第61話 : 憤怒の風壁と、地底の強欲
『聞こえない音がある。そいつがお前の鼓膜を粉砕するまではね。そして、見えない強欲がある。そいつがドリルと鉄錆の臭いを引っ提げて、足元から這い出してくるまでは』
——『廢土拾荒指南』:震動と聴覚に関する警告、7ページより
04号風塔の崩壊は、死寂に包まれた風の墓場において、開戰を告げる銃声も同然だった。
漫天の煙塵はいまだ晴れず、空気には古き建築物が崩解した際の石灰の臭いとカビの臭いが色濃く残っている。李翰文は手に入れたばかりの、温かな琥珀色の光を放つ共鳴核心を抱きしめていた。その感触はもはや石などではなく、巨人の胸から抉り出されたばかりの、いまだ脈打つ心臓そのものだった。
「……何か、来るわ」
後部座席に身を縮めた無小姐の声は、風に掻き消されそうなほど儚かった。彼女は白瓷哨翎を口から離していたが、その耳は敏感に震え、風の中に混じる自然界のものではない「乱れ」を捉えていた。
「風じゃない……とても汚れた音。焦げたオイル……それと、歯車が噛み合う悲鳴……」
翰文の心臓が跳ねた。彼が反応するより早く、脳内の「残り火」が、黒板を爪で立てるような鋭いジジジという警報を叩きつけた。
その雑音は極めて侵略的で、「震動」という概念を直接痛覚へと変換し、翰文の大脳皮質へと突き刺した。
(……地底だ。蟲だ。巨大な、鉄の蟲め。……)
(……奴らは塔の倒れる音を聞きつけた。飢えているぞ。……)
ドォォォォン……という地響きのような重苦しい音が響き、地面が猛烈に震え始めた。
それは風塔倒壊の余波ではない。より規則正しく、より狂暴な掘進音。足元の碎石が怯えた蚤のように跳ね回り、半ガラス化した地面には蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
小花も本能的に危険を察知した。喉の損壊ユニットが激しく摩擦し、漏れ出すふいごのような「シィィーッ」という悲鳴を漏らす。全身の白瓷羽鱗を逆立てて後退しようとするが、背後は先ほどの風塔の瓦礫に塞がれていた。
一行から五十メートルも離れていない場所で、地面がボゴォォォンという鈍音と共に爆ぜ、土塊が天高く舞い上がった。
巨大で醜悪な鋼鉄の巨獣が、砂塵と黒煙を撒き散らしながら地底から咆哮を上げて姿を現した。
それは一艘の**「地底潛沙艦」**。
正確に言えば、無数の錆びついた鉄板と、巨大な旋転ドリル、そして黒煙を吐く排気管を強引に繋ぎ合わせた、巨大なムカデにも似た機械の化け物だった。
針夫人の優雅さなど微塵もなく、旧律の潔癖もここでは無縁。あるのは錆びたリベットと、黒い機械油を漏らす油圧シリンダー、そして鼻を突く粗悪ディーゼルの焼ける刺激臭の塊。
艦首に備わった巨大なタングステン鋼のドリルはいまだ緩慢に回転しており、こびりついた泥と正体不明の生物の肉片が、キィキィと耳を劈く摩擦音を立てていた。
「鐵蜈幫!」
翰文はドリルの側面に描かれた紋章を一目で識別した。――脊椎に巻き付く黒い百足。
その図案は、この荒野で最も強欲で不潔な拾荒者、そして掠奪者の象徴。彼らは禿鷹のように危険地帯の縁を徘徊し、冒険者の失策を待ち受けては、人間も装備もまとめて胃袋に収める連中だ。
『ヒョォォーーッ! 見なよ、とんでもないお宝を掘り当てちまったぞ!』
拡音器で増幅され、ノイズにまみれた粗野な咆哮が峡谷に響き渡った。
潛沙艦の側面ハッチが、油圧の抜けるシュゥゥという音と共に重々しく開き、死んだ魚が腹を晒すように倒れ込んだ。
外骨格装甲を纏い、鉄鎖や鉤爪をジャラジャラと下げた十数人の暴徒が飛び出してきた。
彼らはもはや人間には見えず、歩くガラクタの山だった。腕を鋲打機に替えた者、下顎を錆びた鉄格子の柵に変え、その隙間から爛れた歯茎を覗かせる者。
彼らが小花を見る瞳に、古龍への畏敬など欠片もない。あるのは「回収価値」を値踏みする強欲な緑の光だけだ。
特に、翰文が抱える琥珀色に輝く核心に目が留まった瞬間、その強欲は実体を持った殺意へと変貌した。
『白磁……生きた白磁だ! それにあのアッパーな光りモノ!』
先頭に立つスキンヘッドの大男――頭の半分が鉄板に埋まっている――が、興奮に唇を舐めた。手にした捕鯨銛がジリジリと危険な音を立てる。
『ありゃ旧律のエンジン心臓だ! 野郎共! あれ一つでありゃ新造艦が買えるぞ! ぶっ壊して奪い取れ! 注意しろよ、磁器の破片を割るんじゃねぇ、針夫人の細工だ、最高値がつくんだからな!』
交渉の余地はなかった。ガシュン!ガシュン!という鈍い射出音と共に、三本の返し付きの太い鉄鎖が放たれた。黒い鋼索を引き連れ、空中に死の弧を描きながら、小花を狙い撃つ。
「小花! 避けろ!」
翰文は絶叫し、声帯の劇痛に耐えながら神経触手を猛然と引き絞った。
小花はビクリと痙攣し、不恰好に横へと跳んだ。
二本の鎖は羽をかすめて通り過ぎ、背後の岩を粉砕した。だが三本目の鎖は毒蛇のように執拗で、プシュリという嫌な音と共に、小花の左大腿部の装甲の隙間にその返しが深く突き刺さった。
劇痛に小花は天を仰いで口を開いたが、損壊した喉からは焦げた廃気と、金属を引き裂くような「ギギィィ……」という掠れた音しか漏れない。鮮血――青い冷却液が瞬時に噴き出した。
直後、神経連結を通じて凄惨な泣き叫びが届く。
(……悪いもの!……噛まれた!……あっち行って! 嫌だ!……)
彼女は狂ったように負傷した脚を振り回した。それは戦闘のためではなく、単に痛くて、気持ち悪くて、自分に「噛み付いた」金属の怪物を振り落としたい一心だった。
暴徒たちは興奮した奇声を上げ、数人がかりで鉄鎖を引き、巨獣を地面へ引き倒そうと試みた。
「離せッ!」
翰文の眼が血走った。「喰われる」というあの幻痛が、再び神経連結を伝って脳へ突っ込んできたのだ。自分の腿もまたあの鉄鉤に貫かれ、筋肉繊維が返しによって少しずつ引き千切られるような感覚。
憤怒が理性を焼き切った。
小花の本能が覚醒した。彼女はもはや、隠れることしか知らないダチョウではなかった。彼女は龍なのだ。
彼女は猛然と首を巡らせ、大口を開いた。喉の奥には目も眩むような青い光が灯る。咆哮しようとしていたのだ。あの「駭入咆哮」を放ち、不潔な鉄の蟲どもを粉塵に変えるために。
だが、青い光が噴出する直前、首元の華麗な真鍮の項圈が突如として「ブゥゥン」と低く唸り、刺すような赤光を放った。
それは針夫人が遺した安全装置であり、最も残酷な呪い。
バリィィィッ!という爆音と共に、強烈な電撃が小花の脊椎神経を無慈悲に貫いた。
(……首が痛い!……)
(……助けて……首に火があるの……痛いよ……)
電撃そのものよりも、その「困惑」と「悲しみ」が深く翰文を刺した。吠えれば悪い奴らを追い払えると信じたのに、返ってきたのは項圈からの罰だった。
「が、ああああぁぁぁーーッ!!」
翰文は凄惨な絶叫を上げ、運転席で猛烈にのけぞった。
その電流は小花を罰するだけでなく、神経触手を伝って翰文の脊椎を直撃したのだ。首に真っ赤に焼けた鉄の輪を嵌められ、狂ったように締め上げられる感覚。気管は虚構の高熱に焼かれ、脳は無数の鋼鉄の針で同時に貫かれた。
その苦痛は同調し、倍増していた。
放たれるはずだった咆哮は強引に中断され、音の狂った、喉を詰まらせるような「ガッ、ガッ」という異音へと成り果てた。
小花は全身を激しく痙攣させ、面甲の感官光はジジジ……という音と共に消滅、巨躯はドォォォンと地面に膝を突いた。エネルギーが逆流し、喉からは焦げた煙が立ち上る。声帯が再び損壊した証だった。
翰文も操作台に突っ伏し、口鼻から同時に鮮血を溢れさせた。急激な脳圧の上昇による微小血管の破裂だった。
(……愚か者め。……)
脳内から突如として、嘲弄に満ちた焦げた臭いが届いた。「残り火」が、「それ見たことか」と言わんばかりの悪毒な概念を、焼けた鉄液のように翰文の意識に注ぎ込んだ。
(……自ら猿轡を嵌めておきながら、今度は噛み付けと命じるのか?……)
(……実に見事な自滅の演舞だ。針夫人の錠が鎖したのは声だけではない。その命そのものだ。……)
「だま……れ……」
翰文は弱々しく喘ぎ、再び咆哮しようとする小花の念を慌てて遮断した。
吠えてはならない。もう一度吠えれば、項圈は彼女の(そして自分自身の)脳を直接焼き切ってしまうだろう。
だが、鐵蜈幫は眼前に迫っていた。さらなる鉄鎖が飛び交い、旋回する気動鋸の「ジィィィン」という唸り声が、死神の足音のように近づく。
正面突破は死だ。小花は今や声を失い、自分には錆びついた短刀一本しかない。
「……風よ」
無小姐が突如、翰文の肩を掴んだ。その手は冷たかったが、声は異常なほど冷静で、狂気じみた確信を孕んでいた。
彼女は峡谷の深部、番号「09」を冠する巨大な風塔を指差した。
その塔の周囲には、肉眼で見えるほどの超高速で回転する灰白色の気流の壁が渦巻いていた。巻き込まれた碎石は一瞬で粉末へと研磨されている。
それは哀しき啜り泣きを捨て、鋭い咆哮を放っていた。内側には暴怒と破壊衝動に満ちた高周波の金切声が渦巻いている。
「あそこへ行くの」無小姐が言った。「あそこには『風の目』がある。入れるわ」
「正気か? あんなの挽き肉機だぞ!」翰文は恐怖の風壁を見つめ、総毛立った。先ほどの電撃で視界はいまだ二重にぶれている。
「あれは『暴怒』よ」無小姐の瞳は恐ろしいほどに澄んでいた。「私たちが吠えられないのなら……他の誰かの口を借りて吠えるの」
翰文は一秒、絶句した。
他人の口を借りる。あの「暴怒の塔」の口を。
入らなければ、鐵蜈幫にバラバラにされる。入れば、風に切り裂かれるかもしれない。だが……万に一つの生き残る道はそこにある。
それは賭博師の選択だった。
「……分かった。やってやる!」
翰文は奥歯を噛み締め、瞳に凶暴な光を宿した。神経触手を猛烈に引き、決死の意念を小花の脳へ叩き込む。
(立ちな! 小花! 脚のことは気にするな! 走れ!!)
小花は翰文の狂気を感じ取った。彼女は悲鳴を上げ、腿に食い込んだ鉄鉤の激痛に耐えながら、地面から弾かれたように飛び起きた。
暴徒と繋がっていた鉄鎖が、強大な張力にバツゥゥン!と悲鳴を上げて引き絞られ、鉄鎖を握っていた不運な男を吊り上げた。
暴徒は絶叫しながら宙に弧を描き、岩壁に激突して肉の塊へと変わった。
『逃がすな! ぶち殺せ!』
スキンヘッドの大男が吼えた。
潛沙艦が重低音の轟鳴を上げ、履帯が碎石を噛み砕き、黒煙を噴き上げながら、発狂した鋼鉄の巨蟒となって小花の背後に食らいついた。
「あっちへ走れ! あの塔へ突っ込め!」翰文は嵐に巻かれた09号塔を指差し、絶叫した。喉の血の味が濃くなっていく。
小花はその嵐に怯えながらも、背後に迫る電鋸の音をより恐れた。彼女は長い脚を運び、乱石の山を狂ったように跳躍していった。
双方の距離が縮まる。潛沙艦の捕鯨銛が再び発射され、翰文の耳元をかすめて小花の足元に突き刺さり、火花を散らす。
「無小姐! 道はどこだ!」
灰白色の死の風壁が眼前に迫り、鋼鉄をも引き裂く風圧が小花の面甲に亀裂を作り始めていた。翰文の叫びは風の音に飲み込まれる。
無小姐は絶対的な集中と沈黙で応えた。彼女は後部座席で膝を突き、両手で白瓷哨翎を握りしめ、瞳を閉じて、その暴怒の風音の中にある唯一の綻びに全神経を注いだ。
数千万の見えない風刃の間に、わずか一瞬だけ現れる隙間。そこが風の目。
近い。
五十メートル。
三十メートル。
背後の潛沙艦はすでに尻を叩く距離まで迫り、回転するドリルが小花の尾に触れようとしていた。
『死ねぇ! お宝ちゃんよ!』大男が狂笑し、主砲の射出ボタンを叩きつけた。
まさにその刹那、鋭く、短く、しかし異常なほど明瞭な「ピーッ!」という哨音が響いた。
その旋律は宥めの調べを捨て、切迫した「誘導音」となって道を指し示した。
「左よ! 風の裂け目に切り込んで! 跳んで!!」
無小姐が目を見開いた。琥珀色の瞳が嵐の中で爛々と輝く。
翰文に迷いはなかった。全幅の信頼を彼女の耳に預けた。
(跳べッ!!)
小花が嗄れた嘶きを上げた。それは勇気ではなく、袋小路に追い詰められた求生本能。
風壁に激突する寸前、彼女は突如として左へと急旋回し、両足で地面を猛烈に蹴った。唯一の活路を掴み取った白い砲弾のごとく、彼女は風壁に現れた瞬きの欠落へと正確に飛び込んだ。
フゥゥゥ……という微かな風音と共に、世界は突如として静まり返った。
彼らは風壁を突き抜け、風の目へと侵入したのだ。周囲は依然として狂暴な気流に囲まれているが、ここは奇跡的なまでに平穏な、台風の中心。
だが、背後を追っていた鐵蜈幫は、それほど幸運ではなかった。
彼らは風の言葉を解さず、活路の欠落も見えなかった。巨大な潛沙艦は慣性に抗えず、進路を変えることさえ叶わない。それは鈍重な犀のごとく、回転速度が速すぎて音さえ引き裂かれた「暴怒の風壁」へと真っ直ぐに突っ込んでいった。
直後、背筋を凍らせるような、金属が強引にねじ切られるギギギ……という音が響き、天地を揺るがす**ドォォォォン!!**という巨響が続いた。
堅牢な鉄板も、風刃の前では紙細工同然だった。
巨大な潛沙艦は風壁に接触した瞬間、凄まじい旋転力によって直接ひっくり返され、粉々に絞り砕かれた。錆びついたリベットが弾丸のように四方へ飛び散り、回転ドリルは風圧によって無残にへし折られた。
大男の悲鳴は一瞬で途切れ、巨大な金属の断裂音に飲み込まれた。
潛沙艦は嵐の中で燃え盛る火球となり、瞬時に無数の燃え滓へと解体されて、上空へと放り投げられた。
だが、その破滅は高価な代償を求めた。
暴風に巻き上げられた無数の焼けたリベットや鋭利な鉄片が、霰弾(散弾)となって風の目へと降り注いだのだ。
ガキン!ガコン!という激しい金属衝突音が響く。数枚の鉄片が小花の白瓷羽を掠め、深い焦げ跡を刻んだ。一発の焼けたリベットは鞍座側面の装甲とゲル膜を貫通し、翰文の頬をかすめ、焼けるような血の筋を引いた。
その眩い閃光の裏側には、屠殺場の縁で戦慄するような赤き情景が広がっていた。
翰文は小花の背で、風の目の中心から、その破滅の演武を見届けていた。激しく喘ぎ、心臓は狂ったように脈打ち、頬の血が手の甲に滴り落ちる。それは、生々しい「痛み」だった。
風の目は不安定だった。周囲の風壁は激しく震え、いつでもこのすべてを飲み込む巨口を閉じようとしているかのようだった。
「……どうやら、幸運の女神は俺たちの味方らしいな」
翰文が振り返ると、そこには血の気の引いた顔の無小姐がいた。彼女の手の中の笛は微かに震えており、この一時の安寧を維持するために、吹き続けなければならなかった。
「まだ、終わっていないわ」
無小姐が顔を上げ、頭上で鋭い咆哮を上げ続ける09號風塔を見上げた。
「この子、まだ怒っている……。それに、声の中に何かがあるわ」
「第二の核心は……この暴怒の中心にある」
翰文が仰ぎ見る。
その塔の頂上、果てしない嵐の渦巻く中心に、一点の紅い光が明滅していた。
温かな琥珀とは違う。それは鮮血を浴びたかのような、憤怒の深紅。
第二の共鳴核心が、自らの怒りを鎮める者を、そこで待ち受けていた。




