第59話 : 剥落する泥殻と、致命的な半秒
『獲物だけが求愛のために鮮やかな羽を必要とするのさ。狩人はただ、影に溶け込むことだけを求める。もし野獣が自らその輝きを消し始めたなら、そいつは恐怖を覚えたか、あるいは殺戮を覚えたかのどちらかだ。——たいていは、その両方だがね』
——『廢土生物行為學』:擬態と保護色に関する章、56ページより
針夫人の予言は、忌々しいほどに正確だった。
**「旧風塔群」**の縁に足を踏み入れた途端、丹念に塗りたくられた偽裝は脆くも崩壊し始めた。
そこはまさに巨人の乱葬崗だった。
高さ百メートル、直径十メートルを超える数百本の灰色の円柱が天を突いている。それらはかつて旧律時代、惑星の気流を制御した「定風針」だったが、今や巨大な墓標と化していた。表面の金属蒙皮はとうに剥げ落ち、下の粗い灰白色の石肌と錆びついた鉄骨が剥き出しになっている。それは栄養失調で乾ききった指のように、絶望を湛えて灰色の空を指し示していた。
ここでの風は「流れ」ではない。圧縮され、切り裂かれ、加速された無数の見えない「ヤスリ」だ。
狂風は粗い石英砂を巻き込み、ヒュゥゥー、シィィーという凄惨な咆哮と共に時速百キロで侵入者を叩く。無数の細かな砂礫が同時に骨を研いでいるかのような、緻密な不快音が絶え間なく響いていた。
小花の身体を覆っていた黒泥と機械油は、この暴虐な気流の前では、ひび割れた古いペンキも同然だった。
最初は、縁の端が砕けただけだった。
左肩を覆っていた乾いた泥の殻が風刃にこじ開けられ、パキッという乾いた音を立てる。小花は驚いて声を漏らし、本能的に前爪を上げて泥を押さえようとした。偽裝を繋ぎ止めようと。
だが、それは無駄な足掻きだった。
風は容赦なく亀裂に潜り込み、泥の塊を根こそぎ剥ぎ取って宙へと跳ね上げ、瞬時に虚空の塵へと変えた。
直後、連鎖反応が起きた。
胸甲の油泥が吹き飛び、腿の汚れが剥がれ落ちる。
わずか十分間。
小花は、自らに安らぎを与えていた「汚れた服」が、見えない力によって一枚残らず剥ぎ取られていくのを絶望の中で見守るしかなかった。再び露わになったのは、潔白で、眩しく、逃げ場のない白磁の装甲だった。
彼女は、自分が剥き出しにされたと感じていた。
この灰黒色の廃土の中で、彼女はもはや目立たない石ころではない。地上を歩く「白い信号弾」だ。あまりに刺すようで、あまりに美味そうで。まるで周囲に潜むすべての捕食者に「ここを見て、私はここよ、早く食べて」と招待状を送っているかのようだった。
彼女は爪で胸元を隠そうとし、首を縮めて頭をより深く埋めようとしたが、「凝視されている」という恐慌は骨の髄まで浸透し、その足取りを硬く、乱れさせていった。吹き抜ける風の音さえも、彼女の耳には蟲の群れが翅を震わせる前奏曲に聞こえていた。
「止まるな……歩き続けろ」
翰文は、砕けたガラスを飲み込んだような喉の劇痛に耐え、神経触手を通じて小花に伝えた。彼女から伝わってくる潮流のような冷たい恐怖に、自らの手足までが凍りついていくのを感じる。
「ただの風だ。蟲なんていない。怖がるな……俺たちがついている」
前方には、半分倒壊した二基の巨大な風塔に挟まれた、狭い峡谷があった。
気流はそこで極限まで圧縮され、肉眼で見えるほどの灰白色の乱流を形成していた。
突如、頭上から心臓を掴むようなメキメキという断裂音が響いた。
数トンの質量を持つ風塔の石肌の破片が狂風にへし折られ、死の咆哮と共に一行へと降り注いできたのだ。
「残り火」がビクリと震え、無小姐が悲鳴を上げたその時、翰文の反応は最速だった。
回避の本能がミリ秒単位で判断を下す。左側に隙間、跳躍、突破。その念は金色の神経束を伝い、稲妻となって小花へと届けられた。
通常の龍としての本能であれば、翰文が意識するよりも早く、あるいは同等に状況を察知し、筋肉を収縮させて跳躍を完遂していたはずだった。
だが今回は、違った。
翰文の神経連結に返ってきたのは、反吐が出るほど粘りつくようなジジジ……というエコーだった。
それは歯車の磨り減った古いトラックを運転しているかのようだった。アクセルを力一杯踏み込んでも、エンジンは空虚な唸りを上げるだけで半秒間も空転し、強烈なショックと躊躇を伴ってようやく動力が繋がる、そんな感覚。
この瞬間、小花は「迷って」しまったのだ。傷ついた彼女の潜在意識は即座に実行に移せず、一連の自己疑念が先行した。
(……声を出したら、またあの輪っかが痛くなる……?)
(……跳んだら、悪い蟲さんに見つかっちゃう……?)
この致命的な空白が、完璧な回避を無様な足つきへと変えた。
彼女が「跳ぶべきだ」と悟った時、すでに時間は味方をしていなかった。
ドォォォォン!という巨響と共に、巨石が足元から二メートルと離れていない場所に激突した。地面が激しく揺れ、砕石が弾丸のように飛び散る。
小花は直撃こそ免れたものの、鋭い砕石が数個、左足の関節を直撃した。
苦痛と驚愕が同時に爆発した。
彼女は喉の奥で押し殺した「シィィィーッ!」という悲鳴を上げ、巨躯は平衡を失い、足を滑らせて肩を岩壁に激しく打ち付けた。
金属と岩石が激突してガシャァァン!と爆音を上げ、火花が散り、白磁の羽が岩肌に黒い擦過痕を刻んだ。
「神經繭」内は一瞬にして混迷に陥った。
激痛が神経末端からフィードバックされ、翰文は強引にへし折られたスプーンのように身体を捩り、脊椎が引き千切られるような感覚に襲われた。喉には鉄錆の味が溢れ、逆流した血が今にも口から噴き出しそうになる。
「クソ……何だよ、これ……」翰文は奥歯を噛み締めて立ち直ろうとしたが、視界には火花が舞っていた。義足の過度感知がこの窮地をさらに追い詰める。断端への衝撃は、義足がロックされるたびに苛烈さを増し、あたかも針夫人が神経インターフェース越しに、翰文の脆弱な肉体を嘲笑っているかのようだった。
翰文は理解した。先ほどまで小花のトラウマを軽視していたツケが、今こうして報いとなって返ってきたのだ。彼は、疑念に満ち、怯えきった龍に戦場へ戻るよう「請い願う」しかなかった。あの真鍮の項圈と蟲に囲まれた記憶の影は、彼女の喉だけでなく、反射神経そのものをも強く締め上げていた。
脳内の「残り火」が鋭いジジジというノイズを立てた。爪で黒板を力一杯引っ掻いたような、不快極まりない音。
そいつは猛烈な怒りと軽蔑を込め、翰文の脳内に一つのイメージを投射した。
――断裂し、蜘蛛の巣の張った操縦桿。
冷たい海流のような蔑みの念が流れ込む。言葉を交わさずとも、翰文には相手が冷淡に自分の無様さを見下ろしているのが分かった。
(……貴様は今、レンガを運転しているのだ。……)
(……こいつは壊れている。身体ではない、「勇気」という名の神経が死んでいるのだ。……)
翰文は「残り火」の棘のある嘲笑を意識の外へ追い出した。無小姐の無事を確認すると、彼は震える小花の身躯に手を添え、勇気を伝えようと試みた。
「小花……大丈夫か?」
「後ろを見るな。蟲なんていない、項圈もただの飾りだ。静かにしていれば、そいつはお前を傷つけやしない」
「前へ進むんだ。俺たちがそばにいる。道は俺たちが守ってやるから」
返ってきたのは、長く重い沈黙。しばらくして、小花はようやく氷解するように動き出し、重苦しく、緩慢な足取りで前へと進み始めた。
峡谷の深部へ進むにつれ、風の音が変質した。
単なる咆哮ではなく、複雑な旋律を持った高周波の共振へと。
周囲の天を突く破損した風塔には、数万もの蜂の巣状の通気孔が開いていた。狂暴な気流がそれらの穴を通り抜ける時、この峡谷は巨大で調律の狂った「悪魔の笛」と化し、ブゥゥン……ウゥゥ……という不気味な残響を放つ。
ある音は女妖の哭き声のように鋭く、ある音は地底を這う雷鳴のように低い。
それらの音が狭い峡谷で屈折し、重なり、干渉し合い、脳波を直接狂わせる「聴覚の迷宮」を形成していた。
小花の面甲にある、安定していたはずの青い感官光帯が激しく点滅し始めた。
雑多なエコーが彼女の知覚を激しく揺さぶり、足取りは完全に乱れた。
龍の感官において、これらの音はもはや風の音ではない。それは千年前の記憶のフラッシュバックそのものだった。
今の彼女は「視て」いたのだ。
重なり合う聴覚の幻覚の中で、周囲にそびえ立つ風塔は歪み、崩れ、すべてが千年以前の「天墜の日」に空から墜ちてきた燃え盛る残骸へと変わっていた。
この光景は彼女の記憶の深淵に根ざした、「あの日」の根源的な恐怖。
(……天が墜ちる……)
(……押し潰される……)
恐怖が情緒を激昂させ、項圈内部のモニタ・ルーンが連続的な「ピッ、ピッ、ピッ」という警告音を発した。
真鍮の項圈が異常な脳波を感知し、刻まれた赤いルーンが猛然と発光。警告の微弱電流が、彼女の後頸部の神経へと突き刺さった。
小花は電流に「ウゥゥ……!」と苦悶の声を漏らし、全身を震わせた。
二重の恐怖。――末日の幻覚への恐怖と、項圈による罰への恐怖。
それが、彼女の心を完全に圧殺した。
彼女はまるで高速道路でヘッドライトに射すくめられたポッサムのように、突如として足を止めた。無力に身体を丸め、巨軀を可能な限り小さく縮ませ、頭を胸元の露わになった白磁の羽の中へと深く深く埋めた。翰文がどれほど神経触手を引き、声をかけても、彼女は石像のように動かなかった。
「小花! どうした!? ここを早く抜けなきゃならないんだ! 風が強すぎる、また落石が来るぞ! 止まるな!」
翰文は焦りで脂汗を流したが、損壊した喉から発せられる声は狂風の中では滑稽なほど弱々しく、周囲の騒音の海に一瞬で飲み込まれていった。
神経連結から返ってくるのは混迷したエコーだけで、無線機が激しい磁気嵐に干渉されたように、有効な対話が成立しない。
小花は外部情報の受信を拒絶し、恐怖という名の硬い殻に自分を閉じ込めてしまった。そして頭上では今にも崩れそうな風塔の残骸が、次の一秒にも崩落しそうな危険な「カシャリ」という音を立てていた。
その時だった。冷たく、繊細な小さな手が、翰文の肩に置かれた。
翰文が振り返ると、そこには蒼白だが異様なほどに落ち着いた無小姐の顔があった。
先ほどの衝撃でコックピット右側の気密パッキンが裂け、高圧の気流が鋭いヒス音と共に侵入し、狭い空間で乱流を巻き起こしていた。
彼女の長い髪はその侵入した風に煽られて狂ったように舞っていたが、彼女の瞳は異常なほど集中しており、目の前の混乱など見えていないかのようだった。外の騒音を透過して、彼女はもっと本質的なものを注視していた。
彼女は何も言わず、ただ胸元の「白瓷哨翎」を掲げた。
琥珀色の目を閉じ、耳を澄ます。彼女は、人を狂わせるあの周囲の騒音を聞いていた。
常人の耳には秩序なき混沌にしか聞こえないそれも、**「風律」**の感知者である彼女の耳には、複雑怪奇ながらも跡を辿れる楽譜に見えていた。彼女は数千万の混乱した気流の中から、唯一の、安定した、安全な「律」を探していた。
一時の静寂の後、それは見つかった。
彼女は即座に、極めて清らかで、時に鋭いほどに高い「ピーーーーーッ」という長音を吹き鳴らした。その音律は瞬時に、風塔の放つ重苦しい轟鳴を貫いた。
音量は決して大きくはない。だが、周波数が特殊だった。
彼女は暴風に立ち向かっているのではない。鋭いメスとなり、分厚い風の壁を精密に切り裂いていたのだ。
頭を抱えて縮こまり、死を待つばかりだった小花の身体が、ビクリと硬直した。
この笛の音は、彼女の混乱した幻覚を、項圈の電流干渉を突き抜け、天から降りてきた一筋の銀色の糸のように、彼女が閉じこもった深い井戸の底へと真っ直ぐに届いた。
それは命令ではない。翰文のような強迫的な焦りもなく、項圈のような冷酷な禁錮もない。その笛の音はただ、北極星のように混沌の中で唯一の出口を照らし出す「座標」だった。
笛の音は気流の行く先を模し、奇妙な安らぎの韻律を伴って、小花の感官に直接作用した。それは彼女に告げていた。
(左は安全な気流。右は抵抗の壁。怖がらないで、この音についてきて。音があなたを連れて行ってくれるわ。)
小花がゆっくりと顔を上げた。
面甲には岩壁に衝突した際の灰色の汚れが残り、喉元の真鍮の項圈は依然として威嚇の赤光を放っている。
だが、彼女は動いた。
探るように一歩を踏み出し、高低を繰り返すあの笛の音を追い、極めて緩慢ながらも、ついに震えを止めて前へと進み出したのだ。
反応は依然として鈍く、一歩ごとに罰への恐怖がつきまとっていたが。
それでも、彼女はもはや死んだ石ころではなかった。
無小姐は目を閉じたまま、両手で白磁の笛を唇に添え、一人の聴衆もいない独奏会に没頭するように集中していた。
風は彼女の髪を乱したが、その細く、力強い笛の音を乱すことはできなかった。




