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あやかし・妖怪

【コミカライズ】落ちこぼれの巫女は祓い屋に嫁ぎたい

作者: 彩瀬あいり


 そのときの(やま)野辺(のべ)夕子(ゆうこ)は、まさに(わら)にもすがる気持ちであった。


 伯父の家に居候をしている身で、これ以上お世話になるのは気が引ける。

 虐げられているわけではないにしろ、煙たがってはいるだろう。なにしろ夕子の亡くなった母は、あやしい職能を持っていた女だから。


(山の神に仕える巫女とか、時代錯誤もいいところよね)


 山野辺家が山主(やまぬし)であることはたしかだ。

 けれどそれは、単に山を持っているという意味であり、大昔のように山の神さまを(たた)え、(まつ)り、(まも)るというものではなくなっている。

 現に伯父は役所に勤めているし、祭事とは一切関係がない。地元の神社仏閣に寄付金は出しているが、それは地主としての責務。妹夫婦が事故で亡くなったあと、ひとり娘であった夕子を引き取ってくれたのだって世間体あってのもの。


 感謝している。おかげで高等学校へ通うことができた。

 あとは就職だと思っていたのだが、それがとても厳しかったのである。


 前述したとおり母は巫女だった。

 祭事の折に巫女服を着てなにかを手伝うような、ただ衣装をまとっているものとは違い、それを掲げて少なからず金銭を得ていたのだ。

 しかしそんな物語のような存在は、一般的には胡散臭いことこのうえなく、おかげで夕子は学校で随分とからかわれたものである。


 おまえのかーちゃん変人だな、程度はかわいいもので、詐欺師だなんだのと糾弾されたこともある。おまえもおかしな術でも使ってみろよと囲まれたことだってある。いっそ本当にそれが実行できたらどれほどよかっただろう。


 夕子は異能とよべるようなものがまったくない、山の巫女を継げない落ちこぼれだった。



 両親が亡くなったのは、怨念や呪いの類だと噂され、夕子になにかすると祟られるという噂も立ったことから、からかわれることはなくなった。しかし孤立を加速させただけである。

 おかげで就職もままらない。こんな女を雇ってくれるところはないらしい。


 そんな折、山野辺家に縁談の話が舞い込んだ。

 伯父夫婦に呼ばれ、神妙な顔で告げられた内容は、山野辺の巫女筋の娘さんと縁組をしたいというもの。



「山野辺の娘ということは、美祢子(みねこ)ちゃんのことではないのですか?」

「美祢子はまだ十四だ。見合いの相手は高等学校を卒業したのち実家で商いをしている。そろそろ結婚相手を、ということで、うちに話がまわってきたようだな」


 腕組みをして頷く伯父。

 その隣の伯母は言わなくともわかる表情で夕子を見ていた。


(あーはいはい、大事な娘をよその土地に嫁にやるなんてできませんよねえ)


「それで伯父さん、お相手の方はどのようなお仕事をされているのですか?」


 就職がままならないとなれば、残る道はどこかへ嫁ぐのみ。

 同級生の多くはそうだった。胡散臭い夕子には縁がないと思い選択肢から外していたが、その道が目の前に現れたのだ。逃す手はない。情報収集をしなければ。


 至極まっとうな質問だったと思うが、伯父はそこでややたじろぎ視線を落とす。

 なんだろう。後ろ暗い、お天道さまに顔向けできないような、そういった職業だろうか。


 すこし後悔しはじめた夕子に、伯父はなんとも珍妙なことを言ったのだ。


(はら)()だ」



     □



 辿り着いたのは、夕子が暮らしていた町よりも規模は小さい。

 良くいえばのどか。

 悪くいえば閑散とした田舎。


 けれど夕子はこの土地の空気が心地よいと感じた。


 汽車から降りて駅員に住所を告げて行き方を尋ねると、ちょうどバスが出るところだったのも幸先がいい。

 最寄りのバス停に降り立ち、まずそんなことを考えた。


 教わったとおりに進んでいると、数人の子どもたちとすれ違う。


「こんにちはー!」

「あら、こんにちは」


 見知らぬひとにも元気に挨拶をする。こんなところも好印象だ。

 夕子の顔に笑みが浮かぶ。笑顔で挨拶されるだなんて久しくなかったので、すごく嬉しい。


 子どもたちを吐き出した先にある門構え。表札には達筆な字で『草薙』とあった。どうやらここが目的地。

 門の前に立ち、ひとつ息を吐く。

 頭の中で見合い相手の情報を反芻する。



 草薙(くさなぎ)公文(くもん)

 自宅で書道教室を開き子どもたちに(しょ)を教える傍ら、代筆や代書も請け負っている二十歳の青年。その裏でひそかに請け負っているのが怪異(かいい)(ばら)いである。


 伯父に話を持ちこんだ仲介者がいうには、草薙家は祓い屋稼業を代々おこなっているその筋では有名な一族だとか。この三方(さんぽう)(ちょう)に居を構えているのも、地域一帯に連なる三方(さんぽう)(ざん)を守護しているため。

 そんな家柄ゆえ伴侶探しにも苦慮しているようで、そこで探し出されたのが、同じように『山の神』に縁のある山野辺の巫女だった、ということらしい。


 問題なのは、夕子が巫女としての能力を宿していないということなのだが、なんとも厄介なことに、縁談を聞かされたときにはすでに先方へ応と返しており、夕子の事情については明かす機会がないまま今日を迎えてしまっている。由々しき事態であった。


 巫女としての能力、山の神との交信が不可能だと露見したとき、「ではこの話はなかったことに」なんてことになると、とても困ってしまうのだ。伯母はすっかり夕子を嫁に出すつもりだし、伯父は伯父で姪の嫁ぎ先があったことに安堵している。


 夕子にはもう行き場がない。

 かじりついてでも嫁にしていただかないと。もしくは、女中として雇ってくれてもかまわない。


 意気込んでいると、玄関の扉が開いて中から和服姿の若い男が出てきた。

 はたりと視線が嚙み合って、しばし見合う。


「あなたは……」


 夕子はあわてて頭を下げる。


「突然お邪魔して申し訳ありません。連絡は入れてくださっているはずなのですが、時間まではおそらく正確にお伝えできていないかと思います。わたしは――」

「山野辺さん、ですか?」

「さようでございます」


 一拍おいて顔をあげる。

 男は驚いたようすでこちらを見ていたが、門まで歩いてきた。

 近くでみると上背がある。写真で見たときは、とても険しい顔をした青年だと思っていたが、こうして相対すると、それは『精悍』という言葉に置き換えられた。


 なによりも先立つのは、その(たたずま)い。

 傍にいるだけで気圧(けお)されて、夕子は粟立つ腕をさすった。



「話は聞いています。出迎えもせず失礼を」

「いえ、押しかけるような真似をして、こちらこそ申し訳ありません」

仲人(なこうど)の方はご一緒ではないのでしょうか」

「草薙さんのお宅へ伺えばわかるとしか」

「なんと」


 はあと大きく溜息を落とし、草薙青年は難しい顔つきでこめかみを押さえる。

 厄介なことだと思っているのかもしれない。女ひとりで押しかけるなど、無作法な振舞いであることは承知していたけれど、夕子には後がないのだ。


 どうしたものかと双方で黙っていると、玄関口から別の声がかかる。


「公文、なにをしているの。お嬢さんを立たせたままなんて、失礼でしょう」

「そうでした。すみません母さん。山野辺さん、どうぞ中へ」

「謝るのは私ではなくお相手にでしょう。躾がなっていなくてごめんなさいね。えーっと夕子さん、でしたかしら?」

「はい」

「遠くからおひとりで大変でしたでしょう。どうぞお入りになってくださいまし。ほら公文、あなたは先に入ってもてなしの準備でもなさい!」


 ぴしゃりと叱りつけた和装の夫人は、やり取りからすると公文氏の母親。伯母とは正反対の印象を持つ朗らかな女性である。


(嫁姑問題はなんとかなりそう、なのかしら? すごく善意の塊だわ)


 巫女としての能力は皆無の夕子だが、他人のこころには敏感だ。なんとなく気持ちが察せられるのである。

 それが生まれの特異性から周囲に気を配りすぎているせいか、表面化まではしなかった能力の残滓(ざんし)なのかはわからないが、新しい場所へ飛び込んでもなんとかやっていくためには便利だと思っている。


 導かれるまま、夕子は門を潜る。


 途端、空気が変わった。

 悪いほうにではなく良いほうへ。

 その昔、母親について山へ分け入ったときに感じた清浄さに似たもの。


 ああ、ここは良いところだ。


 夕子は理由もなく納得した。


 ここは、わたしが来るべき場所であったと、なぜかそう思った。



     □



 到着したのは昼を随分とまわったころであったため、詳しいことはまた明日ということになった。

 夕刻には当主も帰宅し、改めて挨拶をする。公文の父も驚いてはいたが、夕子がこちらへ訪れることは知っていたこともあり、出迎えの不備を同様に詫びられた。


 公文の父親ということで、同じような風貌を想像していたが、反するように穏やかな顔をした男性で面食らう。草薙夫婦はふたりが並ぶとほんわかとした温かみがあり、公文ひとりがどこか異質であった。

 かといって家族仲が悪いわけではなく、不愛想な息子を詫びる温厚な両親といった形。公文のほうもそれらを厭うようすもないことから、これが常なのだろうと知れる。


 思えば夕子はいつも家の中で居場所をつくることができずにいた。

 実の両親の下でさえそうだ。


 山野辺の女でありながら、山神(やまがみ)の声を聞くことができない。鎮めの儀式もこなせない。

 母からの失望は常に感じており、そのかわりとばかりに学業に甘えは許されなかった。学びの範囲は一般的な教養だけに留まらず、山野辺家に伝え残る怪異の知識も詰め込まれた。母はとても厳しい師であった。

 女のくせに生意気だと揶揄されながら、中学で学年の首席となったのは母のおかげではあるが、それは死した母の妄念のようにも感じ、素直には喜べなかったものだ。



 通された客間で眠りにつく。

 障子の向こうがぼんやりと光っていることに気づき、うっすらと横に引いてみる。

 広い庭は自然味に溢れており、月明かりの下で冴え冴えと怜悧な顔を見せていた。


 伯父の家は洋風建築で、庭というよりはガーデンという外国の言葉を冠するに相応しいものだったが、こちらは昔ながらの日本家屋。この家族に似つかわしい趣のある良い庭だ。


「……わたしも、ここの一員になれたらいいのに」


 ぽつりと零した声は我ながらとても寂しげで、苦く笑った。


 闇はいけない。

 思考が悪いほうへ引きずられてしまう。

 それはやがて邪を呼ぶ。


 こんなことを当たり前に考えてしまうから、自分は普通の日常をうまく生きられず、いつもどこか借り物で、仮の住処にいるように感じられるのだろう。


 ぼんやり眺めていると、ふと視界の端になにかが映った。

 黒い陰のようなものが見える。

 あやかしの類だろうか。

 祓い屋に恨みのあるモノが復讐に駆られて忍んできた――


 無意識に内心で(しゅ)を唱える。

 そのとき雲の切れ間で月光の位置が変わり、陰の場所を照らした。きらりとなにかが光る。

 息を呑むなか、姿を現したのは猫。白い毛並みが月光に映えている。薄暗いため判然としないが、ところどころに色が入っているようだ。


「……なんだ、猫かあ」


 夕餉の際にも姿は見なかったが、草薙家の猫だろうか。それともただの野良?


 考える夕子に目を向けた猫は、やがてくるりと背中を向けどこかへ消えてしまう。立てたしっぽは茶色く、けれど黒い色が巻きついたような模様が印象に残った。



     □



 朝食をいただき、せめて片付けだけでもと手伝いを申し出た。

 草薙夫人は夕子の気持ちを汲んでくれたのか快く隣に並ばせてくれ、釣書(つりがき)には書いていない、日常に即した普通のことを話してくれた。


 続いて洗濯。干すのを手伝う。

 そのあと縁側に座り一服。お茶がおいしい。



「じゃあ、そろそろお見合いを始めましょうか」

「息子さんに気に入っていただけるかしら」

「あの子の女性の趣味はわからなくって。なにしろ浮いた話ひとつもないものですから」

「お母さまがご存じないだけなのでは?」

「ならいいんですけどね」


 ほうと頬に手を当て息を吐いたのちに立ち上がる。


「息子に声をかけておきます。夕子さんはこちらへ来てちょうだい」


 手を引かれて入った小部屋にはしっかりとした衣装箪笥が並んでいる。

 大きな引き出しを開け、いくつか取り出して床へ広げた。それは見るからに立派な訪問着だ。


「夕子さんのお顔だと、この色かしらねえ」

「いえ、あの」

「お気になさらないで。若いころに仕立てたもので、おばさんにはもう似合わないのよ」


 そういう意味ではなく。

 着飾らせるのであれば息子のほうであり、見合い相手のよその娘ではないはず。


 戸惑う夕子に対し、夫人は柔らかく笑む。


「あなたのお母様の代わりをさせてちょうだい。言うなればここは敵地だものね。味方が必要でしょう?」

「敵地、ですか」

「私もね、主人との見合いの席はすごく緊張したの。だからね、絶対に味方になろうって決めていたのよ」


 男たちには内緒よ。

 そう悪戯めいて微笑む顔は、落ち着いた女性というよりは、年若い娘のようでもあって、夕子は肩のちからが抜ける。


「はい、お母さま」

「公文を驚かせてあげましょう。こんな別嬪(べっぴん)を嫁に貰える三国一の果報者はいないってぐらいにね」



     □



 味方がいないのはむしろ公文氏のほうでないか。


 化粧までしっかり施されて戻ると、居間の机ではすっかり待ちくたびれたようすの青年が饅頭(まんじゅう)を食べていた。


「お待たせしてしまい申し訳ありません」

「いいのよ夕子さん、女性の支度には時間がかかるものなのですから、ねえ公文」

「おっしゃるとおりです母さん」

「では始めましょう。あのひとはどうしても仕事が休めなくて、私ひとりでごめんなさいね」

「押しかけたのはわたしですから……」

「それにね、私、お仲人さんってやってみたかったのよ。いい機会だわ」


 楽しそうに笑い、夕子へ座るように促した。


 双方とも付き添い人がいない状態で対面に座る。

 見合いの知識は聞きかじっただけの夕子だが、これがあまりにも例外的であることはわかった。

 なにしろ夫人は互いに名乗らせたあと、「ではお庭へ出て話をしていらっしゃい」と追い出しにかかったのだ。その理由は「あなたたちがいると掃除ができないでしょう」


 邪魔だから外で話せ。


 そう言ってのけたのである。

 唖然とする夕子と、深々と息を吐いた公文。


「山野辺さん、どうぞこちらへ」

「はあ……」


 そのまま縁側から外へ出る。いつのまにか履物が移動されており、これは思いつきではなく、はじめから算段していたことなのだとわかった。

 夫人はのんびりしているように見えて意外と(したた)からしい。



     □



 公文に案内されながら庭を歩く。

 といってもどこかの料亭ではないのだから、歩き回るのにも限度があった。ほどなく端に着いてしまい、公文は軒下に据えられている椅子を指して座るよう促した。


 腰かけると自然に視線は前を向く。

 家を囲む塀の向こうに山が見えた。

 全貌を把握できないほど近い距離にあり、山が迫ってくる勢いだ。


 こんなにも近くに山を感じたのは久しぶりだ。

 生まれた家は山裾にあったが、伯父の家はもう少し町中に建っていた。自分の無能っぷりを自覚するのが嫌で遠ざかっていたことも重なり、いつのまにか見ないふりをしていた。


 けれど山はそこにある。自分を見守っている。


 距離を置いていたのは自分の我儘だったと素直に詫びる気持ちが湧いてきた。

 夕子のくちから謝罪がもれる。



「申し訳ありません」

「見合いの日時のことであれば、むしろ詫びるのはこちらで」

「いいえ、そうではないんです。この見合い自体、なんだか騙し討ちのような真似をしてしまいました」

「と言うと?」

「わたし、落ちこぼれなんですよ。巫女としての能力は持っておりません。ヒトではないものを()ることはかろうじてできますけれど、それも絶対ではありません。草薙さんが求めるような人材ではないんです」


 あんなにも知られることを恐れていたのに、妙にすっきりとした気持ちだった。

 自分の視野がひどく狭くなっていたことに気づく。


 地元を離れて見知らぬ土地に来たせいだろうか。

 この地なら、自分を誰も知らない場所でなら、新しい生活を始められるのかもしれないと思えてきた。目指せ職業婦人だ。


 夕子の告白に公文はくちをつぐんだが、やがてそっと息を吐いた。


「そんなことは気にしなくても構いませんよ、むしろ気に病ませていたのであれば謝罪します」

「ですが、山野辺の巫女筋を望んだと聞いております」

「そのように望んだのは祖父母をよく知る者たちでしょう。祖父はちからの強い術師でしたから」


 しかし時代は変わった。

 僻地ともいえる田舎にも線路が敷かれ、電気が通り始める。

 夜は闇ばかりではなく、光が灯るようになってきた。怪異の存在もひとの心から消え始めており、信じる者が少なくなればやがて廃れていくのは巫女も祓い屋も同じこと。


「祓い屋を名乗っていたのも祖父世代まで。父は会社勤めをしております。僕がそうでないのは、祖父に似て術師としての能力が高いせい。威光を大事がる層はまだおりますので、完全に廃業とまではいかず一応名を継ぐ形で残っております。しかしそれも僕の代まででしょう。引きずるつもりはないんです」

「そうでしたか」

「ですが、すべてをなかったことにするつもりはありません。さんぽうの(ぬし)と草薙の繋がりは容易に断ち切れるものではない」

「三方という地名は、あの山から名付けられたのですか?」

「と聞いていますね」


 公文は人差し指を動かして空中に文字を書く仕草をする。


「さんぽうとは、かつて『三つの宝』と書いたそうです。あの山には宝があると知れると面倒だと、名を改めたといいます」

「あらまあ、山賊でもおりまして?」


 言うと公文はぷっと噴き出して笑った。

 鋭さを描いた眉が下がり、柔和な顔つきになった。それは彼の父親にどこか似ていて、やはり親子なのだと感じる。

 しかしそれよりも夕子の目を奪ったのは、草薙公文そのひとの顔だ。


 険しく精悍な顔との落差に胸を撃ち抜かれる。

 同級生の女子たちがこぞって花を咲かせていた恋愛話、もっと聞いておけばよかった。

 そうすれば、この(はや)る気持ちの正体が恋なのか否か、判断がついただろうに。残念だ。


 だって夕子はもう求められていない。山野辺と草薙が縁づく必要はないと、他ならぬ縁談相手から宣言されてしまった。ご破算だ。

 せめてもうすこしだけお邪魔させてもらい、自分の身の振り方を考えたい。


 願い出ようとした夕子だが、ふと視界の端に異物を感知する。その方向へ目をやると三毛猫が寝そべっていた。ゆらりと揺れたしっぽは茶色く、先端へ向け黒い毛がぐるりと巻き付いている。


「まあ、ゆうべの猫ちゃん」

「タマ」


 夕子と公文が同時に声を発したとき、猫が鳴いた。


『ようやく嫁を貰う気になったのかい。この子は見込みがあると思う、おまえに似合いだよ、公文』

「タマ、おまえは」

「タマさんとおっしゃいますの? 昨夜は寝間着のまま失礼いたしました、山野辺夕子と申します」

『こちらこそ、公文を頼むよ。女っけのないことはアタシが保証してやる』

「わたしがいることを許してくださいますの?」


 にゃあと鳴く三毛猫に言葉を返す夕子を見て、公文は驚いた顔をして声をかけてきた。


「あなたはタマの声が聞こえるのですか?」

「いいえ。なんとなく、そう言ってるのかなって思ってるだけ。なにしろ落ちこぼれの巫女ですから。ですが、そうですか。あの三毛猫はあやかしなのですねえ」


 可愛らしいわ。

 そう言って笑うと、公文は口許を手で覆って視線を下へ向けた。くぐもった声が漏れてくる。


「……聞いていただけますか?」

「なにをでしょう」

「我が草薙と三宝山の主が築いてきた盟約。しかしこれは一族のみが知る秘密です」

「そんな大切なこと、部外者のわたしがお聞きしても大丈夫なのでしょうか」

「部外者ではありませんよ。だってあなたは僕の妻になる方ですから」


 そうでしょう?


 青年の内心が夕子の頭に響く。

 公文が夕子を見据えた。眉は変わらず鋭いけれど、眼差しは優しく、口許は弧を描く。


 あの声は単なる願望かもしれない。

 けれど、都合よく受け止めることにして、夕子ははにかんだ笑みで「はい」と答えた。




 行儀見習いを兼ねて草薙家で暮らすこと約二年。

 十九を迎えた夕子と公文の祝言は、滞りなくおこなわれた。


 夫婦となったふたりが縁側で寄り添うなか、足下で寝そべる三毛猫が、慶事を祝ってにゃあと鳴いた。






お読みいただき、ありがとうございました。

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風変わりなお見合いですが、ふたりきりで話をしたおかげで、双方ともにお互いに一目惚れと相成りました。

お母様の勝利!


時代設定は戦後の昭和ぐらいのふわっとしたイメージですが、架空世界ということで細かい点はご容赦ください。この世界の日本はこうなんだな、の精神で。

夕子は十七歳で学校を卒業しておりますが、公文は男子なので十九歳まで通った設定です。


夕子さんは才女なので、公文が書道を教える同じ部屋で、乞われるまま他の教科を教えるようになります。



ところでこの物語は、別作品の番外編的なポジションでもあります。

このカップルの孫が主人公の物語「ぼくとタマさんと秘密のノート」では、タイトルのとおり、タマさんがメインキャラとして活躍しますし、孫が夏休みに祖父母の家を訪ねるという回もございます。

三方山の主も出てきますので、ご興味のある方は、シリーズタグよりどうぞ!


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【コミカライズ情報】

2025.4.30発売「虐げられ乙女の幸せな嫁入りアンソロジーコミック第5巻」(一迅社刊)に、収録されております。




マシュマロ
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― 新着の感想 ―
[一言] 「これはよい嫁になる!」と、公文のお母様も夕子に一目惚れしてそうです。
[一言] タマ! タマ! タマじゃありませんか! 同じく「山」テーマで「山の神」を書いていたのですが、タマに出会えたことが嬉しすぎて飛び出して来ました! わあ、明治大正ではなく昭和ものだと思って読んで…
感想一覧
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