初恋。
「いい加減にしてよ!!」
それは彼にしては唐突であったのだろうが、私としては当然のことだった。
まるで鳩が豆鉄砲を喰らったかのようにして開けた口など閉ざす様子もなく呆然と立ち尽くす彼を目の当たりにして、最早溜め息を漏らすことすら億劫だった。
多分、子供が居れば……子宝に授かりさえすれば問題はなかったかのように思える。
毎度のように些細なことから発展して一方的に吐き散らかす日々。
折角の手料理が台無しになるほど、自分自身にも不甲斐なさを感じてしまい、私はいったい何をしてしまったのだろうか。
新婚で、初恋からは程遠く仲睦まじいまでの関係からは遠ざかり、冷えきった空気が立派な新居を埋め尽くすほどで。
それは私の我が儘だったのかもしれない。
だが鬱憤は日に日に溜まりつつあり、吐き出す場所などは何処にも無かった。
彼と過ごす度苛立ちだけが募り、肉体関係などは毛頭無く、肌を重ねる欲望や唇を重ねようとする行為ですら皆無。
指輪をするという事すら忌々しくて、疲れきった私は堪えきれず遂に拳を振りかざし喚き散らす。
「あなたは……!! どうしていつもそうなの!! いつもいつも……そうやってなぁなぁで……っ!!」
優しさと言ってしまえば片はつくだろう。
それでも、私からすれば愛情とは程遠かった。
寧ろそれは同情に近く、その都度見逃してはいたが限界は沸点に達し、一切合切をぶつけるしかなかった。
冷たく冷えきった床には欠片が散らばり、そこにはかつて皿であった容器の趣などは無い。
玩具を欲する幼児では無いにしても、私の行動には主旨一切などは無かったというのに。
なのに……彼は散らばった破片を丁寧に拾い上げながら、澄んだ瞳で笑い掛けてきたのだ。
「大丈夫……大丈夫だよ?」
自然と肩に乗せられた掌から伝う温もりが心へと伝わり、何故か涙が頬を伝い私は彼の胸へと額を預けてしまう。
そのとき、ふたりとも全く気づいてはいなかった。
「頑張れ……頑張れ……っ!!」
「ひっひっふー! ひっひっふー!!」
暫くのち、看護婦からのお祝いの一言と共に。
あぁ、あの喧嘩なんて些細なことで。
この時を待っていただけに過ぎないのだろうなぁ。
私は涙なんてひと欠片も流さずに、心配そうに見つめては感動に打ち犇がれる彼を愛しく眺めて頭を撫で、やっとやってきた新しい家族を旦那に魅せつけてやった。
「ほら……。 あなたとわたしの子よ……」
それこそが当時の原因であり、これからの全てであったのだと今をすればそう想う ──……。
「ねぇ、おばあちゃん。 このひとだあれ?」
つまらなさそうに人差し指をくわえた孫は、目前にした綺麗な華に包まれた墓に刻まれた名を事も無げに問いただしてきた。
私は白髪を丁寧に茶髪に染め若年寄を装いつつも、孫に甲斐甲斐しく瞳を投げやる。
「おじいちゃんがいなければ……アンタはここに居なかったんだよ……」
数年後、同じ墓に入るまでのたったひとつの冗談であり、説法であったに過ぎないだろう。
親族一同が笑顔で満ち溢れた私の写真を泣き顔で腫らしていた。
「おばあちゃん……ありがとう……」
冷徹に読経が続く最中、たった一筋溢れ落ちた涙は果たして届いたのであろうか。
空は、黙して語らない ──……。
やがて歴史は繰り返される。