第70話 : 欺詐の泥濘と、音外れの咆哮
『嘘ってのは、時として真実よりも優しいもんさ。特に、大切な連中を連れて生き延びるために、死神を担がなきゃならない時はね』
——李翰文の廃土日記、腐化ゴビの第三日に記す
三日目の太陽が昇った時、その惨白な光は暴き出された砂丘を照らし出した。
ここに風はなく、あるのは窒息しそうなほどの静寂のみ。
翰文は砂穴の縁に伏せ、冷や汗で背中を濡らし、服をじっとりと肌に張り付かせていた。
「止ま……止まれ、小花。動くな」
翰文は右手を高く上げ、静止の合図を送った。
小花の巨大な白磁の鉤爪が宙で静止する。土まではわずか数ミリ。
その爪先のすぐ下に、錆びついた円盤状の物体が埋まっていた。お宝を期待したのなら、それは大きな間違いだ。現実は、旧時代が遺した**「感壓式連鎖詭雷」**。
それも一発ではない。
「残り火」が強引に提供する緑色の透視視界の中では、この砂丘の地下に地獄の星々のごとく、真っ赤な輝点がびっしりと敷き詰められていた。ここは生きている雷区であり、地下の尖塔を守る最後の防衛線だった。
(……素晴らしい。……)
「残り火」が翰文の脳内で、嘲弄混じりの愉悦を響かせた。
(……旧律時代でも最も古典的な『熱感応連鎖爆破陣列』だ。この馬鹿鳥の体重が乗るか、あるいは核心の稼働温度がわずかでも上がれば、この砂地は一瞬で挽き肉機に変わるぞ。……)
翰文は奥歯を噛み締めた。口内にはいまだ昨夜のトカゲ肉の嫌な味が残っている。
掘れば爆ぜる。掘らなければ、手ぶらで戻ることも許されず死ぬだけだ。
彼は小花を見た。その巨大な身体、重厚な白釉のフレーム、そして核心が発する高熱。そのすべてが今は、致命的な足枷でしかなかった。
「……軽く、そして冷たくならなきゃならない」翰文は独り言ちた。
彼はバックパックの中にある針夫人の『操作マニュアル』、その中に記されていた、いまだ未使用の「欺詐核心」の記述を思い出した。
『欺詐とは、認識を歪める芸術なり。そは光学、熱能、および重力回報の漣に干渉せん。』
針夫人はこの能力に、極めて陰険な名を冠していた。――「骸律・偽裝」。
「無小姐」
翰文は背後の少女に向き直った。
「あんたの風が必要だ。これから小花が核心を動かせば高熱が出る。地雷は熱感応だ。あんたの風で『放熱』してくれ。熱を吹き散らして、地下の連中に気づかせるな」
無小姐は無言で頷くと、笛を口に含み、両手を僅かに広げた。その掌に柔らかな青い微光が灯る。
「……任せて」彼女の瞳は、これまでにないほど集中し、冷徹だった。
「小花、第三核心起動。自分を隠せ」
翰文の導きに従い、小花の喉の奥で眠り続けていた灰暗い核心が、ぎこちなく回転を始めた。
大気中に連続した耳障りな共鳴が響き、光線が奇怪にねじ曲がっていく。
よく見れば、小花の姿が透明になったわけではない。ただ、緩慢に「ぼやけて」いくのだ。
灼熱の道路に現れる逃げ水のように、彼女の輪郭は激しく揺らぎ、発散する。連結している翰文は、空間そのものが回転しているかのような強烈な眩暈に襲われた。
核心の高速回転は小花の体溫を急上昇させた。熱波が拡散しようとした、その刹那。無小姐が動いた。
シュゥゥ……という微かな音と共に、極めて精密に制御された氷点下の気流が小花を包み込んだ。砂塵を巻き上げることもなく、氷の薄膜のごとく、漏れ出そうとする熱量を完璧に包摂し、音もなく上空へと運び去っていく。
現実を歪める視覚の「嘘」と、熱量を封じ込める「流動旋風」が完璧に織り合わされた時、数トンの巨獣は、質量も温度も持たぬ幽霊へと成り果てた。
無小姐は笛を噛み締め、額に細かな冷や汗を滲ませていた。この精緻な熱能封鎖を維持するのは、ただ旋風を巻き起こすよりも遥かに精神を削る。彼女の顔からは血の気が失せていたが、その両手は微塵の震えも許さず、静止していた。
その時、無小姐の身体がビクリと揺れた。
極限の緊張下での高強度な風律の使用に、体力が限界を迎えたのだ。彼女の膝がガクンと折れ、口に含んだ哨音がほんの一瞬、途切れた。
小花を包んでいた「低温の薄膜」に、ジジ……という音と共に穴が開いた。
煮え滾る核心の熱波が、洪水のようにそこから漏れ出し、地面を直撃した。
小花の爪先から十センチと離れていない場所で、感壓詭雷(地雷)の赤いインジケーターが狂ったように点滅を始め、起爆寸前の電子音を刻んだ。――ピッ、ピッ、ピッ!
「動くなぁぁッ!!!」
翰文の心臓が止まりかけた。両手を上げ、張り裂けんばかりの声で絶叫する。
小花の爪は宙で石のように固まり、全身の磁器の羽一枚すら震わせることを自らに禁じた。
無小姐の顔は土色だった。彼女は唇を強く噛み切り、その痛みで意識を強引に繋ぎ止めると、両手を猛然と打ち合わせた。再び風律を励起させる。
シュゥゥゥ!!という音と共に気流の乱れは鎮められ、漏れ出した熱量は強引に吸い上げられた。赤いインジケーターは数回明滅した後、不服そうにその光を失った。
翰文は、死神の鎌が首筋を撫でていったのを感じていた。背中の冷や汗が神経繭をぐっしょりと濡らす。
「……続けるぞ。もっと、ゆっくりだ」
翰文は吐き気を堪えながら、掘るジェスチャーを送った。
小花は動きをさらに緩め、慎重に爪を伸ばした。
今度は、利爪が泥に沈み込んでも地面の震動は起きなかった。彼女は死神の寝首を掻く盗賊へと変貌を遂げ、詭雷(地雷)の信管を精密に避けていった。
無小姐もまた、小花の動きに全神経を同期させた。微風で掘り出された砂土を優しく掬い上げ、崩れる震動を微塵も出さぬよう傍らへ無音で積み上げていく。
一鐘の後。
翰文の腰ほどの長さがあり、腕のように太い銀灰色の金属柱が砂の中から引き抜かれた。
それは高塔そのものではない。あまりに深く埋もれ、塔全体を掘り出すことなど不可能だ。彼らが手に入れたのは、塔の心臟部たる**「頻率校準棒」**だった。
それはとてつもなく重く、表面は歳月による蝕孔に覆われていたが、特徴的な「U」字型の先端はいまだに毛跳ぼう立つような寒光を放っていた。
翰文が手を伸ばし、その金属棒を掴み、引き上げようとした。
指先が金属に触れた、その瞬間。
脳内に濃厚な焦げ臭さが走り、意識が引き裂かれるような衝撃。刺すような冷気と共に、ドォォォォン!!という爆音が脳天を突き抜けた。この遺物に残留していた「死の記憶」が展開される。
眼前の砂漠が消失した。
翰文の目に映ったのは、閉ざされた鋼鉄の制御室。赤い警報灯が狂ったように明滅し、すべてを鮮血の色に染め上げている。
『周波数を固定しろ! あの「暴食者」を中に入れるな!!』
旧時代の軍服を纏った一人の男が吼えていた。その顔は恐怖に歪み、目尻からは血の涙が零れ落ちている。
巨大な触手が防護壁を叩き、金属がひしゃげる嫌な音が響く。
『間に合わない……』男は絶望の眼差しで計器盤を見つめた。『周波数を封鎖しろ。自爆シークエンス開始。我らと共に、ここを埋めてやる』
映像の中の男は、その手をこの校準棒へと力任せに叩きつけた。
翰文は慌てて手を離し、ヒュゥゥと荒い息を吐きながら砂の上にひっくり返った。
冷や汗が全身を浸し、心臓が早鐘を打つ。鼻孔からは再び熱い鮮血が流れ落ちた。
彼は目の前の錆びた鉄の棒を見つめた。それは静かに砂地に横たわっているが、いまだにあの男が死の間際に抱いた掌の熱と絶望を宿しているかのようだった。
「……こいつは、相当『凶』だ」
翰文は鼻血を拭い、低く呟いた。
だが、彼は退かなかった。再び立ち上がると、服の端を裂いて手に巻き付け、その冷たい金属棒を再び握りしめた。
凶悪であればあるほどいい。死人の執念を宿したような代物でなければ、あの忌々しい壁をブチ抜くことなどできないのだから。
正午。
惨白な太陽が中天に掛かり、ゴビを巨大な蒸し器へと変えていた。
彼らはあの「無形の音壁」の前に立っていた。
昨日の激動のせいで、音壁は今や「極度の過敏」状態にある。半径五メートル以内にいかなる実体が近づこうとも、苛烈な音波の反撃が放たれるだろう。
「無小姐、あんたは下がってろ」
翰文は神経繭へと潜り込み、校準棒を抱え、厳粛に告げた。「今度の衝撃は半端じゃない。あんたの風律じゃ、このレベルの震動は防げない。岩の陰に隠れてろ」
無小姐は躊躇したが、すでに熱を持ち始めた小花を案じるように見つめた後、最後には頷き、安全な距離まで退避した。
「作戦通りに行くぞ」
作戦は単純、かつ狂っていた。
「骸律・偽裝」で潜行し、「音叉」を定点へ突き刺し、最後は「鳴律・絶音」で壁を吼え砕く。
「小花、もう一度だ。こいつを担いでやれ」
指令と共に、小花は再び「欺詐核心」を励起させた。
彼女の身軀は再びぼやけ、不安定な陽炎と化した。
一歩、二歩。
彼らは音壁の警戒範囲へと踏み込んだ。
風の壁が、困惑したような唸りを上げた。無形のセンサーが小花をなぞるが、読み取れるのは質量を持たぬ混乱した空気の乱れのみ。そいつは躊躇し、攻撃を繰り出せない。
欺詐、成功。
三メートル。二メートル。一メートル。
小花の嘴が歪んだ大気に触れようとするその瞬間、周囲の圧力は鼓膜を圧し折らんばかりに高まった。
「今だッ!!!」
翰文は神経繭から身を乗り出し、抱えていた校準棒を砂地へと力任せに突き立てた!
ズゥゥゥン!!という爆音と共に校準棒が起動。単調で刺々しい周波数が瞬時に風壁の運行を乱し、音壁の表面に激しい水紋が広がった。
風壁の咆哮が、一気に高まる。
「吼えろぉぉぉッ!!!」
翰文は神経繭に飛び込み、両手で神経の手綱を死守した。
この瞬間、彼は狂気じみた行動に出た。
小花体内の焦熱、核心の劇痛、そして声帯が引き裂かれんとする恐怖――そのすべてを、緩衝なく自らの神経へと逆流させたのだ。
痛い。脊椎に溶岩を流し込まれ、一節一節の骨を真っ赤に焼かれるような衝撃。
翰文は顔を蒼白にさせ、歯を食いしばったが、連結は断たなかった。自らの意志でその狂暴なエネルギーを強引に導き、小花の声帯へと押し込めた。
(聴こえるか? あの音に狙いを定めろ。)
(お前を独りぼっちにはさせない。)
(来い!!)
彼は脳内で、静かに囁いた。
(――壊れる時は、一緒だ。)
小花が口を開いた。
「――ガ、オォォォォォォッ!!!」
その咆哮は、決して颯爽としたものではなかった。
龍吟の威厳も、神話的な空霊さもない。それは巨大な金属板を無理やり引き裂いたような、耳を削る凄惨な爆音と、野獣の断末魔が混ざり合ったもの。
ひどく不快で、刺々しい。完全に音の外れた、破滅の歌。
だが、そいつは通じた。
校準棒によって完璧に集束された膨大な声波エネルギーが、真っ赤に焼けた鉄棒のごとく、音壁の急所を無慈悲に貫いたのだ。
ドォォォォン!!という重苦しい巨響が広がる。ガラスが割れるような清々しい音ではない。聞こえてきたのは、粘りつくような、反吐が出るほど不快な「断裂音」だった。
あの傲慢だった音律断層は、粉砕されたのではない。
単なる汚れたビニール布のごとく、不規則に、縁を焦げ付かせながら醜い穴を穿たれたのだ。
「が、はぁ……」
エネルギーを放出しきった翰文は、神経繭の中で苦悶の呻きを漏らした。小花の喉は瞬時にオーバーヒートし、周囲の空気を歪ませるほどの高熱を放ち、白磁の装甲がジジジと焦げる音を立てていた。
翰文は脳が蒸し焼きになるような感覚に襲われ、意識が遠のいていく。
その時。清涼な感覚が、猛然と彼と小花を包み込んだ。
無小姐は、遠くでじっとしてなどいなかったのだ。
爆発の余波も冷めやらぬその刹那、彼女は駆け寄ってきた。足取りはよろめき、体力は底を突いていたが、それでも右手を小花の灼熱の頸部へと押し当て、全身の、残されたすべての風律を極限まで励起させた。
荒れ狂う風が吹き寄せたのは、破壊のためではなく、救済のため。
大量の冷気が強引に圧縮され、小花の放熱スリットへと注入された。沸騰する蒸気が彼女の背から噴き出し、核心を焼き切らんとしていた致命的な高熱を奪い去っていった。
「翰文! 深呼吸して!!」
無小姐の声が神経繭を透過して届く。切迫し、嗄れたその声。彼女は同時に、左手から清涼な気流を神経繭の中へと送り込み、沸騰しかけていた翰文の脳を冷却した。
翰文は貪り食うようにその冷たい空気を吸い込み、霞んでいた視界をようやく繋ぎ止めた。
(……あぶねぇ……。危うく異世界転生をやり直すとこだった。……)
無小姐の手の微光が二度明滅し、完全に潰えた。彼女は身体から力が抜け、熱い砂の上に膝から崩れ落ちた。荒い息をつき、笛を握る力さえ残っていなかった。
小花はその隙に、無小姐の襟元を優しくくわえ上げると、穴の空いた障壁の向こう側へと一気に駆け抜けた。
翌日の、黄昏。
七界唯一の太陽が地平線の彼方へと沈み、乾いた血の跡のような残紅を空に遺した。
彼らはゴビを、脱したのだ。
遠方。タイタン機甲の残骸の間に、**「鏽骨修道院」**の巨大な輪郭が聳え立っていた。静寂を湛えた墓標のように、彼らを冷淡に見下ろしている。
出迎える者はいない。修道院の大門は半分開かれ、さながら嘲弄を浮かべる口のようだった。
それは、何という隊列であったか。
小花。――あの完璧だった最高傑作は今や、歩くガラクタの山にしか見えなかった。
その神聖な白磁の身軀には、醜悪な灰黒色の死獣の皮が貼り付けられている。昨夜翰文が筋腱で強引に縫い付けたその継ぎ接ぎ(パッチ)は、生臭い腐臭を放ち、高貴な白瓷羽との間に残酷な対比を成していた。
口角からは汚濁した黒油と青い血が滴り、足取りは不自由で、一歩ごとに不吉なギギィ……という異音を各関節から漏らしていた。
翰文は鞍座に突っ伏し、顔を血で汚していた。
その腕の中には、錆びつき、ボロボロになった「頻率校準棒」が固く抱きしめられていた。
無小姐は塵にまみれ、小花の脚に縋っていた。瞳は疲弊しきっていたが、そこには確かな光が宿っていた。手は微かに震え続け、酷使された風律の代償としての筋肉痙攣が彼女を襲っていたが、それでも彼女は時折、小花の熱を帯びた関節を冷やし続けていた。
彼らは、テストを突破した戦士などでは断じてなかった。
それは、ゴミ捨て場を荒らしてきたばかりの、浮浪者の群れに他ならなかった。
歓呼はない。祝杯もない。
ただ、鉄の墳墓の巨骨を風が吹き抜ける、重苦しい嗚咽だけが響いていた。
無小姐の両脚が折れ、地面にへたり込んだ。
翰文もまた難儀に鞍座から這い出し、地面へ転げ落ちた。
彼は力を振り絞って重い金属棒を引きずり上げ、小花の背後へと回った。「真鍮尾架」のベルトを解き、死人の記憶に満ちたその鉄の棒を、彼女の尻の後ろへと力任せに縛り付けた。
カチャリ、とベルトが締まる。
その醜い鉄の棒は、芸術品の上に掲げられた、この上なく不釣り合いな装飾品となった。
こんなもので、あの返しようのない借金が相殺されるわけではない。
だが彼は確信していた。この棒一本があれば、あの強欲な針夫人から、旅路に必要な物資を絞り出させるには十分だと。
これは籌碼。命と引き換えに手に入れた路銀だ。
彼は疲弊しきった手で、小花の身に貼られた醜いトカゲ皮のパッチを叩いた。
小花は頭を下げると、冷たい面甲で彼の手に触れた。
彼女は依然として、甘えるようなあののろま鳥には戻っていない。冷徹な兵器のままだ。
だが今回、彼女は兵器のように周囲の脅威をスキャンしようとはしなかった。
ただ静かに、その巨大な頭を、翰文の肩に預けてきた。
一秒。ほんの一秒きりの、静寂。
「……耐えろよ」
翰文は小さな声で告げた。彼は手を伸ばし、倒れ込んだ無小姐を引き起こした。彼女を自らに預け、二人は互いを支え合いながら、半分開いた大門へと一歩ずつ歩み出した。
「太ってなくて、助かったよ」
「……戻ったぞ」
二人一龍の影が、夕映えに照らされ、長く、長く伸びていった。




