表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/52

第14話 : 裸足、砕けた岩、そして地獄への片道切符



『重力は七界において、唯一お前を裏切らない律法(ロウ)だ。どれほど高く登ろうとも、重力は常に下で、忍耐強くお前を待っている。それを受け入れろ。それこそが唯一の帰結なのだから』



  ——『深淵坑夫の墓碑銘アビス・マイナー・エピタフ(靴底に刻まれた言葉)』



 パイプから這い出した瞬間、李翰文(リー・ハンウェン)は自分が産道から無理やり絞り出された赤子のようだと思った。



 全身粘液と汚物にまみれ、肺は塵で詰まり、ただこの悪意に満ちた世界に向けて大声で泣き叫びたい衝動に駆られる。



 そこは巨大な、中空の円筒形空間だった。



 先ほどの円形ホールとは異なり、ここは黒い塔の巨大な「食道」そのものに見えた。見上げても頂上の見えない黒い金属壁が四方を囲み、肋骨のような支持梁が走っている。彼らは今、その壁面にへばりつくように設置された、頼りないメンテナンス用通路キャットウォークの上に立っていた。



「……早く……」



 背後の女が、力なく彼を押した。スタミナは枯渇しているが、その手には無視できない恐怖が宿っている。



 翰文(ハンウェン)はパイプの出口を振り返った。



 おぞましい砂の摩擦音が、パイプの中で反響し、増幅されている。無数の乾燥した粒子が互いを押し潰し合う音。鳥肌が立つ。



 あの灰色の「死」は執拗に迫っていた。パイプの中を蠕動ぜんどうする、骨灰でできた汚らわしい腸内寄生虫のように、すべてを呑み込もうとしている。



「クソッ」



 翰文(ハンウェン)は自分の足元を見た。



 左足の登山靴と靴下は、先ほどの救出劇ですでに灰と化して消滅していた。足の裏の前半分は血肉が混じり合い、目の粗いサンドペーパーで削り取られたかのように、鮮紅色の真皮が露出している。



 辛うじて残った右足の靴も深刻な炭化を起こしており、靴底からは黒煙が上がり、歩くたびに黒い欠片を撒き散らしている。



 痛いか?



 痛みの閾値いきちを超えてしまい、今はただ麻痺したような腫れぼったい感覚しかない。だが翰文(ハンウェン)は知っていた。走り出せば、脚をノコギリで切り落としたくなるほどの激痛が襲うことを。



 彼はボロボロの皮衣の袖を引きちぎり、負傷した左足に乱暴に巻き付け、固結びにした。



「走るぞ!」



 女の手を引き、錆と鋭利な瓦礫に覆われた狭い通路を駆け抜ける。



 一歩踏み出すたびに、疲弊した肉体に容赦ない刑罰が下される。足裏からの刺痛と灼熱感は、発狂しそうなほど鮮明だ。鋭い金属片が薄い革を容易く貫通し、肉に突き刺さる。



 翰文(ハンウェン)は奥歯を噛み砕き、喉の奥で手負いの獣のように呻いた。



 だが、足は止められない。



 眼下の深淵から、あの灰色の塵が上昇してきているのを知っていたからだ。



 それは単なる霧ではない。海面上昇のように圧倒的な質量を持って押し寄せる、恐怖の灰燼狂潮(アッシュ・タイド)だ!



 無数の「灰律狩人(グレイ・ハンター)」が折り重なり、塔底の空間を埋め尽くし、壁を伝って急速に這い上がってくる。彼らが通過した場所では、空気から水分が奪われ、金属の支柱が一瞬で錆びつき、風化し、同じ死寂の灰へと還元されていく。



 脳内の激痛が再発した。だが今回は、質が違った。



 耳障りなノイズと共に、焼きごてを生肉に押し当てたような強烈な焦げ臭さが、翰文(ハンウェン)の鼻腔を暴力的に満たす。



 この痛みは単なる侵食ではない。徹頭徹尾、「燃焼」だ。



 李翰文(リー・ハンウェン)はずっとそれを「寄生虫(パラサイト)」と呼んでいた。脳の溝を這い回る、ぬらぬらとした肉虫だと思っていた。



 だが今、痛みが限界を突破し、頭蓋骨を融解させるほどの熱量が溢れ出した時、彼は自分の認識が間違っていたことを悟った。



 そいつに虫のような生物学的特徴はない。



 あれは、生きた「火」だ。



 冷たい大脳皮質の上で狂ったように燃え盛り、消えることを拒絶する「残り火(エンバー)」だ。彼を齧っているのではない。彼を燃料として「燃やし」、遥か昔に灰となった古代の意志を伝達しようとしているのだ。



『振り返るな。振り返ればマーキングされる』



『あれは攻撃ですらない。純粋な「風化(ウェザリング)」プロセスだ』



 脳内の残り火が、その認識を神経に溶接する。



 翰文(ハンウェン)は絶望を視た。世界が崩落していく。現実は億万年の歳月を経たかのように一瞬で枯れ果て、崩れ去る。



 あの灰色のモノに触れれば、血は流れない。直接、砂礫へと変わる。



 湿った泥土が一瞬で水分を奪われ、砂漠の塵となるように。



「お前が火だってんなら、もっと景気よく燃やしやがれ! 外野席から野次を飛ばすだけじゃなくてな!」



 翰文(ハンウェン)は脳内の残り火に向かって吠えた。血肉にまみれた足を引きずり、通路の尽頭を目指す。



 通路の先には、巨大な瓦礫の斜面が広がっていた。



 塔の内部でかつて大規模な崩落があったのか、大量の黒い岩石が堆積し、急勾配の坂を形成している。その頂上には、出口らしき裂け目が見えた。



「……あそこへ……」女が裂け目を指差す。「……あそこが……節点(ノード)……」



 翰文(ハンウェン)は瓦礫の斜面を見上げた。



 岩の縁はナイフのように鋭利で、微弱な青い光の下で悪意に満ちた寒光を放っている。



 これを裸足で登れと? 刃の山を歩くのと何が違う?



 躊躇する間もなく、背後の通路が乾燥した破砕音を立てて崩れ落ちた。審判のカウントダウンのように、瞬時に舞い散る砂塵と化す。



 灰色の塵はすでに足元まで迫っている。物質が強制的に「風化」させられる不快な摩擦音が、すぐ耳元で炸裂する。



「クソがッ! やってやるよ!」



 翰文(ハンウェン)は運命に宣戦布告するような咆哮を上げ、迷いを捨てて、刃物のような瓦礫の坂へと突っ込んだ。



 皮肉が裂ける湿った音と共に、一歩目で左足の裏が切り裂かれた。



 鮮血が包帯代わりの袖を浸し、黒い岩に赤い足跡を刻み込む。



 痛い。



 心臓が止まるほど痛い。



 踏み込むたびに、誰かが傷口を力任せに引き裂いているようだ。



 涙と鼻水が垂れ流しになるが、顔の湿り気など感じない。全神経が、ずたずたになった左足に集中している。



「……あ、あああああッ!」



 彼は狂人のように叫びながら、手足を使って這い上がった。女も続く。彼女の手も血だらけだが、唇を噛み締め、悲鳴を押し殺している。



 背後では、灰の波濤が荒れ狂い、追ってくる。通過した岩石は瞬時に光沢を失い、ひび割れ、粉末となって虚無へと消える。死の接近はあまりに具体的で、翰文(ハンウェン)は背中の皮膚が乾燥し、水分を吸い取られるような幻痛さえ感じた。



 ついに。



 彼らは坂の頂上へ辿り着いた。



 翰文(ハンウェン)は倒れ込み、心臓が破裂しそうなほど喘いだ。振り返る。瓦礫の坂はすでに半分が消失している。灰色の波は数メートル下で渦巻き、無数の灰の腕が彼らに向かって伸びてきている。



「……着いた……のか?」



 翰文(ハンウェン)は「出口」を見た。



 顔から血の気が引く。完全な絶望。



 そこは行き止まりだった。



 裂け目の奥にあったのは、複雑なルーン文字が刻まれた、分厚く、動かしようのない壁。ドアも窓も、ネズミの穴さえない。完全な密閉空間。



「これが節点だって!? 壁じゃねえか! 俺たちをここに閉じ込めるためのクソったれな壁だ!」



 翰文(ハンウェン)は髪を掻きむしり、崩れ落ちた。



 女が駆け寄り、壁を狂ったように手で探る。指先が冷たいルーンの上を滑る。



「……違う……ここなはず……」泣きそうな声。「……律の流れは……ここを指してる……」



 翰文(ハンウェン)は足元まで迫る灰色の波を見た。



「改修工事でもしたんだろ! あるいはこの塔が整形手術でもしたか!」



 道がない。



 本当に、終わった。



 飛び降りることさえできない。下はすでに「灰」で満たされている。



 その時、脳内の「残り火(エンバー)」が、重苦しい共鳴音を発した。



 警告ではない。共鳴だ。種火が、かつて燃えていた場所に出会った時の反応。



 彼は無意識に、袋小路の隅を見た。



 そこには目立たない、漆黒の亀裂があった。建築の幾何学構造を無視したその裂け目は、塔が負傷してできた傷跡のように見える。深く、底が見えず、陰湿な冷風が吹き出している。



 脳裏でジジっというノイズが走り、映像が浮かぶ。



『……正門が通れないなら……塔の「傷口」を通るまでだ……』



 あの狂った古代の職人が、口を裂けんばかりにニヤリと笑った。病的な興奮を湛えて。



『……地獄への直通便だが、少なくとも……行列に並ぶ必要はねえ』



 職人の狂笑と共に、脳内の灼熱感が増し、翰文(ハンウェン)はすでに落下が始まったかのような激しい目眩を感じた。



 地図もナビもない。ただ残り火が伝える、崖っぷちで寒風に晒されるような悪寒だけがある。



 それが、狂ったアイデアを叫んでいる。



『急げ!』



『ここだ』



『この亀裂は塔の傷跡。律によって封印されていない唯一のバグ(漏洞)』



『これは地底へ直結している……光さえ届かない、未知なる暗黒の内臓へと』



 翰文(ハンウェン)は生唾を飲み込み、亀裂を指差した。「……飛び降りるぞ」



 女は呆然と、怪物の口のような闇を見つめた。



「……あそこは……深淵……」



「ここにいれば灰になる。飛び込めば深淵だ」翰文(ハンウェン)は足元を侵食する灰を見た。右足の靴底はすでに剥がれ落ち、包帯代わりの布を巻いた左足からは、焼けるような痛みが伝わってくる。



 彼は女を引き寄せ、亀裂の縁に立たせた。



「二択だ。俺は深淵を選ぶ。あのクソ共に風化させられて塵になるより、墜落死の方がまだ尊厳がある!」



 女は彼を見つめ、そして迫り来る灰色の死の津波を見た。目を閉じ、深呼吸し、決断する。



「……分かった」



 カウントダウンはない。



 躊躇は許されない。



 灰律狩人(グレイ・ハンター)の灰の爪が、彼らの服の裾に触れようとした、その刹那。



 二人は手を固く握り合い、底なしの闇の亀裂へと、迷うことなく身を躍らせた。



 狂風が耳元で悲鳴を上げる。天地が逆転し、強烈な無重力感が全身を鷲掴みにする。



 翰文(ハンウェン)は墜落の最中に目を開け、急速に遠ざかる頭上の一筋の光を見た。その光もすぐに、灰色の砂塵に飲み込まれて消えた。



 世界は、絶対的な闇に閉ざされた。



 残されたのは、墜落の中で激しく脈打つ、二つの心臓の音だけ。



 ドクン……



 ドクン……



 【第一章・残頁 I:重力、灰、そして招かれざる客 —— 記録封存アーカイブ・シール



 『最初の墜落は終わりではない。それは残り火が燃え始める起点である』 ——『灰燼の書ブック・オブ・アッシュ・序章補遺』








【読者の皆様へ】



いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。



現在、ブックマークや評価がまだ少なく、ランキングに載ることが難しい状況です……。



もし「この物語の続きが見たい」「硬派な世界観が好きだ」と思っていただけましたら、 下にある【☆☆☆☆☆】ボタンを押していただけると、作者にとって最強の支援になります! (感想やレビューも大歓迎です!)



どうか、李翰文リー・ハンウェンの旅を支えてやってください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ