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あなたの命の価値

 あれは、大学3年か4年の頃だった。

 私、宇谷智恵理は就職先に悩んでいた。

 元々子供が好きだったのと、スーツを着て会社で働くのがなんとなく嫌だったこともあり、幼稚園か保育園で働くことを夢見ていた。


 どうせなら、普通の子供より恵まれない子供のためになりたいと思い、児童養護施設を選んだ。

 今にして思えば、安易だった。

 今もだけど、当時は特に自分に自信がなかった。

 何かに情熱を傾けた経験がなく、なんとなく生きてきたせいだと思う。


 かわいそうな子供の力になってあげることで、自分を高みに押し上げたいとかそんな、汚れた気持ちも少なからず、あったと思う。


 施設への就職は簡単だった。

 それだけ人が足りてない、人が辞めていくということだ。

 

 そして4月、絆の学園で正式に働きはじめた。

 最初に言われたのは。


「せめて、1年は辞めないでね」


 そのように言う、ということは1年で辞めた人がいるのだ。

 1年で辞めるなんて、根性なしだと思った。

 私は違う。

 立派な職員、立派な人間になるんだ。

 子どもを愛し、子供にも愛される職員になる。

 そう心に誓った。


「宇谷さん。私があなたの教育担当の大谷よ。よろしく」


 大谷さんは40代のベテランの女性だ。

 体格も良く、頼りになりそうという印象だ。


「それじゃあ、施設を案内するから」


 その時、子供の大声が聞こえた。

 喧嘩かいじめだ。

 そう、直感した。

 だが。


「あ、気にしないでね。すぐに慣れるから」


「止めなくていいんですか?」


 たまらず、聞いた。


「子供の喧嘩で死ぬと思う?」

 

 つまり、死ななければいいというのか。

 そんなのおかしい。

 だけど、大谷さんは全く気にしていない。


「ところで、何か臭いません?」


 研修の時もそうだったが、この施設はそこら中から悪臭がする。


「ああ、子供たちや子供たちの衣服、靴の臭いよ」


「洗濯はしてますよね?」


「まあね。だけど、洗濯物が多すぎて追いついてないのよ。だから、2、3日洗ってない服を着てる子もいるの」


 大谷さんは何でもないことのように言う。

 こんなの、家庭ではありえない。


「靴もまあ、ほとんど買い替えないし。何より、子供たちはトイレの後のお尻の拭き方や、体や髪の洗い方を知らない子も多いのよ」


「そんな……」

 

 普通は親に教えてもらえるはずだ。

 ここの子供たちは、いったいどんな環境で育ってきたのか。

 想像するのも心苦しい。


「職員は教えてあげないんですか?」


「忙しいもの。無理よ」



 施設の案内が終わった。

 子どもたちの部屋も見せてもらったが、片付いておらず、汚れていた。


「じゃあ、食事の時間だから」


 食堂に移動する。


「早く食べなさい!!」


 大谷さんは子供たちを怒鳴りながら、食事を急がせる。

 子供たちは大谷さんを刺激しないように、必死に食べているという様子だった。


「和樹君が僕のハンバーグとったー!」


 一人の男の子が、私に泣きついて来る。


「えっと……」


「宇谷さん、和樹君はあの子よ」


 大谷さんは、一人の男の子を指さす。


「どうすればいいんですか?」


「叩きなさい」


「え?」


「人の食べ物を盗んだら悪いことだって、体でわからせるのよ」


「ですが、私達は盗んだところを見たわけではありません。まずは、本当に盗んだかどうか、聞き取り調査をしてからの方が……」


 そう言うと、大谷さんはため息をついた。


「あのね、この施設に何人の子供がいると思う?」


「37人です」


 暗記した人数を答えた。    

 児童養護施設は人数によって、大舎制・中舎制・小舎制に分類される。

 大舎制は、20人以上が生活する施設で、中舎制は、13人~19人、小舎制は12人までの児童が生活する。


「そう、だから一人一人の問題に丁寧に付き合っている時間も余裕もないの」


「ですが、それでは子供との信頼関係が成立しません」


「そうね。新しい職員は信頼だの愛だの、そんなことばかり言うわ。だけど、すぐに日々の仕事に忙殺されて忘れるわ」


大谷さんはそう言うと、和樹君に近づいていく。


「和樹君、ハンバーグ勝手にとったの?」


「え、とってないよ」

 

 子供は嘘をつく。

 どちらが本当のことを言っているのか。

 と、考える前に大谷さんの手が出ていた。

 加減しないビンタだ。

 バシッと乾いた音が響く。


「人の食べ物とったらいけないって、言ってるでしょ! 今日は柱の刑!」


「い、嫌だ!嫌だ!!」


 和樹君は今にも泣きだしそうな勢いで怖がる。


「あ、あの。柱の刑って何ですか?」

 

 恐る恐る聞いてみる。


「柱に縛り付けておくのよ」


 ぞっとした。


「何分ぐらいですか?」


「分? 一晩中よ」


「そんな! ひどすぎます!」


 まさか、こんなことが日常的に行われているのだろうか。

 だとしたら、ここは子供たちにとって安心できる場所ではない。

 刑務所のようなものだ。

 いや、それよりももっとひどい。


「まさか、他にも罰があるんですか?」


「あるわよ。裸にして一晩中正座させる刑とか、冬は水風呂に浸からせる刑とか、みんなで悪いことした子を殴る刑とか」


「そんなの、虐待ですよ!」


 施設には虐待を受けた子供もいる。

 家庭で虐待され保護された施設でも虐待されたら、本当に生きていく希望がなくなってしまう。


「そうね、そうかもしれない。だけど、施設にいるような子は強い罰がないと教育できないのよ」


 それから、一ヶ月働いた。

 衝撃的なことばかりだった。

 鼻血が出るまで子供を蹴り続ける職員もいた。

 女の子にセクハラする職員もいた。

 暴言やいじめは当たり前。

 本来子供に支給されるはずのお小遣いは、職員のポケットに入って行った。

 その他にも、ここの異常性は挙げればきりがなかった。


「はあ……」


 ため息が出てしまう。


「どうしたの?宇谷さん。仕事はまだ沢山あるわよ」


「いえ、何でもありません」


 そんな異常を正そうにも、とにかく職員は忙しい。

 こんなに大変な仕事だとは思わなかった。

 それに、異常だと思っている人間が少なすぎる。

 私もいつか染まってしまうかと思うと、恐怖で身が震えた。


「あ、そうそう。最近、子供たちが怪しいから気を付けてね」


「怪しい? どういうことですか?」


「子供たちがね、職員に復讐しようと計画してるのよ」


 考えてみれば、当たり前のことだ。

 こんな理不尽な扱いを受けているのだから、そのようなことを考えても不思議ではない。


「ど、どうするんですか?」


 職員に対する復讐なら、私だって対象のはずだ。 

 もちろん、子供に対して暴力を振るったり、刑を与えた経験はまだないが。


「そうね。力の強い男性職員に頑張ってもらうとかかしらね。以前にも復讐されたことがあるのよ」


 以前にも……。


「宇谷さんみたいに、若くて弱そうな女の職員は狙われるから、気を付けてね」


 まさか、施設で働いていて子供たちに感謝されることはあれど、攻撃対象になるとは思ってもいなかった。


 そして、現実のこととなった。

 

 その時間は、ちょうど男性職員の数が少なかった。

 廊下を歩いていると、いきなり背後から蹴られた。

 思わず、倒れてしまう。


 ヤバい、と思った時には既に男の子たちに囲まれていた。

 小学校6年生の男の子たちだ。

 私が何より怖かったのは、男の子達の目だ。

 全てが敵、という獣のような目をしていた。

 直視できなかった。    


「宇谷さん!」


 大谷さんが棒のようなものを持って走って来る。

 男の子たちは散り散りになって、逃げて行った。


「宇谷さん、大丈夫?」


「え、ええ」


 その時、ガラスが割れる音が聞こえた。


「何ですか!?」


「子供たちが窓を割ったんだよ」


 子供たちはもはや、暴徒になっていた。


「私は行くから、宇谷さんは安全なところで隠れてて」   


「あの、これからどうするんですか?」


「とりあえず、子供たちに暴れた罰を与える。もう2度と暴れたくなくなるようにね」


 罰で子供たちを封じ込める。

 子供たちが社会に出たとき、どんな大人になっているか想像すると、怖くてたまらなくなった。


 私は暴動に参加してない女の子達の部屋に逃げ込んだ。

 部屋には一人の女の子がいた。


「……ちえり先生?」

 

 この子は天田夏美ちゃん。

 虐待で施設に保護された。


「夏美ちゃんだよね?」


「うん」


「……私ね、この施設辞めようと思うの」


 もう、無理だ。

 怖い。

 子供達も他の職員も怖い。

 ここは、私が来ちゃいけない世界だったんだ。


「やだ」


 だけど、目の前の女の子はそう言った。


「ちえり先生、好き」

 

 目が覚めるような、一言だった。


「どうして?」


「他の先生と違って、優しいから」


「私は優しくなんかないよ」


「ううん、優しいよ」


「どうして、そう思うの?」


「叩かないし、ひどいこと言わないし」


それからそれからと、夏美ちゃんは次々に挙げてくれる。


「夏美ちゃん」


 私は思わず、抱きしめていた。

 叩かない、ひどいことを言わない。

 そんなの、当たり前のことだ。

 心や体に傷のある子供に接するなら、なおさらのことだ。

 だというのに、ここの職員はそんな当たり前のことさえできず、子供達を深く傷つけている。


「ありがとう」


「え?」


「抱きしめてくれて、ありがとう」


 涙が出そうになった。

 この子は、きっと長い間誰にも抱きしめてもらってないのだ。


「ずっと、ここにいてね」


「うん……。絶対に、逃げたりしないから。絆の学園を、必ずみんなが幸せになれる場所にするから」


 そして、私は行動を開始した。

 まず、この施設の異常性を施設外の人間に知ってもらうことから始めた。

 職員たちの悪行をこっそりと撮影し、様々な場所に送った。

 警察が介入し、逮捕された職員もいた。

 次に、職員の数を増やすよう、行政に繰り返し訴えた。

 そもそも、職員が少なすぎるせいで、子供たちに構えなかったのだ。


 その次に、子供たちを小集団の班に分けた。

 他の施設では普通に行われていることだが、絆の学園では行われていなかった。

 班分けすることで、集団生活能力の向上にもつながった。

 他にも、食事の準備を子供たちに任せたり、行事やイベントを実施した。


 また、アルバイトを推奨し、ボランティアの実施もした。

 他にも、施設や子供たちのために、やれることは何でもやった。

 その過程で、他の職員と衝突したりすることは、日常茶飯事だった。

 だけど、子供たちが味方になってくれた。


 あの日の、なっちゃんとの約束を忘れてはいない。

 そして、元は施設改革し隊というグループを勝手に作り、私を隊長に任命した。

 元が中心になって、子供たちの意識も変わっていった。

 子供たちの協力もあり、絆の学園は評判のいい優良施設へと生まれ変わった。


 私は施設長になり、職員たちを指導する側にまわった。

 絆の学園を生まれ変わらせた立役者として、講演に呼ばれることもある。

 その講演の最後に話すことは決まっている。

 一組の被虐待児が、幸せになるまでの話。

 傷つき、虐げられた子供が、自分の大切さや人を愛することを知る。

 そんな話。

 そして、その話の後に来場者に問う。


「あなたは、あなたの命の価値に気付いていますか?」


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