達の格好の小遣い稼ぎになる魚の加工や干す作業には、母ちゃんはなるべく参加しないようにしているんだけど、大漁で手が足りなければ魚が傷んでしまうので駆り出されることもある。
そうして、魚の解体作業ですっかりかじかんで冷たくなった手指を洗うための湯を用意しておいて欲しい、ということだろう。
「他の人の分は?」
「そうねえ…私だけというのも後ろめたいから、他の人が洗いに来ても平気なように多めに用意しておいてくれないかしら」
「任せて」
といっても、やることは別に難しくない。
製塩炉の余熱で鉄の鍋でグラグラとお湯を沸かすのと、木の桶に冷たい川の水を汲んでおくだけ。
人が来たら木桶の水に熱いお湯を足して、温い程度の温度にする。
何人か手を洗って木桶の水が汚れたら捨てて、同じように温いお湯をつくる。
熱源も水もいくらでもある。
「なんならお茶もスープも出しちゃうぞ!」
母ちゃんの友達に親切にしておけば、何かのきっかけになるかもしれない。
…そう思っていた時期もありました。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「トール、こりゃあいったいどうしたんだ?」
「父ちゃん…」
いつものように、漁から帰り母ちゃんに袖口の糸を切ってもらった後で床暖房アザラシになろうとしていた父ちゃんが困惑していた。
我が家の屋外床暖房スペースが、村のご婦人方にすっかり占領されてしまっていたからだ。
「それでね、うちの亭主ったら甲斐性無しで…」
「ほんとよ!クナトルレイクだかなんだか知らないけど、大酒飲んで酒臭くなって傷だらけで帰ってくるわで…」
「それより聞いて!村長のところに新しく入った若い戦士が凄いイケメンなんですって…!」
「えーっ!年下でしょう?それに戦士じゃ農地もないじゃない…」
女三人寄れば姦しい、とはよく言ったもので。それが十人以上も集まればどうかるか想像してみて欲しい。
わずか4メートル四方ほどの屋外床暖房エリアは、お喋りに夢中になりながら糸紡ぎをするご婦人方の社交場として、事実上の男子禁制エリアになってしまっていた。
「うーん。これは予想外…。あっ。ちょっとそっちは危ない…」
床暖房エリアに入り切らなかった女性陣はというと、コールドスモーク用の燻製小屋へと続く煙道トンネルの上に毛皮を敷いて座り込んでしまっていた。
いや確かに温かいだろうけど、人が座れるように設計してないから崩れるかもしれないし危ないんだよね。
防風の衝立なんかの工夫もしてないから寒いだろうし。
「それで…どうしたらいいんだ?」
「父ちゃんが家長として男らしく、女どもはどけ!ここは俺の場所だ!と怒鳴りつけたら何とかなるかもよ」
「無茶を言うな。母ちゃんに叩き出されちまう」
「じゃあ父ちゃん、今日のところは諦めようか…」
いかに精鋭戦士であっても、男1人では、ご婦人方の集団に勝つことはできないのだ。
父ちゃんは心なしか背を少し丸めながら、自宅の焚き火で体を温めるために帰っていった。
まあ、これはこれで大きなチャンスではあるんだ。
僕は父ちゃんを通じて、ご婦人方の旦那衆に招集をかけることにした。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
翌日早朝から、さっそく改築工事が始まった。
労働力だけは豊富にある。
なにせ、家で奥様方に尻を叩かれた旦那衆が快く労力を提供してくれたからね。
「それで…トール、どうするんだ?」
「工事はそんなに難しくないよ。煙道トンネルの形を変えるだけだから」
今の製塩炉から燻製小屋まで続く熱回収機構の構造を温度で説明すると、最初に製塩炉で発生した熱と煙はロケットストーブの高効率もあって、およそ千数百度にもなっている。その高熱で鍋を温めた後の余熱は煙として横向きのトンネルを通り、複雑な石の迷路を通りながら温度を交換しながら床と石を暖めている。これが床暖房の仕組みだ。
しかし床暖房エリアを抜けた後の煙も低温燻製に使用するには熱すぎるので、長いトンネルで温度を冷ましながらコールドスモークの適温である数十度まで下げる、という方式にしているわけだ。
「要するに、お話しやすくて頑丈で温かいベンチのコーナーを煙トンネルの余熱を利用して作ればいいわけです」
今回の改築では、熱回収機構の後半である床暖房を抜けたあとの冷却煙トンネルを、人が座れるように石と粘土と漆喰のベンチにするだけなのである。
上から見た形状は「コ」の字型。片方から煙が入り、片方が煙が抜けていき、最終的には燻製小屋へとつながっていく。
これを幾つか。3つぐらいあればいいかな?連続して隣接させる形状にする。
コの字の真ん中には作業道具やお茶をおける木のテーブルを置いて、周囲には風よけに木の柱を建てて間を木の枝で編んだ壁を作る設計だ。
ご婦人方の熱心な監視の元、旦那衆は実によく働いてくれた。
20人ほどの屈強な男達が朝から入れ代わり立ち代わり、資材を持ちこんだり作業をした結果、日が傾く前にご婦人方の暖房ベンチつき社交場が完成してしまったのである。いくら設計が単純な構造とは言え、わずか1日で完成してしまうとは。
士気の高い大勢の人間の力ってすごいなあ。
「皆様のお陰で完成しました。早速、テストで火を入れてみますね」
社交場の完工を告げて火を入れると、ご婦人方は歓声を上げて駆け込み、座布団代わりの毛皮と、作業用に羊毛と糸紡ぎを持ち込んで、温かいベンチに座わって猛烈にお喋りと作業を始めた。
施設の満足度は非常に高いようだ。
ちょっと高すぎる気もする。
これが、これから毎日続く光景になるのか…。
「僕は…怖ろしいものを作ってしまったのかもしれない…」
思わず漏れたつぶやきに、改築作業を《《快く手伝ってくれた泥だらけの旦那衆達》》は大きく、しかし無言で頷いて賛意を示してくれた。




