3.間接キス?!
萌は夢を見た。
現実にはあり得ないような美少女と、手を繋いでショッピングモールを歩いている夢だ。彼女の手は小さくて柔らかく、ちょっとだけ冷たかった。
場面は変わって、二人はフードコートの小さなテーブルに、向かい合わせで座っていた。一緒にハンバーガーを食べていると、彼女は言う。
それって、どんな味?
一口食べてみる?
うん!
萌が差し出した食べかけのハンバーガーに、彼女は思っていたより豪快にかぶりつく。そうして口元にソースを付けたまま美味しいと言って、今度は自分が食べていたハンバーガーを差し出す。萌はちょっと遠慮がちに口を付ける。
ねえ、と彼女は顔を近付けてささやく。
「これって、間接キスだよね?」
夢はそこで終わった。
起きてしばらく、心臓がバカみたいに早く鳴っていた。
夢の美少女は、ひょっとして噂の詠美だろうか。顔も知らない女子のことを、こんな風に夢見るとは、ずいぶんはしたないではないか。
ぼんやりと罪悪感を抱えたまま、萌は支度をすませて家を出る。彩音が出てくるのを待って、おはようと声を掛ける。しかし、彩音は三白眼でじろりと萌をねめつけた。
「なに?」
なにやら後ろめたい気持ちで、萌は聞いた。
「変な顔。なにかあった?」
「なんでもないよ」
「そう」
そして二人は、いつものように肩を並べて登校した。
教室に入ると、もはや恒例となった直哉の質問タイム。
「昨日、三川さんとモックへ行ったってホントか?」
まるで夢の通りである。
「行ってない。帰りは私と一緒だったし、三川さんのファンの二年生に絡まれてた」
彩音が否定する。
「やっぱりかあ。それにしても、なんでこんなウワサが流れてるんだろうな」
それは、萌が聞きたい。
「そうそう。これ、今までのウワサと違って、すげえグザイテキでさあ」
「具体的」
彩音は訂正する。
「うん、それ」
直哉は両手の人差し指で彩音を指差す。
「なんか、お互いのシェイクをシェアして間接キスしてたらしいぜ」
夢の中では食べかけのハンバーガーだったが、シェイクの方がずっとロマンチックである。
しかし、これは少々気味が悪い。
「これってまさか、僕のそっくりさんが、三川さんと付き合ってるなんてことはないよね?」
「おまえ、生き別れの双子の兄弟とかいんの?」
と、直哉。
帰ったら親に聞いてみようかしら、などと萌は考える。
「ドッペルゲンガー」
彩音がぼそりと言う。
「なんだそれ?」
直哉は首を傾げる。
「日本語では自己像幻視、あるいは複体と呼ばれる現象よ。自分そっくりな何かがあちこちに現れて、それを二回見ると死ぬ」
萌の背筋に冷たいものが流れる。
「でも、ドッペルゲンガーは他人と会話しないから、これは少し様子が違うわね」
彩音は腕組みをして首を傾げた。
「めっちゃ詳しいな」
直哉が感心した様子で言う。
「彩音はオカルトが好きなんだ」
萌は知っている。彩音の部屋には、昭和から刊行されている老舗のオカルト雑誌が、創刊号から最新号まで、みっちりと並んでいるのだ。なんでも、彼女の祖父の代から購読を続けているらしい。お宝鑑定番組に出したら、そこそこの値段になるのではないだろうか。他にも怪しげな蔵書がたくさんあって、もしお泊りイベントでも発生しようものなら、その晩は違う意味でドキドキして眠れなくなりそう。
「たぶん、これは呪い」
彩音は言う。
「ただのウワサだろ?」
直哉は鼻で笑うが、ちょっとビビっているのは表情からすぐに知れた。
「ウワサは呪いの媒体なの。ちなみに先週から、あなたにも実験的に呪いを掛けておいた」
「ええっ、何してくれてるんだよ!」
直哉は飛びのくようにして、彩音から距離を取る。
「たぶん、身の回りでちょっとした悪いことが、いくつか起きてるはず。心当たりは?」
「ありまくりだよ。今朝はジャムとマーガリンが付いてる方を下にしてトーストを落っことすし、昨日は食べようと思ってたアイスを姉ちゃんに奪われるし、一昨日はゲームしすぎって母ちゃんにめっちゃ怒られるし。なあ、どうやったら解けるの、この呪い?」
「ウソよ」
彩音はニヤリと笑う。
「呪いなんて掛けてない」
「へ?」
直哉はきょとんとする。
「呪われてると言われたら、本来は忘れてしまうような小さな災難も、全部呪いに結び付けて考えるようになる。そうなると、人は心や体を病んで、自分で自分の命を絶ってしまうこともある」
「つまり、」
つらつらと語る彩音の説明を聞いて、萌は合点がいった。
「誰かに『自分は呪われてる』って思わせる方法が、ウワサってこと?」
彩音はうなずく。
「なんかこう、呪いってもっと魔法的な何かかと思ってたけど、意外にゲンジツテキなんだな」
と、直哉。呪いじゃないとわかって安心したのか、また萌の机のそばに戻ってくる。
「現実的だからこそ、効く」
と、彩音。
「けどさ、三上さんとお付き合いするって、呪いになるのか。これ、そんなに悪いことじゃないだろ?」
「呪いに良いも悪いもないわ。呪いを掛ける人間は、状況を自分にとって都合よく改変したいだけ。もしかすると、本人は呪いじゃなく、おまじないと考えてるかも知れないけど、どちらも同じものなの」
彩音はノートとシャープペンシルを引っ張り出し、その端に二つの単語を書いた。
呪い
お呪い
「へえ。まじないって、こう書くんだ」
直哉が感心した様子でつぶやく。
まだ授業で習っていない漢字だが、マンガなどでしばしば目にするから、萌は知っていた。とは言え、こうして並べられると、小学生の頃に女子たちが教室などで無邪気にやっていた「おまじない」が、実は恐ろしい呪いと同列だとわかり、なにやらうすら寒いものを覚える。
「結局、どうするんだ。呪いのヌシにやめろって言うのか?」
「やめろと言われてやめるくらいなら、最初から呪いなんて手段はとらない。だから」
「だから?」
彩音はニヤリと笑う。
「呪いを返す」