再会
由紀の部屋に行く。
本棚を見ると、虐待に関する本が並んでいる。
まだ高校生だが、将来の仕事に向けて勉強を始めているようだ。
「偉いね由紀は。虐待のこと、ちゃんと勉強してる」
「……あのね、勉強を始めて虐待のこと客観的に見られるようになったと思うの。それでね、どうして私たちの両親は虐待したのか考えるようになったの」
そんなこと、考えたこともなかった。
いや、考えようとしなかった。
「もちろん、私達に非はないよ。そりゃあ、言う事を聞かなかったりすることもあったと思うけど、小さい子供だったしね。しょうがないよ」
由紀は何を言いたいんだろう。
「もしかしたらね、私達の両親も同じように虐待されてたのかなって思うの」
「虐待の連鎖ってこと?」
「うん」
そうかもしれない。
だけど、それは免罪符にはならない。
虐待はどんな事情があっても、いついかなる時も、決して許されない。
「私は会ってみたいと思うよ」
思わず、息を飲んだ。
呼吸を忘れるくらいの衝撃だった。
「両親に、会う?」
「うん」
「やめるんだ。危ないよ」
心と体、両面で危険だ。
由紀を危ない目に遭わせるわけにはいかない。
「私は会って、何で虐待したか聞きたい。きっとそれが、将来の役に立つから。そして、できれば謝って欲しい」
由紀は将来の目標を定めたことで強くなった。
「あんな親、きっと謝らないよ」
「会ってみないと、わからないよ」
それはそうだけど、危なくないのだろうか。
「由紀を一人で行かせるわけにはいかない。一緒に行くよ」
「うん。じゃあ、近いうちに行こうよ」
正直、怖い。
会えばきっと、思い出す。
いくら体が成長しても、恐怖は消えない。
あの頃のままなんだ。
「両親の住所は、知ってるの?」
由紀に聞くと、それほど遠くない地名を挙げた。
智恵理先生から聞いたらしい。
そんな近くに住んでいるのかと思うと、身がすくむ。
体が震えてきた。
由紀は僕の手に。自分の手を重ねる。
「私はお兄ちゃんが守ってくれたから、心と体の傷が浅くて済んだの。本当に、ありがとう」
「うん……」
「お兄ちゃんは、会ったら何を聞くの?」
何だろう。
何を聞けばいいんだろう。
僕もいずれ、親になるつもりだ。
「やっぱり、何で虐待したのかということ」
「うん、そうだよね」
これだけは、聞かなければいけない。
そして、僕は絶対に虐待をしない。
その日は、両親に会いに行く予定を決めて帰った。
なっちゃんが帰って来るまで、ひたすら考え事をしていた。
「ただいま」
なっちゃんが帰って来た。
「お帰り」
夕食に時間になる。
僕を意を決して、今日のことを言う。
「両親に会いに行こうと思うんだ」
なっちゃんの動きが止まる。
「どうして?」
「由紀が会いたいって言うから。一人じゃ危ないと思うし」
「勇気君は会いたいの?」
「会って、聞きたいことがある。どうして、虐待したのかということ」
なっちゃんは表情を変えない。
「私は両親に会うなんて、無理だな。きっと、思い出しちゃうし。勇気君、無理しないでね」
「うん」
その後は、何も会話はなかった。
きっと、なっちゃんも両親のことを思い出しているんだろう。
僕はそっとしておいた。
夜は何もせず寝た。
翌週の休日。
両親に会いに行く日だ。
アパートに由紀が来る。
「それじゃあ、行こう。お兄ちゃん」
「うん」
前日は色々なことを思い出して、眠れなかった。
由紀と一緒にアパートを出る。
駅までも、そして電車に乗ってからも会話はなかった。
「ほら、あのアパートだよ」
一軒の古いアパートを由紀は指さす。
あそこに、住んでいるそうだ。
2階に住んでいるので、階段を上がる。
一段一段登るにつれ、近づいているのかと思うと恐怖がじわじわ侵食してくる。
「お兄ちゃん」
由紀が手を握ってくれる。
僕は兄なんだ。
しっかりしないと。
目的の部屋の前に着いた。
インターホンを鳴らす。
ドタドタと足音がして、ドアが開く。
出て来たのは、深い皺の刻まれた顔の男性だ。
「誰だ?」
「お父さん」
由紀がそう言った瞬間、男性の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
「由紀と勇気か?」
「そうだ」
僕が答えた。
僕の声は自分でも驚くくらい、低く怖い声だった。
「何しに、来たんだ?」
「話をしに来たんだよ」
「……入れ」
男性、いや父は中に入り、それに続く。
部屋の仲は雑然と物が置かれ、ゴミ屋敷一歩手前のようだった。
そして、一人の女性がいた。
「誰なの?」
その女性は言った。
「由紀と勇気だ」
父は答える。
女性は息を飲み、瞳を泳がした。
「この人が、お母さん?」
由紀は父に聞いた。
「そうだ。俺の名前は勇一朗。そいつは恵子だ。まあ、座れ」
僕たちは座る。
居心地が悪い。
早く、この場所から逃げ出したい。
発狂してしまいそうだ。
「それで、聞きたいことは何だ?」
「どうして、僕たちを虐待したんだ?」
一番聞きたいことを、前置きなく聞く。
父は深く、息を吐く。
「俺達は追い詰められてたんだ。いや、子供の愛し方がわからなかったんだ。そうだな、どこから話したもんか」
父は語り始めた。
「俺も、虐待されてたんだ。父親からな。
そして、恵子は幼い頃兄から性的な奉仕を強制されていたんだ。
俺は家を飛び出し、寮付きの職場にに逃げた。
恵子は風俗店に逃げた。
その風俗店で出会ったんだ。
お互い、虐げられた者同士。
すぐに仲良くなって一緒になった。
それで、お前たちが生まれたんだ。
幸せだった。赤ちゃんは可愛いからな。
だけど、可愛いがるだけじゃだめだった。
病院で簡単な指導はあったが、俺達は赤ちゃんを育てることなんてできなかった。
仕事も大変だったしな。
赤ちゃんの成長は喜ばしいことのはずなのに、喜べなかった。
泣けばうるさいし、ベッドや床を汚す。
そして、家計も圧迫していく。
俺は家計を助けるという大義名分のもと、ギャンブルに手を出し始めたんだ。
本当はうるさい赤ちゃんから離れていたいからだ。
当然、勝てるはずがない。家計はさらに苦しくなった。
俺はそんな現状を直視するのをやめ、酒に溺れたんだ。
恵子はそんな俺を咎める。
それがうるさくて、ついに暴力に走った。
暴力は下へ、下へ、弱いほうへと向かう。
恵子は力関係で自分の下にある、子供たちに暴力を向けた。
俺達は暴力を振るうことに、どんどん麻痺していった。
これは、しつけだとか言い訳もしなくなっていった。
俺達のストレスが解消されるなら、子供が犠牲になるのは仕方がない。
そんな思いさえ、あった。
そして、勇気と由紀が保護されて、初めて気づいた。
俺達はまだ、子供だった。
愛されたことのない俺達に、子供を育てることなんて、無理だったんだ」
父は全てを話し終えた。
その表情にあるのは、後悔。
「由紀や勇気を殴ったこと、後悔している。初めて殴った時の罪悪感や空しさは、忘れていない。怖かった。憎んでいたはずの両親そっくりになっていくのが」
両親のことを、勝手に悪魔か何かだと思っていた。
だけど、違う。
両親も人間だ。
虐待に苦しみ、育児に悩んだ人間なんだ。
「謝って済む問題じゃないのは承知している。だが、謝らせてほしい。すまなかった」
父は頭を下げた。
初めて、僕たちに謝罪をした。
だけど、僕は。
「絶対に許さない」
そう言った。
「私も、許さない」
由紀も続く。
この両親を許してはいけない。
死ぬまで、虐待したという罪悪感に苦しんでほしい。
それほど、重い罪なのだ。
でも、二人で決めたことがある。
それを今から言う。
「それでも、産んでくれてありがとう」
僕たち兄妹は、声を揃えて言った。
この世に生まれてこなければ、みんなに会うことは出来なかった。
そして、僕たちが生まれてきたことを間違いにしたくない。
矛盾しているかもしれない。
それでも、産んでくれたことに対する感謝を伝えた。
両親は言葉を聞いた瞬間、目を見開いた。
そして、涙を流す。
結婚式に呼ぶつもりはない。
孫に会わせるつもりはない。
老後は勝手に死んでほしい。
それでも、親だ。
世界に一組しかいない、かけがえのない親なんだ。
この人たちから、生まれて来たんだ。




