第103話 戦への旅立ちの朝
「うーん苦しい…」
一緒に寝ている姉に抱きつかれ、寝苦しくて目覚める。
ドスン!
「ぐえっ!」
最近は、猫が腹に飛び降りてくることがルーチンに加わった。
「ふぎん!ふぎん!むに!むに!」
「あーはいはい」
そこへ、バサバサと羽ばたかせた烏に朝ごはんの要求が飛んでくる。
早朝から我が家は騒がしい。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「あー酷い目にあった…眠い…」
最近は、ちゃんと太陽が朝から照るようになってきたなあ。
少し前までは、朝起きても暗かったのに。
僕は目を擦りながら海岸へ向かう。
朝の気温が上がってきて桶に汲んだ海水が凍らなくなったので、冬まで製塩は休止。
ただ、社交場に集まるご婦人方のためにスープやベンチを暖める必要があるのと、鱈の燻製を作る必要はあるので、朝ご飯を食べたら火を起こしに行く。
「おはようございまーす」
螺旋式冷燻施設が大型化したので僕の背ではいよいよ届かなくなり、鱈を干すお手伝いをお願いしている未亡人のご婦人方も既に来ていたので挨拶をしたら。
彼女たちも挨拶を返してくれたのだけど、ぎょっとして僕の肩に留まっているワタリガラスのムニを見て。
そうして、まるでムニがいないかのように、当たり障りのない会話だけをして作業に戻った。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
うーん…
ムニを肩に載せて村を歩くと、ちょっと周囲からの視線が痛いぞ。
あれは何?という腫れ物に触れる感じでね。
ひそひそと噂話をしては、僕が視線をやるとぴたりと止めるし。
いや実際、村長婦人をはじめ何人かの親しい人にはムニのことは聞かれたよ。
「あれは何?」って。
僕としては正直に「猫が拾ってきた」としか言いようがないんだけど。
それで「ああ、猫がね…」って、彼らが納得しかけると、ムニのやつが「ふぎん、ふぎん、むに、むに!」とバサバサと主張し始めて、話は台無しになるんだ。
「トール、それはなに?」って。
「誰かがいたずらして仕込んだんだよ。たぶん家族の誰かが」と、僕は言い訳を試みるんだけど。
「ふうん…」と、そう頷いてから、また微妙な顔に戻るんだ。
「それで?本当のところは?」ってね。
僕は最初から本当のことしか言ってないっていうのに信じてもらえないんだ…。
「まあそのうち村の人も慣れてくれるでしょ。あーあ、あたしもベーグルを村の皆に見せてまわりたいのにー」
エリン姉は猫可愛がりしているベーグルを外にも連れていきたいみたいなんだけど、ベーグルは断固拒否。外の寒さと過度に構われるのが苦手らしい。猫だね。
姉がべーぐるーべーぐるーと、声をかけて探し始めると、どうやって隠れているものか家のどこかに姿をくらましてしまう。
大して広くもない我が家のいったいどこに隠れているんだろうね?
そのくせ、ご飯の時間になると、ちゃっかり姿を表すんだ。
家の食料をネズミから守ってくれるのだから、僕はそれで十分仕事していると思うんだけど、姉はもっと触れ合いがしたくて不満をためている。
「トールはムニを見せびらかせていいなあー」
「いや、見せびらかせたいと言うか、ムニがついてくるんだよ」
ムニは僕が外出すると苦手なベーグルと一緒に置き去りにされることになるのが嫌なのか、少し外に行く気配を見せただけで、ふぎん!ふぎん!と騒いで僕の肩に乗ってくるんだ。
それで、ムニが止まれるよう毛皮の肩当てが欠かせない。
あとは、僕がムニを載せて歩いていると、よく餌のお裾分けに預かれることを学習したみたいでね。こわごわと僕等を遠巻きにする人もいるんだけど、中には近寄ってきて餌付けしようとする人もいるいるわけで。
だからムニのやつは、僕とのお散歩は人から干したベリーの実とかヘイゼルナッツが貰えるおやつタイムだと見なしてる節がある。
デブって飛べなくなっても知らんぞ。
ただでさえ不精して、ほとんど飛んでないというのに…。
ムニを見ていると「歩くのは車が置いてあるガレージまで!」とのたまっていた田舎住みのぽっちゃりした体形だった親戚を思い出す。
そのうち餌やりを制限しないとな。
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「準備、出来たね」
「そうだな。準備も万端だ。なあに。大洋を渡るわけじゃない」
「うん…わかってる」
「ちょっと海岸沿いに出かけて行って、クナトルレイクの試合を何試合かして返ってくるだけだ。だから心配することはないさ」
父ちゃんが僕の頭を撫でる。
「父ちゃん…」
「なんだ?」
「いざとなったら貝殻粉を投げつけて逃げてくればいいからね」
「そうだな。そうしよう」
村の海岸には、すっかり整備を終えた2隻の長船が停泊して出航の準備を整えている。
北方の戦士の長船は、それが戦支度であることを示すように舷側には多くの戦士の丸盾がかけられている。
一隻には赤く塗られたフギンの丸盾。もう一隻には青く塗られたフェンリルの丸盾。
サイズや色調も統一され丸盾は、武力の統一性と権力を象徴する。
個々人の武勇を尊ぶ北方戦士団では珍しい特徴である、と言える。
「よーし、冷燻の鱈は積んだか!薬草蜂蜜酒も積み忘れるなよ!」
「酒は死んだって忘れねえよ!」
「違いねえ!」
長船にはそれぞれ出入り用のタラップがかけられ、奴隷が樽に詰められた食料や酒を積み込んでいる。樽は全てが同じ大きさで、天板にはフギンを表すバインドルーンの焼印が見える。
僕達の他にも、村の衆は多くが出発する長船を見送りに来ている。
「きっと名を上げてくるからな!なあに、他の村の奴等なんてなんてことないさ!」
「頑張ってきてね!」
「とにかく無事に帰っておいでよ…」
若い選手達は女の子にチヤホヤされたり家族と談笑したり。
「久しぶりの戦だ。まったく血が騒ぐわい」
「なあに鷲が帰ってこなければ息子に後を継がせりゃいい。畑は任せたぞ」
「心配することはない。あくまで名誉の戦だ。命を賭けているわけじゃない」
「おい、鎧櫃の水密はちゃんとしたろうな!万が一、チェインメイルが錆びたら錆取りで泣くのはお前らなんだぞ!」
年上の戦士達は家族に言い聞かせたり、武器と鎧を奴隷に運ばせたりしている。
春の終わりに、今まさに、村からは2隻の長船が大民会へ出発しようとしている。
大民会の1週間ぐらい前に先駆けて現地入りして、少し離れた海岸に隠れて停泊できる場所に宿営地を築いたりするんだとか。
それとなく集まってくる村の衆の力量を偵察したり、交易商人がいれば交渉したりとか。かなり慎重で柔軟な計画を練っているみたいだ。
北方の男達は、普段は酒を飲んで斧を振り回すのがせいぜいの野蛮人のように振る舞っているくせに、戦となれば奸智を働かせだるのだから全く厄介で手に負えない。
他の大民会に参加する村々は、せいぜいがクナトルレイクにどうやって勝つか、とか民会でどう立ち回るかとか政治で頭を悩ませているところに、どうやって戦をしかけて速やかに勝つか、と準備万端の気構え臨むわけだから、他所の村からしたらたまったものじゃないよね。
そう。つまり僕の村は、大民会に武器によらない大戦をしかけようとしている。
それは「大民会を武力によらず壟断しよう」という「政治的奇襲」であり、「クナトルレイクで他の村全てに喧嘩をふっかけて回る」という馬鹿げた「戦略的奇襲」であり、「北方で最も鍛えられた選手団と武装した戦士団の協働」による「戦術的奇襲」でもある。
軍事学的には、後世にクナトルレイク・ドクトリンと呼ばれるようになるのかな。
奇襲に奇襲と奇襲を重ねた、まさに必勝の構えで戦に臨むのである。
…クナトルレイク大会を思い通りに開催するための主導権を握りたい、というだけの行いだったはずなのに、改めて列挙してみると征服事業みたいになってるな…。
「父さん、やっつけて来てね!」
「あなた…無理をしたらダメよ」
「父ちゃん、危なくなったら村長なんか見捨てて帰ってきてもいいから」
「おいおい。冗談でも滅多なことを言うもんじゃない」
あいにく僕は本気だよ。
若い選手団こそ村の宝なんだから、無事に村へ帰してくれないと。
もちろん、彼らを率いる父ちゃんもね。
「ふぎん、ふぎん、むに、むに!」
バサバサと、自分もいるぞと、ムニが主張する。
「ムニも元気にしていろよ。ベーグルにもよろしくな」
ベーグルは結局、家のどこかへ隠れたまま出てこなかった。
エリン姉もずいぶん探したんだけどね。
「じゃあ、行ってくる!」
父ちゃんが最後に船に乗り込むと、長船は静かに離岸する。
ばさりと長船の大きな帆が張られた。
帆には大きなフギンを表すルーン文字が顔料で描かれている。
「ホイ!ホイ!ホイ!」と船頭の調子を合わせてオールを漕がれて、静かな海面を滑るようにして、船が去って行く。
だんだんとフィヨルドに奥に消えていく2隻に船に向かって、誰ともなく村人達は歌いだした。
彼らの道を、霜の巨人の牙より守りたまえ
戦の栄光を掴み、故郷の炉辺へ帰りたまえ
波の王ニョルズよ、戦の独腕テュールよ
我ら、汝らに杯を捧げ、声を上げる
一羽の思考の鴉、フギンの翼なる知恵をもって
道の棘、嵐の槍、闇の罠をすべて切り裂きたまえ
オーディンの目より遠く、ヴァルキュリャの盾の下に
彼らの船と剣と心を、勝利の運命へと導きたまえ
繰り返し繰り返し、長船がフィヨルドの水平線の向こうに消えて見えなくなるまで、僕も村人たちも歌い続けた。
7章終わり
明日は、大王伝記の回です。




