力の目覚めと前世の記憶
「おはようございます。ベルティーナお嬢様」
「おはよう」
ところ変わって現在。
昨晩急いで屋敷に戻ったベルティーナはあまりの衝撃展開に頭が痛くなり、帰った時にはヘトヘトな状態だった。
とりあえず昨晩は現実逃避を決め込み、そのまますぐに眠ることにした。
(頭は少しスッキリしたわね。まずは一旦お父様に報告して、その上で断りの返答を考えなくちゃ)
ベルティーナは決意を新たに、起きたばかりで固くなった体を緩めるように伸びをする。
そして時計を見て気づく。
「エマ、今日はいつもより早くない?」
エマはベルティーナ専属のメイドである。
とても優秀な彼女はベルティーナが何か指示を言う前に全てを察して準備し、整えてくれる。
とても助かっているし、信頼しているのだが、彼女はあまり表情が動かない。
「はい、ベルティーナお嬢様にお客様がおいでです。すぐに準備をと旦那様から申しつかりました」
「えっ!? それじゃ早く準備しなくちゃいけないじゃない!」
急いで起こしに来たようにはまったく見えなかったが、どうやらせっつかれているらしい。
こんな朝早くから突然訪問してくるなんて一体誰だと不満を持ちつつも準備に取りかかる。
そしてふと昨日の出来事が蘇った。
嫌な予感がしてエマにそっと尋ねてみる。
「ねぇ、エマ。その客人って誰だか聞いた?」
「申し訳ありません。お名前までは聞いてはおりません。しかし旦那様が焦って準備をさせるほどのかたですので、おそらくヴァイス公爵家より身分が高いかたではないかと思います」
その言葉を聞いて嫌な予感が一層強まる。
ヴァイス公爵家は公爵位を持つものの中でも上位にあたる。そのヴァイス公爵家よりも身分が高いとなると、もはや王族か騎士公爵くらいしか当てはまらないのだ。
ベルティーナはため息をつくと、エマに促され、鏡台の前に座る。
そして鏡の中の自分を覗き込む。
アイスシルバーの艶のある髪にぱっちりとした紫色の瞳。肌は真っ白でシミ一つなく、頬と唇は血色良く桜色に色づいている。
少し頬を引き上げ微笑むと、とても儚げで美しい。
(やっぱり私って美人よね?)
十和としての感覚があるベルティーナにとって、今の自分の姿は美しいという自覚がある。
(だからできるだけ目立たないようにいつも控えめな服装してたのに……あれだけ煌びやかな人たちがいる中、目をつけられるなんて……)
ベルティーナは前世であんな残念な亡くなり方をしたため、今世ではできる限り平穏に、無難な家に嫁ぎ、穏やかに過ごしたいと考えていた。
そしてそのために、できるだけ高位貴族からの注目を避けるため、常に控えめな服装を心がけていた。
そう、本人としては……
しかし、自分の感覚と周囲の感覚は当然ながら異なる。ベルティーナとしてはそのつもりでの服装選びだったのだが、実はそれこそが逆にベルティーナの美しさを際立たせていることに本人は気づいていない。
実際、社交界では自らの美しさだけで全て者の目を引く、儚げな妖精のような美人として有名になっているのだ。
男性であれば皆一度はダンスに誘ってみたい相手として、とても人気がある。
しかし、本人が心がけた控えめな衣装のおかげか、皆ベルティーナが大人しく、静かな場を好む令嬢だと考えている。
そのため変に声をかけ困らせたくない、嫌われたくないという思い、そしてお互いがお互いを牽制した結果、結局今まで声をかける者がいなかったのだ。
しかし本人は自分の衣装選びによる賜物で、皆が見向きもしない地味令嬢を装えているのだ、と残念な思い違いをしている。
そして今日もその残念な思い違いを抱えたまま、エマにお願いするのだった。
「エマ、とりあえず、すっごく地味にして! 決して目を引かないように!」
「…………かしこまりました」
エマはしばらく無言でベルティーナを見つめ、少し頬を緩めると、小さく呟いた。
「……そういうところに気づかないところがお嬢様の可愛らしいところだと思います」
「何? 今何か言った?」
「いえ、それでは準備いたします」
エマはベルティーナも気づかなかった微かな笑みを引っ込めると、いつもの無表情でテキパキ準備を進めた。
エマに髪を結い上げてもらいながらベルティーナは考える。
(それにしても何故、縁談を全て断るって言われてるあの騎士公爵閣下が私に声をかけてきたのかしら……?)
昨日の光景を思い浮かべ、ベルティーナはさらに首を傾げる。
昨日もできるだけ控えめな服装を心がけ、あの会場の中でもだいぶ落ち着いた服装だったはずだ。
(ま、まさか……騎士公爵閣下にも前世の記憶がある……?でも前世の記憶があっても、私やあいつのように魂の気配が辿れなければ、転生者かどうかはわからないはず……でも前世魔王だし、そういう力がないとも言い切れないのよね……)
そう、ベルティーナが何故騎士公爵の前世が魔王だとわかったかというと、彼女には魂の気配が辿れるからだ。
それは自分が前世に会ったことがある者ならば、その魂と同じかどうかを判断できるのだ。
そしてもう一人ベルティーナの知り合いにはその術を持つものがいる。
それを考えれば前世魔王である彼が、魂を辿れる術を持っていてもおかしくはない。
ベルティーナはため息を吐くと、前世の記憶を取り戻した幼い日を思い出した。
そもそも彼女が前世の記憶を思い出したのは四歳の頃だった。
公爵令嬢であるベルティーナは常に誰かが側に付き、行動していた。
しかしこの頃のベルティーナはなかなかやんちゃな子で、メイドが少し目を離した隙に、こっそり部屋を抜け出したのだ。
一人で外出することなどなく、ワクワクした気持ちで公爵家の庭で一人で遊んでいると、ふと木に登ってみたくなった。
普通、貴族令嬢が木に登るなんてことはあり得ない。この頃は前世の記憶を覚えていなかったとはいえ、潜在的に木に登って遊ぶという十和の感覚があったのだろう。
そして誰に止められることもなく、楽しく木を登っていると少し気を抜いた時に手を滑らして結構な高さから落ちてしまった。
受け身もとれず、なかなかの衝撃が頭に響いた。
「痛い!」とその衝撃に手を額に持っていく。そして額に当てた手を見ると、べったりと血がついていた。
流石のベルティーナもこの時は真っ青になった。しかし一人で抜け出して来たため、周りに大人はいない。
(ど、どうしよう……? いっぱい血が出でる!! 私このまま死んじゃうの? やだやだ! こんなんで死ぬなんてやだ!!)
その感覚にどこか既視感を覚えた。
死にたくないという強い思い。
そしてそれと同時に自分の手から眩い光が溢れ出し、全身が光に包まれる。気づくと額の怪我も、落ちた時に体にできたかすり傷も全て綺麗に治っていた。
驚いて、体を確認していると、頭がズキリと痛くなる。それと同時に一気に頭の中に前世の記憶が流れてきた。
自分の前世が聖女であり、とても残念な亡くなりかたをしたこと。そして今世では彼らとは関わりのない穏やかな人生を送りたいと死の間際に思ったこと。
ベルティーナはその記憶に困惑しながらも、既に切り替わった大人の意識で考える。
「そっか私、生まれ変わったのか……」
(なら今度こそ……今度こそ穏やかな人生を送ってやるわ!!)
四歳の時分にそう決意したベルティーナはそれ故に、できるだけ控えめに静かに今まで生きてきたのだ。
それを崩されてなるものかという決意を込めて鏡に映る自分を見つめる。
(そうよ! まだ騎士公爵閣下が来たと決まったわけではないわ)
ベルティーナは前向きに意識を切り替え、どうか騎士公爵ではありませんようにと祈りながら、準備を進めた。