そして、大人になる
それからも、虐待に繋がりそうな危ない場面も何度かあった。
でも、一つ一つ必死に抑えて、乗り越えていった。
子育てにおいて、段階を飛ばして成長することは出来ない。
一歩ずつ、着実に。
そして、ある休日。
「私、親と話そうと思うの」
ママは突然、そう言った。
「……どうして?」
「親との縁を切りたいの。放っておいても、関わることはないと思うけど。でも、ちゃんと話して、過去に決着を着けたいの」
ママがそう言うなら、構わない。
「頑張って」
「うん」
ママは電話を掛ける。
スピーカー機能にして、僕にも聞こえるようにする。
呼び出し音が鳴り、ママの親が出た。
「もしもし、どちら様ですか?」
「……夏美。あなたの娘です」
一瞬、向こう側が黙る。
「夏美なの? どうして……?」
「二人との、縁を切りたいの」
「そう……」
その声から、感情は読み取れなかった。
「お父さんは?」
「今はひきこもってるわ」
「そう、なんだ」
そして、長い沈黙があった。
「夏美、すまなかったわね。あの時、信じてあげられなくて」
ママが電話を落としそうになった。
「遅いよ、遅すぎるよ」
「そうね……」
「お父さんに代わって」
「わかったわ」
代わるまでの間で、ママは深呼吸をした。
「夏美か?」
「うん、そうだよ。ねえ、どうしてあんなことをしたの?
核心に触れた。
「……あの頃、会社のことでいろいろ悩んでてな。誰でもいいから、支配したかったんだ」
なんて、身勝手な理由だろう。
そんなことで、ママの人生をめちゃくちゃにしたのか。
「お母さんにも伝えて。産んでくれてありがとうって」
だけど、ママは強かった。
いや、これまでの人生で強さを得た。
「夏美! やり直そう! 今からでも!」
「もう一生、二人には会いたくないよ」
ママは電話を切った。
ママはその場に座る。
そして、大声で泣き始めた。
僕はそっと、抱きしめた。
別の部屋で遊んでいた優美が、部屋に入って来る。
「ママ、どうしたの? 泣かないで」
優美はそう言って、ママの背中をさする。
「パパ、私、幸せだよ。こんなにいい子にも恵まれた。本当にありがとう。私、頑張ったよ」
「うん。ママは頑張ったよ」
ママはようやく、大人になれた。
優美は成長していく。
それは、喜ばしいことで、止めることは出来ない。
ある日。
「ねえ、パパはどうしてママと結婚したの?」
優美に聞かれた。
「え? それは、好きだからだよ」
「じゃあ、私もパパが好きだから、パパと結婚するー!」
思わず、顔がにやけてしまう。
「ははは、パパとは結婚できないんだよ」
「えー、どうして? パパのこと好きだよ」
「優美もいつか大好きな人がパパやママ以外にできるから、その人と結婚するんだよ」
「ふーん」
優美はいまいち納得していない。
優美が結婚。
そんな日が、いつか来るのだろうか。
ある日。
「ピアノ習いたい」
優美は突然、そんなことを言い出した。
「どうしたの? 突然」
ママが不思議そうに聞く。
「な、なんとなく」
「なんとなくじゃ、続かないでしょ?」
「習うの!」
後日、理由が判明する。
好きな男の子が、ピアノ習ってるからだそうだ。
僕は大いにショックを受ける。
優美は小学校高学年になった。
「優美、お風呂入ろう」
と、誘うと。
「もうお父さんとお風呂入らない」
そう返されてしまった。
まあ、いつかこんな日が来るとは思ってたけど。
ある日。
「お父さんの下着と私の下着、一緒に洗濯しないで」
優美がそんなことを言ってきた。
「え、いいじゃん、それくらい」
僕はたまらず、反論する。
「やだ! っていうか、何でウチはお父さんが洗濯してるの? お母さんが洗濯してよ」
すると、見かねてママが近づいて来る。
「そんなに嫌なら、優美が洗濯しなさい。こんなに家事してくれるお父さんは、珍しいんだからね」
ママは僕の味方をしてくれる。
なんだか、嬉しい。
一方優美は拗ねたような表情をしている。
「じゃあ、自分で洗濯する」
優美はそう言ったものの、わずか数日でやめてしまった。
中学生になり、本格的な反抗期を迎えると。
「優美、一緒に買い物に行こう」
僕が誘っても。
「やだ」
断られる。
「優美、一緒に映画に行こう」
別の日でも。
「やだ」
断られる。
「優美」
「やだ」
「まだ何も言ってない!」
あらゆる誘いを断られた。
ひどい時には、無視される。
ある日。
「優美、テスト見せなさい」
ママはそう言って、優美に詰め寄る。
「どっか行った」
「悪い点だったから隠してるんでしょ? ちゃんと勉強しなきゃだめよ」
「二人とも、高卒のくせに」
「そ、それは……」
ママは言葉に詰まってしまう。
「高卒だからこそ、高卒の苦労がわかるんだよ。優美には苦労してほしくないから……」
僕は反論した。
「でも、可愛い子には旅をさせよとか、若い頃の苦労は買ってでもしろとか言うじゃん」
思ったより、口達者に成長していた。
そして、ママと優美は友達のような関係になり、僕は相変わらず邪険に扱われている。
たまに来る由紀とは、良好な関係を築いている。
ある日。
「ねえ、お父さん」
「ん、何?」
「お父さんがトイレ入った後、トイレ臭いんだけど。家でトイレ入らないでくれる?」
「それは、無理だよ。どうすればいいのさ?」
「公園のトイレとか使えばいいじゃん」
「そんなこと言わないでよ」
「でも、お父さん臭いし」
臭いの我慢して、オムツ替えたの誰だと思ってるんだ。
「じゃあ、トイレ増やせばいいんだよ」
優美は無茶苦茶を言う。
「ここ、賃貸アパートなんだけど」
たとえ、マイホームでも厳しいだろう。
「じゃあ、災害用の携帯トイレ使うとか」
「そこまで嫌なの!? 大体、優美の友達でも父親とトイレ別にしてる家なんかないよね?」
「う、それは、そうだけど。とにかく、なんとかしてよ!」
優美は部屋に戻ってしまった。
「はあ……」
臭いって言うのと同じ口で、昔はパパと結婚するとか言ってたんだよな……。
「どうしたの?」
ママに聞かれる。
「優美に臭いって言われた」
「優美も大人の女性に近づいてるんだよ」
「そうかなあ」
大人か。
もう、子供じゃないんだ。
なんか、あっという間だったなあ。
高2のクリスマスイヴ。
優美はやけにそわそわしていた。
家中をウロウロ。
「優美、ケーキ買ってきたよ」
と、僕が言っても無視をする。
というより、聞こえていないようだ。
「優美、クリスマスプレゼント、何が欲しい?」
優美は部屋に戻ってしまった。
そして、しばらく籠ったままだ。
「ねえ、ママ。優美、どうかしたの?」
カレーを作っているママに話しかける。
「先輩に告白したらしいよ。今、返事待ちだって」
がつーんと、殴られたような衝撃。
目の前が、真っ暗になる。
「どこの誰?」
「同じ高校の、同じ部活の子だって」
「全然知らなかったけど」
「父親に言うわけないじゃん」
はあ、彼氏か。
思わずため息が出る。
その時、優美の部屋からすすり泣く声が聞こえてきた。
結果が出たようだ。
「慰めてくる」
僕は優美の部屋に行こうとするが、ママに止められる。
「絶対逆効果だからやめて」
「じゃあ、どうするの?」
「優美はもう、自分で自分のことはできるから」
優美は高校を卒業し、無事に大学へ進学した。
そして、彼氏を連れて来た。
「初めまして、優美さんにはいつもお世話になってます」
と、挨拶された。
「う、うん」
僕はぎこちない返事をする。
「あはは。何で、お父さんが緊張してるの?」
最近の優美は、僕への態度も柔らかくなった。
彼氏じっくり観察する。
髪は染めてなくて、ピアスも開けてない。
背は低めで、痩せ型。
顔つきは優しそうだ。
言動も、今のところ問題ない。
何か、何か別れさせるだけの材料は……。
「優美のどんなところを好きになったの?」
聞いてみる。
「ちょ、ちょっとお父さん。やめてよ恥ずかしい」
優美は真っ赤になる。
「優しくて明るい所です」
彼氏は僕の目を真っすぐ見て言った。
格好いいぞ。
悔しい。
結局、その彼氏と大学卒業後しばらくして、
結婚することになった。
今日、彼氏は結婚の挨拶に来た。
「僕が、優美さんを必ず幸せにします」
彼氏はよく通る声で、胸を張って言った。
「よろしくね」
ママは明るく返事する。
「ほら、お父さんも返事して」
優美に促される。
「本当に……よろしく、お願いします」
僕は深々と頭を下げた。
その夜、優美が寝た後。
「はー、本当に結婚しちゃうんだね」
ママはしみじみと言った。
「うん……」
僕は力なく返事した。
「23年。なんか、あっという間だったね」
「うん……」
僕の中でいろんな感情が混ざり合っている。
「……ねえ、パパ。優美の旦那さん、誰かに似てると思わない?」
そう言われて顔を思い浮かべるものの、似ている芸能人などは見つからない。
「性格も含めて、パパそっくりだよ」
そうか。
そうだったんだ。
「優美はパパのことが大好きなんだよ」
自然と、熱いものがこみ上げる。
「ママのことも、きっと大好きだよ」
「うん、そうだと嬉しいな」
「ママ、寂しいよ。優美がこの家からいなくなるなんて」
ずっと、ずっと一緒だった。
生まれてからずっと……。
「私も、寂しいよ。でも、喜んであげないとね」
「うん」
優美が大好きな人と結ばれる。
こんなに喜ばしいことはないのに。
涙が止まらない。




