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第1話 あれからウン十年


 あれからいろんな事があった。

 中でも、椿が身体を手放して行っちまった時ほど落ち込んだことはなかった。

 しばらく魂が抜けたようになってた。

 由利香さんには、「なによ! 私でさえ頑張って立ち直ったのよ!」って、見た目は婆さんになっても中身はそのままで、頭をはたかれちまった。

 ひっきしぶりだった。

 本当に。

 けど、それでようやく立ち直った。



 その由利香さんが旅立つのを、俺たち「春夏秋冬」が感じたある日。

 俺たちは由利香さんが入る施設の玄関にいた。


「由利香! 貴女も隅に置けないわねえ。どういう知り合い?」

「はあ? 何かしら」

「素敵な紳士が面会よ。しかも4人も!」

「?」

 首をひねる由利香さんがゆったりと横たわっている窓際のベッドの所へ、俺たち4人の紳士が現れる。


「!!!」

 目を見開く由利香さん。

「よう、元気そうじゃないか」

「ほーんと、相変わらずだね」

「由利香さん! ええっと、……お歳を召しましたね」

 俺が言いよどむと、由利香さんは本当に楽しそうに笑う。

 そして俺を手招きする。

パシッ

「いて!」

 そうしておいて油断している俺の頭をはたくんだもんな。

「痛いっすよ、由利香さん」

「婆さんになったとか言うからよ」

「いや、言ってないし。お歳を召したって」

パシッ

「言った!」

 するといつものごとく、シュウさんが苦笑いして取りなしてくれる。

「由利香さん、もうその辺で。ご無沙汰して申し訳ありませんでした」

 胸に手を当てながらお辞儀して言うシュウさんに、由利香さんもようやく機嫌を直してくれる。


「でもどうしたの? あんたたち、って、ええと……わかってる。最後のお別れを言いに来たのよね」

「由利香さん……」

 ウルウルと涙目になる俺を見て、頷きながらなぜか吹き出す由利香さん。

「もう、泣かないの。私はやっと椿の所へ行けるんだって思って、とっても楽しみなんだから」

 それを聞いてハッと気づく俺。

「あ、本当だ! ずりい、由利香さん俺より先に椿に会えるんだ」

「当たり前でしょ。愛し合う夫婦よ! あんたは百年早い、あれ? もっとよね」

「600年早い、だね」

「冬里~」

 いつもの懐かしいやり取り。


「まあ、お別れもそうなんだが」

 ここでハルにいの登場だ。

 不思議そうに首をかしげる由利香さんに、ハル兄が俺たちの伝説を説明しはじめる。

「俺たち春夏秋冬には、現れたときからなぜか知っている言い伝えがあるんだ」

「言い伝え?」

 そこで話を続けるかと思いきや、なぜか俺の方を向くハル兄。え? 俺に振るんすか? っていう感じでハル兄を見たんだけど。まあ仕方ないか、と、姿勢を正して由利香さんの方に向き直った。

「そうっす。え~、コホン。〈春夏秋冬とそれを知る百年人。揃い集まるとき、すべての秩序は春夏秋冬の夢となる〉って言うんです」

「なにそれ?」

「今のこの状況だ」

「え? あ!」

 ここでようやく由利香さんも気がついたらしい。

「え? なに? すべての秩序って、え? 何か途方もないことが起こるの?」

 その慌てぶりは、出会った頃の由利香さんと全然変わりがなくて、今度は俺が吹き出してしまう。

「なによ夏樹!」

「あ、すんません。でも、なんか」

「由利香って変わらないね~って」

「あ、冬里ひどいっす、俺が言おうと思ってたのにぃ」

「え? なにかな~」

「ひえっ」

 またいつものやり取り。けどこれは避けたい方のやり取り。

「ふたりともその辺で。大丈夫ですよ、由利香さん。いきなり何かが起こるわけではありません」

「……そうなの、良かった」

 シュウさんに言われてようやく落ち着く由利香さん。やっぱりシュウさんはいつも落ち着いててカッコイイ。

 そのあとにハル兄が考えながら言う。

「で、俺たちの夢と言っても、俺は皆が幸せであればと言う他には、特に思いつかないんだが」

「う~ん、僕はいっぱいあるんだけどなあ~」

「へ? 冬里、怖い夢はだめっすよ」

「怖い夢って? ええーなに? 夏樹は僕のことそんな風に思ってたんだ」

「いや違いますよ、念のためって言うか……、ひぇっ冬里やめてえ~」

 すい、と襟首を捕まれた俺は真っ青になって逃げだそうとするが、どういうわけか一歩もそこを動けずにいる。

「まあまあ、冬里やめてやれよ」

 苦笑して言うハル兄に、

「そだね」

 とあっさり手を離す冬里。

 途端に身体が自由になった俺は、すかさずシュウさんの後ろに逃げ込んだ。

「で? シュウさんは?」

 そのついでと言っちゃなんだけど、俺はシュウさんの背中に問いかけてみる。

「ああ、私も特には。だったら、どうせなら由利香さんに決めてもらうのはどうかな」

「へ?」

「ああ、それ、いいね。けど由利香。世界に君臨して思うがままにこの世を操る、なんて言うのは駄目だよ」

「ははは、さすがの由利香もそこまでは言わない……、よな?」

 冬里とハル兄にからかわれた由利香さんは、一瞬プウ、とふくれたあと、背もたれに背を預けて天井を見ながら考えている。

「夢かあ。今となってはもう椿に会えるだけでいいのよねえ」

 それは夢じゃなくて、当たり前の事なんすけど、と言いたいのをグッとこらえて由利香さんの答えを待つ。


「そうねえ。私も樫村さんと同じく、皆が幸せであれば良いんだけど。ただ、幸せにも色々あるから………」

 うんうん、俺は首をガクガク言うほど振って次の言葉を待つ。

「ひとりひとりが個として、お互いがお互いを慈しみながらも泣いたり笑ったり自分らしくいる。けれどそれが集まってすべてになると、この上なく美しい調和を醸し出し、そしてすべてが幸せで喜びにあふれている……、なんてどうかしら」

 俺はしばらく、今の由利香さんの言葉を自分の中で咀嚼する。えーと、そう来ましたか。でもなんて言うか由利香さん、と、口を開いたところで。

「ふうん、由利香大人になったねえ」

 冬里が一足早く俺の言いたかった言葉を口にした。

「ええ? 何よそれ、っていうかもうこーんなおばあちゃんなんですけど? あんたたちには到底かなわないけど、人生経験もそれなりに積んだわよ」

「ふふ、そうだね。こーんなおばあちゃんだもんね?」

「もう、冬里! いいわよ、はたいてあげるからこっちに来なさい」

「はーい」

 良いお返事のあと、冬里は楽しそうにベッドに近づいて、はたきやすいようになんと自ら頭を差し出した。

ぺちん

 と、俺の時とは違って、ずいぶん優しくその頭をはたく由利香さん。

「あ、ずりい。俺の時はバシッとするくせに」

 思わず言うと、

「当たり前よ。夏樹と冬里は別の人だもの。個々にあわせて、よ」

 などと都合の良い理由をつけて由利香さんはにんまり笑う。

「へいへい、わかりましたよ。けど、俺も由利香さんがずいぶん大人になったなあって思いました」

「あら、ありがと」

 ちょっと膨れながら言う俺に、意外そうにお礼を言う由利香さん。

 そんな由利香さんを見てハル兄が言う。

「大人になったというのか、百年人は俺たちとは違う形で経験を積んで行くんだからな。由利香の場合は良い形でそれが積まれていったみたいだ。当然と言えば当然なんだが良かったと思ってね。安心したぜ」

「あら、樫村さんにそんな風に言われると照れちゃうな。でも、悪い形で積まれていく経験ってあるのかしら?」

「ああ、悪いと言うか、せっかくこんなカオスのような世界に生まれてきたのに、何ひとつ身につかない、つけようとしない。……そうだな、自分自身で何一つ考えようとせずにただここで流されていくだけの者もいる。それは本当にもったいない事なんだぜ」

「そうなの?」

 由利香さんが俺たちを見回して言う。

 すると冬里がいつものようにニーッコリと笑って言った。

「そうだよ? こーんな面白い世界を選んで生まれてきたんだから、成長しなくてどうするの」

「冬里に言われると、妙に納得するわね」

「でしょ?」

 そう言ってニヤリと笑う冬里に、負けじとニヤリを返す由利香さんだった。


「さて、じゃあ俺たちはもう行かないと」

「え? もう?」

 驚く由利香さんに、ハル兄は爽やかに、冬里はニーッコリと、そして俺はニシシと笑って頷く。

「ああ、俺たちもそんなに暇じゃないんだぞ。と、これは冗談だが。……じゃあシュウ。あとは任せたぞ」

「はい」

 ハル兄はそう言うと、由利香さんと固い握手を交わして部屋を出て行く。

「じゃあね、由利香」

 冬里も握手の手を差し出し、由利香さんが頷きながらが手を取ると……

「!」

 あっという間にその手を引いて、すっぽりとハグをしたあと、頬にKISS・KISS・KISSの嵐!

 まるで初めて会ったときのようなその光景に、俺はやたらと懐かしさを感じてたんだけど。……あ、いけない、あんときはこのあとシュウさんが本気で怒ったんだっけ。

「もおー、とうり!」

 けど今回はその前に由利香さんが冬里を引き剥がして、ペシッと頭をはたく。

「あはは、また由利香にはたかれちゃった」

「当たり前です! ふふ、けど冬里との一番最初はこれから始まったのよね。なんだか懐かしい」

「わあ嬉しいな~じゃあもう一回」

「調子に乗るな」

 おでこをつんと人差し指でつついた由利香さんは、あははと楽しそうに笑う。

 冬里もふふ、と微笑んだあとは何事もなかったようにくるりときびすを返してハル兄のあとに続いて部屋を出て行った。

「えーと、由利香さん」

「泣いちゃ駄目よ」

 いたずらっ子のような顔で言う由利香さんに、俺は思わず反論した。

「泣きませんよ! まったく。じゃあ本当にこれで。あ、椿にはくれぐれもよろしく言っといてくださいよお」

「了解よ」

 そして俺もがっちりと握手をすると、シュウさんにひとつ頷いて部屋をあとにした。

「あーあ、僕がやりたかったなあ、あの役。残念だなあ」

 部屋の外で冬里がちっとも残念じゃない様子でハル兄に言っている。

「まあまあ、あれはシュウにしか出来ないんだよ」

 ハル兄も特に気にすることなく冬里に返事をしていた。


 で、ここからは由利香さんにバトンタッチだ。




「? 鞍馬くんは行かないの?」

 1人残ってこちらを見ている鞍馬くんに、私は声をかける。

「はい、少し、することがありますので」

「へえ? なにかしら」

「貴女にKISSをしなくてはならないのです。ああ、椿くんには了解を取ってありますのでご心配なく」

「え?」

 今、KISSって言ったわよね?

 ええー?? なにそれ!

 と、ここまで考えて、ハタと思い当たる節があった。

「わかった! あんたたちがここへ来たこと、私が覚えてちゃまずいのね。いーわよー、さあさあ、遠慮なく記憶を吸い取ってちょうだい。でも、ここの施設の人には、なんて説明するの? まさか全員にKISSして回るんじゃないわよね」

 そう言いながら私は、女性職員ならまず絶対に拒否しないはずの夏樹が、手当たり次第レディたちのおでこにKISSして回る情景を思い浮かべ。

 でも野郎はどうするのよ。

 あ、もしかして冬里があのニーッコリで硬直させてするのかしら、などと思い浮かべてそれが可笑しくてたまらず、ブブッと吹き出してしまう。

 するとそんな私を見ていた鞍馬くんが、ため息をついて言った。

「何を考えていらっしゃるのかは、大体わかりますが、そうではありません」

「そうなの、じゃあなんで?」

「失礼します」

 私の質問に答えることなく、鞍馬くんは、すい、と近づいてきた。

 はいはい、と、目を閉じておでこを差し出した私の、なんと唇の方に、鞍馬くんはその名の通り、口づけを落としてきた。

「!」

 思わず目を見開いて唇を離そうとしたのだけれど、なぜか離れてくれない。

 そして不思議なことに、私の目には何も映らず………


樫村さんの「春」が

夏樹の「夏」が

鞍馬くんの「秋」が

冬里の「冬」が


 唇が触れているところから、私を通り抜けていくのが感じられる。


 なんて、清々しい………


 ??

 けれど、しばらくすると、違う感覚を感じる。

 世界が、少しずつ、めくれていくような? いいえ、ピースがはがれていくような?

 どうにも形容しがたい感覚。

 そうしてまたしばらくすると、それらがカチカチと収まっていくように感じる。

かち・かち・カチ・かち……

 剥がれ落ちて組み替えて積み上がって整って。

 世界が再構築されていく? 秩序が変わる?

 けどでも、やっぱり、最後に思うのは。


 なんて、清々しい………



 時を同じくして。

 部屋を出てきた紳士に声をかけてきたケア担当のナンシー。

「もうよろしいんですか?」

 おもに夏樹に目をやって言うナンシーが、何の気なしに、ふと開け放たれたドアから部屋の中を見て。

「OH!」

 と、声を上げてしまう。

「どうしたの? まあ!」

 声を聞きつけてそばへ来たルーシーも目を見開いている。

 だってね。

 ベッドの方へかがみ込んだ鞍馬くんとそれを見上げるようにしている私が、熱い? KISSの真っ最中だったのだから。

 だけどあとで聞いた話によると、現場を目撃した2人はその光景に、少しもいやらしさや性的な意味を見いだせず、むしろこう思ったそうよ。


 なんて、清々しい………


 まるで、空から舞い降りた天使が私を連れて行こうとしているような。

 ふたりの唇が触れているところから、まばゆいばかりに光りが洩れ出し輝いているような。

 そんな神々しさを感じていたんだそう。


 まあ、それもそのはず。

「どうしたの? お嬢さん?」

 いたずらっぽい冬里の声に、はっと我に返ったナンシーとルーシーは、知らず知らずのうちに涙を流していたのに気がついた。

「なんで? こんな……」

「人がKISSするのを見て、涙が出るなんて、初めて……」


 感激する2人に聞こえないように、冬里が綺麗に微笑んでつぶやいていた。

「だってシュウが本気でKISSしてるんだから」



 4人が帰途につき、夕食を終えると、私の部屋は可愛い孫たち(うちの若い職員の事を、私はこう呼んでいるの)であふれていた。

 皆、私と彼らの関係が知りたくて知りたくて仕方がないのよねえ。

 さあて、どう説明したものか。でもさすがに今日は疲れた。

「さあさあ、私の可愛い孫たち。もう遅い時間よ。おばあちゃんは今日はちょ~っとお疲れなの。お話は明日から存分にしてあげるから。今日はもうお休みさせてちょうだい」

「由利香~」

「きっとよ、きっと教えてね」

「お願いよ」

「はいはい、きっと。約束するわ」

 ワイワイ言う孫たちは、名残惜しそうに部屋をあとにする。


 そして。

 お話の約束が守られることは、ついぞなかったのだ………。



 あれ?

「由利香」

 え? 椿がいる。

 しかも、出会った頃の若い姿で!

「え? なに? 夢?」

「夢じゃ、ないよ」

 そう言うと、椿は私に優しく口つげをする。夫婦や恋人がする、愛している方のKISS。

「え? もしかして、私……」

「そう」

 あの日の夜、私は眠るように息を引き取ったのだそうだ。

 その顔は、本当に安らかな笑顔だったそうよ。ごめんね、私の可愛い孫たち。お話しできなくて。


「でもどうしたの? 迎えに来ていきなりKISS?」

「うーん」

 歯切れの悪い椿に、ふと思い当たって聞いてみる。

「もしかして、鞍馬くんにヤキモチ妬いたの?」

 頭を掻く椿に、やっぱり、と思って言う。

「話は通しあるって言ってたわよ、鞍馬くん」

「ああ、まあ、快く、了解、したんだけど……。実際見ちゃうと……」

 そう言ってすねたような顔をする椿が、とっても可愛くって、私は彼の首に腕をまわして微笑んでいた。

「ありがとう椿。愛してる」

 そうして、今度は私から、本当に心のこもった口づけをしていったのだった。








―――ふと目が覚める

 あれ?

 夢?

 にしても、なんちゅう夢を見ちまったんだ。

 とはいえ、考えても仕方がないよな、夢なんだから。


 一度大あくびをした夏樹は、むにゃむにゃ言いながら寝返りを打つと、また布団に沈み込んで意識を手放していった。





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