映るのは
カッツェが帰ったあとの夕暮れ時のこと。
ラナの部屋の扉がノックされた。コココンッと忙しない音は、ラナの家では珍しい。
「どうしたの?」
「お嬢さま、副騎士団長さまがお見えです!」
「え、シェフレラさまが? 客室はお通ししてあるのかしら」
名前を聞いた瞬間に立ち上がれば、使用人は慌ててラナの前に立つ。
「いえ、お約束も無しに家には入れないと、正門の前でお待ちになっていて……」
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「っはあ、はあ! シェフレラさま!」
駆けつけた正門前。そこには背が高くがっしりとした体躯の人が立っていた。
「ああ、ラナ嬢。すまない、約束も無しに」
「いえ、いいえ! お会いできてうれしいです」
息を整える間もなく口をついたのは、まぎれもない本心。
シェフレラさまはそれを受けてにじむように表情をゆるめかけて、ぐっと引き締めた。
「ラナ嬢、本日は謝罪に来た」
「謝罪?」
「おい、ポルカ」
横にずれたシェフレラさまの背後に立っていた人の姿が見える。
「あっ、あの時の騎士さま……」
数日前、鍛錬場でラナのベールをめくり顔を覗き込んできたそばかすの騎士がそこにいた。
なぜか服は土まみれで全体的にぼろぼろだ。
何があったのかしら。
見つめているとポルカさんはうつむき加減の顔をそうっと持ち上げて、ラナをちらり。
「えっと、こないだはごめん! なさい!」
勢いよく言ってぺこっと頭を下げられて、ラナはびっくり。
ポルカさんは頭を下げたまま動かない。
「ええと、あの、これはどういう……?」
助けを求めた先はシェフレラさま。向けた視線は見えないけれど、髪が見えている分、顔の向きがわかったのだろう。
シェフレラさまが重々しく頷く。
「君が鍛錬場に来てくれた日、こいつが何をしたのか聞いた。それで君が泣いたわけを知り、改めて気に病まないでほしいと伝えるために会いたくて、手紙を送ったのだが」
「私が、お断りしてしまったから……」
「ああ。君がそれだけ傷ついたのだと思ったらこいつが許せなくてな」
こいつ、とポルカさんを親指で示すシェフレラさま。ワイルドな仕草もよく似合う。
「ここ数日、訓練ついでにラナ嬢がいかに傷ついたか言い聞かせていたら今日、ようやくわかったらしくい。今度は謝りに行くと騒ぎ出したのだ。君の許可を得てからにしろと行ったのだが、聞く耳を持たないものだからここまで来てしまった」
ため息を向けた相手、ポルカさんはまだ頭を下げたまま。
どうしたらいいんだろう、とおろおろしているとシェフレラさまが険しい顔をする。
「君がこいつの謝罪を不快に思うなら、そう言ってくれ。今すぐ連れて帰り、今後二度と君の前に姿を現さないように躾けてくる」
「いえ! いえ、そんな……あの、ポルカさん? 顔をあげてください」
お願いすると、黙ったままちらっとそばかすの騎士が顔をあげた。
きょろきょろと視線を動かして、シェフレラさまと私のことを交互に見ているみたい。
「……顔をあげろ」
シェフレラさまの低い低い声で、ポルカさんはぴょんと飛びはねるように直立する。
「あの、私びっくりはしましたけど、怒ってはいませんから。あの時、他の方々に姿を見られたことで私の祝福の話が広まって。それからお友だちもできましたし」
悲しい気持ちになりはしたけれど、嫌なことばかりではなかったのだと一生懸命に伝える。
表情で伝えられないぶん気持ちが伝わりますようにと、言葉に思いを込めて。
すると、ポルカさんの顔がぱっと明るくなった。
「そうなのか? 良かった~」
途端ににこにこするポルカさんの頭をシェフレラさまがはたく。
「気安く接し過ぎだ。そもそもお前の浅慮でラナ嬢を傷つけたのだぞ」
「だってよぉ。あのシェフレラが、くそ真面目な筋肉馬鹿が俺に仕事任せて会いにいく相手だぜ〜? それも透明な子とか言われたら、気になっちゃうじゃん」
「お前は、いつまで経ってもそうやって子どものように落ち着きがないから、俺の下から出られないんだぞ。同期なのだから、もっと出世してもいいだろうに……」
気安いやりとりは、ふたりが同期だったからみたい。
口を尖らせて「良いんだよ、俺はこれくらいで」というポルカさん。はたかれた頭は痛くなかったかしらと思うのに、それより気になることに気持ちが持っていかれる。
シェフレラさま、何度かお会いしていただいた時は私のためにお仕事をおやすみしてくださっていたんだ。
そう言えば、婚約前は「仕事が忙しいから」と一度も会ったことが無かった。
どうして仕事を人に任せてまで時間を作ってくれたのだろう。
気になって、気になって。ドキドキしながら聞いてみる。
「あの、シェフレラさまはどうしてお仕事をおやすみしてまで、私と会ってくださったのですか……?」
「君に会いたかったからだ」
あっさりと言われてラナは顔が熱くなる。
「そんな、どうして……」
どうしてそう思ってもらえたのだろう。
姿も見えない、はじめて会った自分にどうして。
重ねて問う言葉に答えが返る前に、空からふわっと降りてきたのは魔女リッカロッカ。
「あらあらあら~。そういうお話はお部屋で落ち着いてすべきよお。ねえ、そう思うでしょう、騎士くん?」
「ん、俺? あー、そっすね! そうそう、こんなとこで愛の告白なんて、もてねえぜ~?」
「あっ、あい!?」
そんな、そんなお話だったの!?
びっくりして固まっていると、リッカロッカがポルカさんの首を後ろから握りしめた。
「あ~ららら。騎士くぅん、アナタはこっちでちょーっとお話しましょうかあ」
「うえっ、くるじ……! くるしぃんですけどぉ!?」
「さあ〜、あとは若いお二人で~。ほらほら、ラナのお部屋に案内してあげなさいよっ」
シェフレラさまと二人、リッカロッカにぺちぺちと背中を押されて屋敷のほうへ。
数歩進んで、シェフレラさまを見上げたら、シェフレラさまもこっちを見下ろしていて。
「ラナ嬢、案内してもらえるだろうか?」
凛々しい眉をゆるく下げてお願いされたら、断れるわけなんてない。
差し出された手のひらに指先を預ける。
「……喜んで」
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見慣れた私の部屋に、見慣れない大柄な男性がいる。
不思議な感じ。ううん、それ以上にドキドキする。
いつもリッカロッカが腰を下ろしている(時々は寝転がっている)ソファにシェフレラさまと並んで座る。
私の部屋にある座れる場所は、ソファがひとつと鏡台に備え付けの椅子がひとつきり。
誰かに椅子を運んできてもらおうとしたのだけれど、シェフレラさまが「ソファで構わない……ラナ嬢が嫌でなければ」と言うものだから、並んで座ることになった。
私はソファの右端に。シェフレラさまは左端に。
それぞれ目いっぱいに離れて腰を下ろしたのだけれど、大柄なシェフレラさまと並ぶとふたりの間に隙間なんてほとんどなかった。
「…………」
「…………」
左側があったかい。
ううん、それ以上に自分の顔が熱い。
どうしていいかわからなくて、何を話していいかわからなくて。
でも、リッカロッカが祝福してくれたんだから、と勇気を出してみる。
「あの、シェフレラさま。シェフレラさまはどうして、こんな姿の見えない私のために時間をさいてくださるの?」
「君が俺の婚約者になってくれたからだ。仕事一辺倒の面白みのない男と婚約を結んでくれるならば、どんな相手だろうと愛すると決めていた。だが」
言葉をきったシェフレラさまが、私に顔を向ける。
真摯な瞳にじっと見下ろされ、胸がどきりと高鳴る。
「どうやって愛したらいい、などと愚かなことを口走った俺に『共に探そう』と言ってくれた君に、ラナ嬢……いや、ラナのしなやかな優しさに心惹かれた。その瞬間から、どうやって君と過ごす時間を作ろうと、そればかり考えてしまう」
うれしい。
うれしい。
恥ずかしそうに頬を染めたシェフレラさまの言葉がうれしくてうれしくて。
胸の奥から気持ちが湧き上がる。
見つめあいたい。この方と互いに見つめあって、そして応えたい。
さっきもそう。
門から歩いて屋敷へ向かう途中、見上げた私にシェフレラさまの視線が向いていた。
あのとき私の顔が見えていたなら、この方と見つめあえたのに。
どんどん湧き上がる気持ちがふくれあがって苦しいほど。いまに私のなかからあふれてこぼれてしまうんじゃないかしら、そう思ったとき。
見上げるシェフレラさまが目を見開いた。
「ラナ……! 顔が……!」
驚くシェフレラさまと目があう。
そう、顔のあたりを視線がうろつくのではなくて、しっかりと目があっている!
「もしかして、私……?」
慌てて立ち上がり、姿見を開いた。
ドレスの乱れがないか確かめるためにばかり使っていた鏡。
最近になって、髪の毛をとかす際に使うようにもなった鏡。
そこに映っているのは、見知ったドレスをまとう見知らぬ女の子。
「これ……私……?」
母さま似の亜麻色の髪に、父さまゆずりの翡翠の瞳。丸みを帯びた目の形は、まだ透明じゃなかった頃の記憶にある自分の姿に似ている気がする。
鏡に映る自分の姿を見て、まばたきを繰り返す。
私、こんな顔をしていたのね。なんだかとっても……ふつうじゃない?
化粧だけ浮き上がってもおかしいから、とすっぴんなせいもあるかもしれない。
世間で見かけるご令嬢と比べると、ずいぶんシンプルな顔をしているような気がした。
そうだわ! 私、化粧も何もしていない。
シェフレラさまに見られたらことに気がついて、恥ずかしくなる。
そんな顔を晒していたなんて、どう思われただろう。
顔を隠しながらそうっとうかがうと、大きな手のひらで隠れた顔。ちらっと見えるシェフレラさまの耳が、真っ赤なのはなぜ……?
「まいったな……」
手のひら越しのくぐもった声。
「あなたがこんなに愛らしいとは……誰にも見せたく無くなってしまう」
気持ちがにじんでこぼれたような。
そんな言葉を聞いて、うれしくなって。思わずシェフレラさまの胸に飛び込んでいた。
「あなたと見つめあいたくて、あなたへの思いに染まって、私の姿は見えるようになったんです」
真っ直ぐに目を見て言えば、シェフレラさまの手が私の肩を抱いて。
引き寄せ合うように互いの顔が近づいていく。
ゆっくり、ゆっくり。けれど確実に。
やがてお顔がぼやけて見えづらくなるほどに近づくと、どちらからともなくまぶたを閉じて。
そうして、ふたりの距離がゼロになった。
〜終〜