外堀埋められ始めてます……?
コンコン
ベルティーナはふっと息を吐き出し、気合を入れると背筋を伸ばして部屋に足を踏み入れた。
部屋にはベルティーナの父親であり、ヴァイス公爵家当主であるフリードとベルティーナの母親、公爵夫人のトリシャが早朝であるというのに完璧な装いで待っていた。
二人が座る向かいには、やはり昨日夜会であったその人、レイモンド・シュバルツ騎士公爵が長い足を組み、それだけで絵になるような姿で堂々と座っている。
「失礼いたします」
「ああ! ベルティーナ、やっと来たか。さあ、こちらに座りなさい」
ベルティーナを見て少し緊張を和らげたフリードが手招きする。
フリードに急かされ、ベルティーナがフリードとトリシャに並び腰掛ける。するとレイモンドはベルティーナに目を向けると、フワッと柔らかな微笑を浮かべる。
その表情にフリードがビクッと震える。
そして驚愕に震える小さな呟きが聞こえた。
「なっ……あの騎士公爵閣下が……笑った……?」
この騎士公爵の普段の姿を知るものなら、やはり誰でもこうなるらしい。
(昨日の夜会での騒ぎもすごかったものね……)
改めて彼の姿を見ると、確かに一瞬惚けてしまいそうになるほど完璧なまでの美しさがある。まるで物語に出てくるような麗しい王子様そのものだ。
こうしてみると令嬢からの婚約の申込みが後を絶たないのも十分理解できる。
そう、観賞用としてなら……
しかしベルティーナには前世の記憶がある。
元魔王ということを考えると、どうしてもあの微笑みの裏に何か恐ろしいものが潜んでいるような気がするのだ。
ベルティーナがじっと観察していると、レイモンドが口を開いた。
「急な訪問を許して欲しい。どうしても、もう一度君と話したかったんだ」
その言葉と共に蕩けるような微笑を向けられ、ベルティーナはくっと胸を押さえた。
(くっ……悔しいほどに顔がいい!! 令嬢たちが虜になるのも頷けるわ……でもこんなことで騙されてはダメよ! しっかり相手を探らなきゃ!)
ベルティーナが何とか持ち堪えた横で、トリシャが顔を真っ赤に染めている。
普段決して、社交の場で表情を顔に出さない母親まで赤面させるとは流石である。
そしてその隣にいるフリードもほんのり頬が赤い気がするのは気のせいだろうか?
どうやらこのイケメン騎士公爵様の微笑みは男性にも有効なのかもしれない。
そんなどうでもよいことを考えていると、フリードがはっとしたように咳払いし、レイモンドに尋ねた。
「それで閣下。娘と話しがしたいとのことでしたが……」
レイモンドはフリードの言葉に静かに頷く。
「ヴァイス公爵、実は昨夜、私はベルティーナ嬢に婚約を申し込んだのだ。しかし、いきなりそんな話をされて、すぐに頷けないのも当然だと気付いた。だから少しずつ私のことを知ってもらいたいと思ったんだ」
レイモンドは少し頬を染め、極上の笑顔をベルティーナに向ける。
その言葉と表情にベルティーナは顔を引き攣らせる。
(なっ……お父様にまだ報告してなかったのに……お父様にこっそり相談して、うまく断ってもらう私の計画が…………)
ベルティーナは頭を抱えたくなった。
今一番この話を聞かれたくなかった人物がこの場にいるからだ。
娘を溺愛し、甘いフリードと違い、トリシャは厳格な性格をしている。自分より格上の家に嫁げるならば、どんなに娘が嫌がっても笑顔で送り出すだろう。
特にベルティーナが年頃ということもあり、最近のトリシャの悩みの種はどの家に娘を嫁がせるかだ。
家格も王族に次いで高く、領地経営上々と聞く。その上、容姿も完璧、縁談を全て断るほど女性関係に浮いた話もない。そんな全て揃ったような騎士公爵からの申し出となればなおのことである。
ベルティーナが恐る恐るトリシャを見つめると、表情は変わらないものの周りの空気がキラキラと輝いて見える。
ベルティーナの被害妄想であろうが、トリシャの周りを天使がラッパを吹きながら楽しそうにはしゃいでいるように見えた。
間違いなくトリシャは娘を騎士公爵の婚約者にさせようとしていることは明らかだ。
ベルティーナはこの場で最も自分の味方でなってくれるだろう人物にそっと目を向ける。
(お、お父様……?)
しかし残念ながら、フリードは思考停止したように固まっていた。
フリードとしては今まで縁談話がなかった溺愛する娘(男性陣が周囲で牽制しあっていたため)にいきなり求婚話が舞込んだのだ。
全くそういった気配もなく、まだまだ先のことと考えていた。まだまだ自分の元で可愛がれると思っていた娘が、嫁いでしまうと考えると言葉を無くすほどに衝撃が大きかったらしい。
(あっ……だめだわこれ……お父様、思考停止しないでください!! 唯一の味方なのに……お父様しっかりしてくださいっ!!)
決して言葉に出せない思いを心の中で強く叫ぶが、フリードの思考はなかなかこちらに戻ってこない。
そうしているうちにトリシャがとても嬉しそうな声で話し出す。
「まぁ……そうでしたの。娘が大変失礼いたしましたわ。この子はこういった恋愛ごとに初心でして……きっと緊張して、騎士公爵閣下の言葉が嬉しすぎたあまりにしっかり返事ができなかったのですわね」
「い、いえ……お母様! それはち……!」
ベルティーナは咄嗟に否定しようとして口を開くも、その言葉は引くついた喉に飲み込まれた。
(ひっ!!)
何故なら、こちらに振り向いたトリシャの鬼のような形相が迫ってきたからだ。
反論は許さない……顔の表情がそう物語っている。
「ね!! ベルティーナそうでしょう?」
その有無を言わせない声の響きと表情にベルティーナの背に冷や汗が噴き出す。
決して逃げられない。いや、逃さないというようなトリシャからの圧に、ベルティーナは首を縦に振る他に道は残されていなかった。