第28話 : 死せる金属の検死報告と、高価な靴
『下城區において、修理とは科学ではない。招魂術だ。お前は死んだ金属部品の山を説得し、自分たちにはまだ悲鳴を上げる理由があるのだと信じ込ませる必要がある』
——『鐵頭修理店・壁の手書きルール』
李翰文は冷たいバルブを握りしめ、まるで停止した心臓を鷲掴みにしているような感触を覚えていた。
周囲の喧騒――鍛造音、電流の唸り、酔っ払いの罵声――が急速に潮が引くように退き、重苦しい耳鳴りに取って代わられた。
脳内の「残り火」が発熱し始める。誰かが彼の額でマグネシウムのリボンに点火したかのような高熱だ。
頭蓋の奥で響く鋭利な音と共に、鉄錆の臭いを伴う記憶が強引に注入され、視界から色彩が剥離された。目の前の鉄塊が、意識の中で強制的に「分解」される。
彼はその「生前」の姿を見た――巨大な空気浄化塔の心臓部として、清冽な気流を昼夜問わず貪り食っていた姿を。
そして、その死因も見た。四百年前、過負荷運転による内部回路の融解。灰律が汚泥のように血管を塞ぎ、窒息死させたのだ。
……閉塞……壊死……疎通が……必要……
これは単なる四百年前の骨董品の修理ではない。考古学者である彼にとって、これは死後四百年が経過した遺体へのデブリードマン(創面切除)であり、それを「還魂」させる儀式だ。
「3番のヤスリをくれ。それと、もっと細い銅の針もだ」
翰文の声は別人格が乗り移ったかのように冷徹で、他人の耳には奇異に響いた。
彼は顔を上げず、バルブの側面にある目立たない錆の斑点に視線を釘付けにしている。
老人は機械の瞳を一瞬驚きに瞬かせたが、何も言わずに無骨なマニピュレーターで工具の山から正確に指定された物を摘み上げ、放り投げた。
翰文はそれを受け止めた。
彼の右手――再生したばかりのピンク色の肉と、過敏な神経末端が露出したかのような手――が、粗いヤスリの柄に触れた瞬間、骨髄に響くような激痛が走った。
だが、手は止まらない。
残り火が彼の筋肉の記憶を支配し、肉体の悲鳴を黙殺させている。
ヤスリが錆びた金属を削り、「ガリッ、ガリッ」という酸っぱい音を立てる。黒板を爪で引っ掻く音に匹敵する不快感が、全身の鳥肌を立たせる。
翰文の手法は極めて乱暴でありながら、戦慄するほど精密だった。彼は研磨しているのではない。律法回路にこびりついた「死んだ皮膚」を削ぎ落としているのだ。
場は静まり返り、ただ黒い金属粉末がパラパラと落ちる音だけが響く。古い機械油と腐ったカビの混ざった悪臭が漂い始めた。
「あいつ、何をしてやがる?」
老人がカウンターに身を乗り出し、義眼のレンズを狂ったようにズームさせる。
「コーティングを剥がしてやがるぞ? そいつは保護層だ!」
「黙ってろ、老いぼれ」
鐵頭の声は意識的に低められていたが、スピーカーを通すとどうしても轟音になってしまう。
「あいつは『血管』を探してるんだ」
彼らの口論は分厚いガラス越しの音のようにくぐこもり、翰文の意識から急速に切り離されていった。
今、彼の視界は「残り火」によって強制的にフォーカスされている。眼前の髪の毛よりも細い律法回路が、網膜上で巨大な、詰まりきった血管として拡大されていた。
回路は深刻な塞栓を起こしている。石灰化した灰律の残渣が詰まり、動脈硬化で蓄積した黄白色のプラークのように、吐き気を催す死の気配を放っている。
彼はズキズキと痛む右手で、細長い銅の針を摘んだ。
「残り火」による強制介入下で、筋肉は神経の震えを無視し、その指先は台座に溶接された油圧アームよりも強固に安定していた。
だがその異常な精密さは、翰文に生理的な吐き気をもたらした。自分の魂が脳の片隅に追いやられ、この「見知らぬ右手」が独自の意思を持つ寄生生物のように、人間の直感に反する冷酷な角度で切除手術を完遂していくのを、ただ見ているしかないような感覚。
針先は外科手術のような冷たさで、錆びついて死んだ孔へとゆっくり刺し込まれた。
銅針が沈殿物と擦れ、指先にザラザラとした抵抗感が伝わる。乾燥して風化した骨を穿っているかのようだ。
やがて、膿疱が破れるような極めて微細な「プツリ」という音がした瞬間。
百年分圧縮された腐敗ガスが、黒い粉塵と共に噴き出した。滾るような熱を帯びて。
「……通った」
翰文は長く息を吐いた。脳内のマグマがようやく冷却され始めるのを感じる。
彼は工具を置き、油まみれの指でバルブの両端の接点を押さえた。
「……あとは、少しの刺激が必要だ」
翰文は指を離さず、背後で固唾を飲んで見守っていた女の方へ首を巡らせた。
「鳥人小姐、火を借りたい」
彼は空いた手の指で、今しがた開通させたバルブの孔を指し示した。
「ここに、息を吹き込んでくれ。さっき俺の手にしてくれたみたいに。でも、もっと軽く、優しくな」
無小姐は一瞬呆気にとられたが、すぐに意図を理解した。
彼女は身を乗り出し、蒼白な顔を翰文の汚れた手に近づけた。
そっと唇を開き、針孔のような接点に向けて、極めて微弱な、しかし幽かな青い燐光を帯びた息を吹きかける。その単純な動作が、彼女の残りの体力を削り取っていくようだ。息を吐いた瞬間、彼女の体は大きく揺らぎ、抑えた喘ぎ声が漏れる。過度の消耗に眉根が苦痛に歪んだが、それでも彼女は青い光が灯るまで、強情に口を閉じなかった。
それは風の律動。純粋なエネルギーだ。
そのエネルギーが翰文の指先に触れた瞬間、体内の「残り火」が即座にその周波数を捕捉し、バルブ深部の回路へと正確に誘導した。
彼は発電機ではない。だが、最高効率の伝送ケーブルだ。
死んでいた金属塊は、律エネルギーを注入された瞬間、共鳴音と共に激しく痙攣した。直後、末期の結核患者が息を吸い込むような、急激な吸引音が響く。
内部のギアが回転を始めた。最初は乾いて重かったが、すぐに滑らかになる。翰文が掃除したばかりの回路に沿って幽青色の光輪が走り、表面の錆を駆逐していく。
古物が蘇った。あるいは、翰文の手によって死亡ラインから無理やり引き戻され、呼吸を再開したのだ。
翰文は即座に、唸りを上げて稼働するバルブをカウンターへ放り投げた。
金属が木の板に当たり、ゴトッという重い音がした。
「……検品しろ」
翰文は脱力してカウンターの縁にもたれかかった。冷や汗が背中を濡らしている。
右手は微かに震え、新生した皮膚が破れて血が滲んでいた。
鐵頭は無言だった。巨体を前傾させ、多レンズゴーグルをバルブに密着させる勢いで覗き込む。
レンズ群が狂ったように回転し、ジジジというフォーカス音を立てる。
「クソッたれが……信じられん」
長い沈黙の後、彼は顔を上げた。無表情な顔の下にある金属の顎がゆっくりと開き、白い蒸気を吐き出した。「完璧な……回路再建だ」
その金属の顔面が突然痙攣し、笑い声に似た機械ノイズを発した。
「美しい……美しいぞ。実に美しい」
背骨の黒い蛇腹管が激しく脈打ち、濁った興奮剤を送り込んでいる。「お前はこいつを『生物』として直したな。死物としてではなく。だから俺の技師どもはクズで、お前は天才なんだ」
鐵頭の声からは侮蔑が消え、商人の強欲さと技術への畏敬が取って代わっていた。興奮のあまり脊椎のチューブが震え、濁った生命維持液が数滴滲み出している。
「内部のカーボン(炭素カス)まで掃除してやがる。こいつの効率は、今や店のどの在庫よりも上だ」
「……御託はいい」
翰文は顔の油汚れと汗を拭い、冷ややかな視線を前に向けた。
「靴。薬。水だ」
鐵頭は一秒沈黙し、それから巨大な機械椅子を旋回させた。
油圧システムの轟音と共に、背後の棚から薄汚い布包みを掴み取り、別のキャビネットから金属の缶とブーツを取り出した。
「持ってけ」
彼はその三つを翰文の前に押しやった。「このブーツは運の悪い北陸斥候の死体から引っ剥がしたものだ。ソールには耐腐食合金、インナーには対衝撃ゲルが入ってる。古いが、このゴミ溜めじゃお前の命より値が張る代物だ」
翰文は即座にブーツを掴んだ。
それは黒い重装甲のタクティカルブーツで、爪先には金属プレートが入り、靴底はタイヤのように分厚かった。
洗い落とせなかった赤黒い血痕がこびりついているが、今の彼にとって、それはこの世で最も美しい芸術品だった。
彼はすぐさま地面に座り込み、左足の滑稽なゴムと皮衣の袖を脱ぎ捨てると、傷口など構わずに足をブーツへ突っ込んだ。
足裏がインソールに触れた瞬間、脳内の「残り火」が微かに震えた。
劇痛はない。ただ一瞬、分厚い革越しに誰かが足首を掴んだような、冷たい幻触が走った。
彼は北陸斥候の最期を感じ取った。
……走れない……雪が深い……
……この靴は……まだ壊れていない……俺は倒れられない……
この靴は、前の持ち主がどう死んだかを記憶している。
翰文は歯を食いしばったが、逆に凄涼たる安心感を覚えた。薄気味悪さを無視し、靴紐を力任せに締め上げる。
カチリ、という小気味良い音と共に紐がロックされた。
久しく忘れていた「地に足がついた」安全感が、足裏から脳天へと突き抜けた。
これでガラス片を踏んで破傷風で死ぬ心配はなくなった。これは単なる靴ではない。装甲だ。この悪意に満ちた世界を歩くための、根拠だ。
「……いい靴だ」翰文は立ち上がり、足を踏み鳴らした。その重厚なフィードバックに、涙が出そうになるほど感動した。
「当然だ」鐵頭が無表情な顔で奇妙な金属の笑みを浮かべた。「……だが気をつけな。その靴には北陸軍団の認識番号が入ってる。パトロールに見つかれば、脱走兵か、死体あさりのコソ泥と間違われて撃たれるぞ」
「あー……どうでもいいさ」
次は無小姐の薬だ。
金属缶の中身は緑色の粘着質な軟膏で、ミントとカビの臭いがした。
「そいつは『緑藻ゲル』だ」老人が横から口を挟んだ。その目には羨望が浮かんでいる。「……上等な品だぞ。肉が腐り落ちてさえいなけりゃ、塗れば治る」
翰文は躊躇なく一塊を掬い取り、無小姐の首のどす黒い勒痕に塗りつけた。
「……ん……」衰弱していた彼女は冷たさに驚いて首を縮めた。
だがすぐに、きつく寄せられていた眉間が緩んだ。薬は確かに効いているようで、首筋の痛々しい紫黒色は徐々に退き始めた。
最後に水。
鐵頭が寄越したのは、密封された二つの金属水筒だった。
「濾過済みだ。多少の放射能臭さはあるが、死にはしねぇ」
翰文は蓋をねじ開け、慎重にまず無小姐に数口飲ませた。彼女は満足げな吐息を漏らしたが、すぐに周囲の油臭さにむせ返り、空嘔吐した。この下城區では、呼吸することさえ拷問だ。
続いて翰文自身が仰ぎ飲みした。冷たい液体が乾ききった食道を滑り落ちる感覚は、干ばつの砂漠に降る豪雨に匹敵した。
確かに鉄錆の味がするが、この瞬間、それは神々の酒だった。
「……よし、取引完了だ」
翰文は水筒を下ろし、ようやく生き返った心地がした。
彼は薬と水をバックパックに詰め込み、物資で満たされたその軍用バッグを背中へと放り上げた。肩にのしかかるずっしりとした重量感が、確かな安心感をもたらしてくれる。
彼は振り返り、座り込んでいた無小姐を助け起こし、彼女の体重の大半を自分の体に預けさせた。
「行こう」
彼は小声で言い、彼女を連れて踵を返した。
「……待て」
背後から、拡声器を通した鐵頭の声が響いた。
翰文は足を止め、手は本能的に腰の錆びた鉄棒へと伸びた。
「気が変わったか?」
「いいや」
鐵頭の電子眼が翰文の背中を見据えた。
「忠告だ。この街には、あのバルブみたいに『詰まった』ガラクタが山ほどある」
「金に困ったり、もっと高級なパーツに変えたくなったら……例えばその足を油圧式にな……いつでも戻ってこい」
「……それから、『闇市』の連中には気をつけろ。お前みたいな旧律を読める脳みそは、奴らにとっちゃ極上の生きた教科書だ」
翰文は振り返らず、背中越しに手を振っただけだった。
「どうも。だが俺はオリジナル(純正品)が好きなんでね」
静かな店を出た瞬間、外の喧騒が再び津波のように押し寄せた。
だが今回、翰文の足取りはずっと安定していた。
足には死人のブーツを履き、鞄には薬と水を詰め、脳には換金可能な知識が入っている。
彼は依然として異郷人であり、無律者であり、指名手配犯だ。
だが彼はついに、この腐りきった都市に、自分だけの楔を一本打ち込んだのだ。
「……翰文……」
脇に寄りかかる無小姐がそっと名を呼んだ。
彼女の視線は、翰文の皮が剥け、微かに血が滲む右手に留まっていた。その琥珀色の瞳に、罪悪感と葛藤がよぎる――彼女は無意識に手を上げ、風の律で痛みを和らげようとしたが、指先に光が灯る前に消えてしまった。
彼女は唇を噛み、結局無力な呟きだけを漏らした。「……あなたの手が……」
翰文は赤く腫れ上がり、指先が微かに震えている自分の右手を見下ろした。
彼はやるせなさそうに苦笑し、拳を握りしめた。
痛い。当然痛い。だがこの鋭い痛みこそが、彼を常に覚醒させてくれる。この痛みこそが、等価交換の証だ。
「平気さ」
彼はネオンで毒々しい紫に染まった汚れたドームを見上げた。
「こいつは……この世界に対する、ただの勉強代だ」
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