殿下、その真実の愛は偽物です
「ユーリア・マクファーデン公爵令嬢。今日限りで君との婚約を破棄する!」
とある秋の日の夜会でのこと。
公爵令嬢のユーリアは、婚約者の王太子から唐突にそう告げられた。
彼の後ろには不安げに眉を下げる桃色の髪の男爵令嬢がいて、ひしとくっついている。
豊満な肉体が素敵である。ユーリアはちょっと自分の胸元を見下ろして一瞬考えたあと、また王太子に向き直った。
今夜の夜会は、社交シーズンの始まりを告げる盛大なものだ。王宮の広間で開催されたこの夜会で、王太子の婚約者であるユーリアもその準備に奔走した。
目の肥えた夫人たちを満足させることのできる洗練された内装、少し珍しいものも取り入れつつも流行を取り入れて会話の一助になればと熟考した食事や菓子。
何よりドレスの準備こそ肝だ。
ユーリアは王太子の瞳の色に合わせた鮮やかな青のドレスを身にまとっている。西国の方で流行り始めたという細かな刺繍の入ったデザインを取り入れて、生地の手配から始まり数ヶ月に及ぶ準備をしてきた。
美しく染め上げられた青く光沢のある布地と銀糸の刺繍のコントラストはユーリアの煌めく銀髪によく映え、ひときわ美しい。
(まあ……婚約破棄)
王太子が告げたそれを、ユーリアは頭の中で反芻する。
婚約破棄を宣告するということは、婚約を破棄することを公に知らしめるということ。
はやりの構文風に慎重に考えてみても、それ以上の情報はない。
(でも、なぜでしょう)
ユーリアは思う。
(わたくしたちの婚約は、色々な政治的な思惑が絡み合った上での必要不可欠なものと思っていましたわ。でも、殿下はそれを破棄すると仰っている――)
つまり、だ。
(この場での婚約破棄にはきっと山よりも高く海よりも深い事情があるに違いないですわ)
ユーリアは何事も深く考える性格である。
だからこの、突然の婚約破棄にも重大な理由があると考えた。
(だって考えてもみて。こんな公の場で宣告する意味を。婚約破棄は王家にとっても公爵家にとってもひどい醜聞だわ。それをわざわざこうして実行した……相当の理由があるはず)
婚約は軽いものではない。
王家に関わらず、貴族同士の婚約がまとまるにはそれなりの工程を踏まなければならない。
貴族同士の結び付きを認めるには、元老院と呼ばれる貴族から選出される特別な議会を経る必要があるし、その後に教会で神々に誓わなければならない。
「殿下。恐れながら……この件は議会や教会への手続きはお済みなのですか?」
「これからだ。まず君に告げるべきだと思ったからな!」
変なところで律儀だが、それらその全てを根回しなしにこの婚約を反故にする――よっぽどの理由がないと、ありえないことだ。
真っ直ぐにこちらを見る王太子の表情は真剣そのものだ。冗談を言っているようにも見えないし、仮に冗談だとしても笑えなすぎるけれど。
(もしかして、あの目付きにも何か意味が……?)
王太子の鋭い眼光が自分の後ろにいる誰かへのアイコンタクトかと思って振り返って見たけれど、後ろにいた恰幅のいい伯爵を驚かせただけだった。違うみたい。
王家は絶大な権力がある。
それは事実。だけれど、各領地を治める領主たち――すなわち貴族たちだって完全に王家の言いなりというわけでは無い。
それぞれ派閥があり、王家に近い家、反発する家、中立を保つ家、それぞれだ。
我が公爵家は中立だった。
かつての王女が降嫁した際に賜った公爵位だけれど、だからといって王家に絶対の忠誠を誓っている訳ではない。
公爵家の理念と王家の理念に齟齬が生じれば王家に反することを厭わないマクファーデン家のことを、きっと王家は長年煩わしく思っていた事だろう。
何が起きたかは分からないが、ユーリアの父の代で両者は歩み寄りを見せた。それが、この度の婚約だった。
ユーリアはこれまで邁進してきた妃教育のことを思って気が遠くなる。
「……理由をお聞かせ願いますか?」
ユーリアは全ての可能性に思いを馳せながら王太子にそう問いかけた。
何かよっぽど重要な事案が王子の口から語られるのではと思うと、緊張してくる。
「私は真実の愛を見つけた! 王妃になることは諦めて欲しい。私は愛する人を愛妾になどとするつもりはないからな」
「えっ」
驚きのあまり思わず口から出てしまった言葉を、ユーリアは扇子でおさえる。
(真実の愛? 真実の愛と言ったの、今)
王太子の顔は真剣だ。後ろにいる男爵令嬢も同様に。
(もしかしたら、これは何かの暗号かもしれないわ。『真実の愛』……そうだわ、昨年売り出された新しい宝石の名前!)
ユーリアは王太子の後ろに控える男爵令嬢をまじまじと見つめる。彼女の胸元には、大ぶりなルビーのブローチが光る。
血のような鮮明な赤色のルビー、最高級のそれを『真実の愛』という。大変な人気で、当然宝石が大きければ大きいほどその希少価値は高い。
男爵令嬢が身につけているのはなかなかのサイズ感だ。正規品であればかなり値が張る。
「まあ……少し、拝見してもよろしいでしょうか」
そのルビーの輝きに気になるところがあったユーリアは、彼女の胸元のルビーをもう少しよく見せて欲しくて純粋にそうお願いする。
「な、なにをだ」
「その『真実の愛』を見せていただきたいのです」
「何を言うっ! 真実の愛を見せるとはどういうことだ!?」
「えっ? そのご令嬢が持っていらっしゃる『真実の愛』を是非わたくしにも直接見せていただきたいという他ないのですが……本物なのかどうか、知りたくて」
「わたしと殿下の真実の愛は本物ですっ! ユーリア様、疑うなんてひどいですぅ」
男爵令嬢はひしと王子に縋り付き、めそめそとしだした。
会話では埒があかない。
ひとつ息をついたユーリアは、つかつかと二人の元へと行くと、近くから男爵令嬢の胸元にあるそのルビーを覗き込んだ。
(まあ……これは)
「何のつもりだ、ユーリア!」
王太子が激高したように声を張り上げる。パーティー会場であるというのに、すっかり静かになってしまっていて、その声がよく通った。
「……この宝石は、殿下がご令嬢にお贈りになったものですか?」
「そうだ! なんだ、ユーリア。その事に怒っているのか? 私が君じゃなくこの可愛い人に貴重な宝石を贈ったことを」
なぜだか殿下がドヤ顔だ。
ユーリアに宝石を検分されている当の男爵令嬢はどこか目を逸らしているというのに。
「だとしたら、これは由々しき事態です。この宝石は偽物ですわ、殿下」
「なっっっ!」
「宝石の中に光の帯が見えません。宝石商が殿下に偽物を売り付けたのならば詐欺に値します。まあ他の可能性もありますが……」
ユーリアは再び男爵令嬢を見る。
「な、なんですか? わたしが何か!?」
「ご令嬢はどう思われますか? こちらの宝石が偽物だと聞いて」
「え!? あ! そ、そんなの……わたしは気にしないですっ、殿下の愛がありますからっ」
「そうですか」
ユーリアは王太子と男爵令嬢の顔を見比べる。贈った宝石が偽物だと聞いて顔面蒼白になっている殿下と、偽物でも構わないと胸を張る令嬢。
(気にしない、とは不思議な反論だわ。偽物ではないと言わないのね)
ユーリアは首を傾げる。
その発言の他にも、どこかギクリとした様子で目を逸らしたり急に冷や汗をかいたりなど変化が著しい。
十中八九、令嬢はその宝石が偽物だと知っていたに違いない。素人目には本物と見紛う出来だ。
そもそもかの男爵家が急に力を持ち始めたのも、自領の山からも宝石が大量に見つかったという触れ込みに起因する。もしかしたら、それらも叩けば埃が出るかもしれない。
(『真実の愛』は別になんの隠語でもなかったのね……! 余計なことを暴いてしまいました)
よっぽどショックだったのか、王太子はすっかり元気を無くしてしまっている。
見栄っ張りなあの人のことだ。もしかしたら、国庫にも手を付けたのかもしれない。かなりふっかけられたとしても、煽てられて気分が良くなれば誤った判断をするタイプだから。
(でももう、わたくしには関係のないことだわ)
かつてはそうした問題を、ユーリアが秘密裏に処理していた。即断即決なところはいいのだが、いかんせん勢いだけなところもあって……とまあ、もういいのだ。
「では、わたくしはここで失礼いたしますね。手続きはわたくしにお任せくださいませ。誓約通り、婚約破棄に基づく慰謝料請求もさせていただきます」
扇子を閉じたユーリアは、二人に向けて淑やかな礼をする。
「ま、待て、ユーリア。誓約とは……」
「まあ、ご存知ないのですか? 殿下は少し、文書を隅々まで読むことをおすすめいたします。おそらくその偽物の『真実の愛』にお支払いされた金額と同じくらいにはなりますわ」
「で、でも、これは、本物なんだ……そうだろう?」
「そうですよぉ! ユーリア様がなんと仰っても、これは本物です!」
王太子が縋るような顔で男爵令嬢を見遣ると、彼女は力強く頷いた。開き直ったのかもしれない。
「……だが、ユーリアは宝石に詳しいからな……そうだ、一応鑑定してもらおう」
「え!? なぜです?」
「こうして難癖をつけられていては、疑念を払拭しない訳にはいかないだろう。君だって疑われてしまったのだから。私も男爵を疑いたくはないし、逆に我々の言い分が正しいとユーリアに見せつけてやろう」
「〜〜〜、はい……」
なんだか最初の仲睦まじい様子とは違って二人とも慌てているようだが、ユーリアには関係のないことだ。
二人の勢いが風船が萎むように小さくなってゆくと、それに反比例して周囲のざわめきが大きくなってきた。
「ねえ貴方、私のこのルビーは本物なの!? 光の帯ってなぁに!?」
「特価だと言って薦められたが、まさかこれは……?」
ユーリアたちのことは見ずに、青くなっている人もいる。よく見たら、この夜会にはルビーを身につけている人が多い。
(もしかしたら、男爵家による売り込みが広範囲に広がっていたのかしら)
そんなことを思いながらパーティーを退席しようと踵を返して出入口へと向かう。
両親と陛下が登壇されるのはもう少し後の予定だったから、ユーリアがこの場にいない事で驚かせてしまうかもしれない。
それでも、この場に残りたくはなかった。
積み上げてきたことが無に帰す虚しさで、今は誰とも話したくはない。
ユーリアが扉に近付いたところで、扉がひとりでに開いた。向こう側からの来客があったようだ。
驚くユーリアの前には、赤髪を後ろに撫で付けた盛装姿の美しい青年が立っている。紺色のジャケットに施された銀糸の刺繍も美しい。
(美しい装飾……流石だわ)
思わず視界に入ったジャケットの刺繍に目を奪われる。刺繍は手仕事だ。これだけの仕事をする職人を抱えられる貴族家はなかなかいない。
「ユーリア。どこに行くんだ? まだ夜会は始まったばかりだろう」
「……ロイド」
現れたのは、ロイド・オブライエン侯爵子息だった。幼馴染の彼は現在十八歳になるユーリアの二つ歳下で、小さい頃は姉弟のようによく一緒に過ごしたものだ。
(お姉さんぶりたい私に、いつもニコニコ笑顔でついてきてくれていましたね)
ユーリアはロイドのかわいい少年時代を思い出す。庭園で絵本を読んだり、散歩をしたり。
今思えば、ユーリアにとっての楽しい幼少の記憶はそこにある。
ユーリアが十二歳になった時。王太子妃候補筆頭としてかの王子の婚約者になってからは、なかなか二人で会うことは無くなってしまった。
懐かしい気持ちになりながら、ユーリアはロイドを見上げた。こんなに背も大きくなっていたのだっけ。
彼はユーリアの置かれた立場や役目を知っている。一応、説明はしなければならないだろう。
「始まったばかりだけれど、わたくしの役目は終わったの。殿下に婚約破棄されたから退出しようとしていたところよ」
何と言おうか迷ったけど、こう言うしかない。事実だし、それ以上でもそれ以下でもない。
「婚約破棄……!? 本気で言っているのか」
「ええ。皆様の前で大々的に宣言していらしたし……ほら、ご一緒にいらっしゃるあのご令嬢が真実の愛のお相手ですって」
ロイドの視線が中央の殿下たちに向く。
ユーリアもついでにそちらを見てみたが、殿下はなにやら男爵令嬢に話しかけているようだった。
「ではね、ロイド、楽しんで」
手短に説明をしたユーリアは、ドレスの裾を掴んで立ち去ろうとした。
だが、その手をロイドに掴まれた。
驚いて見上げると、黒曜石のような瞳が真っ直ぐにユーリアを見下ろしている。
「ロイド? わたくし、早く立ち去りたいの」
「……ユーリア。君はこれからどうするんだ」
「どうって……どうしましょう? 特に予定もないから、国内旅行でもしようかしら。各地の宝石を見てみたいし」
ずっと妃教育を受けてきたが、それもなくなり婚約者もいない状態だ。醜聞もあるだろうし、誰もユーリアには近付かないだろう。
これまでユーリアの傍に侍っていた令嬢たちだって、いずれ王太子妃となるユーリアの権威を見込んでのことだ。
「わかった。ひとまずは公爵家に帰るんだな?」
「ええ。そうね、今夜のところは」
ユーリアが頷くと、ロイドは後ろにいた侍従になにやら指示をする。侍従は急ぎ馬車乗り場の方へと走っていったようだった。
「俺が今乗ってきた馬車がまだ近くにいるはずだ。指示はしているから、ユーリアはひとまずはそれに乗って帰ってくれ」
「……ありがとう。でも、ロイドはどうするの?」
「俺は……ちょっとアイツに一発入れてから考えるよ。おじさんたちの馬車にでも乗せてもらおうかな」
「アイツって……? ロイド、危ないことはしてはいけないわ」
「わかってるって。大丈夫だよ、ユーリア」
「ロイド様! 馬車の準備が整いました」
侍従が戻ってきたところで、会話は終わってしまった。
優しく目を細めたロイドが、ユーリアの頭をぽんぽんと撫でる。
「ユーリア、よく頑張ったね。後は任せて」
大人びた顔で微笑むロイドに、ユーリアは目の奥がカッと熱くなるのを感じた。
そう、頑張ってきたのだ。ユーリアなりに、かの王子のことを理解し支えようと、たくさん勉強をした。
自分の時間なんて、ほとんど無かった。
「ユーリア様、参りましょう」
「ええ……」
ロイドが会場に入って行く後ろ姿を見送ったユーリアは、侍従に連れられて城を後にした。
家に戻ると驚かれたけれど、疲れてしまったユーリアは、何も答えずに自室で深い眠りについた。
********
「ああユーリア! 体調はどうだい?」
「私たちが来る前に……なんてことでしょう」
ユーリアが目を覚ましてぼんやりと窓の外を見ていると、両親が嘆きながらやってきた。
ユーリアは一瞬呆気に取られたが、すぐににっこりと微笑みを向ける。
両親が婚約破棄のことを言っていることは察することが出来た。
「大丈夫です。突然のことでしたもの」
王太子との関係は、ずっと良いとも悪いともいえない状況だった。ユーリアの方が勉強が出来るのが気に食わないそぶりもあった。
知識をひけらかすなと顔を真っ赤にして怒ることもあったし……なんというか、彼はまだ成熟していないと感じた。
「申し訳ありません。お父様、お母様。公爵家に泥を塗ってしまいました。私は今後結婚出来ないかと思いますので、市井に出たいと思うのですが」
「!!!!ダメだ!」
「それはダメよ、ユーリアちゃん!」
二人に謝罪の言葉を投げると、勢いよく却下されてユーリアは目を瞬かせる。
「あのぼんくらとの婚姻が成立しなかったことは今となってはめでたいことだ。まさかあそこまで阿呆だとは思わなかった」
「ええ。王妃陛下と一緒に会場に入ったらひどい状況で驚きましたわ。変な女を連れているし、皆自分の宝石のことで頭がいっぱいで」
「しかしまぁ、ロイド君のおかげでスッキリしたな」
「ええ。溜飲が下がりました。陛下には申し訳なかったですけれど」
「彼も立派になったねぇ……」
両親が怒涛の勢いで会話をするものだから、ユーリアは目を白黒させる。
なんだって?
ロイドが何をしたというのだろう。
「お父様。ロイドがどうかしましたの?」
恐る恐る尋ねると、父は口ひげを撫でながら
「ああ」と鷹揚に頷いた。
「ロイド君がね、王太子……いや、王子殿下を殴ったんだよ」
「え!?」
「吹っ飛んでいましたわね、殿下。私たちには伝えられていませんでしたが、騎士団との稽古もよくサボっていたのでしょう? 軟弱なこと!」
母は眦を吊り上げ、怒っている。
そうだ。殿下は何かと理由をつけて、身体を鍛えることから逃げ回っていた。
「あまりにも手応えがなくて、ロイド君の方が焦っていたよ。ハハハ」
父はとても楽しそうだ。どうやら、殿下が勉強や鍛錬を怠けていたことは、両親は知らなかったらしい。
そんなことより、ロイドだ。
「お父様。ロイドが殿下を殴ったのですか? それは不敬罪にあたりませんか? ロイドはどうしているんです」
焦る気持ちを抑えながら、ユーリアは父に問いかけた。
いくらアレでも彼はこの国の王太子なのだ。
その身体に傷をつけたとなれば、いくら侯爵令息だとしても処罰の対象となる。
「ああ。大丈夫だよ。事情を知った国王陛下が減免してくれた。ひと月は謹慎だけどね」
「そうですか……良かった」
ユーリアは安堵する。本当に良かった。
『一発入れてくる』と言ったのは、本当だったのだ。
「ユーリアもしっかり休みなさい。こちらのことは気にしないでいい」
両親はにっこりと笑っているように見えて、目の奥にあやしい光が見える。かなり腹を立てているのだと、これまでの経験から分かる。
「ああそれとね、ユーリア。君の発言で皆が大層不安がってね。男爵が取り扱っていた『真実の愛』は全て鑑定にかけられることになったよ。見ていなさい」
「おやすみ、ユーリアちゃん。慰謝料は取れるだけふんだくりましょうね!」
両親が部屋を出て行って、ユーリアはまたベッドにぽふりと身を預けた。
そうだ、これからは毎日登城しなくてもいい。明日からは好きなことが出来るんだ。
そう思うと、楽しくなってきた。
(謹慎が明けたら、ロイドの所にお礼を言いに行かなくちゃ。ふふ、私のために怒ってくれたのかしら)
目を閉じれば、幼い頃のロイドと自分の姿が浮かんだ。
庭園で追いかけっこをして、転んで涙目になったロイドの頭をぽんぽんして励ましたっけ。
反対に、ユーリアが虫に驚いて泣いた時には小さいロイドが懸命に背に庇ってくれた。
(懐かしいな……)
ユーリアはきらきらとした幸せな記憶に包まれながら、再び眠りについた。
その翌日には、男爵がクズ石を加工して『真実の愛』として高値で転売し、鑑定書も偽造して巨額の利益を得ていたことが明らかになったと両親に告げられた。彼にお金を支払った貴族たちが詰めかけ、男爵家は大変なことになっているらしい。
そして王子はやはり偽宝石を購入するのに国庫に手をつけていたらしく、慰謝料の支払いも相まって憔悴して引きこもっているとか。
廃嫡と蟄居の準備が進められることが臨時の元老院で決まったそうだから、そのまま表に出ることはないだろう。
その後例のご令嬢は、男爵もろとも夜逃げしたらしい。殿下に近付いたのも策略の上であったらしく、本当に『真実の愛』は偽物だったようだ。
――ひと月後。
謹慎が解けたロイドが真っ先にユーリアに会いに来て求婚し、ユーリアは心底驚いた。
「ロイド、本気なの……?」
「もちろんだ。弟としか思われていないかもしれないが、俺は君のことがずっと好きだった」
ユーリアの前に跪くロイドの頬と耳の先が赤く色付いている。最初は驚いてばかりだったユーリアも、その真っ直ぐな瞳を見ているとじわじわと胸があたたかくなった。
「……わたくしで、良ければ」
「本当か……!」
ユーリアがにっこりと微笑んで手を伸ばせば、ロイドが目を見張る。
(求婚したのはロイドなのに、驚くだなんて)
「ふふっ」
思わず笑ってしまうユーリアに、ロイドはムッとした顔をする。
その表情も可愛らしく思えて、ユーリアはますます笑みを深くした。
◇◇◇
(……夢のようだ)
くすくすと楽しげに笑うユーリアを見上げていたロイドは、涙ぐみそうになって唇を噛み締めた。
昔からユーリアのことが好きだったのだが、先に王子との婚約が決まってしまってひどくショックだったこと。
それでも頑張るユーリアをずっと応援していたこと。
いずれこの国の王妃となるユーリアを支えるべく、事業を立ち上げ侯爵家の領地で産出される宝石に特別な価値をつけたこと。
ユーリアに会うと奪いたくなるからプライベートでは会わないようにしていたこと。
これまでのことが全て報われる日が来ると思わなかった。あの王子もいなくなり、ロイドの事業に便乗して悪さを働いた男爵も排除した。
(手放してくれて、ありがとう)
何かと腹立たしい元王太子ではあるが、婚約破棄という愚策を講じた事には感謝すらしている。
「ねえロイド。久しぶりにたくさんお話しましょう? お菓子もたくさん用意しているの」
「……ありがとう。ユーリア」
ユーリアの聖女のような微笑みを前に、黒い執着心を隠したロイドも喜びを頬に浮かべるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
年下男子界隈を書きたかったと作者は申しております!
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